2004年12月

平成16年12月28日(火)
第084号「歩く巨人」


先日、山口県に行くことがあり、宮本常一(みやもと・つねいち)の資料館のある周防大島まで足を延ばした。宮本常一は民俗学者。ただの学者ではなく、実際の民衆の生活の向上に役に立つ技術や情報を与えることを目指した行政官でもあった。離島振興法という法律の制定にも力を注いだ。

実は僕の思想的な先生が宮本常一だ。もちろんそういうことをいえば先生から怒られそうだが、僕が自治省に入るときに漠然と持っていた地域振興や地方自治についての考え方をまったく違った光の当て方から教えてくれたのが宮本常一だった。たとえば、「日本列島の中央と地方」という論文だったかと思うが、そこにおいて、宮本常一は佐賀県兵庫村(いまの佐賀県佐賀市兵庫町)において小作農から集められた小作米が現金に形を変えて地主の子弟が東京で学問を修めるための費用に充てられている現実を見て、貧しい地域から豊かな地域への送金がいかにわが国全体を疲弊させるものか、貧しい地域において資本を蓄積させるのがいかに難しいか、を説く。こうしたことがなくならなければ真の豊かさがなかなか現実のものとならないという。
若かりし僕はいたく共鳴した。そしていまなおその状況は変わることがないと思う。

いま県外の学校に行かせるためには毎月10万円以上の額が必要だと言われている。
その額を仕送りすると1年間で150万円から200万円近いお金が県外に持ち出される。その持ち出される先は東京や大阪、福岡といった地域であり、所得の低い地域から高い地域への仕送りという実態はいまも続いている。

一方で国家からの仕送りとでもいうべき年金は、佐賀県内の高齢者の収入となるが、実際にはこの年金が全額使われることは少なく、多くの場合、使われずに貯められているという。入ってくる額に対して使われる額は1割程度しかなく、あとの9割近くは貯められることになり、資金的にはたとえば農協の口座に振り込まれる年金であれば、回りまわって農林中金に行き、国債を消化するのに役に立つということになってしまうとも聞く。

今回、宮本常一の資料館を訪ね、改めて先生の存在の重さを感じた。

この資料館、もとはといえば宮本常一記念館とでも名づけようとしたものらしい。ところがこの建設事業には国費が入っていて、およそ国費で建設するものに個人の名前を冠するなどもってのほか、とおしかりを受けたようで、名前は「周防大島文化交流センター」となっていた。

担当省庁のお役人はきっと満足されたに違いない。

ふるかわ 拝

※宮本常一データベース
※周防大島文化交流センター

平成16年12月21日(火)
第083号「世界公募」


こないだ東京に行ったとき、東京駅の八重洲口の横断歩道で信号の変わるのを待っていた。

そしたら、あの広い八重洲口の道路の向こうから大きな声が聞こえてきた。
もちろん車の音にかき消されてよくは聞き取れないが、とにかく向こう側から 聞こえてくるのはまぎれもない人間の声だった。こっちに誰か知っている人でもいるのかと思ったが、なんかそんなことでもなさそう。

信号待ちが終わって、その声が近づいてきた。携帯電話で話をしている男の人だった。中国人かもしれない。「没有(メイヨー)没有!」(日本語でいえば「ない、ない」という感じだろうか。)と叫んでいた。観光客という感じではなく、日本社会に腰を据えて暮らしている、そんな雰囲気だった。

それと同じ日だったが、今度は東京駅の丸の内口の東京中央郵便局の近くの横断歩道に立って信号待ちをしていたとき、向かい側からやはり「没有(メイヨー)没有」と叫びながらこっちに向かって歩いてくる女の人と出会った。
こっちが信号待ちをしているということは向かい側も同じく赤信号なのだろうがそういうこととは関係なくという感じのキビシイ表情で彼女はたちまちこっちとすれ違い、そのまま去っていった。

中国といよいよ本格的な付き合いが始まる。それを予感した出来事だった。

自治体は外交政策を担うことがない。「国と地方の役割分担」論で言えば、「外交は国の専権事項」となる。もちろん沖縄のように外交と防衛が地域にとって深い関わりを持っているところもあるが、だからといって、沖縄県知事が他の知事よりも強大な外交上の権限を持っているわけでない。
だから自治体と外国とのお付き合いは外交でなく「国際交流」となる。いくら知事が海外出張に行くと言っても外交旅券は取れない。

国際交流と言うのはかつてはいわば「なかよしになる」ことだった。その程度でも何か困るということはそんなになかった。しかし、外国との付き合いがさまざまなレベルで当たりまえになっている今、ニコニコとパチパチだけではだめな時代がきている。いろんなところに普通に「世界」が入り込んできている。今日、僕の手元に一通の手紙が届いた。アメリカからだった。カリフォルニア在住の方が僕の後援会に入会したいという申込書を送ってくれていたのだった。

いま佐賀県ではアバンセ(佐賀県女性センタ・生涯学習センタ)の館長を公募している。新聞の見出しは「全国公募」となっていたがちょっと違う。「世界公募」なのだ。今回、申し込みはすべてネット上で行うようにしてある。
だから、世界中どこにいても応募できるというわけだ。

公募期限は来年1月20日24時まで。現代にふさわしく世界中からの応募を待っている。


ふるかわ 拝

平成16年12月14日(火)
第082号「新幹線ストーリー」

先週は新幹線一色だった。毎朝ミーティングをしてその日何をするか打ち合わせをした。夜も遅くまで仕事した。木曜日の夜6時の県庁での記者会見まで担当課の職員はまさに夜を徹して働いていた。たとえば水曜日から木曜日にかけての夜、僕は午前2時で東京事務所からさよならしたが、担当職員は完徹だった。実は僕も寝られなかった。ホテルの部屋に先に戻ってはいたが、何時になってもメールが入ってくる。朝5時、6時。それでもメールは入りつづけた。

その前の火曜日は地元自治体を回った。
それを終えたのが午後11時。それから県庁に戻り、ミーティング。その終了が午前1時。こういうのの繰り返しだった。

今回僕が出した結論についてはさまざまなご意見があり、また厳しい批判もあることは承知しているし、その責めは僕が負うべきだろう。しかし、これに至る過程の中で職員は本当によくやってくれた。

今回経営分離に同意したのは、今回のタイミングで経営分離に同意をしておかないと、いわばバスに乗せてもらえなくなりそうになることが最大の理由だった。
バスのきっぷだけは買っておきたい、ということだった。

今回の予算の中で、将来的に確実に収入が見込まれる「既設新幹線譲渡収入」のうち、まだ使い道が決まっていない平成25年度から29年度までの分の使い道を決めることになっている。その使い道が決まると新幹線としてあてにできる財源が当分なくなる見込みだ。北陸・北海道の二つの新幹線は確実にエントリーできるとして、長崎ルートは佐賀県内の地元自治体において経営分離に反対するところがあり、このままではエントリーできなくなってしまうという状況にあった。今回、エントリーしなければ長崎ルートの目は平成30年度以降に遠のく。なぜなら平成29年度分の財源までは使ってしまうからだ。

しかし、地元自治体に反対があるのは事実であるし、しかも地元自治体とは協議を始めたばかりで結論を急ぐのにはムリがあった。なんとかエントリーだけしておく手はないのか。

結局のところ、新幹線の歴史始まって以来だったが、そういうわがままを認めていただいた。

今回の結論がある程度明確に整理できたのは会見前夜だった。新幹線問題についてイニシアティブをとる代議士にお目にかかり、最終的な詰めの議論をずいぶんやった。その中で、それまで漠然としていた「経営分離には同意するがそれは着工同意ではない」「県は引き続き地元自治体との協議を続ける」というラインが明確に浮かび上がってきたのだった。

新幹線はこれから第二ラウンドになる。しばらくは担当職員も少し休んでもらって、それからまた協議を進めていかなければならない。

記者会見をした日の夜、担当課の職員全員の自宅に電話を入れた。ご迷惑をかけた家族にお詫びとお礼を言いたかった。しかし、「佐賀県知事の古川ですが」と名乗ってもにわかには信じてもらえなかった。どうやら多くの家庭では「振り込め詐欺」の新形態かと思われてたようだった。


ふるかわ 拝

平成16年12月7日(火)
第081号「新潟県・見附市長の話」

11月13日土曜日、僕は東京出張の帰りに新潟県に入った。被災地の現場を訪問し、併せて佐賀県から新潟県見附市に派遣されている医療関係スタッフの激励をした。見附市長にもお目にかかった。そのときの状況を全職員にメールで知らせた。これが思いのほか反響を呼んでいて、「もっと多くの人に知らせるべきだ」という声がさまざま寄せられている。ということでこの見附市長さんのお話を紹介したい。見附市は今年、水害と地震の両方の被害に遭ったところだ。久住時男見附市長は民間出身で一期目。復興でお忙しいさなか、僕の訪問に対応していただいたのだった。

以下は市長のお話のポイントだ。あなたの街はどうだろうか。

<地震関連>
■ 見附市の震度情報が出なかった。
・見附市の地震計は震度2以上を感知すると電話回線によって自動的に県に配信されるシステムになっていて、県は受信した順に18件の震度を公表しているが、見附市は電話回線の枝線に当たるため、どうしても県に届くのに時間がかかってしまい、結果的にテレビ・ラジオなどで見附市の震度が報道されなかった。
・そのため、災害対策本部にかかってきたクレームの半分以上は、地震があっているのに、見附市の震度表示が出なかったことについてのものだった。
・地震による被害が出ているのに、震度表示が出ないので、市民は状況がわからないということもある。
・また、震度表示が出ないので、県からも見附市は被害がないと判断され、見附市で大きな被害が出ているのに、見附市の消防に他の市町村へ応援に行くよう指示がきたということもあった。
・県には、その後、震度をFAXで送るようにした。

■ 送られてきた救援物資を降ろすのに、全体の半分以上のエネルギーを費やした。
・トラックが着くたびに、職員を動員して、物資を降ろさなければならなかった。夜の場合は、寝ている職員を起こして対応した。
・拠点となる流通センターをいくつか決め、そこへ物資を送ってもらい、そこから、現場のニーズに応じて、必要なものを配分、搬送するシステムが必要である。
・地域によって、また、時々によって、需要が異なる(変わる)ので、そちらのほうが、ロスも少なく、効率的である。
・物資を降ろす労力とエネルギーを他に振り向けることができる。

■ 地震で堤防に亀裂が入り、堤防としての機能を果たさなくなった。
・刈谷田川の堤防が、地震で複数箇所に亀裂が入り、機能を果たさない状態になった仮堤防の設置や応急修理をしているが、水位が上がれば、浸水は不可避。しかし、それで何も対策がないのでは市民の不安を招くだけ。だからすぐには知らせなかった。
・シミュレーションでは、161戸が浸水する。そこで12月までの応急修理を実施することにし、浸水を前提に161戸への情報伝達、避難誘導の体制整備に着手した。
・義援金で浸水が想定される161戸全部にFAXを設置(FAXを持っていたのは161戸のうち40戸、それ以外の全戸にFAXを配布)し、浸水被害が起きる可能性があること、その場合にはこのFAXで情報を伝達することを伝えた。完全復旧は来年の出水期までにと考えている。

■ 旧刈谷田川の河道を埋め立てた部分の市街地で液状化現象が発生した。
・河川改修で蛇行した刈谷田川をショートカットし、旧刈谷田川の河道部分を含めて、市街地を整備した。大正時代のことだ。しかし、今回、この旧刈谷田川の河道を埋め立てた部分で、地震による液状化現象が発生した。災害対策を考えるときには、昔の地図が必要だと感じた。

■ 被災直後は、電気、ガス、水道、電話、携帯電話など、近代的なツールが使えず、情報伝達は、昔の伝令のようなやり方に頼らざるを得なかった。
・伝達に10時間くらいかかった。
・手段は、 区長への連絡、広報車が中心。お年寄り等へは、 民生委員やケアマネージャー等から広報した。

■ 被災の第一段階では「水」が必要。次に、ガスカセットコンロ・ボンベを配布した。火が使えるようになったら安心感が出た。
・被災の第一段階では、まず「水」が必要。
・次に、自分が勤務していたガス会社に言って、ガスカセットコンロ・ボンベを5万本出してもらい、市民に配布した。火が使える(調理ができる)ことで、住民に安心感が広まった。
・3日目あたりからは、寒くなったので「カイロ」がありがたかった。

<水害>
■ ウエザーニュースの情報や分析が、避難勧告に役立った。
・ウエザーニュースに知り合いがいたので、協力を得た。
・24時間、見附市をマークしてもらい、情報提供や助言を依頼した。
・長岡地方全体の天気予報ではどうしようもないが、この社は500m四方で予測が可能。
・市内を流れている川の上流の降水量の情報と分析結果を逐次聞いて避難勧告の判断材料にした。
・素人では分析できないので、プロの分析結果の情報が役にたった。
・例えば、「今降っている雨は、断続になるから心配いらない。14時以降が本番」といった情報を逐次もらった。これによって職員に「14時以降が本番だから、今のうちに休め」といった指示が出せた。職員を休ませることも重要である。
・避難勧告を早く出せたのは、こうしたウエザーニュースの情報と、上流の状況を逐次把握していたから。結果として、避難勧告から破堤まで45分を確保できた。
・ウエザーニュースは、1市当たり13万円/月で契約できる聞いている。

■ 企業への情報提供の発想がなかった。
・住民への情報伝達ばかりに頭があって、企業への情報提供の発想がかけていた。
・見附は繊維関係の企業が多く、水害で、原料となる布地や機械が水に浸かって利用できなくなった。30分でも早く知らせてくれれば、布地を運び出すことやジェネレータの部分を覆うなどの対応ができたのにと、企業の方からおしかりをうけた。
・なお、水害で水に浸かった布地や、地震で壊れたブロック片などは、一般廃棄物として処理できるように国と交渉して、市で引き取っている。

■ 水害で浸水した体育館を、いつも利用している人たちがきれいにしてくれた。
・水害で体育館も床上浸水した。
・いつも利用している人達が協力して2日目にはきれいにした。
・おかげで体育館の床を張り替えずにすんだ。
・ただ、せっかくそうしてきれいにした床が、今回の地震で基礎がやられて、使えなくなってしまった。

<共通>
■ 住民の避難や移送に、デイケア等の車が使える。
・救急車3台しかないが、デイケア等の車はそれ以上ある。それが活用できる。
・その時は、全く思いつかなかった。
・そこでデイケア等の車を防災訓練に参加させるようにした。

■ 公共施設の設計に、防災(避難所として使う場合の)の発想がない。
・公共施設を避難所として使っているが、これらの施設には、避難所として使うことを前提に作ったものがない。例えば、着替えのスペースがないとか、授乳はどうするのか、プライバシーをどうするか、などといった問題がある。
・(実際に現場でお世話をしている)保健師たちに、最も避難所として理想的なものはどのような施設なのかを考えるように指示している。
・水害では、避難所自体が水にやられた。例えば、多くの公共施設では、電気設備が1階や地下にあり、水に浸かってしまう可能性がある。
・そういったことを設計に反映させる必要がある。

■ 夏の水害の時と今回の地震の時で市民の意識が変わった。
・水害の時は、530年に1回の雨が降った。また、このような地震は176年ぶり。水害、地震と立て続けに被害を受け、両方で被災した人も多い。
・夏の水害のときは、どんなに頑張っても「何をやっているんだ」という声が多かったが、今回の地震では「よくやってくれている」いう声が多くなった。
・区長や消防団への理解も深まった。商店街の人たちが「昼間は消防団の人も勤めに行ってていないから」と自衛消防組織を結成した。地域コミュニティが復活してきた。

■ 排水ポンプを借りて、冠水した田んぼの排水をした。
・自分は知らなかったが、稲は3日以内なら水に浸かっても大丈夫、それ以上はダメだという。
・そこで国土交通省から排水ポンプを借りて、2.5日くらいで、排水することができた。
・国土交通省から、(この機材は河川用だから)田んぼの排水には使えない(使っていけない)と言われたので、田んぼにつながっている住宅地の川にポンプを設置して排水した(笑)。

■ 災害査定が済まないと復旧工事に着工できない。
・災害査定で40万円以上の事業は国、40万円未満は事業は市が行うこととなっているが、災害査定が済まないと着工できないようになっている。
・雪の季節が来る前にやりたい(やってもらいたい)が災害査定が済まないのでできない。不合理だと思う。


ふるかわ 拝