2004年2月

平成16年2月24日(火)
第040号  「アメニティ・フォーラム in しが」

そのセミナーにパネリストとして出るために土曜日は滋賀県大津市にいた。
「アメニティフォーラム in しが」。
障害者福祉を考えるセミナーなのだが、普通のそれとはわけがちがった。

まずは参加料。2泊3日で17500円。これには、交通費や宿泊料は含まれず、純粋に受講する経費だ。それだけの金額を払って人が集まっている。

そして数。参加者が1500人くらい。それが一堂に会し、しかも、机付きで1500人並んでいる光景は人民大会堂(行ったことないけど)のような雰囲気。壇上で座っていると、会場の後ろの方は、なんだかかすんでいてよくみえないくらいだ。

最後が熱気。一日目は夜10時まで。そして翌日は朝8時から午後7時半まで。午後のパネルディスカッションに僕は出たのだが、そのスタートが午後3時で終わりが午後7時半。つまり4時間半のシンポだった。

しかも、そのパネルディスカッション、パネリストが前半と後半で入れ替わるという珍しい趣向だった。僕は第二部だったのだが、第一部最後の発言をしたパネリストがひとりひとり壇上から降りてきて、第二部のパネリストと交代するという仕掛けになっていて、つまりは、4時間半の間、休みがない。だから会場の人も、適当にトイレに行ったりしているし、コーディネータの浅野宮城県知事も、途中で席をはずしたりしていた。コーディネータが席をはずしている中、パネリストが話をしているという不思議な瞬間もあった。

このパネルに出た知事の数も多かった。浅野宮城県知事のほか、片山鳥取県知事、木村和歌山県知事、西川福井県知事、堂本千葉県知事、増田岩手県知事、国松滋賀県知事、そして僕と8人の知事がメンバー。これが第一部と第二部に分かれ、障害者福祉をめぐるさまざまな問題、とくに、施設から地域生活への移行が可能か、ということをテーマに議論をたたかわせた。

出ているほうも、大変だが、参加者はもっと大変だっただろうと思う。でも、山口県から来たという女性に「聞いていたほうも大変だったでしょう。でも午後の時間というのに眠る人もいなくてびっくりしました。」とパーティ会場で話しかけたところ、「えーっ、眠るなんてもったいない。少しでも吸収しないと、と思ってるんです。」という答え。

こういう人たちがたくさん来ているフォーラムなのだった。

佐賀県からもたくさん来ていただいていた。20人は越えていたかな。各県別に名前が書いてあるのだけど、九州の中でも、佐賀県からの参加者の数は、1位か2位かというくらいで、なんだか鼻高々だった。

滋賀県というところは、戦後、糸賀一雄さんという方が、社会から見捨てられた戦災孤児・浮浪児や当時精神薄弱児と呼ばれた知的障害者を自分たちの仲間として正しく教育することが祖国の再建につながると考え、その実践の場として、大津市に近江学園を創設したところだ。
そこで、日本の障害児教育のパイオニアとして、多くの人材が育てられた。その流れの中に、いまの滋賀県の福祉はある。滋賀県の福祉関係者はみな一様にそのことを自慢する。

ただ、そういわれては、佐賀県としても黙っていられない。
糸賀一雄氏をはるかにさかのぼる明治時代に東京の滝野川に「滝乃川学園」というわが国初の知的障害者福祉施設を作った人がいた。「知的障害者の父」と呼ばれているその人の名は石井亮一。
彼は、佐賀県の出身だったのだ。父は佐賀藩士石井雄左衛門忠泰、母は馨子(佐賀藩士諸岡彦右衛門の娘)。その三男として、佐賀市水ヶ江に生まれ、勧興小、佐賀中に学んだ。

わが国の障害者福祉の一つの流れを作ったのは佐賀県の人であったといってもおかしくはない。

だから、というわけでもないのだが、このアメニティ・フォーラムをぜひ佐賀県内でやろうという話が盛り上がっている。タイトルは未定だが、要するに、

「アメニティフォーラム しが」in さが。 場所は大津でなく唐津。

名前は僕の冗談だけど、やろうとしていることは本気。

最新の、そしてこれからの障害福祉の姿を学びたい人たちにとっての情報提供場所にしたいという関係団体の人たちの熱い力で、実現に向け、いま、話が進んでいる。

ふるかわ 拝

平成16年2月17日(火)
第039号  「合言葉は『有機』 (本編)」

こないだ、北波多村に行った。岡本さんという有機栽培でお茶を作っている農家を訪ねた。
北波多村の中でも、ずいぶんと奥まったところにそのお宅はあり、ある意味で山のてっぺんだった。
そこにおられるはずの岡本さん(夫)の姿はなく、ただ、遠くでユンボの音がしていた。

「開墾しておられるんだと思います、行ってみましょう。」と役場の人が言うのにしたがって、しばらく歩くと、そこに確かに岡本さん(夫)がおられた。
やはり山林を切り開いて、お茶畑を広げるのだという。文字通り「開墾」。今の時代にそういうことがあるんだなとあらためて思った。

山の上の平らになったところ。「人家はこの近くのどっかにありますか。」と尋ねたら、「いや、ないんです。だからやりやすいんですよ、無農薬で。」という答えで、どこかでこの風景を見たことがあると思って、じっと景色を見ていて思い出した。長崎県の佐々町というところでやはり無農薬でお茶を栽培しておられる北村さんのところが同じような感じだったのだ。

「長崎県の北村さんというお方のところと似ているなと思って」と言い訳したら、「ああ、北村さんのところにも習いに行ったんですよ。」と岡本(夫)さんがおっしゃった。類は類を、のようだ。

なんで有機栽培を始めようとしたんですか? 製茶工場の中で、岡本(妻)さんに淹れていただいたおいしいお茶を飲みながら、お話を伺った。
そこには岡本(息子)さんもいた。

妻 :息子が、茶農家を継ぐからということで、勉強に行ったんです。行った先ですか?まず静岡、そして愛知でした。静岡で厄介になっていた人が「これからお茶やるんならやっぱ有機じゃないといけないんじゃない?」と言ったようで、それで、そっちをやってみようかということになったんです。それであちこちに習いに行きました。始めてみたものの、肥料を作るのも、管理の方法もわからなくてほんと大変でした。

夫 :最初の1年か2年はなんとかなるんです。前に使っていた化学肥料が土ん中に残っていますから。でも、3年目だったかな、とにかく出来が悪くて、お茶淹れても赤い色になるんですよ。売り物になりませんでした。でも、あのときは経済連が、安いとはいえ買ってくれて助かりました。そうして、しばらくしたら、なんとかできるようになってきて、ほっとしました。

息子:値段は、有機じゃないものと比べて高くないです。同じです。カタチは、これまでのもののほうが売り物になるようで、並べてあると有機じゃないほうが売れるっていう話もあって。

夫 :ただ、収量は有機に変えたいまの方があるんですよ。葉も何か肉厚になったっていうか、強くなっていると思いますね。いろんな害にも強くなったんじゃないかな。だから、単価は変わらなくても、収量が増えた分、いまのほうがいいって感じですかね。でもね、ホント有機は大変なんですよ、手間かかるし。

古川:そんなに大変だとしたら、元の栽培方法に戻りたいと思うことはないですか?

夫 :ゼッタイ思わないませんね。これだけ苦労したんですから。当分これでやらないと。

妻 :私も思いませんね。やはり安心なものを作っているという気持ちがあるから。

息子:どうやって売ったらいいかと考えていきたいですね。まだまだそこが足りないんで。

シーズンオフということもあって、がらんとした工場の中だったが、聞かせいただいたお話とおいしいお茶のおかげで、なんだか暖かくなった。

その1週間後、今度は大町町に行った。
そこに農産物の加工施設「ひじり」がある。女性だけで法人化をしたということで注目を集めたその工房には、JASの有機認証をとったというみそ「ひじりみそ」があった。
もちろん、原材料も有機。塩は・・・ あんまり書くとまずいかもしれないとてもいい塩を使っている。これならきっとおいしいだろうと思わせる。
これからこれを売っていくのだという。

「佐賀県の中で有機農業をやっている人、販売に苦労している人に集まってもらって、何かネットワークができないものでしょうか。」そういう相談も受けた。おもしろい、考えてみたいと思う。

たしかに有機は大変だろう。一般的には農薬や化学肥料を減らせば収量は増えにくいし、手間はかかる。しかも、残念なことに今の状態だと、まだまだ「有機」だからといって、値段が高く売れるということもないようだ。でも僕はこれからは、佐賀県の農業の進むべき道がここにあると思っている。

しばらく前、ある都会の人から「無農薬なら、農薬代を使わない分、安くできるんじゃないの?」と聞かれたことがあった。

子どもの「食育」だけじゃなく大人の「農育」が先かなあ。

ふるかわ 拝

平成16年2月10日(火)
第038号  「合言葉は『有機』 と思ったけれど」

NHKのいまの大河ドラマは「新撰組!」。
大河ドラマに「!」がつくのははじめてだし、なんといっても人気脚本家の三谷幸喜さんの作品ということもあって楽しみにしているのだが、楽しみにしすぎているせいか、毎回、なんとなく、その世界に入りきれない。
三谷さん、これからおもしろくしてくれるよね。

三谷さんといえば、代表作は「古畑任三郎」だが、そのほかに「やっぱり猫が好き」 という、僕的にはとてもすぐれたバラエティを書いていて、しかも、その番組が深夜枠で放送されていたころの勢いというのは新しい時代の作家という感覚が感じられた ものだった。
「猫」はいまでもレンタルビデオ屋にある。ご興味ある向きはぜひ。

たしかに、三谷さんは人気作家なのだが、一方ではずれもそこそこある。
「竜馬にお まかせ」「総理と呼ばないで」なんかは、期待はずれの玉砕番組だったなあ。

ドラマ「王様のレストラン」については、内容のよしあしはともかく、舞台になったのは渋谷・道玄坂の「シャン・ド・マルス」で、そこのオーナーは吉野好宏さんとい う佐賀県出身者。
だから、一所懸命見てたので、これはまあいいとしよう。

ご存じの方も多いと思うが、三谷さんは「東京サンシャインボーイズ」という劇団の 座付き脚本家だった。
僕は、「彦馬が行く」と最終公演の「罠」を観た。
最初に「彦 馬が行く」を観たとき、こんな脚本が書けるとはなんてやつだとびっくりして、そこではじめて三谷幸喜という名前を目にしたのだった。

その後、僕が岡山で暮らしていたとき、東京サンシャインボーイズの最終公演(とい うか正確には30年の充電期間前の最後の公演)が劇団を二手に分けて行われること になり、その千秋楽、つまり劇団としての当面の最後の公演(のひとつ)が倉敷であった。
それを観にいって、あらためてシチュエーションコメディの分野における彼の才能を感じた。

その東京サンシャインボーイズの最終公演で配られたチラシによれば、2024年に 東京サンシャインボーイズは充電期間を終えて活動再開。
「リア王」ならぬ「リア玉」を上演するという。
これを見た1994年のときは、「こんな先のことってわからないじゃない」と思っていたが、あっという間に10年経った。あと20年だ。
なんか近づいた感じ。

ということをネタにして、こないだうかがったお茶の農家の話を書こうと思って、三谷幸喜さんのドラマのひとつである「合言葉は勇気」にひっかけて「合言葉は「有機」」というふうに持っていこうとしたのだが、これだけで長くなりすぎた。

今週はこれまで。

ふるかわ 拝

改定平成16年2月3日 平成16年2月3日(火)
第037号  「『白い巨塔』を肴に一杯飲んでた夜のおハナシ」

「週刊ビッグコミックスピリッツ」というコミック誌がある。発行元は小学館。その中に「気まぐれコンセプト」という漫画がある。ホイチョイプロダクションという名前の集団が書いていることになっているが、電通の人間がからんでいるだけあって時代の切り取り方がおもしろい。舞台は白クマ広告社という会社(電通のこと)なのだが、そこの宣伝部長の名前はザイゼン。そう、この名前は「白い巨塔」に出てくる主人公に由来する。これは「気まぐれコンセプト」そのものに書いてあったことだから、間違いないだろう。

そのザイゼン部長たるや、いかにも組織の中間管理職でいただけないのだが、「白い巨塔」の主人公の財前教授も、決して善人には描かれていない。

「白い巨塔」は、山崎豊子原作で医学界の内幕を描いた作品として 昭和40年に発表された。映画化の後、昭和53年にはドラマ化され、田宮二郎が財前を演じ、反響を呼んだ。

ある大学病院を舞台に、助教授からなんとか教授になりたいと願う、上昇志向の医師である財前と、医療そのものに大きな価値を見出している医師である里見を並べながら、医療の姿を描く、というがその内容で、今回は、財前を唐沢寿明が、里見を江口洋介が演じている。

僕自身かつて「白い巨塔」を読んだことがあった。それだけに別に「小説」を映画化したもの」をさらに「ドラマ」にしたもの」の「リメイク」など興味があまりなかったのだが、今度のドラマは一度見てついつい引き込まれてしまっている。

こないだ、高校時代の仲間と酒を飲むことがあった。偶然といえば偶然だし、医師になった人間の多いラ・サールらしいといえばそうなのだが、僕を含めて5人いたメンバーのうち、僕と造り酒屋の専務を除く3人が医師だった。

話はなんとなく「白い巨塔」になった。

古川 あのドラマってドクターから見るとどんな風に見えるの?
手術の場面とかあるけどおかしいとこはない?
医師A けっこうおもしろく見てるよ。手術の場面もきちんとしてるし。
虎の門病院が監修しているからじゃないかな。原作とは時代が違う分、医療的な内容についてはちゃんとイマ風に置き換えてるし。
医師B でも財前ってあんなに悪く描かれなくてもいいかもね。
冷静に見たら、財前ってのは、腕が立つのを見込まれて、有力者の娘と結婚しているわけだけど、自分が教授になって、自分としてやりたい医療を実現したいために、下げたくもない頭を義父に下げ、付き合っている愛人から馬鹿にされながらもなんとか教授になりたいとやっているわけだよね。
しかも教授になって田舎にいる母親を喜ばせたいというところなんて、いい息子じゃない。
医師A 今度の「巨塔」は、そこを意識して、そう描いてあるんじゃない。
「善対悪」って感じじゃないよね。
医師B それに、里見の描き方にも言いたいことがあるんだよね。
たとえば、製薬会社の営業の女性が入院したけど、末期がんだったという話があって、財前は直る見込みがないから、この大学病院で力を注ぐべきではないといい、里見は最後まで向き合いたい、といって対立する、っていうところがあったじゃない。
僕は財前の言っていることのほうが正論だと思う。
大学病院の限られた資源は、いま治療すれば助かる人に集中したほうがいいと思うんだよ。末期がんの人に対する治療をやっている病院は民間にいろいろあるわけでそっちにお願いするというほうがスジなんじゃないかな。
しかも、それだけ、患者と向き合いたい、と言っておきながら、その人が亡くなったと里見が知らされびっくりするという場面があるんだけど、それだけ大事にしている患者さんだったら、その後もフォローしておけよ、といいたいなあ。
僕は開業医だから、いろんな事情で患者さんを別の病院にお願いすることがあるけど、気になる患者さんはその後も見舞いに行ったり、担当医と話したりするよ。
里見の場合はそれをしてなかったってことじゃないの。
医師C まあまあ、ドラマの話だからいいじゃない。
といっても、おれは今の「白い巨塔」は見てないけど。
古川 最近、「Dr.コトー診療所」、「ブラックジャックによろしく」のような医療ドラマが多いけど、現場にいる者として、見てて違和感ってのはないの?
逆にそういうドラマで参考になるものってある?
医師A あまり違和感はないな。
参考っていえば「E.R」だよね。アメリカの救急医療の現場を描いたやつだけど、あれみてドクターが勉強してるっていうくらい(笑)。
あれくらいナースの技術が高いとドクターもいいよね。
古川 こういうドラマみて、医師になろうと思う人間っているんだろうなあ。だったら、ぜひ小児医療のドラマやってほしいな。
医師C おれ、浪人中、前の「白い巨塔」をテレビで観たんだ。
田宮二郎がもててもてて、あれだけもてるんだったらぜったい医師になろうと思って必死に勉強して、やっとなったんだよ。
人間、動機が大事だな(笑)。
たしかに、ドラマは一人の人生を決めたようだ。名誉のために言っておくと、ドウキが大事というだけあって、この医師Cは心臓病の専門医になり、大活躍。彼のおかげで命を救われた人は多く、しかも、日常生活にあまり影響を与えない手術方法も開発していて、感謝されている。

と、ここまで書いて、この日の出席者に事実確認のために原稿を送ったところ、医師Aから「忙しすぎて出会いのチャンスもないことに気づくどころか、もてることが目的だったことすら忘れ、寝食を忘れて働いていた自分に気づいたのは、医者になって5年も経った頃だった」くらいのことは書いておいてあげたら、と涙の出るようなサジェスチョンをもらった。医師Cよ、持つべきは友だなあ。

とはいえ、僕は、現実と向かいあう必要がある。今度、彼に会ったとき、ホントにもてたかどうか、確認しておこう。

ふるかわ 拝