2004年4月

平成16年4月27日(火)
第049号「パワーポイントですか?」

先週、皇太子殿下が佐賀県にお越しになった。皇太子殿下がお越しになることを「行啓」という。ちなみに天皇陛下がお越しになることは、「行幸」となり、天皇皇后両陛下がお越しになることは「行幸啓」となる。読み方は、百人一首の世界では「みゆき」と読んでいたようだが、いまは「ぎょうこう」「ぎょうこうけい」と言っている。

2泊3日のご滞在中、僕はずっとご一緒させていただいた。地元の県知事と県議会議長はずっと一緒にいることになっていて、この役割のことは「随従」(ずいじゅう)。平安時代が今も生きている。

皇太子殿下にお目にかかるのは僕ははじめてだったが、殿下が昭和35年生まれで僕が昭和33年生まれと歳が近いこともあって、いつかお目にかかってみたいものだとかねがね思っていた。思いのほか早くそれが実現することになり、心が躍った。

まずは準備から。背広を2着誂え、カッターシャツも新調、もちろん下着もまっさらなものを整えた。

福岡空港でお出迎えした。出迎えた者がひとりひとり自己紹介した。単に「佐賀県知事の古川 康 です」と申し上げるだけのことなのに、のどがからからになった。
殿下も何かおっしゃったのだと思うが、緊張した僕の耳には届かなかった。様子を見ていた記者から「知事、手が震えてましたよ。」といわれた。自分でも気づかなかった。

それがスタート。3日間、文字通り「随従」した。天気は良かった。これだけ天気がよければ少々のことがあっても許されるような気さえした。「空の青いは七難隠す」だな。

沿道にはたくさんの方が出ていただいていたが、殿下が沿道の方にお手振りをされるのに車の窓を開けておられたのは驚いた。テレビで観ている光景では、窓を開けておられるイメージがなかったからだ。後に続いている僕らも慌てて窓を開けた。

窓を開ければ外からも僕が乗っていることが見える。沿道の方の中には僕にまで手を振ってくれる方々もいてくれたが、あくまでも「随従」が仕事。僕が手を振って応えることはおかしいと思って会釈だけにした。ごめんなさい。どうかご理解のほど。


印象深かったお言葉がある。

初日のことだ。お泊りになるホテルで、僕がスクリーンとPCを使って県政概要をご説明申し上げることになっていた。説明を行う部屋にまず侍従の方たちが入ってこられた。その方たちは、「こういうスタイルで説明が行われるのは見たことがない」と興味深そうだった。それを聞いただけでどきどきした。

そこに殿下が入ってこられ、おすわりになった。

いよいよ開始だ。「佐賀県知事の古川 康 でございます。ただいまから佐賀県政の概要をスクリーンでご説明申し上げます」とご挨拶し、マウスをクリックした。

少しだけ暗くした部屋でスクリーンの画面が転換、一瞬部屋が明るくなった。

ふたたび静かになった部屋の中で、僕の耳にはじめて殿下のお声が届いた。


 「パワーポイントですか?」


殿下はやはり僕たちの世代の方であられた。


殿下、どうかどうか、また佐賀県にお越しください。

ふるかわ 拝

平成16年4月20日(火)
第048号「ちょっと変わったお祭りでした」

先週の日曜日、神埼町の仁比山(にいやま)神社の大御田祭(おお おんだ さい)に行ってきた。申(さる)年にしか行われないという珍しいお祭りで、今年の場合、4月11日から23日までの13日間にわたって御田舞という舞が毎日奉納されている。役者はこの地区の子どもから大人までの総勢31人。

申年ごとに行われるという場合、「12年に1度」というか、「13年に1度」というか。

普通は、「12年に1度」といいそうだが、僕が行ったその神事の中では、宮司さんは「13年に一度のこの大祭に」とおっしゃっていた。そういえば、信州長野の善光寺、このお寺のご開帳はやはり干支が決まっていて、12年のうちに2回だけ。これも、なぜか地元では「7年に一度」という。

数え年と同じで、まず 1から数えるからではないか、と考えてみたが、いかがでしょう。

ちなみに、町の人に「なぜ13年に一度なのですか」と聞いたら、「仁比山神社には下宮と本宮があって下宮がお母さんと言われています。本宮が子どもだということですね。あるとき、本宮である子どもがお母さんである下宮に「また会おうね、3年後にでも会おうか」と言ったところ、お母さんは耳が遠く、「13年後」と聞き違いをしてしまい、それで13年に一度になった、と聞いています」という答えでした。ちょっとちがうんだけどな。でもありがとうございました。

面白かったのは、というか、はじめての経験だったのは、その大祭の神事である例祭に天台宗のお坊さんが10人近く呼ばれていて、本殿に上がっておられたことだった。しかも、例祭の中にしっかり組み込まれている。

たとえば、玉串奉奠。一般の参列者の前にまず僧職の方が玉串奉奠をされた。袈裟を着たお坊さんが玉串奉奠される姿をはじめて見た。ご本人もあまりなれておられないようで、渡された榊を本当なら、ぐるっと回して先と元を反対にしなければならないところ、そのままの姿で供えておられ、あとで回りのお坊さんから「ちがうよ」とささやかれて、あわてて直しておられたようだった。

なんせ13年に1度のこと。それに日ごろはお坊さんが神社の本殿に上がられることは神仏習合が廃止されて久しい今日、めったにないことだろうからむりもない。

仁比山神社を含めて、多くの神社は明治以前はお坊さんが神主を勤めていたと聞く。
それが、神仏分離令によって厳しく分けられ、今に至っているという。

だから、僕らが「神様、仏様」というほど、両者は近くないのかもしれない。

玉串奉奠もさることながら、もっとびっくりしたのは読経だった。神社の本殿で、般若心経(しかわからなかったが)などのお経が唱えられた。
その読経はいつ終わるとも知れず、けっこう続いた。今度は神職の方がこれには慣れておられなかったらしい。

末席の僧職の方がタイミングを見計らって神職の方に「そろそろ終わりますから」とささやいておられた。

お互いにささやきながら進める13年に1度の大祭。まだまだ期間はある。

仁比山神社は紅葉が有名だが、新緑もまたすてき。いやむしろ今のほうがいいと言ってもいいくらい。

ぜひとも一度お出かけください。

ところで、神官になられた方にこんなことを聞いたことがあった。

僕 「神官は世襲ですか、それとも資格が必要ですか」

神官「資格が要ります。試験を受けるんです。」

試験科目は古事記とか日本書紀とからしかった。

さらに尋ねた。

僕 「相当勉強しないとその試験は通らないのですか」


答えはちょっと予想とはちがっていた。


神官「いやあ、神頼みですよ」


ふるかわ 拝

平成16年4月13日(火)
第047号「機内でのリンゴジュース」

一週間に一度とは言わないが、月に数回は飛行機に乗る。

必ずすることがある。機材に積んであるできるだけ多くの新聞に目を通すことだ。

飛行機に乗るまでに新聞を読んでいないわけではない。

ただ、僕が読むのは佐賀版だが、飛行機に積んである新聞は、福岡版、名古屋版、大阪版などさまざまなのだ。

たとえば、佐賀発の便であれば、朝9時25分発の東京行きは、佐賀版が積んであるが、夜7時30分発の東京行きは、4月は名古屋空港が始発なので、名古屋版が積んである。

新聞は全国紙であっても紙面が作られている地域によって内容が違うし、とくに地方版(県版)のページは必ず違う。地方版には自治体の動きが載っていることも多いからそれだけでも参考になる。

また、ときには全国紙だけでなく、地方紙が積んであることもある。

こないだ、福岡からの東京便(ANA254)に乗ったら、その機材、始発が北海道とのことだった。それで、全国紙とあわせて北海道新聞をお願いしてみた。当たり前だが、北海道新聞だけあっていろいろ紙面が違う。たとえばスポーツ欄。「ファイターズ、無念」と日本ハムが負けた、という記事がトップだった。

その北海道新聞の生活欄にこんな投書が載っていた。

ちょっといい話だったので、紹介したい。

リンゴジュース

先日、リンゴジュースを飲んでいたら、ふと思い出したことがあった。
それはまだ、私が小さかったころのことだ。
姉も私もリンゴジュースが大好きで、母は一升瓶入りの透きとおった茶色のリンゴジュースを買ってくれた。
もう私たちはうれしくてうれしくて、暇さえあれば飲んでいた。

その様子に母はさすがにあきれ「もう、飲んではいけません」とリンゴジュース禁止令が出た。私たちは途方にくれ、どうしたらいいのか小さな頭で考えた。それで、リンゴジュースにお別れの手紙を書くことにした。

「だいすきなリンゴジュースさん、わたしはあなたがのめないの。かなしいですが、さようなら」。そんなことを書いて、ジュースの瓶に張っておいた。

しばらくすると、母が「リンゴジュースからお返事が来ているよ」というのでびっくりして見に行くと、確かに瓶に返事が張ってあった。「おてがみありがとう。あんまりたくさんのみすぎないようにしてのんでくれたらうれしいです」

「うわぁ!」。大喜びして瓶に耳をつけると、トクトクとほんとに何か話しているように聞こえた。母はリンゴジュースに聞いて代筆したのだと教えてくれた。

思い出したら、懐かしくて胸が熱くなった。そうして育ててくれた母は、14年前に亡くなったが、こうして大好きなリンゴジュースを飲んでいると、「飲みすぎないようにね」という声がどこからか聞こえてくるような気がする。


投稿者は野口裕子さん。函館市にお住まい、40歳の主婦の方だった。

なんだかうれしくて、いつもの日本茶をやめて、機内でリンゴジュースを飲んでみた。

メイビー、アメリカとかニュージーランド産だったと思うけれど、それでもなんだかせつない味がした。

飛行機に乗ったときのささやかなるこの愉しみ、これからも続けていきたいと思う。

ふるかわ 拝

平成16年4月6日(火)
第046号「いのちの電話とS.A.G.A」

いのちの電話というものがある。これは、自殺予防を主な目的とした悩みごと電話相談機関。スタッフは全員がボランティアだ。佐賀いのちの電話には1日24時間で平均37.5件かかってくるというから、僕が思っていたよりも多い。その佐賀いのちの電話のあるスタッフに、とある町の公民館でお目にかかった。僕がその町に来ると聞いて、わざわざ会いに来られたのだという。お話はこうだった。

「この佐賀いのちの電話には県内の人がかけてくることが多いのですが、ときどきは県外からもかかって来ます。都会のいのちの電話はかかりにくいということがあるらしいのです。回線数は多いのでしょうが、それよりもさらにその電話を必要としている人が都会には多いということでしょうかねえ。電話代が昔に比べて安くなってあまり気にしなくてよくなったということもそれを支えるひとつの理由だと思います。

だから、県外からの電話ときいても驚きはしないのですが、3月の初めのころ、珍しく東北地方から電話がありました。東北地方の人がなぜ佐賀に電話を?と不思議に思って聞いてみたら、「いま日本でいちばん元気な佐賀県にかけたら、元気をわけてもらえるんじゃないかと思って。」というのがその理由だったのです。

私はうれしかったです。それをひとこと知事さんに言いたくて私はここまで来ました。」

そのスタッフの人はそれだけ言うと帰っていかれた。

ある県外の方からはこんなメールをいただいた。

「1月だったかな?佐賀県の方とご一緒する機会がありましたが、その方は、「エスエイジイエイ さが!の○○でーす!」と元気良く自己紹介され、その場にいた方々を大きな笑いの渦に巻き込まれました。その大きな声はふるさと佐賀に生きる自信にあふれているように感じ、こんなところにも、新しい県勢効果が現れていると感じ、うれしかったのです。」

はなわさんも思ってなかっただろうSAGA効果がここに出ている。

今度会ったら言っとこう。

ふるかわ 拝