2004年5月

平成16年5月25日(火)
第053号「つれづれなるままに」

「ダーリンは外国人」というマンガを読んだ。作は小栗左多里(おぐりさおり)。ハンガリーとイタリアの血を受け継いだ外国人とケッコン(正確には同居)している漫画家が書いたマンガエッセイで、ノリは大雪師走の「ハムスターの研究レポート」と同じ。あれが気に入った人は喜んでもらえると思う。立ち読み以上の価値はあるような気がする。


マンガといえば、「光とともに」というマンガがある。戸部けいこが書いた、自閉症の子供を育てる話なのだが、いまこれがドラマになっていて、毎週水曜日の22時からやっている。小林聡美だとか、篠原涼子が出ている。NTV系なので、佐賀県ならFBSになる。

実は、1年くらい前まで僕は自閉症とは何かということがよくわかってなかった。選挙のマニフェストを作るときにも自閉症についてはどうもイメージがわかず、何冊か本を読んだけどそれでもわからなかった。あるとき、書店でふと「光とともに」を見つけた。マンガだったということもあってすっと読むことができて、それで漠としてではあるけど、自閉症の何たるやのイメージをつかむことができた。だから僕自身の経験に照らせば、このドラマは自閉症についての関心を理解を高めることに役に立っているのではないかと思う。

もちろん現実と向かいあっている人からみればいろんな意見があるだろう。現にネット上で見るだけでも賛否両論の議論が交わされている。だけど、まったく知らないよりは、少しでもわかってもらうほうがいいと思う。

今年、佐賀県では、小中学校の先生に自閉症とは何か、という研修を受けてもらうことにした。今年1年で、しかも全員に受けてもらうことになっている。
できればこのドラマも観ていてほしいなあ。そしたら、たとえば、「ドラマではこうだったけど、実際にはなかなか」とか「ドラマでもよくあったけど、実際にもああでこうで」というようなことができるのではないだろうか。


そうそう、この「ダーリンは外国人」に載っていた面白い話がある。この話、僕は落語でも聴いたことがあって、有名なネタだと思うのでここで紹介しても差し支えないと思う。

漢字の読み方の話である。

漢字には象形文字とか表意文字とかいろいろある。

たとえば、美しいという字は、上が「羊」、下が「大」となっている。なぜこれで美しいという意味なのか。それは、大きなまるまると肥えた羊がいるという風景を好ましく思うからだという。

それはさておき、次が本題。

「木」という字を二つ重ねると「林」になり、三つ重ねると「森」になる。これにもうひとつ木を加えて、「」と書くと、ジャングルと読むらしい。

さらに上には上があった。

森と林をたてにくっつけて「

これ一文字でブラジル在住の日本人は「アマゾン」と呼ぶというのだ。ホントかなあ。


では 「」と書いてなんと読むか。

熱帯雨林? 

いやいや 「六本木」でした。 ・・・おあとがよろしいようで。


ふるかわ 拝

平成16年5月18日(火)
第052号「人と人とが知り合うために」

つい先日、びっくりするようなことが起きた。

週刊yasushi第047号(4月13日発行)「機内でのリンゴジュース」の中で、北海道新聞に掲載された野口裕子さんという方のお便りを紹介したところ、その野口裕子さんご本人から、あれを書いたのは私です、というメールが届いたのだ。

どうやってこのHPに辿り着いたのだろう?

いただいたメールには「偶然」とだけ書いてある。ともあれ、世の中にいくつあるかわからないHPの中から、このパワフルコムをよくぞご訪問いただいたと思う。僕はすぐにお礼とそのときの経緯を書いて返信した。そしたら、野口さんからまたメールが来た。
以下がそのメールだ。一部省略してあるが、ご本人の了解を得ているので、読んでいただきたい。

「古川様、早速お返事をいただけて光栄です。二度びっくりいたしました野口裕子です。
HPは、懸賞に当たってないかなと自分の名前を氏名索引したら、偶然、古川知事さんのHPにたどり着いたということです。(笑)


>あの日、もう遅い時間だったので、北海道新聞をもらって帰ろうかと思ったのですが、いやいや、そういうことを甘えてはいけないと思い、モバイルのPCに機内で打ち込みをしました。(古川メール)

そうだったんですか。私の記事が載ってから日にちが経ってたので、新聞を持ち帰ってわざわざHPに載せていただいたのかと思いましたが、機内でモバイル、、、さすがだと感銘しました。
今回の件を主人と父に早速報告しました。私自身、かなりパニックになっていたのですが、二人とも「よかったね〜。」と喜んでくれました。
今、ちょうど実家に来ていて(私は青森市生まれの青森育ちで、今は青森でPCしています。)
父に、古川知事のHPの記事をコピーして見せたら、母のことを思い出したのか、涙を流してじっくりと読んでいました。
父が言うには、地方の新聞にも目を通してその中で一市民が書いたものを読んで、それをHPに載せている知事さんは、いい人に違いないと言っておりました。
私もそう思います。
「リンゴジュース」に出てくるリンゴジュースは、従って、青森のリンゴジュースです。

知事さんのHP、ブックマークしました。
「週刊yasushi」は、とてもいいことが書いてあるので、楽しく読ませていただきたいと思っています。
私もこれから、日頃、ふと感じたことを投稿していきたいと思っております。」

 
今回のことで、人と人とが知り合うためには、ほんの小さなきっかけでいいということを感じた。でも、その小さなきっかけを作っていくためには、ふだんから、きっかけの種まきをしておかなければならない、ということなのだとも思った。

ほのかに甘いリンゴジュースのお話でした。


ふるかわ 拝

平成16年5月11日(火)
第051号「同級生交歓 もともとの原稿」

もう、今日の時点では店頭にないのだが、4月10日に発売された「文藝春秋5月号」の「同級生交歓」に、陣内孝則と僕が出ていた。
そこにある文章は僕が書いたのだが、あれは19字×23行というとても短いもので、最初にココロのままに書いたものとはちょっと違ってしまった。

以下がもともと書いていた原稿。よろしければ読んでください。


そのころは、フォーク&ロックの全盛期だった。佐賀大学附属中学校には音楽の時間用のギターがあり、それをつかんで、昼休み、学校の階段で歌を歌っている、福岡県大川市から通う妙な生徒がいた。その名は陣内孝則。彼は、その当時、発売されたばかりのカップヌードルのCMのパロディやあのねのねの「魚屋のおっさんの歌」の替え歌を歌い、同級生や下級生のファンを集めていた。いわば、「ゆず」を学校でやっていたわけだ。

附中は、自由な校風だったが、アコスティックギターだけなく、エレキギターを持ち込み演奏する彼に、あるとき、学校からやめろという声がかかった。
そのとき「エレキギターば持ち込んだらいかんて教育指導要領に書いてあるとですか。」と、教師にたてついた生徒がいた。それが、編入してきたばかりのわりには声も態度も大きかった僕だった。
また、たしか彼がそれをどこかになくしてしまったからだと思うのだが、「技術」という科目の教科書を僕がよく貸していた。彼はお礼がわりに(ちがいない)福岡でのライブのチケットを教科書にはさんで返してくれていた。
陣内とは、卒業式の後の謝恩会でビートルズの「イン・マイ・ライフ」をいっしょに歌って以来、会ってなかったが、僕が自治省に入った翌年の昭和58年1月、自由が丘駅前の本屋で偶然立ち読みした「FMファン」のグラビアでいきなり一方的に再会した。「陣内、やっぱり・・・」
その後の彼の活躍はご存じのとおりだ。
そして、去年の4月、当時全国最年少知事として当選した僕のことを、彼はその翌日の「はなまるマーケット」で紹介してくれた。
そして、久々に、本当に久々に今回また会った。
陣内に言い忘れたことがひとつある。
あの謝恩会のとき、「ある日の日記」と言って読み上げたおまえのしゃれはひどかった。
「附中はこのままではいけない。革命が必要だと思うが、こんなやばいことは書くめい。」


お互い、少しは成長したかな。


ふるかわ 拝

平成16年5月4日(火)
第050号「TAIZO」

先週の木曜日、武雄市民会館で映画「TAIZO」の上映会があった。市民会館はおよそ1300席くらい。それがだいたい埋まるくらい来ていただいた。しかも昼夜2回公演。
2回ともそれくらいの入りで、チケットを買ったけれど来れなかった人も含めるといわば3万5千人の武雄市民の1割くらいがこの催しに参加していただいたということになる。

この映画は、1973年にカンボジア・アンコールワット近くの村で消息不明となった戦場カメラマン一の瀬泰造を追ったドキュメンタリーフィルムだ。ベトナム戦争が拡大して、戦場となった当時のカンボジアでは、アンコールワットへの潜入は不可能とされていた。
泰造はその不可能に挑み、そして消えたのだが、死して30年経った今もなお、彼の生き方に共鳴する者は多い。

今回のイラクの人質の何人かはある意味での「泰造チルドレン」と言えるのかもしれない。

上映会には泰造の御母さんの信子さんも車椅子で来ておられた。「泰造がひょこっと日本に帰ってきたのは、つつじの咲き乱れた、ちょうど今日のような日でした。」とご挨拶をされた。

監督はこれが映画一作目という中島多圭子(たかこ)さん。ほぼドキュメンタリーで、何人もの人が泰造を語っているが、泰造を手放しで礼賛する人ばかりでない分、真実味がある。ふと、原一男監督の「全身小説家」という映画を思い出した。

坂口憲ニがナレータなのだがこれがすごくいい。中島監督が声に(顔に、じゃないらしい)ほれ込んだというだけある。

映画を観終え、泰造が、より高く跳ぼうとしているハイジャンプの選手のように思えた。バーをどんどん上げていって、このままだといつか跳べなくなるってわかっててやってたような気がした。

僕がカンボジアにいたころ、自衛隊が道路の補修をやっていたのだが、その手伝いとして石を割るという仕事があった。硬い石を一日中かかって、道路工事に使うために砕くということだ。これを現地の人にお願いしてやってもらっていた。

石が硬いし、なかなか砕く作業は進まない。僕の記憶によればたしか一日でバケツ一杯になるかならないかくらいだったと思う。

その賃金は一日1ドルだった。ただ、これは国連価格で、現地の「正しい」賃金水準ではこの仕事であれば1日で0.5ドルだという。

それが1993年のことだった。

あれから、十年経った。この間、何度かカンボジアに行こうとしていけず、今日に至っている。行きたいと思いながらきっかけがなかった。今年はその夢がかなえられるかもしれない。

「TAIZO」の映画もあったし、佐賀県のひとたちがサポートして作った学校がこのほどプノンペンから20キロくらいのところに完成した。そういう中、佐賀県国際交流協会が主催するスタディツアーでカンボジアを訪れることになっているというのだ。
それに行きませんか、というお話が来た。これがきっかけなのだろう。そう思って、「僕もぜひ行ってみたいです」とお答えした。

泰造が眠っているアンコールワット近くの村を訪れ、彼のお墓に参りたいし、泰造がお世話になった教員がいま校長をしているというその地域にある中学校も見てみたい。

みなさん、ご一緒にいかがですか?


ふるかわ 拝