2004年6月

平成16年6月29日(火)
第058号「どうでもいい話 〜といっても、長井秀和じゃない〜」

「BREAK!」という僕がやっている土曜日夕方のラジオ番組で先週末に山下達郎の「DOWN TOWN」をかけた。
いまは、ホンダ フィットというクルマのCMにも使われているので聴いたことある人は多いだろうし、その昔、「おれたちひょうきん族」のエンディングテーマでEPOが唄っていたということを覚えている人もいるかもしれない。

あの「おれたちひょうきん族」はもともとはレギュラー番組じゃなくて、野球が雨で中止になるとやる「レインコート・プロ」、いわゆる「雨傘番組」だった。雨傘番組といえば前田武彦、大橋巨泉の両大物が出ていた「ゲバゲバ90分」も、もともとそうじゃなかったかなあ。「ミステリーゾーン」「サンセット77」とかの外国ドラマもだいたいそうだったな、関係ないけど。
 
雨傘番組だったころの「おれたちひょうきん族」のエンディングの「DOWN TOWN」はシュガー・ベイブ(のメンバーとしての山下達郎が歌う)バージョンだった。レギュラー番組になったころ、EPOに変わったように思う。

山下達郎をはじめて聴いたのは高校時代だった。夏休みに帰省したとき、妹から教えられて、シュガー・ベイブのカセットテープを聞いた。なんかよくわからなかった。妹に言わせると、そのときは「こがんとはぜんぜんようなか。(こういうのはぜんぜんよくない)」と言っていたらしい。

それに刺激されていたのかどうかわからないが、当時、荒井由実がやっていた「若いこだま」というNHKラジオのDJ番組で「ナイアガラ・トライアングル」という山下達郎・伊藤銀次・大瀧詠一という三人で出したアルバムの紹介があったときには僕がビビッドに反応した。ナイアガラ・トライアングルのアルバムもすぐに買い、シュガー・ベイブのアルバムも買った。まだコロンビアから出ていたと思う。

それ以来、山下達郎のことはなんとなく大きなお兄さん的に見つめてきた。

それで思い出したことがある。

いまから20年近く前、渋谷の駅にある京王観光という旅行代理店に行ったことがあった。渋谷の駅というのは、京王帝都電鉄という私鉄の井の頭線が1階に、国電(当時)が2階に、そして営団地下鉄(当時)が3階にあるという不思議な駅だった。
地下鉄の駅が三階にあるという事実だけで、トーキョーというのは得体が知れないところだと思わせるのに十分だったな。

井の頭線から国電に乗り換えるために通るその階段の踊り場にその京王観光はあって、ときどき使っていた。

ある日、何かの用事があってそこに行った。夏だったようにも思う。けっこう人がいて、順番にきっぷを申し込み、できた人からもらうみたいな感じで店内に人がいて、僕もその中に加わった。いまの銀行のように番号札で、という時代ではない。
名前が呼ばれるのだ。いつ「古川さーん」と呼ばれるかもしれないと思って、聞き耳を立てていた。

そこに「山下さーん」という声が聞こえた。それだけだったら驚かないが、返事がなかったのか、さらにもう一声かかった。
「やました まりや さーん」・・・僕にはそう聞こえた。

ええっ? 山下まりや、ってことは、それは実は竹内まりやのことで、山下達郎と結婚したから、山下まりやになっているってことじゃ・・・。

ぐるっと見渡したら、ホントにそうだった。そこにまりやさんがいた。はーいと返事して、カウンターに受け取りに行った、その横顔だけちらりとみることができた。

ただ、それだけ。


名前を直接呼ぶことにためらいもなく、発砲事件などもなかった、1980年代の渋谷のできごとだった。


ふるかわ 拝

平成16年6月22日(火)
第057号「『 BREAK!』 続く。」


NBCラジオ佐賀で新番組「BREAK!」が始まって三ヶ月が経つ。だいたいこの手のものは三ヶ月が一つの区切りだ。いちおう、ディレクターに「どうしましょう」と聞いたら、「いいんじゃないすっか、続けましょう」という答えだったので、しばらく続けてみようと思う。

NBCラジオ佐賀は佐賀県全域をカバーしている唯一の中波ラジオ局なのだけどちょっと不思議な局だ。NBCというのは「Nagasaki Broadcast Company」の名のとおり、長崎を本拠とする放送局。佐賀にはテレビの電波は来ていないがラジオ局だけあるというちょっと不思議なカタチになっている。1つの局が複数の県で異なる番組を
本格的に放送しているラジオ局は全国でNBCだけ。とてもめずらしいのである。

この長崎放送、準備をはじめた時は「長崎平和放送」という名前のラジオ局だった。
昭和27年だった。時代を感じさせる名前である。実際に放送をスタートしたときには名前が「ラジオ長崎」になり、佐世保にあった「ラジオ佐世保」と合併して、ようやく「長崎放送」という名前に変え、ラジオについては昭和33年8月1日にラジオ佐賀を開局している。

僕が以前いた長野県の信越放送(SBC)が実際には長野県しかカバーしていないにもかかわらず、このような新潟県全域を放送区域に収めているかのような意気軒昂たる名前になっているのは、ラジオ開局のころ試験電波を飛ばしたら意外に新潟県の上越の方まで飛んだから、というような理由で、名前を信濃放送から信越放送に変えてしまったというのとちょっと似てる。

僕はかつてSBCラジオでもレギュラーをやっていたことがあったのだが、そのころ、番組を収録したりしているスタジオのあるところは本当は「演奏所」というんだ、という話を聞いた。

今回、確かめたらどうも本当のよう。正確に言うと、「番組を収録・編集したり番組を決められた順番に送り出す作業を行う施設」を「演奏所」というらしいが。

へえ、じゃあ、大和ジャスコとかアイスクウェアビルにあるサテライトスタジオは?

あれは「送信所」、そうですか。

これって常識?  「はじめて聞いた」、ああそう、なんかちょっとほっとした。

それにつけても「演奏所」。いったいぜんたい何を演奏しているということなんだろう。


ふるかわ 拝

平成16年6月15日(火)
第056号「六本木グラフィティ」

先週末「BREAK!」という僕がパーソナリティをやっているラジオ番組のエッセイに、 ジャズヴォーカリストの金子晴美さんがサザンオールスターズの曲をジャズにアレンジしてカバーしたアルバムのことを書いた。(BREAK! vol.11)

1983年発売でアルバム名は「Special Menu」。まさにその名にぴったりのいいアルバムだった。

そのアルバムが発売されたころは沖縄にいたはずだからその翌年くらいのことだったと思う。僕は東京在住となり、六本木でよく飲んでいた。ある晩、ちょうど一年の中でいまぐらいの季節、もう深夜といっていい時間帯に、何人かで飲む店を探していた。僕は行きつけの店を持たない。「カウンタに座るとおしぼりがでてきて、それで顔を拭いているうちに注文もしないのにライ・ウイスキイのオン・ザ・ロックスがでてくるような店」を作らなかったということだ。だからその夜もどっか飲む店を探していた。ちょうど防衛庁の向かいあたりだったと思うが、「金子晴美の店」みたいな看板が目にとまった。その店は地下にあるようだった。いまとなってはそれが本当だったかどうかもよくわからないが僕の頭の中ではそうなっている。
ちょっとのぞいてみたくなって、友達をそこに残して階段を下りてみた。

小さな階段の奥にその店はあった。扉を開けた瞬間、場違いを実感した。店内は狭く、カウンターだけ。僕があけたとたん、何人かいた客が一斉にこっちを向いた。
よくわからないが、歓迎はされていないムードだった。何か言わなければ、と思って、「金子晴美さんの店ですよね」とつぶやいた。そしたらカウンターの中にいるなんとなくすてき風な女性が「そうよ」みたいな返事をしたんだと思う。「会員制なんですね」と自分から撤退する発言をした。なぜか自分がここにいるべきではないと思った。「そうよ」。もういちど同じような返事があった。

そのとき、店内で流れている曲がサザンオールスターズの「Hello My Love」を金子晴美さんがアレンジしたものであることに気づいた。あの「Special Menu」の一曲目だ。まちがいない。「おお、これはHello My Loveですね、なるほどなるほど。失礼しました」植木等がいても同じように言っただろうというくらいの軽いノリで挨拶した。お客さんにどっと受けた。なんかほっとして階段を上った。

いまでも思う。あのとき、カウンターの中にいた女性は金子晴美さん本人ではなかったか。

ジャズヴォーカリストが自分で店を持つということはあまりないかもしれないけれど、なぜかそう思えて仕方ない。

誰か何か知りませんか?今からちょうど20年前、1984年の初夏の夜、僕の中での六本木グラフィティ。


ふるかわ 拝

平成16年6月8日(火)
第055号「リニアとメタンガス(メタンガスの巻)」

とにかく貴州省に着いた。その日はもう遅かったので、翌日、貴州省内のいろんなところを見せてもらった。

印象的だったのは貧困地区から脱却したという地区に行ったときのことだ。そこは苗(ミャオ)族の村だった。

その村の代表者のような立場の方(よくわからなかったので「代表」と言っておく)のお宅におじゃました。
庭があって、そこに土で造られた小さな家があった。平屋だ。部屋の数は外から見ただけではわからないが、3部屋くらいだろうか。

中に入った。昔の農家のようで、薄暗かった。

最初に目についたのは電気炊飯器だった。コトコトご飯が炊き上がっている音がしていて湯気も出ている。それだけで少しほっとした。

次の部屋にはテレビがついていた。テレビではサッカーをやっていた。

古川:テレビをはじめてみたのはいつですか?
代表:10年前くらいにこちらで生活するようになってからです。

古川:テレビでは何が好きですか。
代表:サッカーです。

古川:どこの国のサッカーを見るのですか。中国のサッカーですか?
代表:中国は弱いからあまり見ません。外国のサッカーです。

古川:電気はこちらに来てはじめて使うことになったのですか?
代表:そうです。それまでは電気はありませんでした。

天井を眺めた。

天井には裸電球がぶらさがっていた。つけてもらった。

とても暗い。

古川:この電気はどこから来ているのですか?

代表:あそこからです。

その人が指さしたのは裏庭の方だった。行ってみると、そこに豚の糞が山積みになっていた。

代表:ここに豚の糞を溜めて、そこでメタンガスを発生させます。それで発電をしています。


ちょっと待って。それってバイオマスじゃん。生物に由来する有機物を元にして発電するというのは持続可能な循環型社会の形成のために必要不可欠なことで、佐賀県内でもたとえば伊万里のはちがめプランなどでは、菜の花の種から作った燃料で車を走らせたりしているし、佐賀県としてもこれからがんばらないと、と思っている方向の技術だ、とアタマの中でぐるぐる考えてしまった。

それが中国31省の中で所得がもっとも低いとされている州の比較的その中では貧困地域ということで紹介された村の家で、目のあたりにするとは思わなかった。

「とんでもない。新技術ということじゃなくて、昔ながらのことをやっているだけで恥ずかしいです。」と州政府の人は言っていたが。


その地区から貴陽市の中心部にある貴州大学に行く車の中で、州政府の人とこんな話をした。

古川:いま貴州省でいちばんの問題といえば何になりますか。
貴州:農家、農民、農村 の三農問題ですかね。

古川:それはどんなふうに問題なのですか。
貴州:農家の所得を上げて沿海部の発展に少しでも追いつくことが求められているのです。

古川:でも昔と比べたら農村部も豊かにはなってるんでしょ?
貴州:もちろんです。さっき見ていただいた地区の方たちにしても山の中に暮らしていたときに比べたら雲泥の差ですし、農民も労働者も豊かになってきています。でも、前より豊かになったはずなのに、前よりも不満が大きいのです。

古川:というのは?
貴州:こちらは出稼ぎが多い州です。広州をはじめ、労働力の不足している地域に働きに行く人が大勢います。その人たちがしばらく働いて、けっこういいお金を手にして戻ってきます。その人たちから見ると貴州省はまだまだだということになってしまいます。そして、その方たちの家族もそういう話を聞いてそう思ってしまいます。また、電気が通るようになってテレビも見られるようになると、上海の様子などが知られるようになりました。そしたら同じ中国の中でなぜこんなに差があるのか、という疑問を持つ人が増えてしまったのです。

古川:・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


やっと車が貴州大学に着いた。

日本語を学ぶ学生たちの満面の笑顔での歓迎のおかげで少しだけ心がなごんだ。


ふるかわ 拝

平成16年6月1日(火)
第054号「リニアとメタンガス(リニアの巻)」

こないだ中国に行ってきた。貴州省というところと佐賀県はここ数年来、行き来をしていて、そこの省長さんからぜひお越しくださいとお招きをいただいていた。
福岡を出た中国東方航空機は約1時間30分で上海・浦東空港に着く。中国にはなんども行っているし、とくに福岡からだと最近は東方航空に乗ることが多いのだけど、すべてが改革開放路線の中でこの航空会社だけが「人民中国」しているような気がする。たとえば、食事のときのフルーツにしても、このフルーツをトレイに入れて、何往復したのだろうと思うようなものがサービスされるのだ。
(ちなみに上海から貴陽までは国内線である上海航空に乗っていったのだけど、ここではみずみずしくておいしいフルーツを出してくれた。)

今回の貴州行きは福岡から上海を経由して貴州の省都である貴陽に向かうことになっていた。

上海には空港が二つある。国際線メインが浦東空港で、国内線メインが虹橋空港。浦東空港から虹橋空港まで移動しなければいけない。

どうやって移動しようかと考えたあげく、せっかくだから、リニアモーターカーに乗ってみることにした。
実は上海にはリニアモーターカーがある。世界ではじめてここ上海で実用化された。この浦東空港から市内までを結ぶ予定で作られたもので、いまはその途中までできている。

乗り心地が悪いとか、故障しがちだとか、走っている途中で対抗列車とすれ違うときには爆発するかとでもいうようなドーンという音がするとか、いろいろ悪いうわさは聞いていた。でもそれだけいわれればなお乗ってみたくなるではないか。僕は乗ることを決めた。人の忠告や経験というのはかくして無視される。歴史学者がときどき空しくなるのもわかるな。

評判がよくないせいかどうなのかわからないが、駅にはあまり人がいなかった。駅の中にはフードコートがあって、いろんな食べ物の店が並んでいる。しつこいようだが改革開放路線をひた走る中国だから、その店にいる売り子の女性が「歓迎光臨!」と声をかけてくれる。店を通るごとに「歓迎光臨!」「歓迎光臨!」「歓迎光臨!」と声が次次にかかるがごめん、まだおなかはすいてなかった。

ホームに下りた。車両は5、6両でデザインはスタイリッシュ。出発してすぐにすっと浮いたらしいがそれはわからなかった。

ものすごい加速だ。1分くらいで時速430キロまで出る。

のぞみの最高が300キロくらいだから、それよりもさらに速く、確かに窓越しに見る風景は飛んでいくよう。この速さは感じたことがない。ジェットコースターみたいな感じだった。ただ、距離が短いため、リニアに乗っている時間は7、8分。あっという間に終点に着いた。


かつて、宮崎で実験線があったころ、リニアに乗ったことがあった。まだ開発の途上だったので、(いまもそうだが)乗る前に「時計をはずせ」「テレフォンカードは置け(当時はまだ携帯電話が普及してなかったころだったと思う)」など、磁力の影響があったら困るものはすべてはずすようにいわれた。
心臓のペースメーカを入れている人がどうしても乗りたいとおっしゃったときは、医師が同乗したうえで、「何があっても文句はいいません」みたいなものを書いたというような話も当時聞いたように思う。
そのときの説明によれば、どうしても、床から15センチくらい上まで磁力が強いまま残ってしまって、その磁力を下げるのが難しいのだという。
「80%まで来てるんですがね、あと20%が難しいんです。」

あとの20%が難しいというのはわかるような気がする。「巨人の星」の「大リーグボール2号」だって、「魔送球の縦回転」というだけじゃ80%しか正解じゃなかったんだし。

そんなこと知らない?ああそう。


ふるかわ 拝