2004年9月

平成16年9月28日(火)
第071号「『洪水』と『右岸』」

中島敦に「山月記」という作品がある。
かつて人間だった男が虎と化してしまう話なのだが、その中で最初は一日のうちの数時間が虎で、後の時間は人間の心が帰ってきていたものの、だんだん毎日虎に近くなっていく自分を感じる、ということが描写されている。主題はそこにはないのだが、まあ、話としてはそういうことである。

何がいいたいのか。

たとえば、「堤内地」という言葉がある。堤防の中の土地、という意味だ。
そこまではわかる。そこで問題。「堤防の中」とは次のうちどれか。

1)堤防と川にはさまれたいわば河原のようなところ
2)川から見て堤防の向こう側にあるところ

答えは2)。堤防によって守っている土地のことを言うというのが正解のようだ。

一般的には堤内というと1)のようなイメージではないだろうか。
僕は最初に堤内地の定義を聞いたとき、びっくりした。こういう風に常識的なアタマで考えたのではわからない難しい世界があるのだな、と思った。
だから、「堤内地」という言葉を聞くと、その違和感だけを思い出してしまう。
どっちの意味だったのかはよく覚えてなくて、とにかく自分の思っているところとは反対のところを指すのだ、ということだけ覚えているのだ。

ところが困ったことに、その堤内地の「正しい」意味というのも教えてもらったものだから、その考え方も理解はできるわけで、そうなると1)であっても2)であってもどっちでもいいような気がしてしまい、わからなくなってしまうのだ。

わからなくなって嘆いているのはものおぼえが悪くなったとかそういうことではない。もともと自分が「素人」だったとき素朴に疑問に感じたことがだんだん疑問に感じなくなってきているのではないか、ということなのだ。

こないだ「洪水」についての正しい定義を河川担当部局から教えられた。

洪水とは、

1)降雨・雪どけなどによって河川の水量が平常よりも増加すること

2)堤防から氾濫し、流出すること

のうちどちらが正しいか。

答えは両方。
1)のように平常よりも増加することそれだけで「洪水」というらしい。
それが証拠に「広辞苑」にも1)と2)を合わせて「洪水」と定義している。

僕の日本語センスだと2)だったのでびっくりした。

ただ、「新明解国語辞典」によれば「大雨や雪どけなどのために河川の水があふれ出ること」とあって、あふれ出ないと洪水とは言わないらしく、少しほっとしたところだ。

専門家と素人では見方が違うことはやまほどある。

しかしいくら専門的になっても失ってはいけない「素人の眼」というものもまたあると思う。

最後にもう一問。ところで川の「右岸」と「左岸」、どうやって決めるのかご存じだろうか。

セーヌ川だろうが筑後川だろうが答えは同じ。ご存じでない方しばし考えてほしい。


ふるかわ 拝

「右岸」と「左岸」の(答え)
下流に向かって右が右岸、その反対が左岸。筑後川の下流の方では川が北から南に流れているから、地図で見ると筑後川の左側に見える西側の地域が右岸になる。

平成16年9月21日(火)
第070号「食育あれこれ」

先週の食育のことについて、いろんな方からメールをいただいたり、反応があったりした。
(第069号「食育シンポジウムを聞いていて」)参照

まずはこんな話から。

先週の週刊yasushiに「こないだ、好きな料理はなに?って保育園で先生がたずねたら、「ぼくは星の王子さまカレー」「わたしはハム太郎カレー」というレトルトカレーの答えが返ってきた」という話がありましたよね。
(先生としては、から揚げの入ったカレーとか、ビーフカレーとか、おうちで食べるカレーとか、そういう答えを期待していたのでしょうけど)
私にも子どもがいるので試してみようと思って、家に帰って子どもに「どんなカレーが好き?」と聞いたら、「おかあさんのカレーがいい」という答え。「まあ、なんてうれしいんでしょ。」と思ってたら、こどもが付け加えて「おかあさんの作ったボンカレーがいちばんいい」。

また、佐賀県(というか佐賀市)は冷凍食品を買う量が全国3位、ということに対しては、「働いている人が多いからだと思います。時間とお金を惜しんで弁当を作るとなると冷凍食品は欠かせません。また、都会と違って、大きな企業や街がないので、社内に食堂があるとか、昼休みになると外に食べに行く、という習慣があまりないから弁当を持ってくる人が多いのだと思います。」という声をはじめとして、ワルモノ扱いにしてはいけないのではないか、という指摘を何人かからいただいた。

弁当が多い、と聞いてなるほど と思うことがある、というメールもいただいた。

「消防訓練のとき消防職員の方に聞いたら、最近の自宅での火災はてんぷら油の過熱によるものが多いそうで、原因をおたずねすると冷凍食品が普及しはじめてからだとのこと。生活スタイルの変化がこんなところまでと妙に感心しました。」
僕も、こないだ多久市の消防夏季訓練に行ったとき、やはりてんぷら油による火災が多いという話を聞いた。そういうことだったのか。

一方で、あるワーキングウーマンからこんなメールもいただいた。

「私は県外から佐賀県しかも農村部に参りました。そこで味わった野菜のみずみずしさ。まさにいのちをいただいていると感動したものです。子育ての期間中義母は、「野菜ご馳走ばってん」と申し訳なさそうに夕食を準備してくれました。
「新しい野菜が一番のご馳走。こんなに新しくておいしい食事は王侯貴族でも食べれない。なんという贅沢をさせてもらってるんだろう」といいながら、子どもたちにもそれを言ってました。幼い長男は、「僕が大きくなったら、お母さんたちが僕のために野菜作ってくれるんだよね?」と言ったものです。」
「ただ、私が新鮮な野菜を食べられたのは、私がフルタイムの勤務で義母が夕食を全面的に受け持ってくれ、畑の野菜を最大限利用してくれたことによります。当時、夫婦そろって成人病になった同僚が言っていました。よく考えてみたら、姑が死亡してしばらくして、夫婦とも成人病になった。姑の野菜料理がよかったのねと。どうしても簡単な肉料理になっていたと。」

こういうことを教えてくれた人もいた。

「佐賀新聞の120文字のメッセージというのがありますよね。創刊120周年を記念して、誰かに送る120文字というコンセプトで募集しているものですが、こないだ寄せられていた男の子の文にこういうのがありました。

「おかあさん、毎朝パイの実(お菓子です)を食べさせてくれてありがとう」。

離婚して出て行った母親に対するメッセージでした。

最後には「僕は家でずうと待っているよ」で終わっていました。」

こういうのもまたなんかぐっと来てしまうなあ。


ふるかわ 拝

平成16年9月14日(火)
第069号「食育シンポジウムを聞いていて」

先週の土曜日はアバンセで食育のシンポジウムだった。主催者でも来賓でもなく一聴衆として参加した。

最近朝ご飯を食べない人が多いという話はめずらしくない。ただ、佐賀県内で朝ご飯を食べない人の比率は全国平均をはるかに上回っていると聞くとびっくりしないだろうか。

男性の欠食率の全国平均が10%なのに対して佐賀県では15%、女性の欠食率の全国平均が5%なのに対して佐賀県では10%である。(平成11年度県民栄養調査による)

とくに20代の男性は50%近い人が欠食。全国平均はその半分、女性も同じようなもの。佐賀県内の20代の32%の女性が朝ご飯を食べていない。全国平均は14%だからこれも倍以上だ。

佐賀県は食材に恵まれた県だともよく言われる。
ところが総務省統計局の平成14年の家計調査を基にしてまとめてみると、佐賀は冷凍調理食品を買うランキングが全国3位。ちなみに弁当は2位である。

冷凍食品がいけないというのではない。意外ではないだろうか、ということなのだ。
シンポジウムでは現場からの報告でこんなことが言われていた。

「好きな料理はなに?」と保育士が聞くと「僕は星の王子さまカレー」「私はハム太郎カレー」とレトルトカレーを挙げるこどもたちがめずらしくないこと。
「先生、好きな料理なに?」と子どもに言われたので「グラタン」と答えたら、子どもが「じゃあチンしてくるね」と答えたこと。

いまの佐賀県内の食卓の風景というものを私たち行政関係者はきちんと把握しきれているのだろうか、と思った。

一方でいい話もあった。実際に食育の指導をはじめるとこどもたちの食べることに対する意識が変わっていくというのだ。親よりも、といってもいいくらいになるという。それと併せて、なんとか、地元のものがきちんと子どもたちをはじめとして地域の人たちの口に入るようなシステムを考えていかないといけないという指摘もいただいた。もっともだと思う。

地元のものを使う、ということについて不思議に思っていることがある。県庁の地下の食堂のことだ。いつも定食メニューが450円ぐらいで提供されているのだが、月に一度の「ふるさと食の日」の特別献立になると650円(たしか)になる。

「県産品を使うから高くなる」ということらしい。大量にどっと仕入れることができないからその分割高になるということなのかとも思うけれど、県産品を使うとなぜ高いのか、あらためて考えるとよくわからない。

だって、佐賀県産の農産物はふつうのルートを通っていけば、「地元としての意味のある農産物」ではなく県外に出荷されて普通の農産物になる。
それって別に高い値段がついているわけじゃないんだよな。

うーむ、オトナの世界はむずかしい。


ふるかわ 拝

平成16年9月7日(火)
第068号「全国知事会議レポート」

8月18日と19日に新潟市で開かれた全国知事会議は、「全国知事会議の歴史」という本をつくるとしたら、それが500ページを越えるものであろうがわずか8ページものであろうが、必ず取り上げられることになるだろうと思わせるようなものだった。

メインの議題は「三位一体の改革」。これについて、全国知事会としたまとまった意見を出すことができるのかどうか、というところがポイントだった。とくに意見が対立しているのが、義務教育費国庫負担金をこの三位一体の改革の対象にすべきかどうか、ということで、佐賀県としては今回その負担金を対象とすることについては慎重な考えを示していた。

先輩の知事さん方に伺ったところでは、かつては全国知事会議というのはほとんど議論らしい議論がなく、予定された議案を淡々と処理していくだけのものだったようだ。

当時の知事会は「義理で行かされた、よく知らない芸術家の展覧会」のようにしーんとしていたという。それが数年前のことだ。

僕が就任した去年の全国知事会議はすでに幼稚園の遠足みたいにわんわんしていたから、数年間のうちに変わったということなのだろう。

午後2時にスタートしたこの会議、最初にいくつかの議題をこなしたあと、いよいよ三位一体の改革議論に入った。いろんな論点について、たくさんの意見が出る。47人の知事のうち40人を超える本人出席というまれにみる本人出席率の高さもあって、議論が果てしない。午後7時半までやった後、食事休憩に入り、午後8時半から再開。
とうとう午前零時を過ぎ、その日は終わった。

いや、終わらなかった。宿題が出たのだ。いくつかの指摘事項に対するそれぞれの都道府県における考え方をまとめて翌朝9時までに提出せよ、というのだ。
零時すぎから僕の部屋にスタッフが集合し、佐賀県としての考え方をまとめた。午前2時だった。

翌朝は午前9時から再開して議論を続けた。賛成、反対、いろいろな意見が交わされる中、だんだん主張が似て来るようになった。少なくとも僕にはそのように感じられた。それぞれの都道府県にそれぞれの主張がある。もちろん佐賀県にも佐賀県としての主張がある。しかし、ここは、それを乗り越えて地方としてのまとまりを示すことが大事ではないか。最終的にはそう思うようになっていった。

お昼も近い午前11時50分ごろ、この会議の議長である梶原全国知事会会長が「自分なりの最終案を出す、そしてそれについて多数決を採る。」と宣言した。「そのことに反対する人は不信任案を出してくれ。」とまで会長は言われたが、手を挙げる人はいなかった。

梶原会長の最終案の眼目は、原案と異なる意見については、そういう意見があったことを明記する、ということものだった。そうであれば、知事会内にもいろんな意見があったこともきちんとわかる。
僕としてはその最終案に賛成することにした。

「賛成の方の挙手を求めます」という声が響いた。さっと多くの知事さんの手が挙がった。事務局が数え始めたが数が多いので、すぐには数えきれない。会長が、制するように「賛成多数。よってこの案は可決されました」と宣言した。

新聞報道では賛成40、反対7 と報じられている。僕の記憶では、39対7ではなかったかと思う。滋賀県知事さんは退席されていたようにも見えたのだが。(と思って國松滋賀県知事の「びわこ日記」をのぞいてみたら、しっかり 「賛成した」と書いてありました。失礼。)

途中までは反対だった他の知事さんたちの中にも最終的には手を挙げた方が何人かおられた。やはり「きちんと少数意見を書いてもらえるのなら」という考え方だったように聞いた。

議論をせずにいきなり賛成、反対とやったらしこりも残るし、反対もずいぶん多かったのではないか。これだけ議論を尽くし、少数意見にもきちんと配慮をする、ということになった結果、議論をスタートさせたときよりも最終案に賛成した知事の数が増えた、ということは、あらためて議論を尽くすことの大切さ、を感じさせた。


ふるかわ 拝