2005年1月

平成17年1月25日(火)
第088号  「Vリーグ」

先週の日曜日、バレーボールVリーグの 久光製薬・スプリングス 対 パイオニア・レッドウィングス の試合を観にいった。Vリーグというのはプロのバレーボールリーグではないがプロ化を視野に入れたリーグで、かつての日本リーグが発展的に変化したものといっていいと思う。そのVリーグには10チームあって、そのうちの1チームが久光製薬・スプリングス。本拠地は久光製薬本社のある佐賀県鳥栖市である。
とはいえ、体育館の問題やもともとダイエーのオレンジアタッカーズと一緒になったという経緯などもあって神戸がいわば事実上の本拠地のようになっているのだがその久光が年に一度は佐賀県で試合をすることになっている。
それがこないだのことだったのだ。
会場には満員の約3000人のファンが詰めかけて応援していた。「久光のホームゲーム」なのだが、サッカーのようにホームの応援一色という雰囲気ではない。会場は2階席の一部が応援席みたいになっていて(野球でいえば外野席みたいなものかな)そこではカネやタイコを打ち鳴らし、チアガールも踊りながら応援しているのだが、あとの席はチームの応援というよりはどちらかといえばバレーボールそのものを楽しみに来た人が多いような気がした。

こういう場合難しいのは僕の取るべき態度だ。僕は佐賀県バレーボール協会から招待されてこの試合を観に行ったのだが、こういうときにホームチーム側に立って応援していいのかいけないのか、そこがよくわからない。よくわからないので会場に行くときの姿は一応中立にしようと思い、相手のパイオニアのチームカラーである「赤」とわれらが久光製薬の「青」をそれぞれ取り入れ、紺のスーツに控えめな赤のタイ、シャツは中立色のオフホワイトといういでたちで臨んでみた。

そうはいうものの、試合になればどうしても久光の方に熱が入る。これって、開催地の首長の姿として正しいのだろうか。相手にも敬意を払って応援すべきなのだろうか。そもそもホームという考え方というのはそうやって力を入れて応援していいということなのかなあ、などといろいろ考えてしまった。みなさんはどういうのが正しいマナーだと思われるだろうか?

試合は久光が負けた。第一セットは久光が取り、第二セットは34対32で負けた。
今のバレーボールは25点制だから34点までもつれるというのは珍しく、Vリーグ女子の記録としては今季における最高得点。いかに大変なラリーだったかというのがわかる。これで負けたショックが大きかったようでその後の2セットは完敗だった。

とにかくすごい迫力だ。高いレベルのプレーを生で見ると、自分も元気が出てくるし、がんばろうといいう気になる。
このVリーグの久光製薬の試合。来期は年に2度来てくれることになるらしい。アタックナンバーワン以来ごぶさたしているみなさん、ぜひライブな試合を観にいきましょう。

ふるかわ 拝

平成17年1月18日(火)
第087号  「稲むらの火」

最近「稲むらの火」に興味を持っている。戦前の小学校の国語の教科書に載っていた有名な話だ。知らない方はまずは読んでほしい。以下がその文章だ。原文は旧字旧かなだったが群馬大学の早川由紀夫先生が現代風にアレンジされ、しかも先生のHPにおいて「このページに関して、私は自己のコピーライトを主張しません。このページを学校での防災教育に生かしていただけたら望外の喜びです」と述べておられるのでそのまま引用させていただく。
もともとの出典のURLは

http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/bosai/inamura.html

である。

(以下引用)

「稲むらの火」  小泉八雲・原作(英文) 中井常蔵・訳

「これはただごとではない。」
とつぶやきながら,五兵衛は家から出てきた。今の地震は、べつにはげしいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りのしたくに心を取られて、さっきの地震にはいっこう気がつかないもののようである。
村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸い付けられてしまった。
風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。
「たいへんだ。津波がやってくるに違いない。」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら、四百の命が、村もろともひと飲みにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。
「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまつ)を持って飛び出してきた。そこには、取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
「もったいないが、これで村中の命が救われるのだ。」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。
ひとつまたひとつ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。
日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。庄屋さんの家だ。」と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者のあとを追うようにかけ出した。
高台から見下ろしている五兵衛の目には、それがアリの歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人ほどの若者が、かけ上がってきた。彼らは、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声に言った。
「うっちゃっておけ。----たいへんだ。村中の人にきてもらうんだ。」村中の人は、追々集まってきた。五兵衛は、あとからあとから上がってくる老幼男女ひとり一人数えた。集まってきた人々は、燃えている稲むらと五兵衛の顔とをかわるがわる見くらべた。そのとき、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
「見ろ。やってきたぞ。」
たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い一筋の線が見えた。その線はみるみる太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
「津波だ」
と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったと思うと、山がのしかかってきたような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後へ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙のほかは、いっとき何物も見えなかった。
人々は、自分らの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進みまた退いた。
高台では、しばらく何の話声もなかった。一同は、波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。
稲むらの火は、風にあおられてまた燃え上がり夕やみに包まれたあたりを明るくした。初めて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。

(以上引用)

この文章はもともと国語の時間用の教科書に載っていたものではあるものの、防災教育としてもとても優れていると思う。70歳くらいの方に聞いていただければだいたいの方がこの文章のことを覚えておられるはずだ。いかに教材として有効だったかがわかるというものだろう。

原文は小泉八雲の手による英文「A LIVING GOD(生ける神)」である。これはわが国における生き神様といわれるものについて書かれた文章でその中の一つのエピソードとしてこの話が取り上げられている。安政年間に和歌山県内で起きた実話に基づいた話ではあったものの史実とは少し離れたところもあるようでむしろ中井常蔵による創作作品といっても良いだろう。
元は英文だ。これを機会に世界に紹介できないものだろうか。

主人公「五兵衛」のモデルとなった浜口梧陵(儀兵衛)は幕末の紀州生まれ。今回はじめて知ったが浜口家は代々ヤマサ醤油を経営していて、この浜口梧陵もヤマサ醤油七代目として活躍したらしい。ただ実業界にとどまらず佐久間象山の門人だったこともあり明治になって和歌山県知事や和歌山県議会議長を経験したほどの人物だった。

稲むらの火のHPもある。情熱のこもったいいHPだ。ご参考まで。

http://www.inamuranohi.jp/

ふるかわ 拝

平成17年1月11日(火)
第086号  「どこまでできるかな」


今年の年賀状に書いた「パーソナルマニフェスト」。その反応と背景を解説したい。

◆体重を3キログラム減らします
「なぜ体重が何キロか書かないのですか」というコメントが多かったが、年賀状を書いたのが歳末の早い時期だったので元日に何キロがわからなかったから書かなかった。元日に体重計に載った。あまりいいたくないが、82.0キログラムだった。80キロぐらいかなと思っていただけにちょっとショック。
「3キログラム減らすだけじゃ少ないのでは」というご指摘もいただいているが、マニフェストは実施可能な、しかも努力が必要な、目標でなければならない。ということで3キロ。まずは見ていてほしい。

◆行ったことのない国に行きます
僕の人生の目標に「歳の数だけの国には行きたい」というのがある。いま46歳だから本当は46か国ぐらいには行っておきたいのだ。しかし、いまは26か国くらいしか行ってない。だから毎年二つ以上の国に行かないと追いつかない。去年は新しい国に行ってないのでここいらでどっか行きたいということでこれを入れた。今年は連休の関係のカレンダーがいいし。「本当に行けるのですか」、というご心配もいただいているが、なんとかしたいなあ。今は携帯電話がどんな奥地に行ってもつながり緊急連絡ができる体制になっているのでその点は昔とは違って安心だし、去年中国の雲南省に行けたし。

◆毎月一冊文芸書を読みます
お恥ずかしいことながら、この仕事に就いてから、読む本が「2005年日本はどうなる」のようなビジネス書や仕事がらみの「社会福祉概論」みたいなものばかりになってしまい、文芸書を読まなくなってしまった。これではいけないと深く反省して、今年は読む本を増やしたいと思っているのでこういうものを入れた次第。去年読んだ文芸書で印象に残っているものといえば地方公務員とテーマパークの関わりを描いた荻原浩の「メリーゴーランド」とカール・ハイアセンの青春小説「HOOT」くらいだからなあ。

◆毎月一日休みます
これがいちばん大変かも。というのは去年の日程表によれば「まる一日何も予定が入らなかった日」というのが9月12日の次が12月12日だった。秘書課もなんとか休みを確保しようと努力をしてくれてはいるのだが、そういう日に限ってどうしてもはずせない用務ができたりする。しかしながら、このように毎日ずっと仕事を続けるのは身体のリズムも崩しがちになってしまう。ということで今年は強い決意でこれを入れた。
「こんなことを目標にすること自体が問題です。もっときちんと休むべきです」というご意見もあったがまずはそういうことでお許しあれ。


という4つのパーソナル・マニフェスト。年末に自己採点をしたいと思う。

ふるかわ 拝

平成17年1月4日(火)
第085号  「曽我物語」

と聞くと、ひょっとして何人かの人は拉致の被害に遭われた曽我さん一家のことをイメージされたかもしれない。それほど「曽我物語」は縁遠くなってしまっている。

曽我物語は親のかたきを討つという話だ。具体的にいえば親のかたきである工藤祐経(くどうすけつね)を曽我十郎祐成(すけなり)曽我五郎時致(ときむね)が苦節18年目にして討つということだ。この演目はもともと正月によく演じられていて、「正月といえば曽我物」というのがずっと続いてきていたのだが、ここのところとんと見ないような気がする。

同じ仇討ちでありながら「忠臣蔵」が年末になると何年かに一度はテレビや映画になるのに比べて「曽我物語」が話題になることはあまりない。それは「忠臣蔵」のテーマが「御家御大切」で企業への忠誠心を誓う昭和の企業文化になじみやすかったのに比べて「曽我物語」は「親孝行」という戦後のわが国の文化の中でどんどん存在が小さくなっていっている徳目がテーマだからではないだろうか。

正月の間に「遠い道」という韓国ドラマを観た。イ・ビョンホンが主人公の単発ドラマだった。父親の思いになんとか答えようとする娘、その父親に共感する男の姿など随所に出てくる、年長者や親を大事にするという文化が感じられた内容だった。「東京物語」で原節子が演じていたけなげな娘の気持ちに通じるようなものを感じた。
たしか「冬のソナタ」の中でもペ・ヨンジュンが「しまった、今日は命日だった」とあわてて実家に帰ろうとするというシーンがあったと思う。時代の最先端の仕事をしている青年実業家でも命日にはきちんと実家に帰る、ということが当たりまえだからああいうシーンができたのではないだろうか。

親や先祖を大事にする、という文化を日本人と韓国人とがどこまで理解しあえるか。かつては文化的には共有していたはずのこういうものを再度見つめなおすことが求められているように思う。

ふるかわ 拝