2005年3月

平成17年3月29日(火)
第097号  「あなたにとっての「ラ」・「フ」問題は?」

「ソフトバンク 対 楽天 at ヤフードーム」
これって何のスポーツですか?って感じだけど、昨日のプロ野球のカードなのだから、やっぱ時代って変わっていってるんだなと思う。

という中での「ライブドア 対 フジテレビ」。

毎日このニュースが流れているのだが、果たしてそれだけのニュース価値があるんだろうか、この問題に関心を持っている人ってどれくらいいるのかなと思っていたら、僕と同じような考えだったらしいある友人から「ライブドアとフジテレビのことを関係者以外で真剣に考えているやつなんていないだろうによくニュースにするよなあと思っていたら、こないだあるおでんやでそれが間違いであることを発見しました」というメールが来た。

そのメールにはこうあった。

「とあるおでんやのカウンターでのことです。店の奥にあるテレビから流れるニュースを見ながら常連客たちがおでんをつついていました。その中でもこの話題が出ていました。それだけでもけっこうびっくりでした。だって、フジテレビですよ。
僕のイメージでフジといえば「救命病棟24時」みたいなドラマや「とんねるずのみなさんのおかげでした」みたいなバラエティ番組がメイン。その株主に誰がなるかということがそれほど大きな問題とは思えなかったからです。

でも僕が完璧に間違っていることがわかりました。それは堀江社長がニュースの中で「これは将棋でいえばもう詰んでるんですよ(終わってるんですよ)」と発言した瞬間でした。

それを聞いたその中のひとりの客が「おまえは将棋がわかってないっ!と」叫び、それでまた一段とヒートアップ。そのおでんやのカウンターはまるで「ニュース23」の筑紫さんたちのデスクみたくなってしまったのでした。」

なるほど。かくいう僕もこのニュースがあるとけっこうマジに見ているしなあ。

この問題はさまざまな格言と発言を生んでいるようだ。

昨日教えてもらったネタなのだがあるパーティに来ていたお役人のスピーチが洒脱だったという。いわく「ホリエモンは好きじゃない。でもフジテレビはもっといやだ」。

僕は2週間くらい前にこの問題について、ある経営者から教えてもらったこの言葉が気になっている。

「ライブドア 対 フジテレビ というのは ルール 対 マナーという問題なのです」。

はてさて、みなさんの中ではこの問題、どんなふうに扱っていますか?

ふるかわ 拝

平成17年3月23日(水)
臨時増刊号 地震 その1 「地震へのお見舞い御礼」


とにかくたくさんの方からお見舞いのメール、FAX、電話をいただいた。心から感謝!

佐賀県内にも被害に遭われた方がおられるし福岡県にはもっと多くの被災者がおられる。長崎県でも被害があったと聞く。どこにおられるかたであっても被災された方にまず心からお見舞いを申し上げたい。

結果からいえば佐賀県は甚大な被害は出なかった。震度6弱という震度が佐賀県みやき町というところで出たため、あらゆる報道が「福岡・佐賀で震度6弱」という見出しになっていたし、そのことは確かに事実なのだが、被害の状況は福岡の方がより深刻だったようだ。

ということでご心配いただいた皆さん、本当にありがとうございます。佐賀県はだいじょうぶです。

佐賀県では発生後すぐに佐賀県のHPに地震の情報を提供し始めた。地震発生が午前10時53分だったが、11:30過ぎには最初の情報アップがなされ、その後、次々に更新、午後3時30分の災害対策本部会議はライブ映像を流して佐賀県としての対応状況を伝えることができた。

佐賀県のHPへのアクセス数、一日で12,343件。その前日が休みの日ということもあって、1,457件だったから、およそ10倍になったということがいえる。HPのURLはこちら。ぜひとも見てみてほしい。

佐賀県のHP

被災地に電話をするという行為が「控えるべき事柄」になっている今、災害が発生したときの状況を知る手がかりとしてはHPは最適なのではないか。「テレビは福岡の情報しか流してくれません。佐賀がどうなっているかを知りたい」。こういうメールが僕の手元に何通も届いた。

佐賀県では、いま全県職員に対して、アンケートを実施している。
今回の地震は私たちに多くのことを示している。これを機会に、そして記憶が新たなうちに記録し、反省し、次につなげなければならないとの考えのもと、実態をつかみたいということで、発生当時どこにいたか、連絡はどういう方法で取ったか、そしてどういう行動を取ったかということなどをたずねている。

僕の感じたこともたくさんあるが、そのことについては次号にしたい。


ふるかわ 拝

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地震 その2 「地震で僕が感じたこと」

○ ツールより、ルールより、マインドが大切。
 三連休の中日のお昼近く。普通の職員はゆっくりしていただろう。そのときに地震が発生した。地震を体感した職員が「これは大変」と本庁現地機関をあわせて800人が自主的に登庁した。地域防災計画では200人強が出勤することになっているがそれをはるかに上回る数で、このことの持つ意味は大きい。ルールがどうなっているかは別にして、とにかく県庁に行こう、これだけ多くの職員がそういう動きをしたことはすばらしいと思う。いろんなルールを作ることも必要だ。携帯電話というツールで連絡をとることも大事だろう。しかし、最後は心がけ。このことをあらためて確認した。

○ シャツ姿の災害対策会議〜 これがふつう。
 11:45から開かれた第一回の災害対策本部会議には、私服姿の、しかも本来のメンバーである各本部長ではない代理の職員がたくさんいた。シャツ姿で座っている職員もいた。それでいいと思うし、それがふつうだろう。全本部長がおそろいの防災服に身を包んで会議に出ているというほうがわざとらしい。そういう目で見ると定例行事化している避難訓練や防災訓練ももうすこしリアリティを持たせる必要があるのではないかと感じた。

○ 「管中ニュース」のラジオニュースが決め手だった。  
「管中ニュース」とは九州・沖縄全域に伝えられるニュースのこと。NHK用語。
 僕はその日、用事があって県外に出ようとしていた。そしたら、揺れた。すぐに車の中でラジオをつけた。佐賀県内なのに、福岡の局のアナウンサーが「いま福岡のスタジオが大きく揺れました」と放送している。「ここでこれだけ揺れているのに福岡でも大きく揺れているというのは大変なことになっている。これは戻ろう」。そう判断して、県外行きをとりやめ登庁することにした。
このときすでに携帯電話による通話はできない状態になっていた。そのころ、危機管理・報道監からメールが入り始めた。地震発生を知らせるメールだった。
 いまきっと県庁はてんやわんやのはず。きちんと連絡が取れるのは知事公舎しかない。しかも携帯電話では通話できない。
 途中の道路沿いで公衆電話を見つけるたびに「いま○○にいる、あと何分で帰る」という連絡を入れた。公衆電話は災害時の通信拠点という意義を改めて感じた。

 携帯電話による通話が使えなくなるのは連絡体制として致命的だ。だから知事車にはドコモ、au、ボーダフォンの三社の携帯を積んでいるが、今回はどの社も難しかったようだ。

○ メールは威力を発揮した〜しかし
 携帯電話による通話はだめでも携帯メールでは連絡が取れた。ただ、あわてていると携帯メールを使うという発想が実際にはまだなかなか。そもそも防災用携帯電話を持たされている幹部は携帯メールでレスができるのだろうか。
災害時にはまずメール、という基本を改めて確認することが必要だと感じた。 県のHP上の情報提供については、前回も触れたが多くの人にアクセスしていただいた。ただ、こちらでわかっていることをお知らせする、のではなく、県民や県外の人が知りたい情報を収集して伝える、というところまではまだ行っていない。とくに県外に住んでいる人から「HPで情報確認できたのはよかった」というメールをいただいている。HPによる災害情報提供にはそういう効果もあるということを再認識した。
 しかしながら、佐賀県としてこういう対応をしているということを総務省消防庁や内閣危機管理室にきちんと伝えるということをしなかった。佐賀県では佐賀県災害対策本部会議の様子をネット上でライブ中継していたから、関係する国の職員に佐賀県の模様をライブで見てもらうことも可能だったわけでそういうことを伝えなかったのは反省材料だといえるだろう。

○ ご近所の底力
 僕の住んでいる地域では消防団の人が自発的に一人暮らしの高齢者の家を一軒一軒見回ってくれたという。こういうときに来ていただければ安心しただろう。「夫が誰から指示されたわけでもなく、消防の帽子をかぶって「見回りに言ってくる」とでかけたんですよ」と話してくれた奥さんの表情は誇らしげだった。

ふるかわ 拝

平成17年3月22日(火)
第096号  「島判官とフルーツキムラ」

サガンの応援や県人会の盛り上げのほか札幌に行ったのはもうひとつわけがあった。桜を見に行ったのだ。

札幌という街を作ったひとは誰か知っているか、札幌市内で育った人に聞いてほしい。何割かの確率で「島判官」(しまはんがん)という答えが返ってくるはずだ。この島判官は佐賀県の出身なのだ。
島判官の本名は島義勇(しま・よしたけ)。佐賀藩の出身で当時の藩主である名君鍋島直正の命により、蝦夷、樺太を二年間にわたり探検、その後開拓使判官となり、札幌市街の建設など開発に貢献した。さらにその後秋田県権令となったが、政府の中央専制主義に反対し辞職。政府の欧化主義に反対する佐賀憂国党の首領として、江藤新平を首領とする征韓党と結んで佐賀の役を起こした。戦に敗れ、鹿児島に逃れたが、捕らえられ佐賀で処刑された。

彼は現在の札幌の地を道都と定め、これを世界に冠たる都市にしようという志のもとに都市建設を開始。当時の情勢もあって、わずか60日でその地位を追われたが、いまなお、彼の功績は称えられていて、札幌市役所のロビーと北海道神宮には島判官の像があるし、円山公園には彼の碑が建てられている。

その碑のまわりには桜の木がある。これはいまから10年くらい前に当時の佐賀市議会議員の有志の方が植えられたものだ。その木を植えるにあたっては、佐賀市金立の来迎寺にある島良し判官のお墓の近くの土をいただき、その周りに撒いてから植えたとのこと。
植えるときに面倒を見ていただいた造園会社があり、また、実際に日々公園の管理担当の方がこの桜の面倒を見ていただいていると聞いていたので御礼も言いたかったし、札幌における島義勇の存在感を感じることにつながるかもしれないとも思って、今回の札幌訪問に併せて円山公園に行ってみることにした。

今年の札幌は例年に比べて雪が多い。札幌で車を出していただいた知り合いに円山公園に行きたいと申し出たところ、何度も確認された。
「円山公園ですよね。雪しかないですよ」
「いや、島判官の碑の近くに佐賀の人が植えた桜があるから、それを見にいくんです」
「ですから、いまは雪しかないですって」
「この時期に行ったことあるんですか?」
「いや、冬の円山公園に行こうなんて道産子は思いませんよ」

という会話をしながら円山公園に行ってみた。

ほんとにそうだった。雪だけだった。ただ、碑は見ることができた。桜も上の方を見ることができた。
本数は10本と聞いていたが、実際には7本だった。ちょうど佐賀の七賢人と同じ本数だし、いいではないか。手入れをしていただいている方によくよくお礼を申し上げた。

円山公園からの帰り、ススキノにあるフルーツキムラに寄った。ここのおかみさんは佐賀県の果物のファンでよく売っていただいている。しかも、佐賀新聞によく投書される方でもある。構えられると困るので連絡せずにいきなり行ってみた。
とてもレトロなしかも意外にこぢんまりとした店だったが、佐賀県産のいちご「さがほのか」と県産みかん「さが美人」が置いてあった。唐津地域のJA上場(うわば)のものが来ている。けっこう高いが売れているのだという。

北海道で見る佐賀県産品はなんだか遠く旅をしている我が子をみるが如き思いにも似て、うれしさと不安とがんばれという気持ちがぐるぐる回った。

ふるかわ 拝


3/13 島義勇判官を訪ねて  
札幌円山公園内の高さ約8メートル、幅2メートルの島判官紀功碑

平成17年3月15日(火)
第095号  「札幌に行ってきた」

日曜日の札幌は平年の二倍はあるという積雪に歓迎された。行った主目的は、サガン鳥栖のアウェイでの第一戦を応援するため、ということだったのだが、あわせて、これを機会に北海道在住の佐賀県ゆかりの方に集まっていただいて、佐賀県としての情報発信をしたいということもあった。

試合には40人くらい、そしてその後の懇親会には80人くらいの方に参加いただくことができた。その場で最近の佐賀県の近況を報告し、合わせて来年の「全国豊かな海づくり大会」、再来年のインターハイのお知らせをした。
僕はこういう全国大会を機会に各地の佐賀県ゆかりの人の会をもう元気にして行きたいと考えている。そうすれば、たとえばインターハイのとき、全国大会への出場の決まった高校へ、その県に住む佐賀県ゆかりの人が、おめでとうとメッセージを送ったり、資料を届けたり、と在○○特命全権大使みたいな役割を果たしていただくことができるのではないかとひそかに期待しているのだ。

こういう県人会でいちばん興味を持って聞いていただけるのは何かというと、市町村合併のことだ。自分の生まれ育ったところが変わるわけだから、当然といえばそうだが、みなさん、一所懸命資料を見ておられる。全国すべての県に県人会があるかどうかわからないが、サガンのアウェイでの戦いのあるところを軸にしてこれからも広がりを作っていきたい。

試合の方は、サガン鳥栖が途中からひとり退場になり10人になってしまったにもかかわらず、1−0で勝つことができ、今季初勝利を飾った。わざわざ札幌ドームに来ていただいた北海道の高橋知事には申し訳ありませんでした(笑)。

この札幌ドーム、野球でもサッカーでも使われているのだが、サッカーは天然芝でないといけないため、試合のたびに芝の入れ替えを行うことになっている。天然芝はいつもはドームの隣の野外に置いてあるのだが、今回の試合が今季はじめての天然芝利用とあって、天然芝の上に積もった雪をどけなければならないのだがその作業はサポーターがボランティアとしてどけてくれ、それでドームの中に入れたという。「ファン」と「サポーター」という言葉のちがいはこの辺のような気がする。

試合に行く前に円山公園とススキノのある果物店に顔を出した。本当はそのことを今週書こうと思ったのだがその話を間違いなく次回に。

やったー! 勝った、勝った、勝ったぞー!

ふるかわ 拝

平成17年3月8日(火)
第094号  「サガン鳥栖開幕戦が終わって」

サガン鳥栖の開幕戦が終わった。J2きっての強豪アビスパ福岡と1−1のドロー。
勝てなかったのは残念だが、勝ち点1を挙げたことだし後半追いついたことだしお客さんもたくさん入ったことだしまずは善しとしたい。

チームは今季から新しく生まれ変わった。経営権が譲渡され、クリーク・アンド・リバー社というコンテンツ業界のクリエータを派遣する会社が中心になって運営していくことになった。
社長は井川幸広氏。佐賀県七山村の出身で高校時代もサッカー部。佐賀県としてはJリーグ事務局と協議を重ね、井川さんに新生サガン鳥栖をお願いすることとしたのだった。運営会社であるサガンドリームスにはエイベックスの依田名誉会長やエイチ・アイ・エスの沢田秀雄会長など在京のそうそうたる経営者が株主。そのスタートを飾る試合だけにいい試合をしてほしかった。

とはいうものの経営権が譲渡されたのは今年の2月。何もかも時間がない中での準備となった。もともとサッカーのチームは開幕数ヶ月前までにはチーム編成を終えてなければならない。ところが今回の新生サガン鳥栖は最後の選手が来たのは2月の下旬だったという。今季のサガンはおよそ半数の選手が入れ替わっているが、松本育夫監督が日本全国を駆け巡ってご自身の人脈と眼で探してきた選手ばかりだ。
Jリーグ所属チームの中で松本監督は今年64歳と最高年齢。逆に選手の平均年齢はいちばん若い。
今年はきっとやってくれると思う。そのためにもぜひともみんなで盛り上げたい。

来週はコンサドーレ札幌との戦い。僕も札幌に行く。はしゃいで行くということではない。来年の「全国豊かな海づくり大会」、再来年のインターハイと全国の方々が佐賀県に来ていただく機会が続く。この際、各地の佐賀県人会をもういちど盛り上げていきたいと思っている。今回在札幌の佐賀県人会の方にサッカー観戦していただくのと併せて佐賀県人会の会合も開いていただく。また、僕が行くことが道庁にも伝わり、試合前に北海道の高橋知事と僕とによるキックイン(ボールをピッチに蹴りいれるセレモニー)が行われることにもなった。
こうやって、各地の佐賀県人会を盛り上げ、海づくり大会やインターハイのときの強力な応援団になっていただきたいと思っているというわけだ。

札幌に行くのはもうひとつわけがあるのだがそれはまた来週。

ふるかわ 拝

平成17年3月1日(火)
第093号「右と左 」


信号機の「赤」はどこにあるか。横に長い信号機の場合、一番右だろうか一番左だろうか。
そんなこと簡単だよと思われるかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。
案外意見の分かれるところではないか。かくいう僕がよく間違えるのだ。こないだもラジオ放送で間違えて大騒ぎになってしまった。 正解は「赤」は一番右である。

ところで僕は左利きだ。右利きの人が圧倒的な世の中だから、僕から見ると世の中がなんかさかさまになっているのかもしれない。

事実少数派の左利きは日常的に困ることもある。

たとえば電話だ。固定電話を例にしよう。受話器は電話機のどちらがわにあるか。

答えは左側。それはなぜか。受話器を取るのは左手で、番号をプッシュするのは右手で、という操作が基本になっているからだ。
だから、左手でプッシュしようとすると右手で受話器を持たないといけなくて、クロスしてしまう。

カメラのシャッターもそう。あれも右手で押すようにできている。
お茶を淹れる急須(取っ手のついているやつ)もそうで、あれを左手で持って淹れようとすると大騒動だし、ワイシャツのボケットが左胸についているのもズボンのファスナーもすべて右利き用にできている。世の中には約1割の左利きがいるのになあ。

日本で人が右を歩くようになったのは戦後のことだ、昭和24年11月1日に交通方法が変更されて「人は右、車は左」となったのだが、それまでは「人は左、車も左」だった。日本では江戸時代も人は左を歩いていたからそれが伝統といえば伝統だったのだ。

そういえば昔の国鉄の駅の階段にはよく「ここでは左側通行」という表示があったような気がする。あれがそのなごりだったのだろうか。そう思って調べてみたけど、「単なる構造上の都合です」とどのJR会社にも言い切られてしまった。残念。

ふるかわ 拝