2005年4月

平成17年4月26日(火)
第101号 「園遊会で知ったこと」


先日春の園遊会に行ってきた。

毎回、園遊会には目玉ゲストがいる。
今回の目玉ゲストの一人は岩下志麻さんだった。近くで拝見したら、参加者全員が胸に着けている名札には「篠田志麻(岩下志麻)」と書いてある。そうだそうだ。映画監督の篠田正浩氏とケッコンしておられるのだからそういうことになるのだ。

ところがふと思った。

今回お招きのあった多くは男性のようだ。その配偶者である夫人として呼ばれている場合には、その配偶者自身の名前は表示されない。佐賀県知事 古川 康の配偶者であれば「古川 康 夫人」と表記されることになる。
では、篠田志麻さんの配偶者である篠田正浩氏はなんと表記されているのだろう。近づいて見てみたかったが残念ながら大勢の人にまぎれて見えなかった。

こういうことは気になるとしかたがない。知り合いの宮内庁詰めの新聞記者に会ったので聞いてみたら、「夫君」と書いてあるはずだという。

「夫人」ならぬ「夫君」?そんな言葉あるんだろうか?

たしかにあるようだ。外務省のHPを見ても、フィリピンのアロヨ大統領(女性)が数年前夫婦で日本を訪問されたときの記録に「フィリピン共和国 マカパガル・アロヨ大統領閣下及び夫君訪日日程」 と書いてある。

こんなふうに言うんだなあ。ちなみに読み方は「ふくん」だそうです。

園遊会、食べ物はそんなに多くはないがさすがに品のあるものがいろいろある。

屋台ではやきとりが人気だった。たしかに肉もやわらかくタレもいい味だ。
隣りではバーベキューというか肉を焼いていた。和牛にはまちがいないだろうが、佐賀牛ではなかったな。

あとで聞いたら御料牧場のものとのこと。なるほどね。

そういう食べ物が盛られていた皿はもちろん有田焼だった。

やっぱりとうれしくなった。

ふるかわ 拝

平成17年4月19日(火)
第100号 「佐賀県に成果主義はなじむか」

県庁など公務員が働く職場に「成果主義」がなじむか。最近ではいろんな議論が交わされているが、成果主義を取り入れている企業の経営者の方に会うとき、必ず僕がお尋ねすることがある。
「営業部門はよくわかるのですが経理や総務といった間接部門はどうされていますか」。
多くの答えはこうだ。「そこがむずかしいんですよ」。

公務部門というのはその多くが間接部門だ。ということはやはりむずかしいということだろうか。たしかにむずかしいかもしれない。しかし、意味のないことだろうか。

僕はそうは思わない。およそ組織というものにおいて業績や能力について評価をせず、年数などの客観的な数値だけで処遇を決めるということは真の意味で公平ではないと思う。
しかしながら、世間で語られている「成果主義」は人事当局による総人件費削減の手段としてのものがずいぶん多いと思う。そのために成果主義というものを入れるというのはいささか違うような気がする。人件費を削減する必要があるとすれば、そのことに対して正面から取り組むべきだろう。

しかし、先にも述べたように、公務職場における成果主義はたとえば「車を何台売ります」ということだけをメインにして考えるわけにはいかない。それだけのものとは違う何らかの評価基準に基づく納得度の高い成果主義というのがないのだろうか。
ずっと模索をしてきた。

先月、マーサーコンサルティングという経営コンサルティングの会社のセミナーに参加した。
そこで「成果主義の誤解を解く」と題する桑畑英紀氏のプレゼンテーションを体験することができた。あ、これだ、と思った。
桑畑氏は言う。「成果主義とは組織業績に対する多様な貢献度のことである。
成果主義というよりはむしろ「貢献度主義」と呼ぶべきかもしれない。」
こういう視点が欲しかったのだった。組織としてめざすべきところを明確にして、そのために個人がどういう働きをすることが求められているのか、それに対して個人がどう行動したか、そのことにより組織の目標達成にどれだけ寄与したか。そういう視点での判断が必要なのだと思う。

こういう視点に立てば、スタッフが動きやすい環境を整えている庶務の人も、自分のことよりも次の世代の教育に力をいれている人も、それぞれの役割を果たしているか、という点からの評価になじんでくる。

ご興味のある方は日経産業新聞に連載された桑畑氏の論文を読んでいただきたい。

ビズテク塾 【成果主義の誤解を解く】 
(1) 結果でなく貢献度を測る (日経産業新聞2004年11月24日 26面)

これを何度か読み直しながら、まずは僕自身の反省材料にもし、そして現実の組織経営と人材育成に活用できないか、考えているところだ。

みなさんの組織では「成果主義」どうなってますか?

ふるかわ 拝

平成17年4月11日(火)
第099号 「ドリフターズとひょうきん族にみる成果主義」

村上龍さんが運営しているJMMというメールマガジンがある。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/

文学に関するもの、というよりは世の中の森羅万象を見据えた新しいかたちのメディアだと言えると思う。僕もものの見方の参考にしている。
その中で先日「成果主義についてどう考えるか」というテーマで議論が交わされた。
(2005年3月28日発行のJMM No.316)

僕が感心したのは友田健太郎さんという読者の方の投稿だった。正確なところはまぐまぐのバックナンバーページから4月4日号を読んでいただきたいのだが、許可を得て引用すると次のとおりだ。くりかえしになるがテーマは「成果主義」。

(以下引用)  
この点について考える時、私はいつも、往年のお笑いグループのザ・ドリフターズ (以下ドリフ)のことを思い出します(いささか唐突ですが)。1969〜85年に放送されたTBS系列の「8時だヨ!全員集合」 という番組がドリフの頂点ですが、 この5人組のグループはメンバー全員が面白いわけではありませんでした。ドリフは 「人を笑わせること」が仕事なので、「面白さ」は「仕事の能力」ですが、その能力にかなりのばらつきがあることは、誰もが知っていました。しかし、当時それは全く 問題にならなかった記憶があります。視聴者にとっては面白い人も面白くない人も5人全員がいてこそのドリフであり、その5人が力を合わせて一つの空間を作っている ことが楽しかったのです。もし当時、面白くないメンバーが番組から外されるようなことがあれば、視聴者の激しい非難を受けていたはずで、実際そのようなことは試みられませんでした。  
しかし、80年代に入ってしばらくするとこうしたドリフのあり方は徐々に受け入れられなくなります。「全員集合」は裏番組のフジテレビ系「おれたちひょうきん族」に敗れて終了します。「ひょうきん族」は当時の「漫才ブーム」で人気を得た若手漫才師を多く起用していましたが、漫才コンビのうち面白い方が重用され、あまり 面白くない方は徐々に番組から姿を消していきます。「ひょうきん族」はアドリブを多用した番組作りで、出演者個人の面白さの「能力」が最大限に発揮されるようになっていました。実に新鮮でした。
(以上引用) 


おもしろいでしょ。
たしかに「ひょうきん族」にはビートたけしが出ていたが、最初は「ツービート」として出ていたと思う。その後ビートきよしがはずれてからビートたけしになったような気がする。島田紳助にしても、もともとは世の中に出たときには「紳助竜介」だった。番組スタート当時すでに解散していたのかもしれないがひとりで出ていたし、西川のりおにしても「のりお・よしお」ではなく、のりおだけだった。「コンビなんだから二人が出てあたりまえ」というような温情的な感じのしない番組だった。そもそもスタートがプロ野球が雨のときの雨傘番組だったからということもあるかもしれないが、なんかゲリラ的だったなあ。

友田さんはさらにこう指摘する。

(以下引用)
そして、「ひょうきん族」に対抗するためTBSが「全員集合」の後に始めた番組は、ドリフのうち若くて面白いとされた2人だけを起用したものでした。テレビのお笑いの世界に関する限り、能力主義への転換は80年代半ばには起きていたのです。 「能力がある人も能力がない人もいてこその集団」という考え方は実に深く、また美 しいものです。そんなあり方を、実力主義の極みであるテレビのお笑いグループにすら許していた、昔の日本人は何て大人だったのだろうと思います。しかし、それは結局昔の話であり、その時代に戻ることは決してできないのです。誰もが自分の持ち味をフルに発揮したいと切に願い、能力がない人に足を引っ張られるのには我慢できない。そんな時代に私たちは生きています。
(以上引用) 


この「ドリフのうち若くて面白いとされた2人だけを起用した」番組とは「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」だった。さらにいえば、この番組は最終的に「ひょうきん族」を番組終了に追い込んだ。「全員集合」のかたきを取ったことになる。

80年代半ばからすでに20年を経過した今、僕らはそういう成果主義社会の真っ只中にいることになる。そういう中にあって、しかも僕がいるのは県庁という空間だ。そこでこの成果主義とどう向き合っていくのか。以下次号で考えてみたい。

ふるかわ 拝

平成17年4月5日(火)
第098号 「さくら 」

花見の季節になった。花見だ花見だと世間で言うほど人々は花見に出かけていないように思うのだが、この季節になると信州での花見を思い出す。といっても山合いの桜を遠く眺めるというような情緒のある花見ではない。
僕はかつて長野県庁にお世話になっていたのだが、長野県庁ではだいたい4月の中旬くらいになると各課それぞれ「花見」の習慣があった。花見といってもたいがい花は見ない。単に居酒屋で飲んだりするだけなのだが、名目は「花見」だった。

信州での印象的な花見がもうひとつあった。桜の名所高遠(たかとお)の桜を観に行ったときのことだ。
ここではホントに花見をした。花見のときの食べ物はすき焼きだった。それだけでもオドロキなのだが、そのすき焼きの肉は牛肉ではなかった。さて、何でしょう。ヒントは何の花を見ているのですか?

答えは馬肉。馬肉のことを「桜肉」というしゃれでもなく、高遠あたりはすき焼きの肉といえば馬肉だったらしい。

花見のときの食べ物といえば、2年間お世話になった岡山も印象的だった。岡山では花見は焼肉、いわゆるバーベキューだった。その岡山にいたころ、ある企業の社内の花見に呼ばれた。そこも焼肉だった。花見だから当然飲むことになる。出されたのが缶ビールと熱燗だった。
そのとき招待してくれた人の言葉が忘れられない。曰く、「カンビールと熱カンで、これが今どきのカンカン接待」。

佐賀県庁の周りの桜も五分咲きか。ここには皇居の次に大きいというお濠もあって、風に吹かれて桜の花びらがひらひらとお濠の水面に落ちたりする姿がまたいい。

ある関西出身者から「このお濠を京都の「床」みたいにして花見客を入れたらよろしいのになあ」と言われた。重ねて「そうでなくても県庁前の桜はきれいなんやから土日くらいは周りを歩行者天国にしてそこで自由に花見をしてもらうようにしたらどないでっしゃろ」。

なるほどなあ。みなさん、どうです?

ふるかわ 拝