2005年6月

平成17年6月28 日(火)
第110号 「 マクドナルド V. 全日空」


先日、ハンバーガーのマクドナルドの中国法人が、視聴者から「中国人に対する侮辱」などとの抗議が殺到していたテレビCMを中国全土で放送中止することに決定した。
また、事実上謝罪した。問題となったCMは、男性客がCDショップの店主にひざまずいて優待期間延長をお願いするというシーンで、直後に「マクドナルドの割引券は365日有効です」のナレーションが流れるというもの。中国人が怒るのもむりはないと思う。

アメリカは靴のサイズが合わないというと、ではその靴に足を合わせなさい、足が合わなければそれが非関税障壁だといいかねないところがある。これで少し考え直してくれればいいのだが。

一方、もう2年くらい前のことになるが、全日空が愛称を「ANA」に統一することに決めた。つまり「全日空」といわずANA(呼び方はエイ・エヌ・エイ)と呼ぶようにしたということだ。理由は「全日空」という文字が中国語では「一日中空っぽ」と意味になるからだということだった。全日空が国内線だけやっていたころには考える必要のない話だったのだろうが香港や中国に乗り入れるのであればやはりそういうことに気をつけざるを得ない。どの国にものを売るにしてもその国の人に喜んでもらうためにはその規格に合ったものにしていく必要があるというのは至極当然のことだと思う。

自分の主張は主張としながらも相手に合わせることも時には必要ということだろう。

ところで中国語は漢字しかないためあらゆるものを漢字で書かないといけない。だからブランドや社名を中国語表記するときには文字を生かすか意味を生かすかそういう選択を迫られる。
ソニーは「索尼」と書く。これは「ソニー」という音を取ったということだろう。トヨタは「豊田」。これは豊田という文字を生かし、その代わり発音は「フォンティエン」と目をつぶっている。ではそしてお菓子のロッテはどうか。これは音と意味と両方を狙ったのか中国語では「楽天」という。

となると日本のプロ野球のロッテ対楽天の試合はどうなるんだろう?


追伸:調べてみました。お菓子の会社としてのロッテは「楽天」だけど球団としての千葉ロッテマリーンズは「千葉羅徳海洋隊」、東北楽天イーグルスは「楽天金鷹隊」だって。そうかそうか。

ふるかわ 拝

平成17年6月21 日(火)
第109号 「南大東島物語・・・サウス・ボロジノ・アイランド・ストーリー」


今の日本であれば必ずどんな土地でもどこかの市町村に属している。沖の鳥島だって「東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地」だ。

ところが大東島は戦前はどこの市町村にも属していなかった。沖縄県島尻郡南大東島と住所は書かれていたが、郡の後に市町村名がない。当時、製糖会社が島全体を持っていて、自治制がひかれてなかったのだ。じゃ、各種の役場の手続きはどうしていたのだろうか。それは本籍地ですべて行っていたのだという。警察も会社が、さらに紙幣まで発行していたというから一種の満鉄みたいなものだったのかもしれない。戦後、米軍支配になってはじめて昭和21年に村制が施行された。
ただし、本籍が沖縄にない「非琉球人」は在留許可が必要とされた。この島は八丈島の出身者が多く、その人たちはまさに「非琉球人」として公民権もなかったという。

そんな話を聞きながら島の中をぐるぐる回った。遠くに北大東島が見えるほかは本当に海だけだ。

この島は那覇からでさえも300キロ以上離れている。どこからも遠い島なのだ。

テレビはどうなっているのだろう。
大東島で見ることのできる放送局は、NHK(総合、教育、BS1、BS2)TBS、フジ、テレビ朝日の各局だ。TBS系列の沖縄局であるRBCが見られるのではない。すべてキー局の番組が小笠原経由で流れてくるのだという。

じゃ、なぜ日本テレビは流れてこないのかというと、それは沖縄本島でもみることができないからといううことらしい。日本テレビ系列の局が沖縄本島自体に存在しないので大東島だけ見ることができるようにするわけにはいかなかったということでわかるようなわからないような話だ。

キー局の放送しか受信できないから大東の人は沖縄のローカル放送を見ることができない。ということは沖縄県知事をテレビで見ることがほとんどないということだ。

先日、島の人が小学生に「沖縄県知事は誰か」というクイズを三択でやったらしい。

1 小泉純一郎 2 石原慎太郎 3 稲嶺惠一

もちろん正解は3だが、実際には1 という回答がいちばん多かったという。

実は佐賀県もフジ系列のSTSだけが県内民放でNTVやTBS、テレビ朝日、テレビ東京系列の番組は福岡や熊本のテレビ局の電波を見ている。お役所的にいえばこれらのテレビ局はみんな県内向けに電波を出しているのだが、それが佐賀県まで漏れているということになるらしい。そういうかたちで佐賀県に来ている電波のことを漏れ波(もれは)という。なんか失礼な名前だけど。

こういう状態の県は佐賀県と徳島県しかない。

だからテレビのデジタル化についてもだまっていたらこういう地域があるということが忘れられてしまう。いわば免許の谷間のような存在だからだ。だからこちらから県外テレビ局の「漏れ波」を見ている県民のことをちゃんと考えてほしいという声を出していかないといけない。

佐賀県では1年前、テレビのデジタル化によってテレビが今までのようには見られなくなる地域が出てくるのではないかと庁内で研究会を発足させて検討した。その結果、ちょっとだけだが問題点が見つかった。さっそく電波行政を所管する総務省に意見を言わせていただいてデジタル化された後もこれまでのように県外テレビ局の電波を見つづけられるようになった。

でも県外のテレビ局ばかり見られるとこちらの名前まで忘れられてしまうかなあ。

ふるかわ 拝

平成17年6月14日(火)
第108号 「ノース ボロジノ アイランド 」


週末、ローカル・マニフェストの勉強会に呼ばれて沖縄に行ってきた。そして南北大東に寄ってきた。すばらしい島だった。ふつうの旅に飽きた皆さん、この次の旅は大東を考えられてみてはいかがだろう。僕自身ももういちど行ってみたい。そう思わせる島だった。

僕は20年前に約2年沖縄県にいた。沖縄県庁の総務部地方課勤務だった。そのころ、48あった有人離島もぜんぶ回ろうという志を立てて、出張のついでや休みを利用して島を回った。数えたら45まで行っていた。あと残りは3つ。そのうちの大物が南北大東だった。沖縄にいるころに2度チャレンジしたことがあるが2回とも台風で欠航になり、いけなかったのだ。

だから今回は満を持してのものがあった。 

大東島は南大東島と北大東島からなりそれぞれが南大東村、北大東村になっている。那覇から飛行機で約1時間。飛行機で1時間飛んでも県内なのだ。佐賀からだと大阪までが1時間。それだけの距離がある島。どこからも遠い島なのだった。

飛行機で南大東島に着いた。そしてそのまままずは北大東島まで船で渡り、北大東島からはその日のうちに飛行機で南大東島に渡ることにした。日程上そうせざるを得なかったのだ。

漁船をチャーターして北大東に渡った。大東島は切り立った島で満足に港がない。南大東漁港なるものが作られつつあるところなのだが、何度も台風にやられてなかなか進まないという。まるで中東の砂漠の中の町に降り立っていくように港に向けて道をくだり、そこに泊まっていた船に乗った。北大東島には船をつけるところがないので、クレーンで吊り上げてもらうことになる。

「クレーンで吊り上げられる」。これを実際に体験してみたかった。

船は有明海で潮干狩りに出ているよりも小さい船だった。これで40分かけて北大東島まで行くことになる。天気はよかったのだが沖に出ると相当うねりが出てきた。この辺りは海底の深さが2千メートルあるという。船長も波が来るごとにハンドルを右に左と切って波を避けている。けっこう真剣な表情だ。話しかけるのもはばかられる。こちらもあせってはいけないと思ってじいっとしていたが実は相当怖かった。

北大東島に近づくと突然波が収まって静かになった。「島かげになったからねえ。さっきよりはずいぶんよくなった」。船長はとたんに陽気になる。こっちもほっとした。船長は沖縄の出身、奥さんは八丈島の出身だという。

いよいよ岸壁に近づいた。北大東島への上陸ももうすぐ。たしかに断崖絶壁みたいなところに申し訳程度に整備がしてあってどうやらそこに登ることになるらしい。
ところが来ているはずのクレーン車がない。まいった。このまま登れないのはいやだし、南大東島まで船で戻るのはもっといやだ。

げっ どうなるんだろう、とおもっていたら、船長さんが岸壁でつりをしている人に「漁協に話してあるはずだけど、クレーン車が来てないさ、連絡取れる?」というような内容(だったと思う)のことを話しかけた。つりをしていた人はおもむろに携帯をとりだし、連絡をつけてくれた(ようだった)。こっちは話がちがうじゃない、と少々あせり気味だったけど、その空間にいる釣り人、船長、僕の中で心にあせりを持っているのはどうも僕だけのようだ。きっとなんとかなる、なんくるないさーと思って数分待った。

いよいよ現れた。クレーン車で僕だけ吊り上げられるのだろうか、と思っていたら、なんと船ごとだった。船には吊り上げように最初から綱が準備されていたのだっ。船ごとつりあげてもらい、船ごと島についた。
船ごとつりあげられるというのは普通には経験できない。

船長は「そら飛ぶ船だよー」と笑っていた。

船に乗って島に着いた、ことは何度もあるが、「船に乗ったまま島に降りた」のははじめてだったなあ。

北大東島をぐるっと見て空港に向かった。
北大東空港はいかにも島の空港らしいたたずまいでみんなゆるゆると働いていた。

小さい空港ながら一階におみやげコーナーがあった。営業時間は14:30からと書いてあるがその時刻になっても開かない。15:00になるのを待って意を決して空港職員に「どうなっていますか?。14:30からとなっているのですが。」とたずねてみた。

「いま何時?3時?じゃあ、やがて来るはずよー」という楽天的な返事が返ってきた。「飛行機も遅れているからねえ、時間はあるよ。」

えっ ?掲示をみたらいつのまにか飛行機の到着時間が30分くらい遅れると告知されていた。

あきらめて2階に上がったら喫茶店があった。その名も「北空港」。何か飲もうと思って入り口に近づいてみたら「誠に勝手ながら本日は臨時休業させていただきます。」とある。そして、その横には「明るくて真面目な方募集!長期間働ける人。」という求人の張り紙もあった。

どうやら、臨時休業は「本日」だけのことではないようだ。

30分遅れて飛行機は北大東を出発した。南大東までなんと飛行時間3分の定期航空路。それでもキャビンアテンダントはていねいに救命胴衣の使い方を教えてくれた。

ということで南大東のお話はこの次に。

ふるかわ 拝


古来の伝説 うふあがり島 北大東
http://vill.kitadaito.okinawa.jp/top_html.html

平成17年6月7日(火)
第107号 「京都・銀閣 おめん にて」

先日(中京県人会の翌日)関西県人会に出席した。場所は京都。時間を縫ってある店に顔を出した。その名は「おめん」。京都では有名なうどんの店だ。うどんといってもふつうのうどんではなく上州(群馬県)の名物だったものを京都に持ってきたもの。銀閣の近くにあるのでそれまでも何度か行ったことがあったのだが今回行ったにはわけがあった。うどんがお目当てではなく、その店のメニューのひとつにある十八穀米というごはんを食べてみたかったのだ。

十八というくらいいろんな穀物がミックスされているということなのだが、生産の中心は佐賀県在住の武富勝彦さん。2002年に世界スローフード大賞を受賞したという人で佐賀県の江北町に住み有機農業を実践している方だ。

武富さんにはよくお会いし最近の活動の状況などを聞かせていただいているのだが、最近「京都のおめんという店では私の作ったものがメニューになっているんですよ」ということを聞くようになった。ぜひそれをたしかめたかった。

たしかにそのメニューはあった。回りを見るとけっこう多くのお客様が注文されているようだ。なんだかうれしくなって僕も注文した。

ところが問題もあった。

この店のパンフレットを見ていたら、この十八穀米をはじめとする穀物・雑穀は「阿仙」(あ・ぜん)というブランドになっているのだが、生産者のことについてこう書いてあったのだ。

「あ・ぜん商品は私たちが”阿仙”という愛称で呼ぶ武富勝彦氏(2002年世界スローフード大賞受賞者)をはじめとする広大な自然・阿蘇山麓で農作に励む達人たちの作る農産物とその加工品です。」

江北町は阿蘇山麓じゃないよね。たしかにすべてが阿蘇山麓だとは書いてないけど。広大な佐賀平野って書いてもらったっていいよなあ。

これはいけないと思って、いそがしく店内を駆け回っている従業員の方に申し上げた。「私は武富勝彦さんの友人の者ですが、武富さんは佐賀県在住ですよ。そのことをきちんと書いていただけませんか。」

ヘンな客だと思ったのだろう。その中年の従業員の人は「はあ?」という感じで僕を見た。

「あんた、いったいなんなん?」と顔に書いてあった。

それじゃあ、言ってきかせやしょう、という気持ちで名刺を差し出した。そしてひとこと付け加えた。

「佐賀県在住って書いてあるとこちらとしてもお使い物にもできるじゃないですか。」

その方は、なあるほど、そういうことだったんですね、という感じでうなずきながらその方の名刺を私に差し出してくれた。

名刺には「おめん」の代表取締役社長 とあった。

わずかの時間だが話をした。佐賀県の農産物にとても期待していること、実は考えていることがあること、いつか佐賀県に行きたいこと、などなどだった。

もちろん喜んでお迎えしたいと思う。

話をしているうちに注文したものがきた。おめん(という名のうどん)と十八穀米のごはんのセットだ。見知らぬ品が一品ついている。社長さんからだった。出されたものはどれも一本筋が通っている感じがしておいしかった。

会話の余韻と料理を十分愉しんで店を後にした。この「おめん」という店はNYにも支店があるという。いつか行ってみたい。NYにあるこの店には松井選手が来ていて十八穀米を食べているらしいから。

ふるかわ 拝