2005年8月

平成17年8月30日(火)
第119号 「各党のマニフェストを読んで 」

先日、臨時の全国知事会議が開かれた。そこで、各党のマニフェストの検証がなされた。その同じ日に、21世紀臨調という経済界や自治体、学者の代表からなる団体が主催する、各界の代表者によるマニフェストの検証大会も開かれた。この模様はメディアでも取り上げられていたからご存じの方も多いだろう。

僕は、21世紀臨調主催の検証大会にも全国知事会議にも出席し、いろんな団体の各党マニフェストの検証についての意見を聞いた。昔であれば、ひょっとすれば、「公約について議論するなんて・・・」という風潮があったかもしれなかった。それがいまやマニフェスト=政権公約として公職選挙法にも認められ、それをめぐって熱い議論が戦わせられるようになった。しかも、それはそんな昔からのことではない。僕が選挙に当選したときには、国政のマニフェストは認められておらず、その後の公職選挙法の改正でできたものだ。つまり、ホントつい最近の出来事なのだ。


マニフェストは、健全な市民側の批評という存在があってはじめて完全なものとなるのだと思う。国政レベルでは方法論は別にしてすでにそういうことにチャレンジする団体が存在している。

そういう民間のシンクタンクやNPO、全国知事会などは各党のマニフェストに対し、ずいぶん内容にわたって批評を展開していた。一方、残念ながらその会議に出席した各党の政策責任者は相手党のマニフェストを批判することが多く、政策議論が深まった印象にはならなかった。市民のほうがマニフェストの評価についていえば進化している、そんな印象を受けた。

各党のマニフェストについて僕が言うとしたら二つ意見がある。

一つは、各党のマニフェストの中に、国民の負担に関するものが少なく、もっと書くべきではないかということだ。選挙だから、たしかに負担に関することはいいにくいだろう。しかし、負担なくしてサービスなし、というのが政治であり行政だ。
マニフェストにはかなり細かく政策が記されているが、その負担をどうするかは、「子育て支援の具体策」ほどには詳しく書いてない。
二つは、たとえば「警察官の定数を何人増やします」というようなものが典型なのだが、こういう政策は全額地方負担だ。こういうことを地方の了解なくマニフェストに書くということが許されるのかどうか、という点だ。そういう意味でいえば、あらゆる政策には関係者がいるわけだが、それにしても、マニフェストで大盤振る舞いをしたあげく、それが地方負担になり、税源移譲額に含まれるようなことになってはいけない。今回の知事会議では時間がなくてそこの議論ができなかった。

地方選挙レベルにおいてもこういう動きがどんどん広がってきている。九州のある県における市長選挙の際の新聞の見出しにあったように、これからの選挙は、「お願い」から「約束」へと変化していく必要があると僕は思う。

マニフェストの今後に大いに期待したい。

ふるかわ 拝

平成17年8月23日(火)
第118号 「海外こぼれ話 2 」

◆あてずっぽうが当たったこと

真夜中にNYを歩いた。タイムズスクウェアという日本でいえば東京・新宿を思わせるにぎやかな通りだったから大丈夫かと思って歩いた。目指すはジャズのライブハウスの老舗「バードランド」だ。その途中、いきなり暗闇に「SAGA」という看板の店を発見した。近づいたら寿司屋だった。中はカジュアル系のsushi屋っぽい。
SAGAが佐賀なのか嵯峨なのか、はたまたそれとは関係ないのか、ひとしきり盛り上がった。
数日後、ロスの佐賀県人会で、ある実業家に出会った。航空各社の機内食を作っているというその方のもうひとつのビジネスが寿司屋だった。あてずっぽうに、「そういえばSAGAって鮨屋がNYにあるんですよ。ご存じですか?」と聞いてみた。
「知ってるというかなんというか、あの「SAGA」は私の店です。」というのが答えだった。

「SAGA」は「佐賀」だったのだ。NYで偶然見つけた寿司屋を経営している人にロスで会う。世間って広いんだかなんだか。

◆あてずっぽうで困ったこと 

ジャズのライブハウス「バードランド」に着いて演奏を聴いた。演奏が終わった後、隣に座っていた男性が話しかけてきた。
男:今日の演奏どうだったと思う?
僕:素晴らしかったと思うよ。特にベースが好きだったな、この店ははじめてだけど、来ることができてよかった。
男:街の外から来たの?
僕:街の外からで、国の外からだ。
男:へえ、どこから?
僕:日本だ。
男:日本!日本はジャズのレベルが高いよなあ、たくさんの人がジャズを愉しんでる。俺はペンシルバニアからなんだ。息子がドラムを叩いていて、彼と一緒に来た。彼もジャズが好きでね。
僕:へえ、うれしいことじゃない。
男:でもホントはジミ・ヘンドリクスの方が好きだというのさ。君はどんなジャズが、どんなプレイヤーが好きなの?
正直、困った。特定のプレイヤーが好きということがあまりなかったからだ。あてずっぽうにこう言ってみた。
僕:コルトレーンかなあ。
男:コルトレーン?コルトレーンが好きって言った?ああなんてすばらしいんだ、コルトレーン。彼は本当にイケてると思うよ。

とその男はなんだか恍惚の表情だ。

僕:・・・

なんと返事のしようもなく、ただただ、その男の勢いに押されていたら、その息子(推定年齢17歳)が席に戻ってきた。ほっとした。

生半可に返事してはいけないな。事実を伝えないと。

ココロから思った。

◆事実を伝えたこと

フェルメールの絵を観るために、フリックコレクションという美術館に行ったとき、ミュージアムショップで絵ハガキを買った。正直、ここの絵ハガキの水準は低かったが、それを記念して買っておこうかという程度だった。値段も安く、だから、端数に小銭があった。外国のコインというのは、どれだけ価値があるのかわからない。適当に何枚かつかんで「これで足りる?」と出してみた。会計の女性が確かめながら、「あら、これはこの国のではないわ」と一枚のコインを返した。みたらブラジルのコインだった。
「ああ、そうか。ブラジルから来たもんでね。」と答えたが、ブラジルから来た、というのを「 I came from Brazil.」と表現したとき、「ちょっと違うかもな。」という思いが頭をよぎった。
「come from ○○」という表現は、「○○出身だ」という意味だと習っていたから。

返ってきたレスは案の定だった。その女性がブラジルと聞いて、反応した。
女性:えっ ブラジル?実は、ブラジルで進められようとしているアマゾンの熱帯雨林の伐採に私たちは反対していて、ブラジルの大統領に反対する手紙を書いたところなの。経済のためには伐採が必要というのはわかるけど、それよりももっと大切なことに気づいてほしいって書いたのよ。あなたはどう思う?

顔つきだけで人を判断できないのがあの世界の常識なのだろう。アジア系ブラジル人というのは日系人をはじめたくさんいるのだからブラジルの人間といってもおかしくなかったのかもしれない。しかし、いけないいけない、生半可はいけない、ウソはもっといけない。話の腰を折ることになるかもしれないが事実を伝えた。

僕:実は僕はブラジル出身じゃなくて日本人だ。先日まで出張でブラジルに行っていて、それからNYに来たというわけだ。僕は日本で行政の責任者をやっているけど、日本では地球温暖化や環境の問題は大きな問題となっていて、とくに日本は京都議定書を実現することにも責任を持っているから、真剣に取り組んでいる。京都の前にはたしかブラジルのリオで議定書が結ばれたんじゃなかったっけ。だから、その意味においてもブラジルでこういう問題に前向きに取り組んでもらうことが必要だと思うよ。

その答えに満足したらしく、しばし、環境や温暖化問題で話が弾んだ。僕はNYももっと車の数を減らすことに取り組むべきだと言い、彼女は、それだけでなく飼う牛の数も減らしていかないと温室効果ガスは減らないと述べた。話は盛り上がった。

次の客が来た。彼女も仕事に戻らなければならないようだ。

女性:ありがとう。お目にかかれてよかったわ。

僕 :こちらこそ。ところで、ブラジルの大統領に手紙を書く前に、アメリカ合衆国の大統領には手紙を書いたかい?どうもアメリカ自身がこうした問題には熱心に取り組んでいるようには見えないのだけど。

という僕の言葉に彼女はおどけてみせながら次のお客さんの品物をとってレジを打ち始めた。

ふるかわ 拝

平成17年8月16日(火)
第117号 「海外こぼれ話 1 」

◆ブラジルにおける脱・石油と脱・アルコール

ブラジルは産油国だ。ただ、石油を使うほうも多いため、これまで石油を輸入していたのだが、脱石油でとくにブラジルでは石油を使わないアルコールエンジンの車がけっこう増えて、今年から、ついに石油は輸出国になる。輸出先は中国だ。
ところでブラジルで食事するときの飲み物は、アルコールならビールか※カイピリーニャというカクテル、ノンアルコールではガラナ(ブラジル風に発音するとグアラナ)という甘い炭酸系の飲み物か水(ガス入り、ガスなし)のどれかだった。
ただアルコールをのめのめという感じて勧められることはなく、お好きなものをどうぞ、という雰囲気。ブラジルは車は脱・石油でけっこうアルコールエンジンの車が走っているが、飲み物は脱・アルコールが進んでいるようだった。

◆シャーフェー

飲み物といえば、食後はコーヒーかお茶ということになり、コーヒーは「カフェー」お茶は「シャー」と発音するが圧倒的にコーヒーを飲む人が多い。
ブラジルのコーヒーは甘い、そして濃い。佐賀弁的には「こゆい」。砂糖を入れるか入れないか一応聞いてはくれるものの、入れないというとけげんな顔をされたりする。ヴァリグ航空に乗っていたときもキャビンアテンダントから砂糖を入れるかと聞かれ、入れないと答えたら最初首を傾げられ、その後、オッケー、オッケー何もいうな、わかっているから、みたいな顔をされ、数分後戻ってきた彼女の手には山ほど人工甘味料(※スウィートン・ロウのたぐい)が・・・。あんたカロリーを気にしているわけよね、だからこれでしょ?みたいな感じでとても断りきれなかった。
ブラジルのコーヒーになれていると、日本のコーヒーは薄いらしく、日本への渡航経験をもつ人の間では日本のコーヒーはコーヒーじゃない、お茶みたいだというのでお茶みたいなコーヒーという意味で「シャーフェー」というらしい。


ふるかわ 拝

※カイピリーニャ
サトウキビの蒸留酒ピンガと、砂糖とレモンを混ぜて作ったカクテルで、ブラジルの国民的飲料といっていいくらい愛されているお酒。

※Sweet'N Low
【商標】スウィートン・ロウ (米国製のダイエット甘味料)

平成17年8月9日(火)
第116号 「総選挙に向けて」

サンパウロ、NYそしてLAと旅を続けているうちに、ディスカバリーは帰還し、佐賀商は甲子園で負け、そして衆議院は解散した。

これまで僕たちがとりくんできた地方分権改革をさらに実のあるものとして前進させていかなければならないという観点からは、次の政治的な構図いかんにかかわらず、この総選挙とその後の政治プロセスの中で地方分権を内政上の大きな課題として捉えていただくことが必要になる。

小泉内閣というのはあらっぽくいえば、根底にあるものとしての効率重視、外交でいえば米国重視、内政的には都市重視、という政策をとってきたといえると思う。

しかし、小泉内閣を作ったのは誰かといえば、実は地方にいる党員だった。
総裁選びの場面では、地方における投票で相当小泉総裁候補は票を獲得した。しかしながら、総裁=総理 になってからの小泉内閣の姿勢は決して地方に優しいものではなかった。そういう中で、唯一、地方にとってのプラスの面をもった政策が三位一体改革と呼ばれるものであったのだ(三位一体という言葉では内容がわからないのでいまは地方分権改革と呼ぶようになっている)。
地方に財源と権限を渡すことによって地域のことは地域で決める、そのことによってムダをなくす、というこの改革のめざすところについては、僕たちも大いに賛同した。それによって住民の満足度を高めることが可能になると考えたからだ。

この地方分権改革はこれまでのところ、大きな成果に結びついてはいないものの、三兆円規模の税源移譲をするなんていうことはいままでかつてなかったことであるのは事実で、なんとかその仕上げをしないといけないしさらには僕らが要求している第二期の地方分権改革もこれから進めていかないといけない。

その勝負がこの秋だった。

それだけにこの政治的な空白期間というのは重いものがあるが、この際、あらゆる政治勢力に対して、地方分権推進をマニフェスト(政権公約)の中に入れてもらい、次の内閣における政治課題として取り組んでいただくように仕掛けていかなければならない。

国政に空白があっても県政の停滞は許されない。ホテル8泊プラス機中3泊で戻ってきて、あと数時間後、県庁での執務が12日ぶりにスタートする。

ふるかわ 拝

平成17年8月2日(火)
第115号 「蒼茫たる大地に思う」

蒼氓という石川達三の芥川賞受賞作がある。テーマはブラジルへの移民だ。

昭和10年に発表され、その年の第一回の芥川賞に太宰治や高見順らを押さえて選ばれたこの作品は、昭和の初期といえば、すべての言論が封殺されていたかのような印象を持っていた僕から見ると意外なほど率直に移民の問題点や政府の施策についての批判が語られている。

明治から昭和の初期にかけて、人口増加圧力に耐えかねて国外への移民政策をとっていたわが国が平和的に送り出そうとした先のひとつがブラジルで、当時、コーヒー園でかつてのように奴隷による労働ができなくなったこともあって、労働力が足りないからということでブラジルと日本との間の利害が一致し、いわば国策として移住を推進してきた、その時代の作品だ。

今回、ブラジルに行くに当たって、この作品を読み、当時の移民というのが田畑などめぼしい資産を売り払いもはや帰るところがないように退路を断ち切った形で神戸からの移民船に乗ったことを知った。この作品には当時の航路の様子が出てくる。神戸を出た後、香港、シンガポール、そして南アフリカのダーバンを経由してブラジルへ45日渡っていく航海のことを僕は成田からロス経由でサンパウロに向かう飛行機の中で読んだ。サンパウロまで20時間以上かかるということはたしかに長いが、45日間に比べれば苦労といえるほどのことはないと思った。

佐賀県からのブラジル移民の嚆矢は明治43(1910)年。第二回の移民船旅順丸での渡航である。当時は、農園での作業が移住目的だったのだが、経営者の奴隷感覚がぬけきれなかったことや、たとえば労働内容によってきちんと賃金や待遇が決められていたのもかかわらずその労働条件が守られなかったことなどで相当の移民が農場を去り、ほかの仕事に就くことになったと記録にある。

今日に至るまでの歴史について今回直接一世の方からお話をうかがい、認識を新たにした。
実際に船で移民したという方のお話は「蒼氓」に出てくる話をほぼ同じだった。

ブラジルが伝染病をおそれていて当時はトラホームにかかっているかどうかが大問題だったこと・船の中では地域社会のようなものが再現され、とくに運動会が愉しみだったこと・赤道を通過するとき赤道祭が行われみんなで騒いだこと・ブラジルに着いて最初に出された食事がフェイジョアーダという豚の油を使って作った臓物と豆の煮込みでとてもまずくおなかがすいているのに食べられず涙がでたことこういう苦労に始まり、努力を重ねて今日まで地位を築いてこられた先輩方はまさに蒼茫たる大地に開いた華だと思う。
いまや二世、三世の時代になり、日本語を話す人も減っていくなかでも、逆に日系の人のブラジル社会における重要性はましてきている。
そういう中で、自分たちのルーツを心に留めて、日本や佐賀県とブラジルとの間の架け橋たらんとする若い人たちが今もなお県費研修生という形で佐賀県に来てもらっているということがいかに大切か、つくづくと感じた。

わが国から移民してブラジルで亡くなられた方たちの慰霊碑がサンパウロのイビラプエラ公園にある。この公園を歩いていると、白人系とおぼしき男性が上半身裸でジョギングしているかと思えば、この地域に有史以来住み着いていると思われる民族の血を感じさせる風貌と衣装の女性が子供と散歩しているし、アフリカからやってきた人々の子孫ももちろんいる。そしてわが日本人たちが長袖スーツに身を包んで歩いている。ブラジルがまさに民族融合の国だということを感じる。

前にブラジルから来た研修生と話をしたことがある。

日本に来ておどろいたことは何?

彼女の答えはこうだった。

「日本人ばかりだということですね」。

ブラジルはいまわが国と国連常任理事国入りをめざして運動中だ。

ふるかわ 拝