2005年9月

平成17年9月27日(火)
第123号 「益子直子さんを悼んで」

FBS(福岡放送)の益子直子アナウンサーが亡くなられた(正確には益子さんはフリー。FBSのめんたいワイドをはじめ、さまざまな場面で活躍されていた)。
がんだった。
ご本人の強い希望で近親者だけでの野辺送りが行われた。
アナウンサーらしく、というべきか、自分ががんであることを公表され、戦っておられたらしい。
僕は知らなかった。

僕が東京にいるころ、益子さんにお目にかかったことがあって、選挙のときも、あくまでもプライベートで、ある市での僕の個人演説会の司会をボランティアでしていただいた。
もっとも厳しい戦況の街でのことだっただけにとても嬉しかった。テレビ番組に出ている方だったのでこういうことをしても大丈夫なのだろうか、と思ったが、「そういう心配しないでがんばって」と言っていただいた。
そして、どんなに仕事が続いてもこれさえ飲めば大丈夫、アナウンサー秘伝という薬を教えてもらった。もちろん怪しいものではなく、薬局で買えるものだったが、僕は毎日それを飲み、最後まで戦った。

益子さんからは選挙戦最後のぎりぎりのところになっても応援メールが届けられ、知事になってからもときどき携帯にメールをいただいていた。感想やサジェスチョン、話し方についてのアドバイスなどいろいろあって、とても勇気づけられていた。お礼代わりにいかしゅうまいを送ったことがあった。それが最後の連絡となった。
その後、益子さんにしばらくお目にかかってないな、と思っていたら、次の報せが訃報だったのだ。

いただいたメールを読み直そうと、以前の携帯を取り出してみた。
メールそのものは残っていなかったが、アドレスが見つかった。とてもとても長いアドレスだった。「なぜ、アドレスがこんなに長いのですか」と訊ねたことがあったことを思い出した。「こういう仕事をしていると、いろいろあってね」とさらりと答えられていた益子さんの笑顔を思い出し、胸が詰まった。

ふるかわ 拝

平成17年9月20日(火)
第122号 「地方は『ファスト風土』化していないか」

知人から勧められて「ファスト風土化する日本」(洋泉社の新書)を読んだ。
刺激的だった。
特に、地方における郊外型の店の増加で、地方の風景が均質化して、それが結果として、犯罪増加や「風土の記憶喪失」を生んでいる、という指摘があり、まさしく、との感を持った。

僕が漠然と思ってきたことを著者の三浦展氏はデータとフィールドワークを基に実証している。「犯罪あるところにジャスコあり」というのはいささか牽強付会だったかもしれないにせよ、郊外の風景が驚くまでに全国同じで、地元資本による個性あるお店や地域文化が見事なまでに破壊されている、という主張には、全国各地の都市への転勤を繰り返していた者として強烈に同感した。

地方都市に住んでいて感じるのは「必要なものはある。ただ、欲しくなるようなものがない」、ということだ。買い物の楽しさやまちの躍動感が佐賀市だけでなく、多くの地方都市で失われている。

郊外型の店が増えた理由はいくつもある。アメリカの圧力で大店法が廃止され、大型店の出店が自由になったし、農業が停滞して、農地として使うよりは、お店として貸したり、売ってしまうほうが農地の所有者にとって有利な資産運用となってしまった。そして、行政も、公共施設を郊外に移転するというやり方でこれに拍車をかけてきた。

こういうやり方を続けていって本当にいいのだろうか。僕が前から問題視し、選挙の時以来ずっと訴えてきているのがこのことだった。

用地買収が楽で、しかも安い。たしかに、それは魅力だろう。しかし、それと引き換えにまちのたたずまいや賑わいを犠牲にして郊外への移転が続いているということを行政機関はもちろんのこと多くの方にあらためて考えていただきたいと思う。

郊外に店や公共施設がかんたんに、できてしまう、行ってしまうことについて、いったん立ち止まって考える必要があるのでないか。そういう考えから、僕は、たとえば、市街地にある唐津東高校の郊外への移転について再考を求め、今回、佐賀県立病院の移転先についても、できれば市街地が望ましい、と判断して、市街地を提案した。
残念なことに、唐津東高校は中学校を併設するには面積が狭すぎ、どうしても現地での建て替えが難しいということで郊外への移転となった。佐賀県立病院についても、移転先として検討してきた場所について、移転先の地権者である佐賀市から、ノーと突きつけられている厳しい状況だ。

もちろん、市街地は大きなまとまった場所を確保するのが難しいから、いつでもなんでも公共施設を市街地に位置させることはできないかもしれない。市街地に適地がないから、やむを得ず郊外へ、というのは最後の判断としてはありうるだろう。

ただ、僕が訴えたいのは、公共施設も、大型店も、立地を考えるときには、まず、まちづくりの視点が常に必要なのではないか、ということだ。
そうでないと、まちが壊れていってしまうのではないか。まちが壊れるということはまちの誇りやアイデンティティやコミュニティがなくなってしまうということではないのか。
「自分がどこに住んでいるのか」「自分は何なのか」。そういう問いに答えられなくなるのではないか。

国土交通省でもこうした問題に取り組むようになったようだ。大型店や病院の郊外への立地を規制するために、国土交通省では、まちづくり三法の抜本的な見直しの検討に入ったという記事が最近の新聞に載っている。

もちろん国まかせでよかろうはずがない。僕ら自身が、自分たちの地域を、まちを、どうしたいのか、まず、そこを考えることが求められている。

ふるかわ 拝

平成17年9月13日(火)
第121号 「それがあるから佐賀に住む」

先週末、日本列島が選挙の熱にうなされているころ、佐賀県では「チャレンジドフォーラム in SAGA」という障碍福祉〜地域で暮らす〜をテーマにしたシンポジウムが開かれていた。

滋賀県の大津市で開かれているアメニティフォーラムに刺激を受けて、「佐賀でもやってみよう」ということで、始まったこのフォーラム。今年が二回目になる。県庁主催ではなく、佐賀県内で障碍を持つ親の会のメンバーたちが汗だくになってやっている。僕は一日目(土曜日)の交流会と二日目(日曜日)の知事セッションが出番だ。まず、土曜日の夜の交流会に参加した。全国から本当にたくさんの人に来てもらっていてうれしい。

その中で、ある人に会った。その人は全国を転勤して回る勤め人なのだが、今年希望して佐賀県内の事業所勤務にしてもらったという。
理由はお子さんの自閉症だった。自閉症にきちんと対応できる地域は全国でも少ない。でも、佐賀県には「それいゆ」というNPOがあって、そこが中心になって自閉症の早期発見、早期教育から就労支援まで行政とタイアップしてやっている。
今年、佐賀県では早期発見・早期療育の事業を充実させたが、その中で自閉症の子を持つ親のカウンセリングも事業内容に加えた。我が子が自閉症だということを認めたがらない親がいるのは事実だから、だ。「それいゆ」からこうしたきめ細かなアドバイスをいただきながら、佐賀県では事業を組み立てて実施している。
「だから佐賀県に転勤希望を出したんです」とその人は言った。

ぐさりと来た。これから、こういう人が増えるかもしれない。

翌日、日曜日は知事セッション。厚生労働省の幹部の方や難病の当事者、全国地域生活支援ネットワークの方からそれぞれ地域で暮らすことは可能か、そのために何が必要か、ということを議論した。

選挙は与党の圧勝に終った。21日にも特別国会が召集されるということらしい。特別国会では、首班指名のあと、郵政法案が審議されるだろう。それはいい。ただ、突然の解散のために、郵政法案以外に通っていない重要なものがあることも忘れないでほしい。

障害者自立支援法案だ。身体・知的・精神障害を通じての福祉サービスの一元化を主な内容とする画期的な法案で、サービスに対して一部負担をお願いすることになっているのでさまざまな議論があり、しかもなお修正の余地も残ってはいるものの、あまねく福祉サービスが提供されるようになるためには必要な法案だと思う。これが通らないと自治体の現場では国による予算措置がされずに困ってしまうし。

特別国会でこの法案が通るかどうか。ぜひとも皆さんには関心を持ってみていてほしい。

ふるかわ 拝

平成17年9月6日(火)
第120号 「壱岐にて」

いまから10年くらい前のことだが、僕がまだ東京にいたころ、たまたま唐津に帰省することがあった。そのころ、僕のいとこが長崎大学にいて、彼も唐津に帰省することになった。「どうやって帰るの?」と聞いたら、「バスです」という答えが返ってきた。
長崎から唐津にバスが出てるというのは正直、意外だった。しかも一日3便あるという。唐津は人口8万人くらい(当時)だった。長崎との間にそれだけの需要があるとは思えない。

時刻表を見てそのなぞが解けた。長崎発唐津行きのバスは唐津が終点ではなかった。唐津を通って唐津の隣り町の呼子というところが最終目的地だった。その呼子から壱岐に向けてフェリーの便がある。壱岐は長崎県なのでどうしても長崎からのアクセスが必要なのだった。バスの名前は「レインボー壱岐号」、運行主体は長崎県営バスだった。

その壱岐で先日、福岡・佐賀・長崎の3県知事会議が行われた。
実は、壱岐にはどの県からもダイレクトアクセスができる。
長崎県からは、長崎空港から飛行機が出ている。所要時間25分。
佐賀県からは、唐津市呼子町からフェリーが出ている。所要時間70分。
福岡県からは、博多港からジェットフォイルやフェリーが出ている。所要時間70分〜140分。

というおもしろい地域なのだった。

僕にとって壱岐は数年ぶりだった。会いたい人たちがいた。
まずは芦辺町の「かねや別館」の女将だった。数年前、僕が長崎県総務部長だったとき、出初式に出るために壱岐に来た。そして夜、地域の人たちと酒を酌み交わした。そのとき、女将がこういうことを言った。「うちの消防は、少し前、全国大会に出たことがあるんです。県大会で優勝した後、秋の全国大会でおかしな成績を残すわけにいかない、ということでみんな必死に訓練していました。夏だから暑いんですが、みんなホント一生懸命でした。しかも、その訓練の指導をしにわざわざ県職員が自費で何度も壱岐に来てくれていたんです。なんか、街中が消防の色に染まっていた、消防の夏っていう感じでした。」
とてもうれしかった。地域の方々にそういう記憶をもって語っていただけるとは。県職員としてこれだけの誇りはない。酒がまことに旨かった。そのお礼がいいたかった。
もう一人は、勝本の「平山旅館」で呼んでもらったマッサージ師だった。出初式とは別に壱岐に来たとき、マッサージに来てもらった、視覚障害者のマッサージ師だ。そのとき、お話を聞いていて、世の中のことにとても詳しいのでおどろいた。どうやってそういう情報を仕入れるのですか?と訊ねたらインターネットですよ、という答えが返ってきた。「いまはいいソフトがありますから、目がよく見えなくても情報はきちんと入るんです」。「ITが発達したおかげでいろんなことが便利になりました。情報へのアクセスもずいぶんよくなりました。コンピュータが使えるか、使えないかで、生活がまるっきり違います。こういうことをひとりでも多くの人が知ってほしい」。熱っぽく彼は語った。
ITというと当時の僕はNYのビジネスマンのツールのような使い方がメインのイメージだった。でも、お話を聞いていて考えが変わった。いわゆる社会的な弱者もこのツールを使いこなすことができればそもそも生活の質が変わってくる。そういうことがなんとかできないか。マッサージもとても上手なその彼のおかげで、その夜の出会いがITとチャレンジドの関係をいろいろ考えるきっかけとなった。その後の進展を聞きたかった。

かねや旅館の女将にも、マッサージ師の方にも無事お目にかかることができた。
かねや旅館の女将には、その、消防に熱心だった職員は、いまもその気持ちを仕事で発揮できる環境におられるようだということを報告した。
また、マッサージ師の方には、あのときの出会いがいま佐賀県では「チャレンジドだれでもパソコン10ヵ年戦略」となって、障碍をお持ちの方がだれでもITを使えるようにして、生活の質を向上させること、できればそういう技術を使って仕事ができるようにしていきたいという構想が進められていることを報告した。

9月になっても壱岐の長い夏は続いていた。

ふるかわ 拝