2006年2月

平成18年2月28日(火)
第144号「県庁の星になる」

先週の金曜日、「自治体職員有志の会」という全国の志のある地方公務員の会のオフ会が佐賀市で行われた。現状に満足せず、ネットワークを広げ、フットワーク軽く飛び回っている全国の自治体職員の集まりだ。僕が30分話し、その後の90分座談会という構成になっていた。

もともと僕は、とくに長野県にいるときは、県内各地の市町村の職員や地域づくりの仲間の人たちとセミナーやワークショップを開くことが多かった。だから、当時から、こういうものの進め方について人から教わることも多かった。そういう中、ある方の指摘の中でとても印象的なことがあった。
それは「セミナーに参加した人の満足感は、講師の話の内容によりは、自分がどれだけ参加できたか、という充足感によるところのほうが大きい。」というものだった。
それ以来、僕はとりわけ自分で語るべきものを持っている人たちの集まりのときには、できるだけそのセミナーの時間中に発言した人の数を一人でも多く増やすことに力を注ぐことにしている。
ということで今回もそれを採用した。つまり47人の参加者を6人から7人のグループに分けて、その後にテーマに沿って議論していただき、発表する、というやりかたにしたのだ。

これはうまく行くな、と思ったのは最初のグループ分けのときからだった。
「ではグループ分けをお願いします。」と僕が言ったとたん、みんなが机をグループ討議用に向きを変え始め、与えられた要件に合うパートナーを探し始めた。これはなかなか簡単にできることではない。多くの場合、「誰かが音頭をとってくれるのを待つ」集団ができて、お互いが牽制してしまって、ビミョーな空気が流れてしまうのだ。そしてコーディネータがもういちどルールの説明をしてようやく動き出す、というバターンが多いのだが、今回は違った。「おお、やるじゃん。」というのがファーストインプレッションだった。

課題図書は「県庁の星」。ある県庁の職員がスーパーに研修に出される。自分がエリートだと思っていたその職員はそのことが不満でしかたない。新しく暮らすことになったアパートの前には、近くのラーメン屋の行列が延びていて、部屋に帰るときでさえ、人を掻き分けなければならないが、そういうことも含めてすべてが気に入らない。ところが、その彼に、転機が訪れる。それまでとは考え方や行動が変わってくるのだ。それが僕の分析だとP188。188ページより前の彼とそのページより後の彼との間には相当変化が出てくる。本を読みたい人もいるだろうし、先週末から映画も公開されているので(主演は織田裕二と柴咲コウ)これから先は詳しくは書かないけど、要するにその変化がおもしろいのだ。横道にそれるが映画そのものもたぶんおもしろく仕上がっているんじゃないかなと思う。映画のオフィシャルサイトには県庁に対する不満なんかをうけつけるコーナーがあって、質問には「県庁の野村さん」が答えてくれる、と書いてある。いままでのところどうも回答はないみたいだがちょっと気になるところ。

話を戻そう。
この本をテーマにして、「あなたのスモールサクセス」や「あなたにとってのP188は?」「こういう仲間を増やしていくには」の三つの質問をひとりひとりがグループ内で発言して、報告する、というやり方で進めていった。自分の身近な成功事例、工夫を述べる「スモールサクセス」については、「楽しみながらやっている」、「愉しい」という言葉がキーワードとして飛び出してきた。思いもよらなかったことで、こういうのがこういうセッションの醍醐味だといえるだろう。

フツーにしていても何のおとがめもうけない公務員社会にあってこうしてわざわざ自費で出かけてくる、という行動をするようになったきっかけは何ですか?ということを訊ねた「あなたにとってのP188は?」という質問に対する答えは、ほとんど「出会い」だった。上司との出会い、仲間との出会い、そのほかさまざまなきっかけで出会ったことを自分の財産にしようと思い立って動き始めたという人がほとんどだった。

最近「下流社会」という本がブームだ。僕も読んだ。「下流」という言葉の定義は別として、その中で著者が述べていたことで僕にとってびっくりだったのは、「上流」と「下流」を隔てている大きな要素が「コミュニケーション能力」だということだった。もちろん、これはあくまでも著者の三浦展氏の分析だし、一般化するつもりは僕もない。ただ、たしかに、人と接する、人と交わる、ということができるか、できないか、というのが、ICT社会であればこそ、ますます重要になってくるのではないかと感じた。

コミュニケーション能力にきわめて長けた47人の集団は、その後も河岸を変えて夜更けまで交流が続いた。

ふるかわ 拝

平成18年2月21日(火)
第143号「アメ二ティフォーラム」

今年もこの時期、滋賀県大津市で「アメニティフォーラム in しが」が開かれた。佐賀県からも福祉関係者や県関係者などたくさんの方々に参加いただいたが、パネリストとしても深夜1時30分までのセッションに佐賀1区選出の福岡たかまろ衆議院議員が、そして、首長セッションに僕が、と2人が参加した。
恒例の首長セッション。宮城県知事の仕事を終え、いまは宮城県社会福祉協議会の会長である浅野史郎さんが今年もコーディネータ。ちょっと風邪気味のようだったが、ますますの切れ味で会場を沸かせてくれる。そのセッションで、今回は佐賀県がちょっとの間、主役になった。
「地域で暮らす」 〜佐賀 がんばらんば! 宣言〜 を 佐賀県からの参加者とステージで発表したのだ。
この日まで、関係者の間でかなりの労力を費やしての議論とネゴシエーションが行われた。この宣言文の後ろにクレジットされている各種の団体の方々が佐賀県当局との間で問題点の認識や今後の方向性について確認をしていきながら、一方で県側も、これから「こうしていかなければ」という思いを深くして、この日の宣言にこぎつけた。この宣言は、これからの佐賀県の障碍福祉施策を進めていくうえでのランドマークになる。ここに少しでも近づいていくようにみんなが努力していくことになる。

気持ちとしては「みんなでがんばろう!」、だが、行政が努力する必要がある、という意味をこめて、「がんばらんば!」宣言 となった。

これを佐賀県からの参加者7名で発表したのだった。最後に壇上の7人みんなで「がんばらんば!」をこぶしを振りあげた。事前の打ち合わせがなかったのにみんながそうした。その瞬間の気持ちはひとつだったと思う。2月19日付け毎日新聞滋賀版にそれはそれはとてもいい写真と記事が載せられている。2月19日付け毎日新聞滋賀版を見ることができる方はぜひ見てみてほしい。

ふるかわ 拝

MSNニュース毎日新聞より
アメニティーフォーラム:障害者との共生社会へ 5県の知事が意見交換/滋賀
                                
「地域でくらす」 〜佐賀 がんばらんば! 宣言〜

日本の知的障害者の父と呼ばれている佐賀県出身の石井亮一は、知的障害者の人権も認められていなかった時代に暖かい眼差しを向け、我が国最初の知的障害者福祉施設滝乃川学園を創設しました。   
そして現在、障害者の地域生活推進のため全国をリードする人材の中にもまた、佐賀県出身の方々をみかけるにつけ、時代の要請を敏感にとらえ歴史に名を残す活躍をみせる諸先輩の功績を誇らしく感じています。

時代は今まさに大きな転換期を迎え、さまざまな課題を残しながらも、障害者自立支援法が成立しました。 
いよいよ物心ともにバリアのない自立と共生の社会、障害がある人もない人もともに地域で支え合いながら生活し、働ける社会を目指すときがやってきました。障害者が地域における存在感をアピールする時代がやってきました。  

だから私たちは全ての障害者が個人として尊重され、できるだけ住み慣れた地域で自立した生活を送るとともに、それぞれのライフステージにおいて必要な応援を効果的に受けられる社会の実現を目指します。
その実現のために次のとおり宣言します。


1 佐賀県は三障害を一元化した市町村主体の中立的で親身な相談窓口が県内全圏域に設置できるように応援していきます
障害者施策の第一線で、住民に最も身近な市町村が、障害の種別や程度に関わりなく相談できる、そして本当に本人の身になって考えてもらえる、中立的で親身な相談窓口を県内全圏域に設置できるよう応援していきます。

2 佐賀県は障害者の「働きたい」を応援します
「どんなに重い障害があっても働きたい。」を応援することが、障害者自立支援法の極めて重要な使命となっています。私たちも強くそのことを感じ、県庁においても障害者など社会的弱者に対するCSR(企業の社会的責任)活動に熱心な企業への優先発注などにより障害者の雇用を拡大し、障害者の「働きたい」の気持ちに応える取り組みを強力に進めます。

3 佐賀県は精神疾患に対する誤解と偏見を解消します
精神障害者の地域生活への移行を妨げている最大の要因は、精神疾患に対する誤解と偏見です。私たちは、精神障害者が働いているNPOや小規模作業所などの活動を応援し、精神疾患に対する誤解と偏見を解消します。
障害者が地域でくらす。
一見当たりまえにみえてもそれは簡単なことではありません。
そのことをぜひとも実現しなければという重さとそのことを実現するための道のりの遥けさを感じています。
だからこそ、私たちは今ここに宣言します。



平成18年2月18日

佐賀県身体障害者団体連合会会長 松尾 栄
佐賀県手をつなぐ育成会会長 石丸 博
佐賀県精神障害者家族連合会会長 池田 實
佐賀県肢体不自由児者父母の会連合会会長 山田 隆司
日本自閉症協会佐賀県支部支部長 古賀 利治
佐賀の福祉をすすめるネットワーク代表 藤木 卓一郎
佐賀県地域生活支援ネットワーク代表 木原 昭裕
佐賀県難病支援ネットワーク理事長 三原 睦子
佐賀県市長会会長 横尾 俊彦
佐賀県町村会会長 松本 和夫

佐賀県知事

古川 康

平成18年2月14日(火)
第142号「アラーキーさんのお話」

荒木経惟(あらきのぶよし)さんと会った。通称アラーキー。いわずとしれたわが国を代表する写真家だ。土門拳のようなオーソドックスな写真ではなく、アバンギャルドな作品、とくに女性、というか女体を撮り続けていたので、一時期まではそういう方面の作風ばかりが強調されていたが、すばらしい写真が多くて僕は前から大好きだった。とくに、奥様である陽子さんがエッセイを書き、アラーキーが写真を撮った「東京日和」という本には涙した。荒木経惟という写真家を誤解しているか、まだ出会ってない人は、ぜひ一度この本を手にしてほしい。その後、竹中直人が主演・監督し、中山美穂が共演した映画「東京日和」の原作になる(たしかあの映画では佐賀県にある厳木(きゅうらぎ)駅がロケで使われたことがあったように思う)。
また、彼は東京人としての側面がある。いやみのない東京人だ。その東京人である彼が、東京人である小林信彦さんとともに東京の風景を撮り、また、文章にした「私説東京繁昌記」(筑摩書房)も、東京の案内本として傑作だと思う。明治維新のときよりも関東大震災で東京は大きく変わったと小林信彦氏は説くが、それに加えて東京大空襲とバブル景気で東京は江戸の香りがとても微かなものになってしまっている。でも、そこに息づく市井の人々の暮らしを、この二人の東京人は見事に切り取っているのだ。

失礼、アラーキーのことだった。

このアラーキーさん、僕のところに来られた目的は、「日本人ノ顔」プロジェクトへの協力依頼だった。アラーキーさんは、47都道府県でそれぞれの県民の顔を500づつ撮るというプロジェクトを進めておられるらしい。現在「青森ノ顔」が進行中で、応募の締め切りが今年の2月28日。これで5県目になるようだ。これを佐賀県でもやりませんか、というものだった。

「このプロジェクトをやっていて、何か印象深いことがありましたか?」アラーキーさんにたずねてみた。

「こないだ、ある農家のご夫婦が撮影に来られました。まったく普通の農家の方です。せっかくなので、腕を組んで撮りましょうと言ったら、なかなか組んでくれないんです。もう、何十年も腕なんて組んでない。ひょっとしたら腕組んで歩いたことがなかったのかもしれない。でも、無理して組んでもらいました。それがまたぎこちないんです。でも、腕を組んでもらった瞬間の、そのぎこちなさも含めて、オーラが出るんですよ。やった、と思いました。普通の人たちが持っている力がそういうことを通して顕在化するっていうか、前に出てくるんですね。そういうオーラを撮りたいっていうかね。そのご夫婦、撮影が終わって、とても感謝されました。戦後、ばたばたの結婚だったので、結婚写真がなかったらしいんです。いい記念になりました、と言って帰っていかれました」。

こういう話がたくさんあるに違いないと思う。

佐賀県では、これから毎年コンテンポラリーなアートを何かやっていこうとしていて、平成18年予算案にもひとつ盛り込むことにしている。だから、この「佐賀ノ顔」プロジェクトはその次ということになるが、とてもおもしろいプロジェクトではないだろうか。佐賀県在住であれば誰でも被写体になれる可能性がある。自分の写真をアラーキさんが撮ってくれるなんてそうそうあるもんじゃない。あなたも参加してみたいと思いませんか?

ふるかわ 拝

平成18年2月7日(火)
第141号「全日空若狭元会長のお別れ会に出席して」

去年の12月27日に亡くなられた全日空の若狭元会長のお別れ会に顔を出した。場所は東京全日空ホテル。シティホテルで法事がときどきあるとは聞いていたが、亡くなられてすぐの方のお別れの会がこういうところで開かれるのかとちょっと意外に思った。 そういう僕の思いを見て取ったか案内していただいた全日空の方が「若狭のときに当社のホテルとしてはじめてつくったのがこのホテルでしてこの会もここにさせていただきました」と聞くともなく話をしてくれた。会場には大きな若狭さんのお写真。そして参加者はひとりひとりが一本づつ菊の花をその写真の前にささげて冥福を祈ることになっている。直接若狭さんにお目にかかったことはなかったが、全日空発展の基礎を築かれたわが国航空界の大先輩に僕も献花した。

若狭さんについて、今回の東京滞在の間、何人かの全日空の社員の方にお話を伺った。「さあ、私は・・・」という方はひとりもおられなかった。お目にかかった社員全員の方が、若狭さんについて話をしていただいた。こんな内容だった。

「運輸事務次官からわが社にきていただいたのですが、とても当時の状態では大物事務次官にきていただくような会社ではございませんでした。呼んでいただいたのは岡崎嘉平太氏で当時わが社の社長をしていただいておりまして、ひっぱっていただいたと聞いています」。

岡崎嘉平太先生は岡山のご出身で岡山県の名誉県民。だからもちろん僕も知っている。

「岡崎さんは日中国交回復にご熱心だったものですからそういうこともあって当社としても中国線にはことのほか力を入れることになりました」。

中国については、ANAのほうが前のめり的にコミットしている印象が強いのはそういうこともあったのか。

「若狭さんのときに国際線をはじめました。当時はなんでそういうことをするのか、という声がずいぶんありましたが、JALに対抗する国際線の会社があることがわが国の空にとって必要というお考えをおっしゃってました。今年で国際線就航20周年を迎えますが、18年目まで赤字でした。ようやく去年黒字になり、そして今年もなんとかなるのではと思っています。国際線がひとりだちするのを見届けていただいて他界されたような気がしますね」。

「世間では若狭といえばロッキードのイメージが強いかもしれません。ただ、若狭さんは、なんかあったら自分のせいにしろとおっしゃっていたと聞きます」。

あの事件のとき、○○ルートという言葉がさかんに飛び交ったが、全日空ルートからは命を絶つようなことをした人がなかったと聞く。それはそういうトップの潔さゆえだったのか。

「日本のために、がくちぐせ でした。日本近距離航空という会社が経営難に陥ったとき、その会社をどう救済するかという話についてももそうでした。近距離航空は離島航空路などを抱えないといけませんからどうしても赤字になります。経営を引き受けろといわれてもかんたんにわかりましたというものではありません。他社さんがしり込みされたのもある意味もっともでしょう。でも、若狭さんは、「この会社は日本のために必要だから」という理由で近距離航空を引き受けたのです。当時は、全日空本体も赤字だったのに、です」。

ところで、航空会社にはそれぞれ固有のコードがある。JLとかNHという二つ文字のコードことを「2レター」、ANA、JALのような三つ文字のコードことを「3レター」という。日本近距離航空の3レターはNKAだった。その後、この会社がエアーニッポンになり、ANKという3レターに変わったが、ANAグループで、しかも、近距離航空時代の名残がある。ちなみに全日空の3レターはANAだが2レターはNH。これは日本ヘリコプターという会社が前身だった名残だ。

「いまの全日空があるのは若狭さんのおかげです。若狭さんなしには当社はここまでこれませんでした。お別れ会には私も行きたかったですが、当社がお世話になったお客さま優先で、従業員は遠慮するようにということでしたので行くことはできませんでした。でもそれでいいと思います。そっちのほうが若狭さんも喜んでおられると思います」。

もちろん、有罪判決を受けたことは事実だし、若狭さんのすべてがよかったということではないということはいうまでもない。しかし、他界されなお、こうして社員のみなさんの口の端からこうした言葉をいただけるとはなんとしあわせなことだろうか。

ふるかわ 拝