2006年5月

平成18年5月30日(火)
第157号  「マレーシア礼賛」

先日休みを使ってマレーシアに行った。そこでウンク・アジズ、元マラヤ大学初代総長にお目にかかることができた。マレーシアに行くのは初めてだったが、正直行くまではどんなところだというイメージがわかなかった。わずか三日間の滞在だったが、行ってみて「もう一度行ってみたくなる国」であると断言できる。理由は五つだ。

1. 治安がいい
2. 食べ物がうまい
3. 英語が通じる
4. 物価が安い
5. チップがない

こうした五つの要素からしても、例えば修学旅行の行き先なんかとしても非常にいいところなのではないかと思う。

さて、ウンク・アジズ氏との対談はおよそ1時間にわたった。
マレーシアの歴史から現政権の抱える課題までさまざまに及んだが、非常に印象的だったのが成長戦略についての比較だった。前首相のマハティール・ビン・モハマドはとにかくクアラルンプールを世界のトップレベルにすることを目指し、まずはクアラルンプールから、ということでクアラルンプールに投資を集中した。その結果クアラルンプールにはビルが林立し、世界一の高さのビルもでき、プトラジャヤという行政都市も生まれ、見違えるようになった。それはそれで国家の発展を考えたときには必要な戦略であったと思うが、一方農村部との差が広がったことも事実だ。
現政権のアブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ首相は、そうしたことの反省に立って格差を小さくすることを目指している。「格差」(アジズ氏は”gap”と表現しておられた)がマレーシアでも課題になっているのだということを感じた。
「ある政権が上を引き上げたら次の政権が下を底上げしてその差を縮めていく。これはある意味、政治の常道だと思います」。そんな意味のことをおっしゃったように思う。
その意味においては、わが国における次の政権は、下を底上げしていく政策をしていく、つまり今まで影になっていた部分に光を当てていくことが求められるということになる。

もうひとつ記憶に残ったことを挙げれば男女共同参画社会についての日本との違いだった。「日本では女性が結婚すると仕事を辞めていくケースがいまだに多く、そのことが逆に女性が結婚へと向かわなくなっている理由になっている」と話すと、日本通でもあるアジズ氏は笑いながら、「マレーシアの場合はちょっと違います」と説明をしてくれた。「マレーシアでは多くの場合、結婚したり子ども生んでも女性は仕事を辞めません。それを可能にしているのはベビーシッターの存在です。マレーシアではお隣のインドネシアからたくさんのベビーシッターがきています。マレーシアとインドネシア、特にインドネシアの農村部では所得の違いがあるので人材には事欠きません。しかも彼女らが多くの場合、共通の言語でコミュニケーションをとることが可能です。そうしたこともあって、女性が家事をするのではなく家事を外部化して、社会に必要な能力を男も女も活用するというのが今のマレーシアのやり方です。ただしこれは日本ではむずかしいかもしれませんね」
わが国でも東京では外国駐在を経験した家庭などでフィリピンなどからメイドを入れるケースも増えてきてるという話は聞くものの、決して一般的ではない。男女共同参画が実現している背景に思わぬものがあったのだということを気づかされた。

クアラルンプールは熱帯地域に位置する町だがそんなに暑くもなく、日陰に入ればむしろ涼しい。雨季なので夕方になれば雨が降るが、それとて降り続ける雨ということではない。
クアラルンプールの郊外にあるアジズ氏のお宅で、夫人の淹れてくれた紅茶を飲みながら冷房の入っていない部屋で熱帯地方の雨に包まれてお話を聞くことができた。とても幸せな午後だった。よく考えればリゾート地で有名なペナンもランカウイもマレーシアだ。まだ行ったことない人、ぜひ一度機会を見つけて行ってみてはいかが。

ふるかわ 拝

平成18年5月23日(火)
第156号  「防災訓練で学んだもの」

先週の土曜日は佐賀県総合防災訓練だった。
僕は訓練というのは課題を見つけるためのものだと思っている。予定されていたことが完璧にその通りに終わるということを目指すのではなく、それを通じて何を課題として学びとるのかこそが訓練の意味だと思う。その意味では今回の訓練は、まさしくその「訓練の賜物」をたくさん見いだすことができた。

僕はまず主会場の松浦川河畔広場から唐津市の離島、加唐島に飛んだ。そしてそこでドクターヘリの到着を待った。離島だけでなく緊急に医師の処置を必要とする病気や事故の場合、佐賀県では久留米大学病院と協力してドクターヘリを平成15年度から導入している。今回は、離島も初めて訓練に参加することになったので、実際にドクターヘリに飛んでもらうことにしたのだった。

加唐島診療所に駐在する医師と僕とで飛んできたドクターヘリを前にして、久留米大学病院の医師と救急医療についていろいろ意見交換をした。
加唐島に駐在する医師に、ひとりで診療をする場合、自分だけの判断で迷うことはありませんか、その場合はどうするのですかと尋ねた。医師の答えはこうだった。
「その場合は自分が研修していた病院の先輩医師に連絡してアドバイスしてもらいます。今はデジカメがあるので、写真を撮ってそれをコンピュータで送ることも可能になりましたから」
なるほど。そういう使い方もあるのかと思った。その医師は続けた。
「ただ困ってることもあるんです。今はまだ加唐島にはISDNしか入ってないんです。だから画像を送るときにどうしても時間がかかってしまって面倒になってしまうんですよね」
佐賀県では佐賀大学と協力して、ここ数年来、佐賀県内の離島にどうやってブロードバンドの環境を整備するかという研究を続けていて、県内の離島すべてを抱える唐津市において、今年度計画を作ってもらい、来年度からそのブロードバンド具体化をしてもらうことになっている。まさにこういうリアルな答えが聞きたかった。
また今回は災害時要援護者と呼ばれる、人の助けを得なければ避難することができない人たちの避難訓練も一緒に行った。ある会場では「難病」と呼ばれる重い病気を抱える人たちが、避難所になっているところに運び込まれていた。
その難病の方とお話をかわした。
「実際に災害が起きたとして避難所にはどんなものを求めますか?」僕はこう聞いた。
それに対する答えはこうだった。
「まずトイレですね。難病の患者はトイレで自分自身の体のいろんな処置をしなくちゃいけないケースがたくさんあります。和式トイレではどうしてもその処置がやりにくいんです。避難所はやはり洋式トイレでなければ困りますし、ある程度の広さがないと作業がやりにくいのです。ふたつめが段差です。車椅子を使って移動する患者さんが多いですから。避難所に運び込むため、また避難所の中で動くためにも、どうしても段差を解消してもらうことが必要になってきます。それともうひとつは電源の問題です。難病の方は、機械を使って治療を続けておられるケースもあります。そういう方たちは、いったん電源が切れると、命綱が切れることと同じ状態になってしまいます。病院にいる限りにおいては非常用の電源がありますからそうなることはないと思うのですが、いきなり避難所に行って避難所の電源で暮らすことになったとき、電源が切れる対策をどこまで講じていただいているのか、そういった点が気になります」
前にもこのコラムに書いたことがあるのだが、中越地震が起きたとき新潟県見附市に僕自身も出かけていって、見附の市長さんから非常に貴重なお話をうかがった。それをもとにして県の地域防災計画も大きく変え、その中に災害時要援護者対策も入れ込むようにした。今回の訓練はその一環ということになる。そしてまた、その中のひとつの課題として「あらかじめ避難所として作られた公共施設はない」ということも新潟の見附の市長さんから教えていただいた貴重な教訓だと考えている。まだ佐賀県においても勉強の段階で具体的なことを決めるに至ってないが、こうして直接難病の方のお話を聞いてみるとできるだけ早く「理想の避難所」、理想とはいかないまでも「モデルとなる避難所」を作っていくことが必要ではないかと痛切に感じる。もちろん避難所だけのための建物を作るということではない。これから作ろうとする公民館や公共的な建物を、これが将来的には避難所として使われることを最初から想定して、バリアフリー、トイレ、電源、そういったことがらについて最初から考慮に入れて作っていくことが必要ではないかということだ。
訓練はお昼過ぎに終わった。本番はこれから。きっちりと反省をして、この訓練の成果をひとつづつ形にしてゆきたいと思う。

ふるかわ 拝

平成18年5月16日(火)
第155号  「忘れものが出てくる国」

先日、フルート奏者の山形由美さんのフルート2本(計1200万円相当)がJR東京駅のコインロッカーから盗まれた事件で、被害品とみられるフルートがJR川崎駅構内のコインロッカーで発見されていたということがニュースになった。コインロッカーから盗まれたというのもびっくりだが、別の駅のコインロッカーから発見されて、持ち主に戻ったというのにはもっとびっくりした。

世の中がせちがらくなっているのは事実だろうが、戻ったという話が大きく報道されるのは、こういうニュースにある種渇望しているからだと思う。

僕も10年くらい前、まだ自治省職員だったとき、職場のあったビル一階の銀行ATMの脇にビニールバッグが置き忘れてあるのを発見したことがあった。70万円くらい入っていた。すぐ警備室に届け、警備室から連絡して本人に来てもらった。近くの会社の人だったようだ。
いいことをしたと思っていたら、その1週間後、今度は僕が新宿駅で財布を落とした。ディズニーランドに遊びに行く途中だったので、けっこうお金が入っていた。あきらめたものの、一応、交番に届出をしておいたら、あとで連絡が来た。財布が届けられているというのだ。本当にそうだった。届けてくれたのはサラリーマンの方だった。

お金の入ったものが戻ってくることは残念ながら世界の中では当たり前ではない。
でも、日本はときどきそれがあるというとても貴重な国だ。

そういう中、ご存知の方も多いと思うが、最近、またひとつ落とし物が持ち主に戻ったというニュースがあった。
舞台は、福岡市。
落とし主は、佐賀県在住の男性。
落としたものはセカンドバッグ。中に現金約450万円が入っていた。
そしてそれを拾って福岡中央警察署に届け出たのは、路上生活者の男性だった。

今年の4月25日のことだった。奇しくも、その日は26年前、東京・銀座で1億円が届けられ、それ以来、「拾得物の日」になっている日だったという。

路上生活者が現金450万円入りのバッグを警察に届ける国 ニッポン。
ワールドカップで勝ってくれるのもうれしいけど、こういう話も悪くない。

ふるかわ 拝

平成18年5月9日(火)
第154号  「オーウェンとムゼー」

いま配達を心待ちにしている本がある。その名は「Owen & Mzee: The True Story of a Remarkable Friendship」。

ゴールデンウィークのさなかにトンガで地震が起きた。幸いなことに大きな被害は出ていないようだが、2004年12月におきたインド洋の大津波は大変なものだった。

その津波による被害は人間だけでなく、動物たちも同じだった。あの津波はインド洋を渡ってアフリカ沿岸に達し、そこに住んでいた多くの動物たちの生活も破壊することになった。津波による洪水、そして川の氾濫と動物たちにとっても想定外の予期せぬことがたくさん起きた。

その予期せぬできごとがおきた動物の中に生まれたばかりのカバがいた。津波から数日経ち、群れや家族ともはなればなれになってしまって、そのカバはひとりぼっちになってしまった。それを村の人が助けハラーパークという自然公園に届けてくれた。そのカバは救出者の名前にちなんでオーウェンと名づけられた。その自然公園でオーウェンはなぜか100歳を超えるカメ、ムゼーと出会った。ムゼーというのはスワヒリ語で老人という意味。
そのムゼーとオーウェンは仲良くなり、ずっと一緒にすごすようになった。

これは想像上の出来事ではない。実際に起きているらしい。
この話が有名になるや、本当かどうか多くの人がこの自然公園に問い合わせた。しかし、公園側はあまり乗り気ではなかった。
ひとりの少女からの問い合わせがあるまでは。

その少女の名前はイザベラ・ハトコフ。彼女はNY在住。まわりの人たちが犠牲になった9・11のテロの後、人と人とが分かり合えないのになぜ違う種類の動物たちが理解しあえるのか、とても強い関心を持ち、この自然公園にアクセスしてきたのだという。

その熱意が公園側を動かし、ついにはこのことが本になった。その本がこれ。

出版社は『Scholastic Trade』。ここってあのハリー・ポッターをアメリカ国内で出版しているところじゃなかったっけ。いいこともしてるんだな。

ふるかわ 拝

平成18年5月2日(火)
第153号  「或るニュースキャスターとの会話」

 先日、ニュース番組のあるキャスターの方にお目にかかった。地方分権改革のことにご理解をいただくのが目的だったが、時間をオーバーして、話は最近の地方の衰退ぶりに及んだ。その方がこんなことをおっしゃった。
 「先週、たまたまご馳走を食べるのが続いたんです。フレンチ、ステーキ、和食。こういうことはめったにないんですが、ゴージャスな一週間でした。その三つのレストランとも、シェフというか大将というか花板さんというかそういう人が出てこられて、ご挨拶をしていただきました。
 三つのレストランについていえば、その料理の分野はばらばらです。フランス料理、日本の牛肉のステーキを中心にした料理、純然たる和食なのですから。でも、料理人の話に共通するものがあったんですよ。何だと思います?」
 こういうとき「わかりません」とこたえる以上に気の利いたレスポンスがあるのだろうか。それが思いつかない僕は「わかりません」と愚直に答えてみた。
 その方の話はこうだった。
 「3人の料理人の話に共通するもの、それは「素材」でした。みんな、どの料理人も素材がいいことを自慢するんです。あるレストランでは、うちはどこそこの肉を使っている、魚はどこから取り寄せている、こうして運んでいる、だからおいしいんだと説明するし、別のレストランでは、うちの店で使う野菜は関東地方の、とある県の、とある村の、とある農家から分けてもらっている。そこはとても熱心に農業に取り組んでもらっているし、有機栽培で、しかもおいしい。ただ、毎日同じものが入ってくるとは限らないので、メニューは日によって変えないといけないんだ、ということを言うんです。もともと料理人というのはある素材をどうさばいておいしく仕上げるのか、その技を誇っていたのではなかったでしょうか。それがいつの間にか「素材がいかにすばらしいか」に移りつつあるような気がします」。
 その方はそういわれるのだ。
 「これからいよいよそういう時代になってきているのかもしれません。とくに東京にはそういうかたちでの「消費」というか「選択」をしたいという層がある程度存在するということだと思います。その思いに応えるものをきちんとしたかたちで提供できればこれはアタるのではないでしょうか。銀座にある「季楽(きら)」(佐賀牛をはじめとする佐賀県産の特選品を使っているレストラン)が多くのお客様を集めているだということもそういうことの表れかもしれません。特色のあるお酒や農産物、牛肉などしっかりしたものをきちんと出すことができれば相当いけると思いますよ。お酒だって佐賀のお酒にはすばらしいものがありますしね。最近、銀座地区は各県のアンテナショップが花盛りです。そういう場所で本当にちゃんとしたもの、いいものを扱うことにすれば大いに東京の人に受け容れられると思いますよ」。
なんかぐらっとくるな。そういう話。

 大分県の「大分座来」も、沖縄県の「わしたショップ」も、鹿児島県の「かごしま遊楽館」も流行っているという。一方で、そんなに多くのお客様にきていただけていない店もあるようだ。何がちがっているのだろう。僕自身もいくつかお店を回ってみてはいるものの、これだという確信が持てずにいる。
 これまで何度か、またいろんな方から「東京に佐賀県のアンテナショップを!」というを聞いてきている。ただ、これまで僕はこうして各県が東京にアンテナショップを作るということは結果的に東京の情報発信力を増すことにつながる、ということでそんなに積極的ではなかった。でも、そろそろそこまで原理主義的になる必要はないのかもしれない。
 佐賀県のアンテナショップ、作るべきかどうか。みなさんはどう考えますか。いくらくらいまでなら運営コストを税で補うことが許されると思いますか?
 考えがあれば聞かせてください。

ふるかわ 拝