2006年6月

平成18年6月27日(火)
第161号  「実はけがしてまして」

このところ、僕は左手に包帯をしている。指を骨折したのだ。原因はラグビー。中年の冷や水ってやつだった。

僕は一応とあるラグビークラブに所属している。もともと高校と社会人で少しラグビーをしていたのが縁だった。佐賀に帰ってきたとき、誘われて、一度試合に参加した。当然、往年ほどは走れないし息も続かない。でもおもしろいことに昔よりもゲーム全体が見える。しかも、体力が落ちていて無駄な動きをしたくないものだから、ボールの動きを予測して最小限の動きで済ませようとするのだが、これがボールの行方を的確に見切ることにつながるのだ。(ま、ウソですが)。

とまあ、それなりに楽しんだ。それ以来、ごぶさたになった。

この春、また、声がかかった。「久しぶりにまたやってみませんか」
どうしようかなと迷っていたが「後援会のマガジンの表紙の写真にいいかもよ」と言われ、ココロが決まった。だいたいそんなもんである。

と当日になった。
3年ぶりに着るジャージはなんとなくだぶだぶしている。そう、以前やったころよりも少し今はやせているのだ。お、これはいい感じ。ひそかに自信を持った。

グラウンドに行くまでの間、頭の中で自分なりにラグビーのイメージを組み立ててみた。「ラグビーかくあるべし」が僕のアタマの中で理論的には完成されていることを発見した。自分でプレイすることはほとんどないのに、テレビやライブでレベルの高い試合はたくさん観ている。「実践面」を除けばほぼ完成しているといってもおかしくないのだった。

試合前の練習を通じてけっこうからだが動くことを確認し、ますます「これはいける」と確信するにいたった。そして、メンバー発表。僕は7番のフランカーというポジションを得た。高校時代の僕の定位置だった。

そこまでは完璧だったのだが、次のひとことがいけなかった。誰かが笑いながら言った。
「戦力的には期待していないのでけがだけはしないで!」。誰かもこう言った。
「リザーブがいるからいつでも代わっていいから」。しかもそのリザーブの人たるや出場選手中最高年齢の80歳の方だった。

よおし、それならがんばってみようじゃないの。ムダな闘争心に火がついた。

試合開始後の数分間、半年近く餌と無縁だったサバンナのライオンのごとく僕はグラウンド狭しを暴れまわった(という印象を持っている)。
モール(密集)の中でもかなりボールを得るために動いた(はずだ)。
そこでやられた(らしい)。僕が倒れているところに敵チームの選手が押しかかってきてそれはまあ激しいプレイがあった(のではないかという説がある)のだ。

前半が終わり、理論と実際が(やや)違っていたことを確認しながら、もう自分の役割は終わったとグラウンドを後にし、後は頼みますよ、と例の80歳のリザーブ選手の方にバトンタッチをした僕にふと意識が戻ってきた。左手が腫れていた。近くの病院に行ったら、「折れてますね」。

あと2週間くらいはかかるらしい。

「踏んだりけったり」じゃなくて「踏まれてけられて」だな、まったく。

ふるかわ 拝

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暴れまわったライオンがとうとう倒された写真

平成18年6月20日(火)
第160号  「ズボンを脱いだサポーター]

知っている人も多いと思うが、僕は、NBCラジオでレギュラー番組を持っている。こないだは、ワールドカップ特集ということで、佐賀の中のドイツを探せ!と題して、ドイツ仕込みのハム・ソーセージを作っている工房を取材したのだが、番組の制作サイドはけっこう慎重だった。「ワールドカップ」という言葉を番組で使っていいかどうかがポイントだったのだ。
この心配はあながち取り越し苦労ではない。

どうも、このワールドカップサッカーの主催者であるFIFAは、真剣に「ワールドカップサッカー」という言葉をFIFAの了解なしには使えないようにしようという意図を持っていたようなのだ。
ある雑誌の記事によれば、「開催国ドイツの報道機関の努力によって報道目的であればFIFAの了解なくワールドカップという言葉を使っていいようになった」という。
つまり報道目的ではなく商業目的であれば使えないということになるようなのだ。
だから、ワールドカップ特集でソーセージ工房を紹介する、というのが商業目的にならない、と判断してよいか、というところが議論になったのだ。

最終的には、その工房自体がワールドカップ記念ハムの発売などをやるのはFIFAの了解なしにはできないかもしれないが、工房の紹介=お知らせであるので「報道目的」に含まれると考えてよいのではないかという判断になった。

じゃ、客寄せのために喫茶店が「ワールドカップ放映中」と書くのはどうか。パブが「ワールドカップ実施期間中は営業時間を延長」と宣伝したり「ワールドカップで日本が勝てば全商品10%OFF」というデパートが出てきたらどうなのか。
ひとつひとつFIFAに確認したわけではないのだがかなりビミョウなようだ。

新聞にも、日産スタジアム(旧 横浜国際総合競技場)でのパブリック・ビューイング(大勢で試合を観ること)ができなかったことが報じられている。公式スポンサーは車についていえば、韓国のヒュンダイだからだ。

しかし、こういうのはどうだろう。引用は西日本新聞のHPから。


オランダ人下着姿でW杯観戦 ズボンにビール宣伝、入場拒否


16日のサッカーのワールドカップ(W杯)オランダ―コートジボワール戦会場で、多数のオランダ人ファンが自国のビール会社の名前が書かれたズボンをはいて入場しようとしたところ、係員から脱がなければ観戦させないと言われ、本当に脱いで下着姿で観戦した。国際サッカー連盟(FIFA)の17日の記者会見で明らかになった。

会場はドイツ南部シュツットガルトのスタジアムで、数百人のサポーターがオランダのビール会社「ババリア」と書かれた革ズボン姿で登場。大会では「バドワイザー」で知られる米ビール会社アンハイザー・ブッシュの宣伝しか認められていない。

FIFA担当者は「何千人もが同じ企業の名前を書いた姿で現れれば、(バドワイザーの)商標を保護せざるを得なくなる」と説明。「ババリアの作戦」との見方を示唆したが、ババリア側は「ばかげた話」と否定。下着姿で観戦させたのは行き過ぎとしてFIFAに抗議する構えだ。

女性ファンは脱がなくて済んだという。 (ベルリン共同)



パンツにオフィシャルスポンサーが決まってなくてよかったと心から思う。

ふるかわ 拝


平成18年6月13日(火)
第159号  「東京都は失格ではないのか」

先日行われた九州地方知事会の非公式の意見交換会ではオリンピックのことがずいぶん話題になった。
その中でひとつのポイントとなったのは「福岡・九州オリンピック招致推進委員会」は山崎広太郎福岡市長が副会長となって招致活動を展開しているのに、東京のほうは東京都知事が中心になって運動を展開しているいうことだ。東京が都知事なら福岡は県知事でなければならないはずなのに、なぜこのようなことになっているのだろう、というのが議論の中心だった。

オリンピック憲章33-2には「オリンピック開催の栄誉は都市(CITY)に与えられる」と書いてある。だから前回2004年の夏季五輪はアテネだったし、2006年冬季五輪はトリノ市であった。けしてトリノ市を包含するピエモンテ州が開催地になったのではない。「そんなこと言ったって前にも東京でオリンピックをやったことがあるじゃないか」と言われるかもしれない。確かにそうだ。しかしこのときには、東京都内の区は"基礎的自治体"ではなかった。つまり英語でいえば「CITY」ではなかったのだ。何といったのか。
「WARD」と呼ばれていた。WARDというのはひとつの土地の中の単なる区画の意味である。行政的な権限がそれほど大きくない独立した自治体とは認められない存在としてWARDと呼ばれていた。であるがゆえに"基礎的自治体"が存在しないということで、いわば東京都がその分を代表していたということもできるだろう。
しかしながら、その後情勢が変わった。

2000年、東京都における自治制度が変わり、東京都23区はそれぞれの区が独立した地方自治体として自治権が強化されることになった。その結果のひとつとして、英語名称もWARDからCITYに変わった。どの区でもよい。ホームページを見ていただくと、たとえば品川区であれば「Shinagawa City」と誇らしげに書いてある。というのはこの間の事情の変化を物語っている。とするならば、東京における"基礎的自治体"はすでに区に移っているというべきではないのだろうか。

東京の臨海副都心をオリンピックの主会場にするのであれば、その会場の属する港区「Minato City」こそがオリンピックの開催地となり、山崎広太郎福岡市長と並ぶべきなのは武井雅昭港区長となるべきではないだろうか。

確かに国によって、CITYの概念は違う。北京市のように非常に大きな16,810kuという広い区域を持つ市があるのも事実だ。しかし、"基礎的自治体"こそがオリンピックを開催する権利と栄誉を持っているということだけはいえるのではないだろうか。

2016年の夏季五輪の開催問題は、どうやら福岡と東京による投票で決着がつきそうだと聞く。CITYの論理が正しければ東京とは失格ということになる。
JOCの竹田会長様、いかがでしょうか?

ふるかわ 拝

平成18年6月6日(火)
第158号  「日本の品格」

先週の土曜日と日曜日、富士会議に出席した。
富士会議というのは、僕と同じくらいの年代の人たちが、日本を考えていくための議論の場として日本IBMが主催し実行している会議で、毎年この時期に伊豆で行われている。

今年のテーマは「日本の品格」。
およそ50人の参加者で2日間おおいに話は盛りあがった。
参加者は、学者、スポーツ界の指導者、官僚、大企業のミドルマネジメントクラスなど、さまざまなのだがその中でも特に日本のスポーツ界を代表するかつてのオリンピック金メダリストの方の言葉が印象的だった。
「品格を作っていくためには我慢が必要と言う人がいるけれど、僕は我慢が必要なのではないと思います。どんなときにも必要な状態に自分を保つことができる摂生と自己修養が必要なのだと思います。」
この言葉には僕も含めて、多くの参加者が心を動かされたようだった。

参加者の中には、ある一定の組織をまかされている人や、組織を代表する方が多い。しかも、僕の年代でということになるから、日本の中ではわりと若いうちに組織をまかされている人たちが多いということにもなる。そういう人たちが直面している課題のひとつが、自分をいかに律していくかなのだなということを改めて感じた。

また、今年から新しく参加することになった日系ブラジル人三世の人たちのパワーも印象的だった。
「自分たちはいつも日系ブラジル人三世といわれます。でも私は最近日本で暮らしていくことを決めました。だとすると、日系ブラジル人三世という呼び方がいささかふさわしくないような気がします。私は日系ブラジル人三世ではなく、在日ブラジル人一世としてこれから生きていこうと思います」。
確かに”日系ブラジル人三世”という言い方だとあくまでも気持ちの本拠がブラジルにある、というイメージがある。しかし、”在日ブラジル人一世”という言い方には、それとは違うものが感じられるような気がした。

次世代育成支援について積極的に取材を続けているあるジャーナリストからはこういう発言もあった。
「品格を議論する前に、なぜこの社会の明日を支えるこどもたちの数が減っているかをしっかり考えるべきだと思います。先日、合計特殊出生率の最新のデータが発表されましたが、1.25とさらに昨年に比べてダウンしています。子育て支援施策が約15年前に始まってそれ以来合計特殊出生率の数字は下がっていく一方です。これはいわば、私たちの社会の生命力が落ちているということではないでしょうか。次の世の社会を支えるこどもたちを産み育てやすい環境を作っていくことこそが品格につながっていくことだと思います」。

まさにその通りだと思う。佐賀県は前々から子育てを、こどもを持つ個人やその家庭だけに押し付けるのではなく社会全体で支えていく考え方のもと、育児保健構想ということを提案している。なかなか出生率が向上しない現状にいてもたってもいられず、明日6月7日水曜日、午後1時半より厚生労働省の記者クラブで、佐賀県として育児保健構想を公表することにした。次世代育成支援を考えてもらうひとつの波になればと願う。

ふるかわ 拝