2006年7月

平成18年7月25日(火)
第165号
「統一という言葉から 前編」


5月31日は韓国の統一地方選挙だった。政権与党側はかなり大きな敗北を喫したのだがその記事を韓国語で読んでいておもしろいことに気づいた。行政や政治用語は日本と韓国で共通の言葉(発音は違うが)を使うことが多いのだが、韓国では「統一地方選挙」と言わないのだ。
ではなんというか。「同時地方選挙」と言っていた。

知り合いの韓国の人に「なぜなの?」と聞いてみたらこういう返事が返ってきた。「「統一」という言葉には特別な意味があってこういうときには使わないんです」。そう彼女は言った。

韓国と北朝鮮の統一の話をする前にドイツのことを書いてみたい。

今から20年以上前、具体的には昭和55(1980)年の冬にベルリンに初めて行った。もちろん、当時は東西ドイツが分かれている時代だ。西ドイツは資本主義、東ドイツは社会主義でそれぞれ国家が運営されていたが、地理的には東ドイツに位置する首都ベルリンだけはベルリンそのものが東西分割されていて、東ベルリンは東ドイツに、西ベルリンだけは西ドイツに属するという飛び地状態になっていた。これを東京にたとえると、東京23区のうち、港区、新宿区、豊島区、板橋区から西側だけが関西圏に属する「西東京」とされたようなものだ。これによれば池袋は「西東京」、銀座「東東京」、新宿は「西東京」になる。(東京の街をあまりご存じないとわかりにくかもしれない。申し訳ない。)

そういう状態のベルリンで地下鉄に乗った。もちろん地下鉄の路線はいくつもあったが、ある路線は、西ベルリンと東ベルリンの両方をまたいで運行されていた。

これをまた東京のたとえで言えば(ふたたびごめんなさい)、地下鉄丸の内線が「西東京」側の池袋からスタートして「東東京」側に入り、また「西東京」側に入って新宿が終点となっているというようなものなのだ。

東ベルリンと西ベルリンの行き来は簡単に許されてはいなかったから、東側の駅には地下鉄は止まらず、駅のプラットホームには兵士が立っていたけれど。ただ、フリードリッヒシュトラーセという駅だけは、東ベルリンと西ベルリンの境界に立つ特別な駅で、そこにはチャーリーポイントという検問所があった。東ベルリン在住のドイツ人にコーヒーを持って行く人が多いため、コーヒーがほのかに香る駅だった。

僕の感覚では、西ベルリンだけの区間だけを区間運転するというのが普通だと思った。たとえば、池袋からお茶の水まで と、赤坂見附から新宿まで と(三たびごめんなさい)。

そうはならずに西ベルリンから東ベルリンを抜けてまた西ベルリンへ、というのが地下鉄の世界では普通に運行されているのがとても新鮮だった。

ベルリン在住のドイツ人の友人に聞いた。「なぜ、こういうことをしているの?だって、実際には行き来できないじゃないの」。
彼は答えた。「いつかは一緒になるのさ」。

それから10年もしないうちにベルリンの壁はなくなり、地下鉄は本来あるべき運行をするようになった。フリードリッヒシュトラーセ駅も普通の駅になった。
こういうことが可能だったのは、実質的にはドイツ人としての一体的な意識が失われていなかったからなのではないだろうか。そのためには情報がある程度自由に流通していたからではないか。東ドイツでも西側の放送を観ることは可能だったと聞く。それが民族の一体感の支えになったということは確かなのではないか。

そしてふと思った。
韓国と北朝鮮の場合はどうなのだろうか。

(以下次週)

ふるかわ 拝

平成18年7月18日(火)
第164号
「全国知事会議で訴えたかったこと」


7月12日、13日の両日、島根県松江市で全国知事会議が開かれた。全国の知事が一同に会する知事会議は年に何回か開かれているが、東京以外の場所で開かれるのはこの時期の一回だけだ。
会議の冒頭には竹中総務大臣も顔を出され、交付税からミサイル発射への対応まで幅広くお話をいただいた。
僕は、大臣に対して、ミサイル発射に関連して、迅速な情報提供を訴えた。
この発言はあちこちのメディアで引用された。
単に、できるだけ早く、とお願いしたのではない。できるだけ早く、となると多少正確さを犠牲にしなくてはならない場面も出てくる。それでけっこうですから、と訴え、さらに、「自治体側も国から提供された情報が100%正しくなくてもそれに対して文句を言うべきではない」とも申し上げた。これらがセットでないと国も不確実な情報を提供することにはためらいがあるだろう。

また、今後の分権運動のことについてはこういう趣旨の発言をした。
「これまでの分権改革は、たとえば細川政権誕生をきっかけとしたものであったり、小泉総理という、ある意味与党内政権交代とも言えるような政治力学の変化を背景として進められてきた。でも、これからは、こういう風を頼む、総理にすがる、ということではなくて、自分たちが進めていく、ということでなければならない」(7月14日付け読売新聞13面の解説部青山彰久記者の記事にも取り上げていただいている)。
こう発言したのは、全国知事会における議論がその場だけのものになってしまっているのではないか、とやや危惧しているからだ。
たしかに、これまでの3兆円の税源移譲は内容的には充分なものではなかったかもしれない。しかし、その対象となった事業の中には自治体が工夫することによって住民の方にとってプラスになることもいろいろ含まれている。もちろん佐賀県でもいろんな工夫をした。
ところがすべての県でそういう努力をしていただいているかといえば、そうではなく、補助金時代の仕組みをそのまま使っているものが多いように思う。
何も変えずにおいて、「住民は税源移譲によって何が変わったのか実感できないでいる」と発言されてもそれは違うのではないかと思う。分権改革の成果は誰かがもたらしてくれるものではなく、自分たちが作っていかなければならないのだ。そして分権改革によって、自分たちの県をこう変えつつある、そういう実績が必要なのだ。
会議の中で僕はこうも申し上げた。
「いま必要なことは「理念」じゃありません。「実話」なのです。分権が進めばこうなるでしょうという「未来予想図」ではなく、実際にこう変わりつつあるという「現場写真」が必要で、そうしたものの積み重ねが国民や住民の分権改革への理解を深めることにつながると思います」。

僕は全国知事会の中で地方分権改革「国民運動小委員会」委員長をおおせつかっている。分権改革をいかに多くの方に理解していただくのか、は僕のミッションでもある。

ふるかわ 拝

平成18年7月11日(火)
第163号
「パーキング・パーミットスタート!」


7月7日の定例記者会見で、ひとつの重要な発表をした。その名も「パーキング・パーミット」。3年間の中でも誇りにできる政策だと思っている。

平成18年3月21日(火)の週刊yasushi第147号 「マンションのスロープ」にアクセスインターナショナルの山崎泰広さんという方のことがでてくる。
そのコラムの最後に「ユニバーサルデザインに関して、彼からアドバイスされていることで、いま県の担当部署に研究してもらっていることがある。ちょっと恥ずかしいので今は言えないがぜひとも早いうちに公表したいと思う。」と書いた。「ぜひとも早いうちに公表したい」と思っていたのがこれだった。

ショッピングセンターやホテルの駐車場に行くと、出入り口付近のいい場所に車椅子マークの駐車スペースがある。もちろん、県庁や市役所にもあるだろう。ただ、そのスペースに止められている車が本当にその資格があるのかどうか、疑問に思ったことはないだろうか。
それに応えるのがこのパーキング・パーミット(以下「P.P」という。)だ。このP.Pは、こうした車椅子用の駐車場のスペースに車を止めることができるという権利を示すプレートのことで、ルームミラーにひっかけて使う。これにより外から見た場合でも「この車は本当にこのスペースに止めることができるのだな」ということがわかる。
これでいちばんほっとしているのは実は警備員さんたちではないかと思う。警備員さんたちは、そういう駐車スペースがまっとうに使われているかどうかをチェックすることを仕事のひとつにしている。ただ、実際には、止めてある車のすべてをチェックすることができないし、この方はちょっとどうかなと思っても、なかなか注意することも難しい。だって、その車に乗っている人が本当にそういうハンディキャップを持った方なのかどうか車を見ただけではわからないし相手はお客様なのだから。

今回、P.Pをはじめたことによって、県内の多くの車椅子用駐車スペースではそのP.Pのプレートを掲げておかなければ駐車することができなくなる。これによって警備員の方も指導がしやすくなる。それにより、本当に必要とする人のためにそのスペースが活用されることになる。

P.Pを交付されるのは身体障碍者だけではない。高齢者のうち介護を必要とする方や妊婦、一時的に怪我をした人なども含まれる。繰り返しになるが「本当に必要とする人のために」その駐車スペースが使われるようにしていくのだ。

全国でも全く初めてのこの試み。提案してくれたのが山崎さんだった。

この制度がいよいよ7月29日からスタートする。29日は土曜日。多くのお客様がお使いになるこの日を初日として始めていきたいということでこの日にした。
日本で始めての社会実験となるが、僕は佐賀県がモデルになると思っている。
佐賀県に来られた方、ぜひご注目していただきたい。

ふるかわ 拝

パーキング・パーミット身障者用駐車場の適正な利用を目指し、県が交付する許可証。
左が5年間、右が1年未満

平成18年7月4日(火)
第162号
「ナポレオンやミケランジェロは仲間だがリンカーンやチャーチルは違うという話」


ナポレオン・ボナパルトという英雄がいた。彼のことは、ふつう「ナポレオン」という。
ただ、よく考えてみてほしい。ナポレオンは名前であって苗字はボナパルト。なのになぜ名前のほうで彼のことを呼ぶのだろうか。
また、このナポレオンという名前は普通の名前なのだろうか。
これが疑問のスタートだった。このことをあちこちでしゃべっていたら、ある方から詳しいレポートをいただいた。今回の原稿はそれを元にしている。ミスターデータマンに感謝したい。

それによればナポレオンが名前で呼ばれるのは皇帝になったからではないか、という。
たしかに、皇帝は苗字で呼ばない。ルイにしても、フィリップにしても、チャールズにしても、名前だ。ナポレオンも、ボナパルト王朝(というのがあるのかどうかしらないが)のナポレオン1世ということで即位したわけだし、事実ナポレオン2世、3世と続き、わずか2日間だけだが、ナポレオン4世までいたわけだから、それでナポレオンという名前が広まったのではないか、という考えもおかしくはない。

このほかにも苗字ではなくファーストネームが歴史上の名前になっている人がけっこういた。
たとえば、ミケランジェロ。ミケランジェロ・ブオナローティが本名。同じ時期のラファエロも本名はラファエロ・サンティ。ダンテもそうでダンテ・アリギエーリ。
ガリレオ・ガリレイだって「ガリレイ」が苗字なのにふつうは「ガリレオ」と呼ばれている。

でもよく考えたら日本でも、清盛とか義経とか信長とか言う。一種の王朝のようなものだから、なのだろうか。うーむ。
一方、チャーチルもリンカーンもド・ゴールも選挙で選ばれた政治家は苗字になっているような気がする。
歴代続く王様や武家や皇帝は名前で、一代限りの政治家は苗字で、ということなのかな。

ところで、逆に苗字が有名な人というのもたくさんいる。たとえばベートーベン。
これはオランダ系の苗字である。彼は生まれたのはドイツのボンだが、じゃ、いま、ドイツ国内にベートーベンという苗字の人がたくさんいるのだろうか。
そういう悩みに答えてくれたのがオランダ大使館の方。オランダにベートーベンさんはいますか?という問いに、アムステルダムの電話帳で調べてくれたところによると一人も見あたらなかったらしい。
ドイツではどうだろうか。これはネットで検索できた。ドイツ電話局みたいな会社のHPから入っていってBeethoven と入力したら50件近くヒットした。ただ、ほとんどがベートーベン薬局というお店のようだ。ただ、個人名もいくつかあった。数人はいらっしゃるようだ。
こういう人は一生に何度、あのベートーベン家のご子孫ですか、と聞かれるのだろう。

ふるかわ 拝