2006年9月

平成18年9月26日(火)
第174号   「ゼスプリゴールド」

キウィというフルーツがある。日本語表記はこう書くのだろうが、発音は「キィウィ」が正しいと思う。ニュージーランド原産と思いきや、実は中国原産で、英語名はCHINESE GOOSEBERRY。とはいえ、中国からニュージーランドに渡って品種改良され、いまのようなキウィフルーツになったので、ニュージーランドのものというイメージが強いのは事実だ。

そのキウィに最近新しくゼスプリゴールドという名前の品種が出ているのをご存じだろうか。これまでキウィはグリーンのものが多かったが、このゼスプリゴールドは果肉が黄金色でとても甘い。

ニュージーランドには以前からあったのだろうが、数年前日本ではじめて発売されたころ、愛媛県の生産者団体が東京・大田市場でPRをやっている場面に僕はたまたま出くわした。

こちらは佐賀県産のいちご「さがほのか」を売りに行っていたのだ。敵情視察と思ってそのゼスプリゴールドをひとつ食べてみた。いきなりうまかった。これじゃこれまでのキウィは太刀打ちできないなと思った。佐賀県じゃなくて愛媛県で残念だったが、なんせその日はさがほのかを売りに行っていたのでそのことは忘れてしまっていた。

その後、あるところで新しい農作物を佐賀県内の農家に紹介して栽培してもらう仕事をしているという人に会った。

「いまどんな作物を進めていらっしゃるのですか?」

「ゼスプリゴールドというキウィです」

「あれって愛媛県だけじゃないんですか」

「愛媛県と佐賀県だけが日本でつくれます。私がその権利を買ってきたんです」

そういう会話をして別れた。

そして1年以上経ったある日のこと、もう一度その方に会った。

「キウィ好調ですか?」

「おかげさまで」

それだけの会話だったが職場に戻ってみたら佐賀県産の「ゼスプリゴールド」が届けられていた。ためしに食べてみたがやはりいきなりうまかった。まちがいなく市場を席捲しているに違いない。

それでふと思いついたことがあった。数日後に歌手の山崎まさよしさんと会うことになっていたのだ。何かおみやげがないかと思いあぐねていたところだった。よし、これだと思って、その方にお願いして、ゼスプリゴールドを分けていただいた。

そして当日、山崎さんに会うなり、「これ、佐賀県で作っているキウィなんですけど、とてもおいしいですから」とこのゼスプリゴールドをお渡しした。

こんな返事が返ってきた。

「えーっ、これって佐賀県で作ってるんですか」

「えっ これご存じなんですか」

「エビちゃんとかが宣伝してるやつでしょ。知ってますよ。だけど食べたことなかったんです」

そのとおり、エビちゃん(蛯原友里)も坂口憲二もCMに出ていた。

このキャンペーンにいくらかけたか知らないけれど、やはりコストをかけてやっただけのことはある。ふつうだったら、「知りませんでした。食べてみますね」、という反応だっただろうが、いわば「名前知ってました。食べたかったんです」という反応だったわけだから。

お米をはじめいろんな新しいものにネーミングがなされるとき、いわゆる「エライ人」にそれを頼む場合がある。僕もお米に名前をつけたことがある。もちろん素人の感覚も大事だとは思うが、ゼスプリゴールドの知名度の高さを思うと、デザイン、ネーミング、マーケティング、宣伝といった、形にならないところにきっちりお金をかけて手間ひまかけて大切に市場に送り出すことが大事なのだということをあらためて感じた。

佐賀県産のゼスプリゴールドは今年のシーズンは11月くらいにスタートする。ぜひとも見かけたら食べてみてほしい

ふるかわ 拝

平成18年9月19日(火)
第173号   「先週末の災害について」

先週末、佐賀県は秋雨前線の活動による豪雨と台風13号による風水害とによる被害に見舞われた。佐賀県内で命を落とされた方も3名いらっしゃった。心からご冥福をお祈りするとともに、負傷された方、家や田畑、工場、家財道具などが被害を受けた方をはじめとする被災者の方々に対して、心からお見舞い申し上げたい。

16日(土曜日)の朝を僕は唐津で迎えた。その日一日、障碍福祉の関係の仕事が唐津市内で予定されていた。唐津では朝から雷が鳴り雨もかなりはげしく降ってはいたが、「過去に例のないくらいひどい」とまでは感じなかった。しかし、その日の午前中、わずか10キロメートルくらいしか離れていない伊万里市のある地域で鉄砲水が出て被害が発生していた。唐津市でも山間部で土石流による大きな被害が出ていたが、伊万里市では流された人がいると知り、僕は、午後の予定を変更して伊万里市の現場に向かった。途中、通行止めになっているところを避けながら現場近くまで辿り着いたが、その現場近くになるまで、本当に雨が大量に降ったのかが信じられないくらい、道路は乾いていたし、痕跡がなかった。しかし、鉄砲水が出た現場近くは、上流から流されてきた流木や家財道具が散乱し、道端には乗用車が乗り上げていて、突然の出水のひどさを物語っていた。トラックの荷台が横倒しになっているところもあった。

消防団・消防職員や地域の方々などの懸命のご努力のおかげで、命を救われた方も多くいらっしゃったが、残念ながら一瞬のうちに命を奪われた方もおられた。本当に痛切の極みだ。

その後、伊万里市内を経由して佐賀市に向かい、県庁の災害警戒本部に到着し、状況を聴き、こちらからも現場の状況を説明した。

情報を総合すると1時間当たり100ミリ前後という、短い時間に降った雨の量としては過去にない記録的な雨がこの日降った。しかも、唐津市全体、伊万里市全体ではなく、ピンポイント的に豪雨に見舞われた。まるで、上から水鉄砲を浴びせられたかのように。

18日(月)には、唐津の土石流による被災現場に唐津市長さんと一緒に足を運んだ。あっという間の突然の局地的な降雨により発生した土石流のために大きな被害が出ていた。避難所で何人もの人にお目にかかり、復旧と生活再建に向けて地元市とともに最大限取り組むことを約束した。

最近、「過去最大級の」という形容詞で語られる台風や大雨が増えてきているように思う。雨の降り方が南国に似てきているようにも感じる。これまでの「経験だけに頼る防災」から、予測をする、進んだ形での防災・減災対策が求められている。

今回の豪雨・台風では、農林水産関係でも大きな被害が出ている。議会の合間を縫って現場を確かめ、全力を挙げてしっかりと取り組みたい。

ふるかわ 拝

平成18年9月12日(火)
第172号   「韓国での再発見」

先週の後半は韓国にいた。正式名称は長いのだが、要するに日本側4県、韓国側3道1市からなる日韓知事会議に出席するためだ。場所は全羅南道の木浦(モッポ)市の隣りに位置する務安(ムアン)郡。全羅南道の道庁所在地だ。



今回で15回目となるこの会議。名前が長いだけでなく、内容があるのも特徴で、これまでも青少年、水産、観光などの共同交流事業が続けられてきた。佐賀県は、とくに全羅南道と縁が深く、これまで職員の交流を続けてきているし、今回の道庁移転式典の折には、副知事を派遣してお祝いを申し上げ、また、「焼き物と農業」がお互いに盛んだということをキーワードに、様々レベルで情報交換を続けている。

例えば、実りのある事業としてこういうことも始められている。
この地域は、海峡を挟んで向かい合わせ。気象や災害は国境に関係がない。だから、いま気象や災害について、相互の連絡網を整備しつつあるのだ。とくに、鳥インフルエンザや口蹄疫のような伝染病はいったん発生するといとも簡単に国境を越える。だから、この地域を構成する8自治体において、こういう伝染病が発生した場合にはお互いに情報交換できるように、フォーマットと担当者、そして連絡の手段まで整備しつつあるのだ。
これは去年の会議で僕が提案したのだが、いま、「言語は何を使うのか」、「どういうタイミングでどういう内容にするのか」、実務者レベルでさらに検討が進められていて、まもなく正式にスタートできる予定だ。しかも、ただ、形だけのものにならないように、年に3度くらいは訓練をしておこうという提案までなされている。ここをみても、その真剣さがわかると思う。

この会議は、日本と韓国で交互に開催しており、一昨年も韓国だった。そのときは、慶尚南道の道庁所在地の昌原(チャンウォン)。今回は、務安郡だが、ここも道庁所在地。いずれも、それぞれの地域の中心都市が広域市となり、道庁の管轄から独立し、そのために道庁が移転した所だ。
韓国では、道と広域市は同格で、管轄権のない同格の道庁が広域市内にあるのはおかしいという理由で、釜山や光州市が広域市になるや、慶尚南道は昌原に、全羅南道は務安に道庁を移転させたのだ。

昌原も務安もいずれも移転して新しい都市を創るということで、開発が進められていた。
とくに、今回行った務安は、道庁の周りには何もなく、新しいマンション(韓国風にいえばアパート)が2、30棟建設されていて、まさに新しい街を創っているのだということがよくわかる。真新しい道庁の建物に登って、周りを見渡してみたが、ほかに目立つ建物がひとつだけ。あれは何かと聞いてみたら、「知事公舎です。」という答えが返ってきた。職員は道庁の近くに住まず、木浦や光州から通っているが、知事はそういうわけにはいかないと、一家族だけぽつんと住んでいるらしい。どこの国でもこういう仕事をしている人の求められるものは共通のようだ。

この道庁で、新発見があった。民願室(ミノンシル)というスペースだ。市役所でいえば、市民総合窓口、佐賀県庁でいえば
「さが元気ひろば」ということになるだろうか。要するに、何か役所に申請ごとのある住民は、まず、この民願室に行って、そこで窓口の担当者に「これこれの用件で来た」という。例えば、不動産関係の手続きで来たということであれば、窓口職員が形式的に審査をして受け付け、その後、担当課に回し、何日か後に行くとそれが処理されている、といったシステムらしい。いちばん多いのは旅券の申請のようで、窓口にも旅券はこちらという案内があった。要は、住民のためのワンストップサービスが実現されているということなのだ。
しかも、これは昔からあったのだという。ほかの韓国の知事さんにも聞いてみたが、どこの道庁にもこの民願室はあって、住民の人は「道庁に行く」といえば、この民願室に行くこととほぼイコールに考えているくらい馴染んでいる存在だという。「元気ひろば」の進化形を見る思いがした。

ふるかわ 拝

(注)「さが元気ひろば」・・・佐賀県庁の総合相談窓口のこと。この窓口は県民の方が担当課に出向くのではなく、担当課の職員が窓口に来て応対する方式が画期的。


平成18年9月5日(火)
第171号   「ラスト・シネマにしないために」

先週の日曜日、佐賀市内の街なかにある映画館のラストショウを観に行った。この日は一般上映ではなくて「映画でつくる佐賀実行委員会」主催の「第5弾よみがえる佐賀!名作映画フェア」(「次郎物語」と「クレーマー・クレーマー」)だったのだが、これでひとまず幕を下ろすことになったことには違いなく、街なかに映画館を!と訴え続けていた者としてはまことに残念だ。
僕はこの映画館に最近までよく通っていた。ずいぶん通ったほうだと思う。いつも、財布に回数券を入れていたくらいだ。でも左手を怪我した5月以来足が遠のいていた。左手も治りやっと自転車にも乗れるようになり、これで映画館通いを復活させようと思っていた矢先の閉館の知らせで、なんだが自分がつぶしてしまったような気さえする。 
しかしながら、ただ残念と言うだけではなく、県民協働でぜひ上映が再開できないものだろうかと思う。
この映画館のオーナーもなんとかこの施設を活用できないのかという気持ちを持っていただいているようでもあるのだ。

僕が以前住んでいた岡山市には、映像文化研究会という自主上映のサークルがあって、そこが何年にもわたってアート系や単館系の作品をホールで上映していた。ハリウッドの大作映画じゃなくて、イランのキアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ」とかフランス映画の「アメリ」とか、いま風にいえば、「かもめ食堂」なんかを上映していたということだ。月に一回の上映会で、僕もときどき顔を出していたのだが、あるとき、その会を主催している人から「今日の上映会が終わった後に話がありますから都合のつく人は残ってください」みたいなことを言われた。「たいへんだから、もうこの会をやめる」ということかなと思っていた。そしたらまったく逆で「毎月1回上映するのではなく、常設の小屋(映画館)を作りたい。ついては協力してもらえないか」ということだった。
協力といっても精神的なことだとか体力的なことしかできなかったが、結局、その映画館は見事に出来上がり、苦労もいろいろされながらだが今日に至っている。
シネマ・クレールというすてきな名前そのものもその主催者の方によるネーミングで、最近ではシネマ・クレール2までできたというから成功しているのだろう。

あるサイズの街には、シネコンでポップコーンを食べながら、というのではない、場内飲食禁止・入替制のアート系の映画館があってもおかしくないと思う。そういうものの存在が街に厚みを生むのだと思う。
最近シネコンは増えてきているのだが大型のショッピングセンターはどこも品揃えが似ているように、シネコンだけでは映画事情は改善しない。というのはシネコンはラインナップがほぼ同じなのだ。
たとえば佐賀県内にはいまシネコンが二つあるが、この日曜日現在で調べたところでは小さいほうのシネコンで上映されている映画は全部大きいほうのシネコンでも上映されている。つまり、スクリーンの数は増えてもラインナップが増えていないのだ(今年の秋にもうひとつシネコンが増えることになっていてそこに一抹の期待なしとはしないのだけど)。
そう考えれば、そういうのとは違う、別のタイプの、いわば市民が運営する映画館が佐賀県にあってもおかしくないと思う。
これまで公共的なものは行政が整備して行政が運営してきた。最近では、運営については民間が行うという例も増えてきた。でも、こういう映画館は、整備も運営も民間だけど、そこになんらかの形で行政がサポートするということが考えられないだろうか。こういうのこそが「新しい公共空間」ということではないだろうか。

ふるかわ 拝