2007年3月

平成19年3月21日(水)
臨時増刊号「マニフェストキャンペーン」 〜いささか長い12日間のまとめ〜 

マニフェスト発表後、ムービー版とものがたり本を観たうえで僕の話を聞いていただく説明会「マニフェストキャンペーン」を60回やった。「ものがたり本になったマニフェスト」も「ムービーになったマニフェスト」も日本で最初だと思うが、こういうかたちで60回にわたって県民の方々に説明をし、意見をいただいたというのもはじめてではないだろうか。いやむしろそのことこそ一番の誇りをもつべきことなのかもしれない。

キャンペーンの中身もずいぶん変わってきた。最初は「くらし編」「しごと編」を続けて上映していたが、内容がわかりいくいという声があったのを受けて、「くらし編」が終わったあとに、僕が解説を入れるようにした。また、ムービーそのものに目をとられて、それと同時にそのムービーの画面の下のほうに出てくるマニフェストになかなか目がいかないということも耳にしたので、その中途解説のときに、僕自身がそのマニフェストの意図と内容についてひとつひとつみなさんに説明していくことにした。こうしたこともあって、このマニフェストキャンペーンは回数を重ねるうちにかなり洗練されたものになってきたと思う。

ムービー版を見ていただいたらわかるのだが、それぞれの登場人物がしゃべるときに、吹き出しをつけて、耳だけでなく目でも読んでわかるようにしてある。先日、あるかたから、このムービーは吹き出しがついているのでわかりやすくてよかったという声をいただいた。そのかたは人工内耳を使っておられるかただった。ひょっとすると耳の不自由なかたがこられるかもしれないから、という理由で、webmasterの提案でつけた吹き出しだったが、やはりよかったなと思う。

キャンペーンの中でよく聞かれることのひとつが、「誠のしごとのマニフェスト」の1番、企業誘致の数値目標のことだった。「3,600人の新規雇用をめざします」と書いているのだが、過去の5年間の誘致件数は、新規雇用者数が4,745人なのである。なぜ過去の4年が4,745人なのにこれからの目標が3,600人なのかということを聞かれるわけだが、過去の4年間で売れ残っていた大きな区画の工業団地をほぼ売りつくしてしまい、これからの4年間ではこれまでのような大型の誘致は難しいと考えているからです、と説明すると納得していただける。「マジメに考えておられるのですね」といわれたこともある。
このほか、一見楽そうに見える数字でもたいへんなものもある。たとえば図書館先進県づくりを進めるための県民一人当たり貸し出し冊数の全国順位の1ランクアップだ。佐賀県における県民一人当たりの年間貸し出し冊数は全国3位になっている。これには佐賀市立図書館が、これまで冊数を制限せずに貸し出しをおこなってきたことが大きい。ただ、最近、この無制限貸し出しが15冊以内に制限されたために、佐賀市民の図書館の貸し出し冊数自体は減ってきている。そういったことをわかりながらも、さらにこの全国順位を上げようというのだから実は大変なのだ。しかもこれは行政の働きかけだけで増えていくというものではない。そういったことをわかりながらもより広く県民のみなさんに図書館を使っていただきたい、また図書館未設置の市、町に対する設置を進めていかなければいけないという思いを込めて、この3位から2位というのを作った。
このマニフェストキャンペーンをやっていて、今まで知らなかったことに気づかされたことがいくつかある。その中のひとつが「自分たちの住んでいる地域に働く場をつくってほしい」という声が農村部で聞かれるようになったということだった。40〜50分かけて近くの大きな市まで働きに行くという人が増えていくと、地域の守り手がいなくなる、というのだ。消防団の活動ひとつをとってみても、24時間その地域に住んでいる人がある程度いなければなかなか保つことができないという。

「家事時間」に対する反応もいろいろだった。「男性の家事時間を27分のばします」、ということなど、およそマニフェストになじむのかという声もあったし、何のメリットがあるのかという声もあった。それに対して、ある市の民生委員のかたが手をあげられ、「高齢者世帯を訪問していると男性の高齢者の家事能力があまりないために、どんなに高齢になっても女性の配偶者に頼りきっている、女性の配偶者が他界してしまうと急激に男性のほうが生きる力を失っているという例をよく見かける。そういうことがなくなるためにも、ぜひ男性にも家事ができるようにしてほしい。このマニフェストには賛成」という声をいただいたこともあった。また、男性の家事時間の分析をしていると高齢層になればなるほど、介護の時間が家事の時間の多くを占めていて、しかもそれが主に女性によって担われている、だからこそもっと男性も家事を、という発想が必要なのだ、ということにも気づかされた。

10年後の佐賀県のイメージとして作ったこのムービーが、こんなふうにうまくいくのかという声もある。「甘すぎる」ということだ。もちろんそっくりそのままこんなふうにはいかないかもしれない。ただ、こうなったらいいな、こんなふうにしたい、そういうイメージをもっておく、ビジョンを明らかにすることは必要じゃないかと思うし、こうした姿に一歩でも近づくために努力をしなければいけないとは思う。逆に「10年後も女性がこどもの送り迎えをしているのか」、「深夜まで残業しているのか」、という声もある。こういうことも含めていろんな声をいただいていることがとてもうれしい。
もちろん、いちばん多いのは「政策がわかりやすくなった」というご意見だということは言っておきたいけれど。

こうして3月10日以来、12日間にわたったマニフェストキャンペーンを終えた。
キャンペーン回数60回、参加していただいた方延べ約3,200人、いただいた質問やご意見244。

僕の手元には一冊の黒いノートがある。「マニフェストノオト」と書かれている。キャンペーンの中で出た質問、それに対する自分なりの感想や考えをずっと記してきている。
これを大切な財産にして、これからの選挙戦を戦っていきたい。
3月22日以降、つまり告示日以降は、公職選挙法の規定により、投票日までこのサイトの更新はできなくなる。

web上でお目にかかってきたみなさまとは4月10日までしばしのお別れとなる。なんだかどきどきする。二回目の選挙だけど、気持ちは新人のときと同じだ。
とにもかくにも

がんばらんば! 


ふるかわ 拝

平成19年3月21日(水)
第199号「メイキング・オブ・マニフェストの後半」 

こうして三つの作業が動き出すことになった。ひとつはものがたり版マニフェスト、つまり10年後の佐賀県のイメージを書いたものの仕上げ、そしてそれを4年間どう具体化するかという、いわばマニフェストそのもの、そしてそれを映像化したムービー、これをいわば三位一体で進めるということになったのだった。前年の秋にだいたいの方向は出ていたものの、細かな点でのチェックを始めるとものがたりそのものにもいろんな点で見直しが必要になった。たとえば、時点をいつにするのか。10年後、つまり2017年4月1日というイメージで考えていたのだが、4月1日だとすると、春休み中ということになってしまう。ということでそれを5月1日にしたり(もちろん曜日も調べて)、ということや主人公の陽菜ちゃんは高校生なのか、中学生なのか、みたいなことだ。主人公の苗字や名前もそれなりに考えた。「山口」「陽菜」や「誠」にしたのはわけがあって、「山口」は、佐賀県でいちばん多い苗字だから、「陽菜」や「誠」も、それぞれ2003(平成15)年、1972(昭和47)年生まれで、いちばん多い名前ということでそう決めた。

それだけ考えたつもりだったがもちろん反省点もある。たとえばなぜこの山口家の家族には寝たきりの老人がいるという設定にしなかったのか、ということなどだ。また、10年後のイメージだといいながら、4年間で実現するといっている窯業大学校の4年制を「今度4年制になったらしい」ということを言わせている。そういうところはいくつもある。

とにもかくにもあまたの労苦と努力とネットワークとITを駆使して、ものがたり版マニフェストとムービーはできあがった。3月9日、発表の前日の夕方のことだった。

あとの苦労話はwebmasterにお願いしたい。

ふるかわ 拝
webmasのマニフェストムービー制作奮闘記

平成19年3月13日(火)
第198号「メイキング・オブ・マニフェスト・ムービー」(なぜこういうものを作ったのかなど 編)

先週の土曜日に満を持して「古川康マニフェスト2007」を公表した。会場では70席を準備していたのだが、入りきれないほどのお客さまに来ていただき、盛り上がった。

今回の僕のマニフェストは、ほかの人のとはかなり変わったものになっている。

ひとつは、ものがたりになっているということだ。10年後のすてきな佐賀県の姿をイメージとして物語化し、そうなるためには、この4年に何をしなければならないのか、ということをマニフェスト本体として示した。これは日本ではじめての試みだ。
そしてもうひとつは「紙芝居」〜フラッシュムービー〜を作ったことだ。

この「物語」を最初に書いたのは、去年の秋のことだった。物語にしてみようという気は前からあったのだが、なかなかその気にならずに困っていた。ある日曜日の午後、ふと書けそうな気がして書き始めたら2時間くらいで書き上がってしまった。その後なんども改訂したけど、ベースは去年の秋のものと大きくはちがっていない。

お正月ごろから、これを映像化できないだろうかと思い始めた。物語でも十分読みやすいが、映像の方がもっとわかりやすいからだ。

まずシナリオを書いてもらうことにした。知り合いのクリエイターが園田英樹さんという方にお願いをしてくれた。園田さんは佐賀県鳥栖市の出身で、ポケットモンスターなどの脚本を書いておられる超売れっ子ライター。この物語の脚本化なんてやってもらえるとは思わなかったけど、なんとOK。しかもボランティアでやっていただけることになった。

本当にやってもらえるんですか?と正直どきどきだったが、きちんと予定した日に原稿が入っている。しかも、僕の物語を下敷きにしながら、そこは脚本家で、原作にはなかったフルフルという犬やアメリカ人ビル・マンスフィールドなる人物を登場させて、話にふくらみをつけておられる。たしかに、こうしたしかけでずいぶん話が立体的になってきた。

さあ、今度は絵を描く人だ。これが難しかった。そもそもなんのかんのとしているうちにもう1月に入ってしまい、作家にものを頼むにはけっこうタイトなスケジュールとなってしまったのだ。県内在住のイラストレータや漫画家、県にゆかりのあるアニメーション作家などいろんな方にお願いしたけどだめで、困っていたある日のこと、webmasterが「いい人をみつけました!」とコンピュータの向こうで飛び上がって喜んでいる姿が浮かぶようなメールが来た。
探しつづけて、やっと「この人なら!」という絵に出会えたというのだ。

実は、その前夜、一緒に仕事をしているクリエータからは、「もう誰がいいか、とかじゃなくて誰ならやってくれるか、という世界ですから、とにかくやってくれる方にお願いしましょう」と最後通告のようなものをつきつけられていた。そのとき、ある方のイラストを見せていただいた。この方ならやっていただけるかもしれない、とのことだった。表情にあまり豊かさが感じられない絵ではあったが、優しい雰囲気のタッチだったので僕としてはそれでいいのではないかと思っていたのだが、webmasterのイメージとは違っていたようで、僕が「あれでいいです」と返事しました、とメールしたら、「本当にそれでいいんですか!」と納得しない。結局、webmasterがびっくりするような方法でぴったりの人を探してきてくれて、いまの絵を描いてくれた。なんか奇跡みたいだった。

この話、書いているときりがない。

途中だけどとりあえず今回はここまで。

ふるかわ 拝
webmasのマニフェストムービー制作奮闘記 

平成19年3月5日(月)
第197号「浅野さんは東京都知事選挙に出るべきかどうか」

前宮城県知事の浅野史郎さんが今度の東京都知事選挙に出馬する決意を固めつつあるらしい。
各種イベントやセミナーで浅野一座の末席に位置する身としては、浅野さんの人となりや魅力をよく知っているだけに浅野さんの行動を応援したい、というのが正直なところ。
ただ、僕の中で、浅野さんの「今回の行動」について自分なりにうまく解説できずにいるのも事実。
ということで「ある県の知事だった人が別の県の知事になろうとすること」がいいのか悪いのか、考えてみた。

プロ野球の監督がある球団から別の球団に移ることはよくある。
これはなぜ許されるのか。「球団との契約だから」というのが答えだろう。球団から「もうあなたとは次期の契約は結びません」と言われればいくら本人がその気でも続けられない。
でも、すべての監督がそうやってやめているかといえばそうでもない。球団としては続けてもらってもかまわないと思っても、本人がやる気を失うとか長すぎてマンネリになるのを避けたいとかしばらく充電したいとかそういう理由でやめる場合もある。
だとすれば充電が終わったり監督業の勉強を重ねた人が別の球団で活躍の場を求めたとしてもおかしくはないだろう。

ある企業の経営者が別の企業に移ることも増えてきた。自動車会社から空港を作る会社に、とか、海運会社から郵政公社に、というのをはじめ最近ずいぶん増えてきた。かつてはその会社に入った人がこつこつとのぼりつめて役員になり、その中でさらにのぼり詰めたひとが社長になる、ということが多かったと思うが、もう内部で「政治」をしているだけでは世の中やマーケットの変化に追いつけなくなってきたということが大きいと思う。
では扱うものが別のものであっても、社長業は成り立ちうるのだろうか。答えはイエスだ。扱うモノやサービスがちがっていても、経営というひとつのジャンルの仕事としての共通点の方が大きいということだと思う。
さあ、野球監督と経営者の場合はOKのようだ。知事はどうか?
知事職も監督や経営者に似ているところがある。以前に比べて知事の仕事は「技術」化している部分がある。たとえば、ある地域で改革が求められているとき、改革の「技術」や「技法」を持った人がその地域にはいないということがありうる。そのときに、かつてある県で知事職を務めた人がいて、その人はそういう「技術」や「技法」を持っている場合、その都道府県における知事選挙の候補者になることはありうるのではないか。もちろん、知事は選挙で選ばれるから改革の技術に関する必要条件を満たしている人が、当選のための十分条件を満たすかどうかはまったく別問題だが。

浅野さんの場合、二つのポイントが浮かんでくると思う。

1 浅野さんはなぜやめたのか。
たとえば、これがたとえば「同じ人間が長く知事をやるのはよくない」という理由だとしたら、どんなに本人が宮城県政にあくなき情熱を持っていたとしても、長く続けることはできないということで自分のポリシーに従って辞めたわけで、ほかの県の知事になるということ自体はおかしくない。「充電したい」という場合はにビミョウかもしれない。まだ知事職を辞して一年ちょっと。しかも慶応大学の教授として忙しい日々を送っておられるわけで充電ランプが消えるほどにはなっていないのではないかとも思う。
一方、知事という仕事自体に魅力や情熱を感じなくなったのが辞めた理由だとしたら、今回の行動の説明はやや難しいかもしれない。ただその場合でも、宮城県知事と東京都知事はちがうのでそれはそれでまたおもしろそうだと思った、というのもあながちおかしくはないのかもしれない。ただ、ここは意見が分かれるかもしれない。

浅野さんがなぜ宮城県知事を辞めたのかは2005年12月2日付けの朝日新聞に掲載されている「特権と陳腐化に抗して 〜 知事を辞めたこと 好きな仕事始める時〜」と題した一文に記されている。それを読むと要するに「長く続けるのは悪いから」ということに集約されているように思う。その文章の中で「知事」というコトバが何度も出てくるが、それらはたいがい「宮城県知事」のことだ。これを読む限り、浅野さんは「宮城県知事という仕事を同じ人が長く続けることがよくない」と判断をしている。一部の人が「知事をやるんなら宮城でやれ」と言っているようだがそれはちがうと思う。それはだめだと浅野さんは言ってるわけだから。
だから、浅野さんのチカラを必要としている東京都民の人たちから声がかかって本人が少しその気になりかけてもおかしくはないように思う。
ただ、浅野さんはこのこと以外にも知事を辞めることにした理由として「知事以外の仕事ができるようになりたい」と言われていた。これはどうなる?という気もするが、まあ、そこは僕は浅野一座なので評価がどうしても甘い。
2 東京都知事になって何をやりたいのか もしくは 何をやってほしいと求められているのか
こっちのほうが難問かもしれない。これまでの浅野さんの言動を見ていると、オリンピックのことや「都民から悲鳴が上がっている」というのは後付けの解説のように聞こえてしまう。どうもアサノ節ではない。浅野さんには東京都知事になってやりたいこと、などないのではないかと思う。でも、それでいいのではないか。それは浅野さんを担ぎ出そうとしている人たちがまずやらなければならないことではないだろうか。浅野さんを担ごうとする人たち自身が自分たちでマニフェストを作る。そして、このマニフェストを実行してくれる人として浅野さんを選ぶ。そういうプロセスが必要なのではないか。浅野さんを担ごうとしている人の心象風景としてはとにかく石原さんではだめだから石原さん以外で、しかもすでに名前の上がっている人たちでもない、市民派の代表としての浅野さんに東京都の舵取りをお願いしたい、オリンピック招致なんかはどうでもいいし、身内の芸術家に税金で支援をしないでください、とか、そういうことのような気がするのだ。
だから、浅野さんはこの点については、現時点ではあまりいろいろ言う必要はないように思う。

と、考えてみた。
浅野さんが東京都知事選挙に出ることがおかしいということにはならないような気がしてきた。

ただ、やはり何か足りないと思うのだ。いくら担ぎ出す人がマニフェストを作ってみたところで浅野さん自身が東京都の改革や将来ビジョンについて燃えるような思いを持たなければ有権者に伝わらないだろう。
たぶん、浅野さん自身もそのことがよくわかっておられるのだと思う。

自分自身を燃え立たせるものに出会えるかどうか。
それが見つかれば堂々の出馬になるだろう。
ただ、それが見つからなかった場合のことだが、ひょっとしたら最後の最後、「やはり出ません」ということもあるのではないか、とも思っている。
それはそれで筋を通す浅野さんらしいとも思う。
だめだな、とかく評価が甘い(笑)。

ふるかわ 拝