2007年5月

平成19年5月29日(火)
第206号「それでもボクは・・・」

こないだ飛行機の中で映画を観た。その中のひとつが「それでもボクはやってない」だった。そう、痴漢の冤罪の物語である。実際にあった話を基に作られた。痴漢行為をしていないのに被害者からあなたがやったといわれ、裁判の結果、有罪になってしまったという話だ。 
事実とは違う判断が下される。こういうことはあってはならないことだがそれでもあるらしい。
先日、ある弁護士の方と「それでもボクはやってない」について話をした。「事実を認定するのって大変なんですね」と申し上げたところ、その方が司法修習所で研修を受けていたとき、こういうことがあったという話をしていただいた。それはこんなことだった。

あるとき、講義中の教室に司法修習所の事務の人が入ってきて、講義中の先生に資料を渡して立ち去った。先生は何事もなく講義を続けた。と、突然、先生が「さっき入ってきた人、いたよね、私に資料をくれた人。あの人男性だった?女性だった?」と学生に尋ねた。
学生たちは笑った。厳しい試験をくぐり抜けてきた、いわばわが国最高峰の頭脳を持つ者たちに対する質問としてはあまりに幼稚だったからだ。
ところが、「その人はスーツを着ていたか?」「ネクタイは?」となると学生たちの答えが自信をなくしはじめた。ましてや「シャツの色は?」「どんな靴をはいていたか?」となるとてんで答えはばらばら。
だから、その先生はおっしゃったという。「わずか数分前のことなのにこれだけあいまいなことしかわからない。人間の記憶はいかにあてにならないかということです。しかも、法律家は何が真実か判断していくときに、そのあいまいなものを手がかりにせざるを得ない、そこが大変なのです」。

なるほどそうなのだろう、と思っていたら、「それでもボクはやってない」と同じようなことが実話として先週の土曜日の新聞に載った。朝日新聞によれば以下のような内容だ。

通勤電車内で女子高校生(当時17)の尻をスカートの上から触ったとして、大阪府迷惑防止条例違反の罪に問われた兵庫県内の男性銀行員に対する控訴審判決が25日、大阪高裁であり、陶山博生(すやま ひろお)裁判長は一審・大阪地裁の有罪判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した。「被害者は体に触れたのが誰の手かを正確に認識できたとは考えがたく、痴漢をできる位置には男性以外の人も立っていた」と述べた。
判決によると、男性は昨年1月18日午前7時すぎ、阪急電鉄塚口駅(兵庫県尼崎市)―十三駅(大阪市淀川区)間を走っていた特急電車内で、背後から尻を触ったとして女子高生に手をつかまれて現行犯逮捕された。
陶山裁判長は、女子高生が左手を後ろに回して犯人の手に触れたところ、その手がいったん離れ、後ろ手で追いかける形になったと指摘。「被害者は犯人の手の動きを直接見ておらず、『読んでいた新聞を下ろした際に手をつかまれた』という男性の供述は否定できない」と判断した。
男性は捜査段階から一貫して否認。昨年10月の一審判決は被害者供述の信用性を認め、男性を懲役4カ月執行猶予4年(求刑懲役4カ月)とした。高裁判決後、男性の弁護人は「高裁は男性の言い分に耳を傾け、証拠をきちんと吟味してくれた」と評価した。


何事につけ、事実をわかってもらうのは本当にむずかしいことのようだ。


ふるかわ 拝

平成19年5月22日(火)
第205号「家計簿と夕張市」

家計簿と体重計は似ている。記録するだけでどうなるというものではないのだが、改善させたいという気持ちになることはまちがいない。また、家計簿を分析すればどうやって収入を増やすか、支出を削るか、いろんなことが見えてくる。

ところで、その家計簿の収入を分析してみたら、収入の約半分が「その他いろいろ」だったとしたらどう思うだろうか。「給料」とか「地代」とかではなく、いきなり「その他いろいろ」だったとしたら。ちょっとなあと思うだろう。

最近調べたところ、夕張市の財政状況というのはまさにそういうことだった。
普通の自治体は収入の多くは税と地方交付税だ。夕張市は人口1万3千人だが、同じような規模の市は佐賀県内にないので、元・炭鉱の街だったという意味で夕張市と共通点のある人口2万3千人の佐賀県多久市と比べてみる。

多久市の平成16年度歳入総額は106億円。そのうち、18億円(17.4%)が市税で、37億円(34.7%)が地方交付税。つまり歳入の約半分が税と地方交付税ということになる。これが普通だ。

ところが、破綻前の夕張市は平成16年度の歳入総額193億円(そもそもこれが多いのだが)の51.5%、つまり半分以上が「諸収入」(そのほとんどが「貸付金元利収入」)なのだ。こんな自治体見たことない。

諸収入というのは要するに「その他いろいろ」と言っていいような収入の集まりだ。それが歳入の半分を占めるというのは違法ではないにせよ、異常だということはまちがいないと思う。多久市の場合だと、「諸収入」は歳入総額の1.9%。これが妥当な数値だろう。夕張市のこうした処理は平成16年度だけのものではなく、その前から積み重ねられてきている。その年だけのことではなかった。

こうした決算上の数値については、道やその出先機関である空知支庁が決算統計のヒアリングをしたときに本当に気づいていなかったのだろうか。

なぜこのようなことを調べたのかというと、先日、愛媛県松山市で開催された日本地方財政学会における「破綻法制と地方債改革」シンポジウムにパネリストで出ることになったからだ。事前の勉強も当日のシンポジウムもたいへんためになった。

いまの国会に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律案」が提出されている。これによれば財政がちょっと危なくなったところはイエローカードが、もっとあぶなくなったところはレッドカードが、それぞれ宣告される。いわば「レフェリー法」だ。

このほか、地方債改革の分野におけるパネリストからの指摘も示唆に富むものがあった。僕はもともとこの学会の会員なのでほぼ毎年参加をしてきている。今回もまた、いろんな勉強をさせてもらった。自治体職員の参加もけっこう多い。

「こういう学会に参加していると、職場ではけっこううさんくさいと思われて大変なんですよ。ぜひそういう職員を応援してあげてくださいね」。とある自治体職員の言葉だ。

「もちろんです、応援しますから」。胸を張って応えた。がんばらんば!


ふるかわ 拝

平成19年5月15日(火)
第204号「1ドルコイン」

先日、知り合いのアメリカ人から1ドルもらった。よく見るブルーノート(紙幣)ではなく、コインだ。アメリカのお金に1ドルコインがあるとは知らなかった。どうもかつて何度も1ドルコインは発行されていたようだが、「重い」とか「ほかの硬貨とまぎらわしい」という理由などであまり普及しなかったのだという。何事にも積極的に取り組むアメリカ政府は、歴代大統領の顔を刻んだ1ドルコイン2007年から毎年4種類づつ発行することを決めたそうで、僕がもらったのもその中のひとつ。ジョージ・ワシントン大統領の顔が刻まれたものだった。僕にそのコインをくれた彼女も街でたまたまみかけたというのではなく銀行でわざわざ代えてもらったというように普及という点ではまだまだのようだ。ただ、以前に比べて自動販売機やパーキング・メータの存在が大きくなってきている分、今回は広がるかもしれないとも聞いた。1ドルは120円前後だから、1ドル紙幣というのはいわば百円札。ユーロ(1ユーロはざくっと150円くらい)にしても、2ユーロまではもうコインになっているのだから1ドル紙幣が幅を利かせているというのも不思議な感じではある。

アメリカの通貨制度で日本にも取り入れることができないかと思うのが、ステイト・クォータ・プログラムだ。つまり「クォータ」硬貨(約30円)の裏のデザインを「ステイト」(州)ごとに変えて発行するという「プログラム」ということ。コインの表は共通だが裏の部分については毎年どこかの州のシンボルをあしらってデザインしたものを発行していて、2008年にはすべての州の硬貨の発行が終わるはずだという。

おそらく経済学的にはなんの意味もないのだろうが、たとえば100円硬貨の裏が各県のデザインということになると、裏を見る楽しみが増えるではないか。

元気が出る地域づくり。ふるさと納税もいいけれど、地域記念通貨もわるくないのではないだろうか。サミットを記念して、2008年にメイン会場の北海道をはじめ関係閣僚会議が開かれる京都、大阪、神戸(兵庫)、新潟、東京からスタートさせるというのはどうだろうか。


ふるかわ 拝

平成19年5月8日(火)
第203号「『郵政民営化』そして『YouTube』時代の選挙」

連休の合間というか今年から「みどりの日」になった5月4日の朝日新聞の「私の視点」の欄に僕の投稿が掲載された。「「作る」から「届ける」へ」と題してマニフェスト解禁後はじめての地方選挙となった今回の選挙を省みて、良かった点や改善すべき点を論じた。

編集部からのアドバイスに従い、内容的に修正を加えたり、表現を改善したりしていった結果があの投稿原稿となったが、どうしても字数の関係で削らなければならない部分もあった。

今回の週刊yasushiでは、その投稿には書ききれなかったポイントを解説させていただきたい。ちょっとカタイ話になるがどうかご勘弁を。

1 配布方法をもっと柔軟にしてほしい
今の法律では、マニフェストを配布する方法としては、個人演説会と街頭演説、選挙事務所と新聞折り込みだけ。僕は法律で認められた上限の13万枚作ったが17日間に手配りで配ることができたのは1万8千枚だった。ただ、佐賀県の有権者数は68万人。手配りできたのはわずか2.6%にしかすぎない。残る11万1千枚は新聞折込で配った。ただ、佐賀県の世帯数は約29万。もっと「届く」ようにしなければと思う。いまは、残念なことに新聞を読まない世帯も増えてきている。そういう中、宅配については、新聞折込しかだめというのではなく、たとえば郵政公社がてがけている「タウンプラス」を認められないものかと思う。この「タウンプラス」(正式名称「配達地域指定冊子小包郵便物」)という商品は一定地域内の(佐賀県内すべてのということも可能)全世帯に配布をするというもので、1枚当たり27円(小さいサイズのものだと19円)とコストはやや高いが一定の地域内の全世帯に配布が可能になる。もちろん、手配りで各家庭のポストに入れることを認めるというのもひとつの案ではあるけれど。

2 YouTubeを使ってみた
今回の選挙の告示前、僕は、YouTube(英語版)に自分の政策やプロフィールについての動画を投稿して僕個人のサイトで見られるようにした。東京都知事選挙ではある候補の政見放送がYouTubeに流出したという記事も目にした。これはその候補者が意図的にそうしたということではないようだが、そもそも、政見放送は多くの場合告示前に収録をしてしまうのだがその政見放送と同じ内容のものを別に撮ってそれを告示前にアップしておけば告示後も自分のサイト上で政見放送(と同じ内容の動画)をいつでも見ていただくことが可能になる。

さすがに僕もここまでやると行き過ぎかと思ってやらなかったけれど、こういうことも含めて、時代に合った形に公職選挙法を変えていかないといけないと思う。たとえば、毎日ブログを書いている人がたまたま選挙の期間中ボランティアで選挙事務所に入って来られたとして、毎日の日記として、選挙事務所の様子や「がんばろう」ということや読者に対して「応援してね!」というようなことを書くことは普通にありうることなのではないだろうか。

ふるかわ 拝

YouTube(ユーチューブ)・・・米国・カリフォルニアのユーチューブ社が運営する動画ポータルサイト。サイトは英語で構成されており、サービスは全て無料で利用できる。
http://www.youtube.com/


平成19年5月1日(火)
第202号「私の好きなお国ことば」

これはこの4月16日に小学館から発行された本のタイトル。47都道府県ごとに一人ずつその土地にまつわるコトバについて語ったコラムをまとめたものだ。もともとはウェブ上でのものだったが、意外に評判がよかったらしく、今度本になった。

佐賀県のところは僕が書いている。「横着」というコトバを題材にして。
ほかにも書き手はあまたいたはずで、ほかの県ではだいたいその県出身の作家や詩人などが多い。熊本県は八代亜紀さんだし、徳島県は柴門ふみさん、栃木県は立松和平さん、という具合だ。だから、まことに光栄のかぎりだったのだが、実はびっくりしたことにその本の中に僕がほかの県のところでも登場していた。

それは長野県。長野県のところは気象エッセイストの倉嶋厚さんが書いておられるのだが、「信州人のよく使う言葉に「そうはいっても」がある、と1991年当時の長野県地方課長古川康さんが書いている。」と始まっていて、僕がかつて書いた本(たしか「あんたが大将!信州人」(銀河書房)だったと思う)の中から引用をしていただいているのだ。
正直、うれしいなあ。
こうしてウェブで初出だったものが書籍としてまとめられたものを読んでみると、ウェブと活字の違いを感じる。

ネット上の情報はいわば「消えモノ」。いつ削除されるかもいつ訂正されるかもしれないし、47都道府県のそれぞれのお国ことばというのもネットで検索すれば山のように出てくることだろうが、それは素材の塊りということであって、それだけでは整理された情報や知識にはならない。もちろん、ネット上であっても一定の編集方針のもとに、テーマに沿う作品が集められている場合には信頼感というのはあるが、いつこの情報が消えてなくなるのか、という恐れは消えない。

それがこうして書籍というカタチになると歴史的に残っていくという安心感と味わいが増しているように思う。情報を流すだけではなく、しっかり心の中に堰を作ってそこに溜めるような働き、歴史に刻むという役割は書籍という姿ならではだなと思う。
方言がテーマだけにいろんな書き手のあまり知られていない日常、とりわけ家族や友人との会話の雰囲気が垣間見られるあたたかい本に仕上がっている。よろしくお願いしときまーす。(これも隠れ方言)


ふるかわ 拝