2007年6月

平成19年6月26日(火)
第210号「社会保険庁のOBはボランティアで協力してはどうか?」

年金問題がかまびすしい。「古川さんは公務員だったからいいでしょう」といわれることもあるが、そういうわけでもない。

僕は社会人になったあと、自治省→沖縄県庁→自治省→長野県庁→自治省→岡山県庁→自治省→長崎県庁→総務省→無職→佐賀県庁という経歴をたどった。国家公務員共済と地方公務員共済がちゃんと通算されているのか心配だし、無職(選挙のときの3か月くらいの期間)の時代にもちゃんと年金も健康保険も保険料を納付していたのだが、それがちゃんと記録されているのかもちょっと不安だ。「年金あんしんダイヤル」(0120-657830)に僕も電話したいくらいだ。

先日、県議会で「年金問題についての所見」を尋ねられた。年金問題は、国が一元的に所管をしているから直接県が何かをするということはないのだが、所見ということだったのでひとこと申し上げた。それは、「お客様を二の次にした」という点で、保険金不払いで処分を受けた損保も生保も、さらには北海道のミートホープも、今回の社会保険庁と共通しているのではないかということだ。

民間の場合はお客様よりも利益を優先したということができるだろう。
社会保険庁は(末期の国鉄と似ていると思うのだが)、お客様よりも労使交渉の結果など内部の事情を優先したといえるのではないだろうか。
また、損保・生保と年金については、保険は「下りる」、年金は「もらう」。どちらにしてもお客様に主体性がない表現が一般的に使われているというのもこうした事件の背景にあったのかもしれない、とNHKの「視点・論点」で先日指摘されていた。僕も同感だ。

それなのに、いまも「お客様が二の次」になっていないかちょっと気になっている。
いま大事なことは年金のシステムやデータベースを信頼できるものに創り上げていくことだと僕は思う。これには与党も野党もないはずだ。お互いの面子や思惑が優先して、お客様である国民のことが二の次になることだけは避けてほしい。

それとこの際提案したいことがある。
社会保険庁では人が足りないと聞く。だったら、社会保険庁のOBの人たちにボランティアで手伝ってもらったらいいのではないだろうか。

いま歴代の社会保険庁長官の責任が議論になっている。僕は長官だけではなく、社会保険庁全体の体質にも責任があったのではないかと思う。また、そういう気持ちを持つ元職員の人もけっこういらっしゃると思う。

どうだろう。社会保険庁のOBにボランティアで社会貢献してもらうというのは。
少なくとも派遣社員の人よりは詳しいと思うのだが。


ふるかわ 拝

平成19年6月19日(火)
第209号「安倍晋三さんに話したこと」

先週の土曜日、佐賀入りされた安倍晋三自民党総裁、つまり内閣総理大臣と話をする機会があった。地方分権について、こんな発言をしてみた。

今年の1月、東京の六本木に新しい国立の美術館『国立新美術館』がオープンしました。設計はあの黒川紀章さんです。独立行政法人とはなっていますが、国から資金が出てつくられたことには変わりはありません。
東京にはすでに24の国立・公立の美術館が存在しています。
この新しい『国立新美術館』はもともと国有地です。元国有地を使ってこうした美術館を今、東京の都心につくらなければならなかった理由が私にはよくわかりません。六本木には最近オープンした東京ミッドタウンという地区もあります。一泊8万円ともいわれるリッツ・カールトンホテルをはじめとするホテルやショップが揃い、賑わいをみせていますが、ここもまた元は防衛庁、つまり国有地でありました。
この国立新美術館と東京ミッドタウン、それにちょっと前にオープンした六本木ヒルズとあわせて3つの東京新名所が最近では「六本木トライアングル」と呼ばれていますが、このうち2つに国が手を貸しているということは事実であると思います。
一方で佐賀県をはじめとする地方都市では今日もまたどこかのお店がどこかの会社がその役割を終え、または立ちゆかなくなって、店を、会社を閉じようとしている。これが今のわが国の状態だと思います。
規制改革によって随分わが国の社会自体は21世紀型に変わってきたと思います。ただ、こうしたことを野放図にしておくことがわが国の国土にとってプラスになるとは必ずしも考えておりません。そこで政府の力を国家としての意思をこの際示していただきたいのです。
すなわち、日本列島全体を常に見わたすという視点です。例えば去年のオリンピック招致についていえば、東京と福岡が争い、東京に決まりました。JOCは東京と福岡のそれぞれについて競技を行う環境・財政基盤、ホテルの施設水準、警備体制、様々な事柄について「公平」にチェックをしていました。この「公平」がくせ者であります。福岡と東京を全く同じ地平で比べるならば、東京の方が一歩も二歩も上に出るのは首都としての特殊性や人口集積からしても当然です。「公平」に審査をしたということ自体が最初から東京に決めようと思っていたのではないかと思わざるを得ません。こうした「公平」な観点で判断する限り、東京と一地方都市が何かを争ったときには、全て東京に軍配があがってしまうのではないでしょうか。
私は、なんでもぜひ佐賀県に九州にと申し上げているのではありません。広く地方に、新しいもの、楽しいこと、面白いこと、そうしたものが生まれるきっかけを政府の方で与えていただけないかと思うのです。新しいプロジェクトを選定するにあたっては、東京と地方を「公平」に比べるのではなくて、日本列島を元気にしていくという観点で、いわばそうした目で決定をするそういう「くせ」をつけていただきたいと思うのであります。今の日本は"一都栄えて万村枯る"状態です。こうしたことをぜひ変えていただきたいと思います。
新しいことはまず東京でやってそのコピーとミニチュア版を地方で展開する国家像ではなくて、日本列島のあちこちに面白い元気の素があって、それが日本国中に広がって、そして、それが世界に広がっていく、そのような、「元気がどこにでもある社会」、いわば、「ユビキタス元気社会」というものをぜひ実現していただきたいと思います。

ふるかわ 拝

平成19年6月12日(火)
第208号「環境に「配慮」しない時代」

ドイツのハイリゲンダムで開かれていたサミットが閉幕した。ハイリゲンダムはポーランドと国境を接するメクレンブルク=フォアポンメルン州にある。ここでサミットを開くことができたことはこの州出身のメルケル首相としてはうれしかっただろうし、旧東ドイツ地域で開かれたことにひとつの意義があったと思う。ちなみにこの州「フォアポンメルン」の「ポンメルン」は、英ではポメラニア、そう、ポメラニアンという犬のいわば原産地だ。だからなんだといわれると困るけど。

このサミットのもうひとつの意義は地球温暖化防止についての議論が最大のテーマになったということだった。

僕自身と地球環境問題との関わりは昭和52(1977)年にさかのぼる。その年大学に入学した僕は地球環境問題のことをはじめて知った。その5年前にローマクラブという組織が「成長の限界」というレポートを出し、このままいけば人口の増加や環境破壊のために人類は成長できなくなると警鐘を鳴らしていた。当時、無限の成長の可能性を信じていた僕にとって大きな衝撃だった。

その後、昭和60(1985)年ごろ、人に薦められてはじめたNHKテレビ「英語会話U」というプログラムの中でオゾン層の破壊のことを知った。当時はなんだか信じられなかったが結果としてみれば正しい指摘だった。このほかNHKラジオ「やさしいビジネス英語」(いまは「ビジネス英語」)の中で、「rain forest」(熱帯雨林)という名前の、地球環境保護をめざす化粧品会社(要するに「ボディショップ」のことです)をテーマにした物語があったりもした。
語学番組は、意外にこういう効用がある。たとえば、ペットロス(ペットを亡くした方たちが陥る無力感)なども僕はこの「やさビジ」で知った。

その後、平成5(1993)年、自治省固定資産税課の課長補佐として税制を担当していたとき、モントリオール議定書に基づいてフロンガスの排出を規制しなければならないということでそのために必要な代替設備の固定資産税を負けてほしいという要望があり、実現したこともあった。

それ以降は、世の中全体で地球環境問題が認知されるようになった。世界のトップが一堂に会してこのことを議論する時代になったのだ。
こういう変化を受け止め、僕は「環境に配慮する時代は終わった」と宣言している。

えっ?

環境に「配慮」するのではなく、環境のことを考えるのはあらゆる行動や政策の際の「前提」でなければならない、ということだ。

国はいまだに「環境配慮活動促進法」という法律を平成16(2004)年に制定したりしているけれど、僕は、佐賀県として使う文書から「環境に「配慮」」という言葉をなくしたいと思っている。「やってもやらなくてもいいけど、恩恵的に考えてやってんだよ」という物言いではなく、「誰に言われるまでもない当然のこと」にしようと職員に訴えている。

環境に「配慮」しない県、佐賀県。なかなか刺戟的だと思うのだが。

今月は環境月間だ。

ふるかわ 拝

平成19年6月8日(金)
臨時増刊号「コムスンの事件は分権時代の試金石」
6月8日、毎月全職員に向けて送っている「知事室から」の6月号でコムスンの事件についての考え方を書いた。職員向けではあるけれど、世の中の人に広く知ってほしいと思い、週刊yasushiの臨時増刊としてアップしてみた。

コムスンの事業譲渡はなぜだめなのか。厚生労働省の「処分」とは何なのか。
いっしょに考えてみていただければうれしい。


コムスンという会社が不正をしました。ここは日本全国で介護保険上の訪問介護の事業所指定を受けている業界大手の会社です。そこがどういう不正をしたかというと、指定を受けるため、都道府県に出す書類を偽造したのでした。訪問介護の事業所には一定の資格を持った人が一定の数いないといけません。なのにコムスンは、同じ人間をたとえば東京・葛飾の事業所と北海道・利尻の事業所の両方に配置しているような書類を作ったのです。都道府県が審査しますから、東京と北海道ではチェックのしようがありません。同じ人間が二重にカウントされているという意味では年金とも相通じるものがありますが、少なくともコムスンは故意です。明らかに行政機関をだます意図でこうしたことを全社的に行っていました。

もちろん許されることではなく、厚生労働省によるコムスンに対する「行政処分」が6月6日に公表されました。それによれば「コムスンの訪問介護事業は指定更新時期(一番早い事業所だと平成20年3月31日)まで続けることができるが、その後は指定更新を認めない」ということでした。

ところがその「処分」が公表された日の夜、コムスンはこれまで自分のところでやっていたこの訪問介護の事業を子会社の日本シルバーサービスという会社に事業譲渡すると発表しました。コムスンの事業所は、指定更新ができないのですが、日本シルバーサービスの事業所については何の制限もないわけですから、あらたに都道府県に指定を申請してそれが認められれば、事実上事業を続けることができることになるわけです。コムスンはこれを「現在コムスンをご利用いただいているお客様のサービス継続と従業員の雇用継続のために」と説明しました。

そんなばかな、と思われるでしょう。少なくとも佐賀県ではコムスンがなくとも介護サービス提供に大きな影響はありません。お客様のことを考えるなら、もともと書類を偽造せずにちゃんと資格を持つ人を配置していればよかったわけで、事ここに及んで何をかいわんやという感を深くしました。

この事業譲渡が明らかになった翌日の定例記者会見で和歌山県の仁坂知事がこの事業譲渡に猛烈に反発しました。「和歌山県は日本シルバーサービスから申請が来ても受理しない」と発言したのです。私も賛成です。佐賀県は受理くらいはしますが、こういう反社会的行為に手を染めた会社から唯々諾々と事業を受け入れた会社の体質がどういうものか、本当に法令遵守や人員配置の確保、お客様へのサービス提供が担保されるのか、相当丁寧にチェックしないといけないと考えます。

とここまで書いてきたのですが、実は、この「事業所指定」という仕事は県の仕事です。自治事務です。厚生労働省には権限がありません。では「処分」とは何か?あくまで「技術的助言」なのです。厚生労働省から6月6日付けで出されたコムスンの「処分」に関する通知にも「これは技術的助言です」と書いてあります。

コムスンの処分は都道府県が決定することです。日本シルバーサービスの申請をどうするかも都道府県が決めることです。

ところが、残念なことに世の中ではそう思われていません。「厚生労働省の処分に自治体困惑」などと書かれた記事もありました。そもそも厚生労働省による「処分」はありません。困惑などする必要はないのです。自分たちで判断すればいいのです。自治事務なのですから。北海道のある地域のようにコムスンしかサービス事業者がいないし、コムスンがないと困るというところでは佐賀県とは別の判断があってもいいのだと思います。

ところが担当本部ではその認識がやや薄かったように思います。「厚生労働省からの指示により」と説明をしてくれていましたが「指示」などどこにもありませんでした。「お願い」であり、「技術的助言」でした。

佐賀県としてどうするのかは、地域の実情をしっかり把握したうえで自分たちで主体的に考えて決定しなければならないのです。

分権時代とはそういうものです。

あなたの周りは大丈夫でしょうか?


ふるかわ 拝

平成19年6月5日(火)
第207号「ベスト・ファーザー イン 九州」

先週の金曜日、福岡市で第一回「ベスト・ファーザーイン九州」の表彰式が行われた。政治、経済、文化、スポーツ、一般の各部門からその年の九州のベストファーザーズを選ぶというもので、栄えある第一回の政治部門で僕を選んでいただいたというわけだ。僕のほかには薩摩焼の沈寿官さんとか、ラーメンの一風堂の社長とかソフトバンクホークスの松中選手とかだから、なかなかでしょ。
実は僕を推薦してくれたトモダチがいたからというだけなのだけどね。
「こういう話があるんだけど受ける?」とトモダチから声をかけられてちょっと迷った。でも声がかかったのは正直うれしかったし、どういうものか実際に体験してみたいという思いもあってお受けすることにした。そしたら、ただちに事務局から連絡があった。副賞というかお祝いにタキシードを作ってくれるという。どうもアオキインターナショナルさんがこの賞のお手伝いをしていただいているからだったらしい。翌日の新聞に載っていたあのタキシード姿はそういうことなのだった。

僕に3人の娘がいる。最初の子は長野市で生まれたがなんとなくわが子という気がわいてなかった。ところがある出来事をきっかけに僕の気持ちが変わった。
それは近くの加茂神社というところでお祭りがあったときのことだ。珍しく娘(3歳くらいだっただろうか)と二人で出かけた。そこそこにぎわっていたお祭りで、ふと気づくと娘を見失っていた。やれやれ(と村上春樹ふう)と思った。大変だあという感じよりもそっちのほうが大きかったように思う。とにかく探さなければと辺りを見渡した。と、そのとき、一所懸命僕の姿を探している娘の姿が目に入った。小さいなりながら懸命に僕の姿を追っていた。そのときに強烈に思った。「僕はこの子の父親だ」。
母子関係は生物学的にもそうでなくてもとても強い紐帯があると思う。でも、その点、父子というのはもともとどこか隙間がある。「父」と「子」なのだ。
僕の場合、その「と」が取れたのがその秋祭りの夜だったように思う。
その子がもう大学生。京都で暮らしている。

二番目の子はいま高校生。4年前の初挑戦の選挙のとき彼女はまだ小学生だったが僕が苦戦しているのを見るに見かねて、あるとき僕にこう言った。「お父さん名刺くれる?学校でみんなに配るから」。(もちろん渡しはしなかったけれど)。

三番目の子はまだ小学生。こないだ、学校で「宝くじに当たったら?」というアンケート調査が行われていた。ほかの子は小学高学年生らしく「かっこいいクルマを買う」とか「大きなおうちに住む」とか書いていたが彼女の答えはただ一人異彩を放っていた。「お父さんの選挙金に使う」。

こういう子らに支えられてのこの賞だ。もちろん、わが人生のパートナーがいてこそのこの賞でもある。
受賞式を終えて家に帰った。わが人生のパートナーは僕のトロフィーをながめながらこう言った。「次はベストハズバンドをめざすんでしょ?」
パーティのお酒のおかげでふやけていた僕の身体にハツラツと鞭が入った。


ふるかわ 拝