2008年1月

平成20年1月28日(月)
第240号  「『住所』のない国」

「クーリエ・ジャポン」というすてきな雑誌がある。
世界各国の新聞や雑誌から記事を探し出してきて「世界は日本をどう見ているのか」という視点をもって編集している雑誌で、編集長は佐賀県出身の古賀義章さん。この人がまたかっこいいのだが、それはおいておくとして、その「クーリエ・ジャポン」1月号の「コスタリカには「住所」がない」という記事は秀逸だった。

それによれば中米のコスタリカには住所がない、という。
住所がない!?より正確にいえば統一された住所の表記法がない、ということのようだ。

さっそく在コスタリカ日本大使館・総領事館」の住所を調べてみた。
「Sabana Norte, 300m oeste y 25m norte del I.C.E.,Torre la Sabana Piso 10. P.O.BOX 501-1000. San Jose, Costa Rica.」とある。

翻訳すれば
「サバナ(地区)北、(I.C.Eの)300m西 そして25m北  サバナタワー10階 私書箱 501-1000 サンホセ市 コスタリカ国」

ではホテルの表記はどうなっているのだろうか。「Casa Girasol」というホテルの住所の英語表記はこうなっている。
「Sabana Sur,  From Macdonalds Restaurant, 1 Block West,1 Block South And 50 Meters East.San Jose, Costa Rica」

これはこうなる。
「サバナ(地区)南、マクドナルド・レストランから 1ブロック西、1ブロック南 そして 50メートル東 サンホセ市、コスタリカ国」
なんと、マクドナルドを基点にして住所の説明がなされているのだ。

大きなホテルや建物になると、大使館のように私書箱(P.O.BOX)を持つのが普通のようだが、郵便以外では使えないし、何より郵便物の5分の1が相手に届かない「迷い手紙」らしい。この「クーリエ」の記事によればさすがにコスタリカの郵政省でも2年以内に全国に住所を導入することを検討しているという。

でも、ふと考えた。日本でも住居を表示できるのは住居表示を実施している地区(たとえば、佐賀市城内1丁目1番59号)だけであって、それ以外の地区には住居を表示する方法はない。ただ、地番を表示するという方法でカバーしている。(たとえば、嬉野市塩田町大字馬場下甲1769番地)
こうした地区では建物や住居を特定するというのではなく、その土地に番号をつけることによって結果的に建物や人も特定できるというやり方をとっている。だから、日本もコスタリカとまったく似てないわけではない。

郵便物のあて名についてはどうか。
現在は、日本郵政公社の約款で「都、道、府、県、郡、市、区、町、丁目、村、字、番地、番若しくは号の文字を漢字により記載し、又は都道府県名、郡名、市区町村名、字名、丁目、番地若しくは街区符号及び住居番号ごとに分かち書きをする」と決められている。

20年くらい前に郵便局に「あて名はどうしても地番か住居表示を書かないとだめか」と聞いたことがあった。答えは「配達の人が困らないようにしてもらえればそれでいい。」だった。
いまではどうだろう。

あらためて聞いてみた。やはり答えは同じだった。
「約款に定める方法でないからといって取り扱わないということはない。配達できるように書いてあればよい。」

たとえば紀伊國屋書店佐賀店に手紙を出すときは「佐賀市兵庫町兵庫北土地区画整理地内22街区」と書かなくても「佐賀市ゆめタウン2階」と書いてもいいということだし、僕の住所も「佐賀地方裁判所の南側の交差点に面した東側の建物」と書くことができるということだ。
だからなんだ、といわれても困るけどな。

15年前、小学校1年生だったときに風船につけて飛ばした手紙が千葉県銚子沖1000メートルの海底にいたサメガレイに先日届いたというニュースを知って暖かい気持ちになりながら、何事もきちんとしないといけない時代になりつつある中、こういうところにアバウトさが残っているのはなんだかうれしかった。

ふるかわ 拝

平成20年1月21日(月)
第239号  「『せんたく』の旗揚げ」

先週の日曜日、東京に行ってある記者会見に参加した。
「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」の発起人有志による旗揚げだ。
この「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」、名前が長いので略称を「せんたく」(洗濯・選択)としているのだが、要するに日本を「洗濯」しなければという坂本龍馬にも通じるような思いと、次の総選挙で政権「選択」が可能になるようにしよう、という願いとが合わさった政策集団だ。

この「せんたく」は、次の衆議院総選挙に向けて、与野党間で政策の議論を深めることを国民運動として呼びかける運動体だ。地域・生活者起点というポイントは押さえながらも、各党において見解が一致するものについては法案をして成立をさせ、またはビジョンとして共有し、一方で意見が異なるものについては、きちんとそれぞれの党に持ち帰って議論を成熟させたうえで総選挙マニフェストに位置づけをすることをめざしていくということだ。

この日会見した発起人は、まず、この「せんたく」の母体となる「21世紀臨調」共同代表の佐々木毅前東京大学総長、西尾勝東京市政調査会理事長、北川正恭前三重県知事。このほか、知事では東国原宮崎県知事、松沢神奈川県知事と僕。市長からは森長岡市長、そして岩名三重県議会議長の8人。
会見ではそれぞれがこの「せんたく」にかける思いを語った。

僕はこう述べた。
国政選挙において各党がマニフェストを作るようになったことは望ましい。しかしながら、マニフェストの作成前に「申し入れ」をし、選挙の後に「検証評価」をする、というだけでは十分な内容のマニフェストを作るという目的を達成することが難しいと感じてきている。
やはりマニフェストの作成そのもののプロセスに関わらないことには、全国知事会としての主張を入れ込ませることは難しいし、知事会としてだけでなく、そもそも国民各層の思いや考えを、政党の枠を超えたどこかで議論することが必要なのではないか。

多くの国民は、無節操な「野合」はもちろん求めていないし、だからといって不毛な「対立」を求めているわけでもない。
一致できる点とできない点を明らかにし、一致できるものについてはすみやかに実施していくことが求められていると思っている。


今回、「せんたく」では、その議論の場を「プラットフォーム」と名づけ、そのプラットフォームに与野党の国会議員に参加をしていただき、立場を超えて、「この国のためにいま何が必要なのか」を真剣に議論し、実現していくことをめざすこととした。

この「せんたく」それ自体が政党になるわけではないし、「せんたく」に関わっている発起人のひとりひとりは個別の課題についてそれぞれの見解を有している。「地域・生活者起点」という部分を共有しながら、たとえば、地方分権にせよ、環境問題にせよ、議論を深めていくことを促していきたいと思うし、こうしたことがいわばうねりとなって「平成の自由民権運動」にまで発展していけばとも思っているところだ。

一部に「北川新党」「そのまんま新党」などと推測する向きもあるようだが、そういうことを目指しているわけでもない。また、「せんたく」が、次の総選挙において候補者を立てたり、推薦をしたりなどということも考えていない。
ともかく、次の総選挙に向けて、プラットフォームを作り、議論を深めていきたいということだ。
これからさらに賛同者を募ることになる。

今後の「せんたく」の動きにどうか注目していてほしい。

ふるかわ 拝

平成20年1月15日(火)
第238号  「去年の夏、汐留にて」

去年の夏、僕が東京に行くタイミングを捉えて、東大ボート部時代の同期が集まった。汐留の鉄道発祥地にできたビアホールでわいわいと盛り上がったのだが、その中で興味深かったのが「硬貨は必要なのか」という議論だった。金属材料を専門にしている学者である同期(「教授」)を中心にこんな議論になった。

教授A 最近金属の価格が上がってるんだよ。中国とかが使うから。それで、このまま行けばいつの日か硬貨の鋳造コストが券面額を上回る時代が来ることになるかもしれないんだ。
同期B アメリカの硬貨もたしかそうだったと思うよ。1セント硬貨や5セント硬貨を鋳造するのにそれ以上のコストがかかっていて海外に持ち出さないでほしいという呼びかけをしていたこともあるように思う。
教授A このままだとやがてはたとえば銅とニッケルでできている百円玉を鋳造するのに百円以上かかることになるのかもしれないんだよ。これまではそんなに値段の変化はなかったんだけどここ数年急に上がってきてるんだ。
同期C これって誰がいちばん困るの?
古川  政府だろうね。鋳造コストに関係なく、政府は5円硬貨は5円で買ってるからね。コストが上がればいちばん困るのは政府だろう。1円玉は純粋なアルミニウムだけど大丈夫なんだろうか?
同期C そもそも硬貨って必要なの?最近あまり使わなくなったよ。
同期B 紙幣も同じだけど硬貨だって一種の記号なのだからどうしても金属でなくてもいいんじゃないかな。金属に代わるものがあれば、だけど。
教授A どうしても金属じゃないとだめなものだけ金属を使ってそれ以外のもので対応できるのであればそっちにしてもらうほうが資源の活用という面からは有効なんだけどな。
同期B とはいえ、金属以外で硬貨の機能を果たすことができるものってあるんだろうか。
古川 電子マネーしかないんじゃないか。まさに一種の記号だし、携帯電話の中に入れ込んだり、カードに入れ込んだりして実際には相当使われてるよね。
同期B 電車に乗るときもコンビニでもあんまり小銭を使わなくなってきてるしな。
同期C いまや、硬貨って家の中でハコに入ってたりしない?使うというより、受け取るものって感じがするんだよね。硬貨の電子マネー化か。っていうか電子マネーでしか買えませんというものがだんだん出てくるようになるかもしれないね。

ふるかわ 拝

平成20年1月8日(火)
第237号  「民営化された最初の年の年賀状」

民営化になったはじめての年の年賀状がどう変わるのか興味があった。元日配達がかなり減るといううわさもあって、僕としては珍しく天皇誕生日三連休に年賀状を書き終え出しておいた。
一般的には26日(水)がいちばん差し出しが多い。これは毎年のことなのだが、去年はいつもに増して26日に差し出された枚数が多く、その分27日以降の差し出しが減っていたようだ。
さて元日の朝になった。日本郵政グループの西川社長のご挨拶が年賀状の束に入っていたのには驚かなかったが、びっくりしたことがふたつあった。

ひとつは年賀状が家族の宛名別に区分されていたことだった。
正月の朝、「年賀状取っておいで」と親に言われ、寒い中を取りに行き、そして、宛名別に年賀状を区分するのは子どもの大事な仕事だった。めんどくさくもありながら、そして「なんで親にはこれだけ年賀状が来るのだろう」と思いながら、その中にときどき自分あての年賀状があるとむしょうにうれしかったものだ。そういう思いをしたことのある人は多いだろう。
だから、元日の朝、あらかじめ個人別に年賀状が区分されているのはうれしいような哀しいようなことだった。

それともうひとつ。返送されてきた年賀状がけっこうあったことだ。たとえば、千葉県柏市×町△住宅2−707号という住所のところの「707号」をまちがって「207号」と書いてしまったケース。しかもその人の姓は「斎藤」とか「鈴木」とかではない。「上入来(仮称)」とでも言うべきなかなかふつうにはおみかけしない姓だ。少なくとも僕は通信販売の記入例では見たことがない。おそらく、近所にはあまり(というかきっと)なかった姓だと思う。しかも「707」をまちがって「207」と書いただけなのだ。でもだめだった
。返送されてきた。「それくらい負けてくれよ」という気持ちだったけど自分が間違ったわけで誰にも文句はいえなかった。

ひょっとしたら、と思う。個人区分になったことも些細な間違いでも配送しないことにしたのも個人情報保護とやらが関係しているのかもしれない。

一昨年以上に昨年末の郵便局にはアルバイトの人たちが数多く雇われて年賀状の区分作業に従事していたと聞いている。「宛先がよくわからないのはとにかく「返送」の箱に入れて」という指示が飛んでいなかっただろうかとも思う。
見当をつけて配送するとひょっとして違った場合問題になる可能性がある。ということであまり考えもせずに「差出人に返送」という処理をしたということはないだろうか。

区分する人も忙しいだろうが、書く方も忙しい中書いている。しかも、私信を出すのは一年のうち年賀状だけというお客さまもけっこういるのだ。
届けているのはハガキという物体だけではない。人が人に伝える思いもそこに載せていることをわかってほしいと思った民営化初年の正月だった。

ふるかわ 拝

平成20年1月1日(火)
第236号  「From the very start」

2008(平成20)年の元旦が火曜日なので、週刊yasushiを元日からアップできる。  
ということで明けましておめでとうございます。
「去年はどんな一年でした?」と聞かれれば「?!」の年だったというのがいちばんぴったりだと思う。
いい意味でもそうでない意味でも、驚きとへえ、という一年だったからだ。
いい方の意味は言うまでもない。バレーボールの久光製薬のVリーグ優勝に始まって夏の2007青春・佐賀総体(インターハイ)の成功と佐賀県勢史上最高の金メダル数6個獲得、そして佐賀北高の甲子園優勝、さらには国体まで2巡目最高の31位を記録と、スポーツにおいてはびっくりするような成績が次々に生まれたことだ。これでサガントスJ1昇格が加われば言うことなかったが一度にごちそうを食べ過ぎてもいけないのでまあいいとしよう。
それと、やきものの力再認識の年でもあった。中島宏先生の人間国宝認定、中里逢庵先生の日本芸術院会員就任など佐賀県の持つ伝統の力を感じた年でもあった。
このほか、いい悪いは別にして県政上は過去からの政策課題にけじめをつけた年になった。
佐賀商工共済については地裁の判決が出て、佐賀県としてはその判決を受け入れ損害賠償に応じることにした。新幹線についても、年末になって佐賀県、長崎県、JR九州との間で三者基本合意がまとまり、これによって当初地域鉄道(第三セクタ)が運行することにしていた区間についてJRが引き続き運行することになり、結果として新幹線が開業した後も長崎本線全区間についてJRから経営を分離せずにそのままJRが運行を続けることになった。これによって鹿島市及び江北町から「経営分離の同意」をいただく必要がなくなり、新幹線は着工に向けて大きく前進することになった。あとは政府・与党で今回の基本合意の内容を確認していただければ年度内にも着工できることになる。10数年間にわたって関係地域での大きな課題となっていたことが解決に向けて大きな一歩を踏み出したことはありがたく思う。
このように、去年はこれまでの課題を仕上げる一年だったように思う。
残念だったことは武雄市で入院中の県民の方が銃により命を奪われた事件や知的障碍を持った人が警察活動中に命を落とされたことなど、「安心して暮らす」という面での問題が明らかになったことだ。

ただ、個人的なことを言えば、去年は目標の30万票を超える得票により再選を果たすことができたし、これまでの課題に一定の区切りをつけることもできた。やきものの世界での佐賀県の力、スポーツの面での活躍などいろんないいことがあった年だったと思う。

では今年はどういう年にしたいのか。
ひとことでいえば"From the very start"ということだ。
この英語が正しいかどうかわからないが、ビートルズの曲"If I fell" の中にこのようなフレーズがあったように思う。「真の意味で最初から」とでも訳したらいいのだろうか。
この仕事に就いて5年目にしてやっとスタートの位置に立てると思う。
過去からの課題に一応の整理がついた今、これからいよいよ新しいことに取り組んでいきたい。
プライベイトでも仕事でも改めて初心に返ってみたい。経済状況もやや不透明感が増してきているし、原油高が生活や産業のいろんなところに影響を及ぼしている。取り組まなければならないことは山ほどあるが、「将来を見据えていま必要なことを手がける」という基本に立って責任を果たしていきたい。
それと今年は世界を回ってみたい。どんな分野の方と話をしていてもいまや世界を意識せずに済む産業はなくなっているし暮らしのいろんなところにも世界情勢が影響してきている。去年一年間はあまり遠いところには行けなかったので、今年は時間をとって現在の世界がどうなっているのか、肌で感じてみたい。


「安心して地域で暮らすこと」については、今年の取り組まなければならないテーマにしたいと思う。

ふるかわ 拝