2008年10月

平成20年10月28日(火)
第279号 「済州こぼればなし」

先週日韓知事会議で済州(チェジュ)島に行ってきた。なんとチェジュは初体験。きれいなところだよ、と聞いてはいたのだが、たしかに街にごみがない。
街路樹にやしの木が植えられていてちょっと宮崎の雰囲気に似ている。両方ともかつて新婚旅行のメッカだったというところが共通している。
日本の新婚旅行先は海外が主流でハワイがいちばん人気だが、韓国では以前はチェジュがトップだったがいまは東南アジア(とくにタイ、フィリピン)のほうが人気があるらしい。国内に比べて値段が安いから東南アジアにする、という理由も日本と似ている。
「ただ、新婚旅行の王座は海外に奪われたが韓国には別の旅行スタイルが存在している。それが『孝道旅行』だ。子供が親孝行のために両親にプレゼントする旅行パッケージで、これはチェジュが人気らしい。」

このほか島全体の雰囲気は沖縄に似ている気もするし、対馬に似ているようにも思う。どこにも似ている島、とでもいうべきか。それが結果的には「どこにもない島」になっているのだろうが。
ということで今回はチェジュで拾った、というか今回の旅行中で拾ったこぼればなしをいくつか。

◎蒙古の末裔
チェジュはいろんな意味で韓国本土と違うところがあるが、元寇のとき、蒙古はチェジュが馬の放牧に向いているとして高麗から切り離し直轄地にした。そして100年にわたって直接支配をした。その結果、いまでも蒙古の末裔がチェジュにいる、という。左(チャ)、姜(カン)という姓の人は蒙古の末裔らしい。
たしかにチェジュには馬が多い。いまでも馬の牧場をみかけるし、ドラマ「チャングム」でチャングムがチェジュに流されたときにも馬の放牧が行われている場所が映っていたように思う。

◎安城湯麺
直接チェジュとは関係ないのだが、似ているようで日本と違う韓国の習慣として、インスタントラーメンの袋めんをそのまま食べる、というのがある。
どうやって食べるかというと、袋を開け、粉末スープを取り出す。そして麺を食べやすい大きさに砕く。そこに粉末スープを半分くらい袋の中に入れ、そこで袋を閉じたうえで激しく振る。粉末スープと麺がよく混じったと思ったら、おもむろに袋を開け、ポリポリと麺を食べる。粉末スープを全部使うと味が濃くなりすぎるので半分くらいでいいそうだ。
この食べ方、はじめて知った。韓国人の友人によれば、いろんな麺で試してみたが「辛ラーメン」のような辛いものよりはマイルドな味のもののほうがおいしくなるという。とくにうまいのが「安城湯麺」(あんそんたんみょん)だというので帰りに買ってきた。ごめんなさい。まだ食べていません。
ちなみに彼によればカップラーメンは袋めんほどおいしくないらしい。ご注意あれ。

◎ウォン安!
円高は深刻な影響を日本経済に与えているが、海外旅行者にとっては朗報になっている、ということを実感した。
1万円両替すると前は10万ウォンくらいだったのがいまや14万ウォンくらいになる。1万円両替すると以前と比べて4万ウォン(約3千円)くらいもうけたような気がする。
といって何を買おうか。キムチは中国産がメインで韓国産のものを探すのはなかなかむずかしいというし(空港で見たものは「韓国製」と書いてあったけど)。
結局、水を買った。ミネラルウォーターだ。チェジュのミネラルウォーターは僕がこれまで飲んだミネラルウォーターの中でももっともおいしい部類のひとつだと思う。チェジュが火山島ゆえの結果だといえる。名前は三多水(サンダスー)。日本でも発売しているらしい。空港の搭乗口付近の売店でも一本60円くらいで売っているのでちょっと重いが気軽なお土産としては便利だと思う。ごめんなさい。もう自分で飲んでしまいました。

というわけで、我が国通貨の価値の変化を実感するにはもっともチェジュが近い場所であることはまちがいない。


ふるかわ 拝

平成20年10月21日(火)
第278号 「『おくりびと』を観て」

週末に映画「おくりびと」を観た。人が亡くなられたときに遺体を拭き、衣装を着せ、化粧を施して棺に納めることを遺族に代わって行うことを仕事にしている、納棺師の物語だ。
映画そのもについていえば、2時間20分という長さが苦にならない内容の濃い作品だった。広末涼子に大人の魅力を感じるし、山崎努はいつもながら凄みのあるいい演技を見せている。
なによりこれまで多くの人にとって未知の世界だった納棺師の仕事に焦点を当てた意味は大きいと思う。僕らが思う以上にあの仕事は人に感謝されている仕事なのではないか。

このほかいくつか感想がある。

ひとつは、土曜日だったこともあるのだろうが、劇場にはけっこう人がいたことだ。
僕は同世代から見たらよく映画を観にいくほうだと思うが、たいていの場合、シネコンでやっている映画でも観客は10人以下という場合が多く、シエマというアート系の映画館だと僕1人のこともある。映画というのは2時間を1000円台で楽しめる娯楽で、パチンコはもちろん居酒屋に行ったってこんな安い値段で楽しむことはむずかしい。
コストパフォーマンスから見たら実にいいと思っているのだが。
それはともかくこの日はお客さんの数が多かった。それがひとつ。

もうひとつは映画の中で本木雅弘が演じる納棺師の所作の美しさが印象的だったことだ。
手つきが美しいとそれだけでなんだかうれしくなる。パン屋さんで袋にパンを詰めてもらうのも、百貨店で商品にリボンをかけてもらうのも、花屋さんで一本の薔薇をくるんでもらうのも、きれいにしてもらうととてもうれしい。僕たちは職人芸が大好きなのだと思う。

先日、京都の方からお手紙をいただいた。品のいい便箋2枚に流麗な筆致で綴られていて、しかも1枚目の便箋の左の下の端が少し折り曲げられていた。めくりやすいようになっていたのだった。こういう日常の所作ひとつに京都という街の底力を感じた。

映画の中でのきれいな手つきといえば2006年に公開された映画「かもめ食堂」で小林聡美が見せた料理の手つきを思い出す。手つきがきれいだと料理そのものもおいしそうに見える。

こういうことを評価するのは僕らの社会の特徴なのだろうか。


ふるかわ 拝

平成20年10月14日(火)
第277号 「ベンジャミン・フランクリン メダル」

日本人研究者のノーベル物理学賞・化学賞の受賞に日本中が沸いている。
僕もストレートにうれしく思う。
ただ、正直言えば僕がノーベル物理学賞を取っていただきたかった先生がほかにもいる。
いや、おられた。
戸塚洋二博士。東京大学特別栄誉教授でKEK(高エネルギー加速器研究機構)の機構長をされていた研究者だ。戸塚先生は2002年にノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生の弟子に当たる。小柴先生はニュートリノを発見され、それがノーベル賞受賞の理由となったが、そのニュートリノに質量があることを発見されたのが戸塚先生だった。

こうした学問に不可欠な加速器研究の最高峰ともいえるのがKEKで、佐賀県は平成17年10月11日にKEKと協力協定を結んだ。そのときの機構長が戸塚博士だった。
KEKと佐賀県のHPにはその協定締結のときの、九州シンクロトロン光研究センターの上坪先生と僕、そして戸塚先生とが握手をしている写真がいまでも残されている。
佐賀県が進めている国際リニアコライダー計画(ILC)やシンクロトロン光を使った研究のための連携協定だったが、戸塚先生は今年の7月10日に亡くなられた。直腸がんだった。自分でがんということを知っておられ、わずか3年でKEK機構長を退かれていた。

師匠格の小柴先生がノーベル賞を取られて以来、周囲の興味は「いつ戸塚先生が受賞されるか」だった。先生がご存命だったら今年の受賞者の顔ぶれは変わっていたのではないか。
先生は亡くなられる1年前の4月にアメリカ版ノーベル賞ともいえるベンジャミンフランクリンメダルを受賞された。2002年にノーベル賞を受賞された小柴先生はその翌年にこの賞を受賞しておられる。古くはアインシュタインも受賞したという賞を戸塚先生が受賞されたのだった。

一方、2007年のノーベル物理学賞はアメリカの雑誌の予測では戸塚先生だったが、実際には、コンピュータのハードディスクのメモリ容量に関する研究をおこなった2人の科学者のおよそ20年前の業績に対して与えられた。

この方たちの研究のおかげでギガビットメモリが安い値段で手に入ったり、iPodが開発できたのだと思えばありがたいとは思うが、宇宙の成り立ちについて大きな人類知を与えた戸塚先生の業績と、さらには先生ががんと闘っておられることを考え合わせると、僕としては、戸塚先生にこそノーベル賞を与えて欲しかったと思う。

最期の頃の先生のご様子は当時先生が書いておられたブログでいまも読むことができる。
http://fewmonths.exblog.jp/

物理の話もときどき出てくるが、主としてはがん治療のことが客観的に記されている。政治情勢や科学のありかたについても触れてあるところも興味深い。
そのブログの中で、戸塚先生は自分がなぜ東大で留年したのかを書いておられる。小柴先生との関係のことを書いた2008年5月16日のところだ。
「私は学部のときに空手部に在籍し、3,4学年生のときは講義にまったく出ず、部室にたむろしているかマージャンをやりに出かけていたのです。期末に徹夜マージャンで試験をすっぽかして一年留年しました。翌年、大学院の試験を受けたのですが無論最低の成績でした。」
鬼籍に入られたのがまことに口惜しい。

ふるかわ 拝

平成20年10月7日(火)
第276号 「竹中直人さんに会いました」

先週の金曜日、竹中直人さんにお目にかかった。島原出身の実業家で邪馬台国研究家であった宮崎康平・和子夫妻の映画「幻の邪馬台国」の中で奥さん(吉永小百合さん)が卑弥呼を演じる幻想シーンがあり、そのロケが吉野ヶ里歴史公園で行われたというご縁で竹中さんが佐賀県庁を訪問されたのだった。

俳優さんとこのようにしてお目にかかるときの手順というのはいつもとはちょっとちがう。
普通であればお約束の時間のちょっと前にお客様があらかじめ来賓室にお入りになり、定刻になるとそこに僕が現れることになる。俳優さんたちの場合は別の部屋でお待ちいただき、定刻直前に来賓室の前の廊下で僕と合流し、定刻になったら同時に入室する。そして入った瞬間からムービーカメラが回りフラッシュばちばちということになるのだ。
俳優さん(というか事務所)としては来賓室に入るときから絵になるようにということなのだろう。

お互いに腰掛けた後、僕から口火を切った。
「佐賀県へは映画『東京日和』の厳木駅の撮影以来ですか?」
竹中さんはちょっと驚かれたように顔をあげられた。僕が続けた。
「僕は荒木経惟さんも大好きで、だから『東京日和』も観たんです。あの駅、どうやって発見されたんですか?」
映画「東京日和」は写真家荒木経惟(アラーキー)さんと奥さんの陽子さんのことを描いた竹中さんが監督をされた映画で、その中で柳川に旅するシーンが出てくる。唐津線の厳木駅が「柳川駅」として映画の中で使われているのだ。
竹中さんは、やっとわかったという少し柔らかい表情をされた。「本物の柳川駅がイメージとやや違ったものですからね。あちこちロケハンしてみつけたんですよ。あの厳木駅にある給水塔のイメージがとても良くて一度見て気に入りました」
「ああ、そうだったんですかあ」。しばらく当時のロケの話で盛り上がった。
さらに僕がこう切り出した。
「僕は竹中さんが監督された作品の中では、『119』がいちばん好きなんですよ。なんともいえない町の様子、原節子を髣髴とさせる鈴木京香の演技。もう最高でした。僕は当時岡山に住んでいたのですが観客が少なくてそれが残念で、友達連れて2回観にいきましたよ」
竹中さんはほんとにびっくりしたように眼を大きくされた。
「あれ、ご覧になっていただいたんですか。自分でもすごく気に入っている映画でした」
いけない。このままだと映画談義だけで終わってしまう。話を慌てて「幻の邪馬台国」に持っていって撮影秘話みたいな話をいろいろ伺った。
共演した吉永小百合さんは、大女優というイメージとは違い竹中さんが口笛を吹くと少女のように踊り始めてかわいかったとか、有明海の広大な干潟は非常に美しくCGのようだったなど、何を聞いてもまじめでそして少しでも記事の材料を提供しようという思いがあふれていた。
お約束の15分が過ぎ、入ってきたときと同じように「それでは」ということで同時に席を立ち、来賓室を出た。
竹中さんが手を差し伸べてくれ「ありがとうございました」とお礼を言われた。
「こちらこそ光栄でした」と答えた。
それだけでも感激なのに竹中さんはさらにこう付け加えられた。
「『119』の話、ホントうれしかったです」
こちらまでホントうれしくなった。
映画「まぼろしの邪馬台国」は11月1日から全国公開となる。
今度は、弥生時代の生活が再現された吉野ヶ里とスクリーンの中の竹中さんに会いに行こうと思う。


ふるかわ 拝