2008年11月

平成20年11月25日(火)
第283号  「『おぎにり』を知っていますか」

佐賀県の中央部に小城市というところがある。人口約46000人。平成の大合併で、かつて小城郡にあった4町全てが集まってできた市だ。
このまちの全国的な特徴は羊羹が多いということだ。小城羊羹という名前で全国に知られ、おそらくは市民の羊羹消費量は全国一に違いない。

合併により天山(てんざん)という名の名峰から有明海まで、つまりは山から海までのすべてが小城市のエリアとなった。山から流れ出す水は鯉料理や蛍を生み出し、下流ではおいしいお米やもち米がとれる。そのほか梅も特産だ。

その小城市は江里口市長のリーダーシップの下、「スローライフ」をテーマにかかげ、元朝日新聞の川島正英さんにアドバイスをいただきながら市政を進めている。「スロー」ということだから、基本はゆっくりと自分自身や自分の住んでいる地域を見つめなおそうということなのだが、この運動の提唱者の一人で、先日お亡くなりになった筑紫哲也さんが深みのある発言をされている。
「『スロー』ばっかりだとそれはそれで窮屈なのではないか。むしろ、『緩急自在』というべきでは。」
たしかに急いでばかりいる現代社会においては、「スロー」に一定の価値観を見出すこと自体が評価されるべきことかもしれないが、それを小城市は取り入れた。小城市の施政運営方針には「緩急自在」という言葉が掲げられている。

その小城市においてスローライフのシンポジウムが開かれ、僕がそのパネリストの一人として招かれた。小城市には「スローライフプラン」がある。このプランは村岡さんという羊羹屋の社長さんが審議会の会長となって作られたもので、そのうちの一部はもう実行に移されている。たとえば「おぎにり」だ。タイプミスではない。「おぎにり」である。そう、「小城」とかけてそういう名前のおにぎりを考えよう、ということになったのだ。

小城市は原料には困らない。市内で取れたお米ともち米、海苔、それに梅、もちろん小城羊羹、これらを合わせて作ろうというわけで試行錯誤の結果、完成したのが「おぎにり」。
「正統派おぎにり1個」+「梅漬け入りおぎにり」+「小さくて丸い小城羊羹をもち米でくるんだおぎにり」 が楽しめて320円。「正統派おぎにり」以外は一種のスイーツという位置づけだがよくできている。今は市内の「ほたるの郷」という地元産品の販売所で一日20個限定だが、予約すれば500個ぐらいまでは作ってくれるという。ご飯を炊くのはもちろんのこと、おぎにりが載せられている笹の葉まで地元の人の手で成り立っている。ある意味贅沢な食べ物だ。

そのほか、この「スローライフプラン」はけっこうよくできている。
それもそのはず、小城市のものだし会長も村岡さんだけあって「よく練られている」(某新聞より)

その場で言い忘れたことがあった。
実はスローライフ運動は韓国でも進められていて、佐賀県とも友好関係のある全羅南道の長興(チャンフン)郡というところが一種の韓国・スローライフ運動の聖地なのだ。
ここと小城市が友好関係を結んで、お互いにスローライフを進めるいい刺激を与え合ったらどうだろうか。

ふるかわ 拝


平成20年11月18日(火)
第282号  「今度のTVタックル、医療問題でした」

テレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」から急に出演のオファーがあった。去年「地方の活性化」をテーマにしたときに一度出演して以来、何度も出演依頼は来ていたが、あまり出すぎるのもどうか、ということや日程が合わないことも多かったのだが今回は週末に東京に行く用事があったこともあって承諾した。
今回は「医療問題」。医師不足や周産期医療、救急の問題などについて現場としての意見を聞きたいということだった。

「周産期医療」というのは、妊娠22週から出生後7日までを取り扱う医療のことを言うが、こうした専門用語も最近では有名になってきた。それだけ関心が高くなっているということだろう。

現在、厚生労働省では各都道府県に総合周産期医療センターと地域周産期医療センターをそれぞれ指定するように求めている。佐賀県には現時点でその「総合周産期医療センター」が指定されていない。なぜそうなのか、これからどうするつもりなのか、そういうことを聞きたいというのが先方の意図だったので、それについてはNH0佐賀病院(旧国立佐賀病院)が中心になって現在総合周産期医療センターの機能を持つ施設整備が進められていることを言わないといけないと思った。

また、これと併せて、佐賀県の周産期死亡率、つまり妊娠満22週以後の死産と生後1週間未満の死亡の割合の低さも知ってほしかった。佐賀県は周産期死亡率が平成17年には全国一低かったし、平成18年〜平成19年もベストテンには入っている。

最近、東京・墨東病院で妊産婦がたらいまわしにあって命を失うという痛ましい事件があった。墨東病院というのはもちろん総合周産期センターの指定も受けている、全国の中でもモデルとなるような病院だ。そういう病院がいくつもある東京で、たらいまわしをはじめとするこうした事件が起きている。

一方、佐賀県をはじめとする多くのいわゆる「地方」では、比較的、こうした問題は起きていない。なぜなのか。「たらいまわしをしようにもまわすたらいがない」から、という自虐的な表現をする人もいるが、実際のところは「自分のところが拒否をしたらどこにも引き受けてくれるところがない」という強い決意の下に患者を引き受けてくれている医師たちがいてくれるから、ということがもっとも正しいと思う。

そういうことを発言すれば僕としての役割は果たしたことになる。そう思ってスタジオ入りした。

何事も最初と2度目はまったくといっていいほど勝手がちがう。
時間がまったくなかったのでほとんど準備はできなかったが、「遠慮は無用、言いたいときには掻き分けてでも発言する」「最終的には編集がある」という二つのポイントをしっかり前回の経験から学んでいたので1度目ほどの緊張感はなく収録を終えることができた。

ただ、この番組に出るときには「実例とそのバックグラウンドとなる数字をきっちり押さえる」ことが必要。それがあってはじめて説得力のある議論ができる、ということは前回以上に感じた。

オンエアは来週の月曜日。前回ほど気負ってない感じが見てとれると思う。
印象的だったのは東京選出の代議士鴨下一郎前厚生労働副大臣とその隣のたけしさんとの会話だった。収録がスタートする前の雑談でたけしさんが「鴨下さんってどこの鴨下さんですか?」と尋ね、「足立区青井の鴨下ですよ、うちは」と代議士が答えたら「それはうちの実家のまん前ですね」のような会話をしておられたのだ。

東京って広いようで狭い、というかなんかほっとした。

ふるかわ 拝

平成20年11月12日(水)
臨時増刊号 「もうひとつ 筑紫哲也さんの思い出」 

東京・銀座の並木通りに「銀座 季楽(きら)」という佐賀牛の店がある。立地の良さもさることながら、何より最高級の佐賀牛をはじめとする佐賀県の食が楽しめるレストランとして、多くのお客様でにぎわっている。

この店は平成17年9月にオープンしたが、オープン当初はなかなか客足が伸びず苦労した。なにせ佐賀牛だ。味の良さには自信があったものの、知名度の面ではまだまだ首都圏では馴染みがない。「一度来ていただければ絶対ファンになっていただけるのに」。切歯扼腕の日々が続いた。

かといって首都圏で広報をするにはかなりの費用が掛かり、しかも情報の洪水の中では埋没しかねない。「マス(不特定多数)を対象とする広報戦略ではなく情報発信力を持つ方に来ていただく手はないものか」。そう考えて、僕がお目にかかったことのある方を中心に各種のメディア関係者やいわゆる有名人などに「銀座 季楽」への招待状をお送りすることにした。この招待状を持っていけば2人分「季楽」の食事が楽しめるという仕掛けだった。

仕掛けは見事に当たった。大勢の人が来店してくださり、その多くがリピータになっていただいた。そのうちの一人が筑紫哲也さんだった。

筑紫さんはこの店を気に入って、その後も何度か足を運んでいただいたが、はじめて「季楽」に来られたとき、料理には満足されたものの、ひとつだけ注文をつけられた。それは「銘酒『東一』(あずまいち)がない」ということだった。

佐賀県は今でも日本酒王国でたくさんの銘柄がある。その中で筑紫さんはこの「東一」が大好きだった。「数ある日本酒の中で挙げるとするならば東は山形の『十四代』、西は佐賀の『東一』」と言っていただいていた。

筑紫さんの一言で、以来、店に「東一」が置かれるようになった。

出だしはお客様に来ていただくのに苦労した「銀座 季楽」は、いまや予約を取るのに苦労する人気店にまで成長した。

その「季楽」で今もラインナップを飾っている「東一」を見ると、筑紫さんのにこやかな笑顔が目に浮かぶ。

ふるかわ 拝

平成20年11月11日(火)
第281号 「筑紫哲也さんの思い出」

筑紫哲也さんがなくなられた。

僕は平成16年4月から平成18年12月まで、毎週土曜日午後5時から30分間トークと音楽を中心にしたラジオ番組「BREAK!」のパーソナリティをやっていた。その番組のゲストと毎回15分くらい話をしていたのだが、その第18回のゲストが筑紫さんだった。

このときのトークは伊万里市民会館で収録した。「時間が15分しかないのですが」と申し上げたら「気にしないでいいじゃないですか。どんどんしゃべりましょうよ」と言っていただき、存分に話をした。

そのときの番組のかけらがここに残されている。

http://www.power-full.com/broadcast/20040731.htm


話が尽きず15分の予定が30分近くになり、結局2回に分けて放送することになった。

ほんとになんでもフランクにストレートに話していただいた。
「ニュース23」のキャスターとしての話の中では、「やりたくないニュースってありますか」と変化球を投げてみた。そしたら「必要性がわからないのに、なぜそこまで根掘り葉掘りやらなければいけないのかがわからないこと、はあまり気乗りしませんね。具体的にいえば、北朝鮮に拉致された家族について、拉致事件そのものは大変なことだけど、その家族のこまごまとしたことまで本当に伝えなければならないのか、疑問に思うときがあります」とストレートにお答えいただいた。

また、「反響は大きいでしょ、あの番組は?」と聞いたところ、「大きいです。県庁も同じでしょうが、だいたい反対の人しか言ってきませんから。しかもいまはネット社会。私に対する罵詈雑言の類も相当なものがあります」とさらりと答えられる。
「でも、そうなると精神的にまいりませんか?」とお聞きしたら、「精神的に鈍感であることですね。気にしないことを目指すということです。
いちいち神経をいらだたせたのでは体がもちません。気にしないことです。自分の仕事の一部だと思うことです」。
よほどいろんなことがあったのかもしれない。畳み掛けるような勢いで、言葉が続いた。

また、筑紫さんはやきもの好きだ。先代の今右衛門先生と親交があり、お二人で組んで当時はまだ決着のついていなかった「古伊万里・古九谷論争」のシンポジウムを仕掛けた話も楽しげに語られた。

最後に筑紫さんはこうおっしゃった。「人間は生きている動物。せっかくの感性をなくしてしまったのでは生きている意味がありません。人間は死にむかってまっしぐらに進んでいっている動物ともいえます。せめて生きている間は感性を大事にして好きなことをし続けましょう。大人はもうちょっと子供であっていい。」

「大人はもうちょっと子供であっていい。」

伊万里浪漫大学という市民大学にふさわしいコメントで締めくくられた。

僕はこのときのオンエアを持っているので今回あらためて聴き直してはっとした。
筑紫さんは番組冒頭、僕に対し「おひさしぶりです」と挨拶されたのだ。
僕はその前に筑紫さんに会ったことがあったのだろうか?

三位一体改革のことでTBSの喫茶店で筑紫さんに会ったのはその後のことのはずだ。
ひょっとしてリスナーへの、というか僕に対する気遣いだったのだろうか?
今となっては思い出せず、もはやお尋ねする術もない。

ふるかわ 拝


平成20年11月6日(木)
臨時増刊号 「給付金の所得制限問題をどう考えるか」(すごくテクニカルですがつい言いたくなって)

今週のコラムを公表した後、にわかにこの給付金に所得制限を入れるべきかどうかの議論がにぎやかになってきた。所得制限についての僕の考えを明らかにしておきたい。

政策論としては、高額所得を得ている人にまで給付金を出す必要はない、というのはそのとおりだと思う。ただ、実践論としては、この給付金を出す仕事が市町村の仕事になったとして、その給付金担当のセクションは個人の所得を把握していない、という問題がある。市役所の中に税務課があるじゃないか、と言われそうだが、税務課で持っている税務情報をほかの目的に使うことは許されていない。
ではどうしたらいいのか。いまひとつの方法として与謝野大臣が提案されているのが自己申告制度のようだ。所得制限が1千万円だとしたら、それにひっかからないと思う人だけが窓口で給付金の申請をしたらいいのではないか、というものだ。
ただ、これに対しては、本人が嘘をついたらどうなるのか、という指摘もある。

僕は、本人が申請する、という方式を採用するならば、その際に、市役所の税務課に寄ってもらって、去年の納税証明書を出してもらい、それを添付書類として提出してもらえばいいのではないかと思う。
または、立法により今回の事務処理に際しては税務情報を利用することができる、とすることも考えられる。ただ、こうすると相当面倒な制度になる。この給付金を広く行き渡らせるという趣旨と合うかどうか。
いずれにしても現場が困らない対応をお願いしたいと思う。

それと併せて、政策論としては、この給付金を家計への刺激として行うためには、今回だけということではなくて、本格的に景気が回復するまでは毎年行うということにすることが必要になるのではないかと考える。もともとは減税でスタートした話が給付金に変わったのは、減税だけだと恩恵を蒙る世帯の範囲が限られるから、だったはず。

"ばらまき"ではなく、家計を刺激し、消費を喚起することが目的だとするならば、"永遠に"とは言わないまでも、少なくともこの景気が低迷している間は続けるべきではないだろうか。

ふるかわ 拝

平成20年11月4日(火)
第280号 「またまた地域振興券!?」

10月30日、麻生総理が「新たな生活対策」を柱とする経済対策を公表された。
その中で僕が感慨を持って見つめたのが「生活支援定額給付金」だった。
「家計への緊急支援として低所得者を含め広く公平に行き渡らせるため、減税ではなく、給付金方式を採ることにした」という説明だったが、要するに10年前に行われた地域振興券の復活のようにみえたのだ。
僕は、平成10年当時、自治省地域振興券推進室副室長という立場で地域振興券の制度つくりからPRまで実務的な責任者を務めた。当時の自治省は新庁舎を建設中で虎ノ門のJTビルに間借りしていた。地域振興券(当時の最初のころの呼び名は「ふるさとクーポン」だったが)をやる、と自治省が決めたとき、僕は課長級研修の出張でシンガポールにいた。そこに電話がかかってきた。携帯電話がいまほど普及していない当時のことだ。出張先に電話がかかってくるというのはろくな話じゃない。
「古川さん、すぐに帰ってきてください」。後輩にそう言われた。
「どうしたの?」
「ふるさとクーポン、自治省でやることになったんです。」
「それで?」
「古川さんが担当になったんですよ」

制度を作る、ということはある一定の条件の下に給付の範囲を決めるということだ。
だから、たとえば子供の年齢が4月1日時点で15歳以下と決めると、3月31日に16歳の誕生日を迎えた人は対象外ということになる。しかも、そのわずか1日の違いの説明はとてもむずかしい。どこかで線を引くしかない、ということでしかない。

受刑者の問題というのもあった。刑務所に入っている人にはどうやって配るのか。そもそも外に出られない人たちは仮に配ったとしても使いようがないといえばない。
そもそも受刑者の住所はどこになるのか?もともと住んでいたところなのか、それとも刑務所なのか。

結果的にわかったことは「無期禁固、無期懲役、そして死刑が確定した人は住所が職権で刑務所に移される。それ以外の人たちは、住所は刑務所に移らない」ということだった。

また定住外国人をどうするか、という問題もけっこう反応があった。
特別帰化や永住権を取った人は地域振興券の対象にしたのだが、一定年限の在留許可をもらって日本に住んでいる人は対象外とした。
「自分は5年の在留許可だが、更新しながら20年近く日本に住んでいる。それなのになぜ対象ではないのか」。この種の問い合わせも毎日のように来た。

日系の外国人から「自分は外国人だからもらえないのは知っているが、子供が今週末に友達と地域振興券で買い物に行きたいと言っている。
自分にも地域振興券をくれとはいわないが、子供に渡してやりたいので売ってもらうわけにはいかないか」と相談を受けたこともあった。

この手の政策は概して評判が悪い。あのときも、「世紀の愚策」と呼ばれていた。ただ、僕は「これはまたいつの日か実行されるのではないか」と思った。
そこで、この仕事が終わったとき、担当者を集めて座談会をやって何が課題だったのか記録に残した。
また、それとは別に本も作った。当時実務的にどう対応したか、を記録として残したかったのだ。

その後、当時の自治省は総務省になり、庁舎も移った。果たしてそのときの資料はちゃんと残っているだろうか。


ふるかわ 拝