2008年3月

平成20年3月25日(火)
第248号 「サンドウィッチマンとの出会い」

先日、佐賀にサンドウィッチマンが来た。知らない人のために言っておくと、昨年末のM−1グランプリで敗者復活からの劇的な優勝を勝ち取ったいま旬なお笑いコンビだ。(ちなみにM−1グランプリというのはいわば「お笑い界のレコード大賞」とでも思ってください。)
コンビの一人の伊達さん(普通芸能人は敬称略なのだが、会ったことのある人にはなんとなく敬称をつけたくなる)は、一見、「その筋の人」っぽく、相方の富澤さんはなんだか寝起き系のボケが特徴。
昨年末のM−1が衝撃的だっただけに、サンドウィッチマンが来ると聞いて楽しみにしていた。午後1時と午後3時の2回ライブがあるという。
当日は整理券はなく、早い者順。僕は1回目の始まる30分前に行き、端っこだけどそこそこ観ることのできる場所が確保できた。

まずは前座(というのだろう)の「永野さん」というピン芸人が登場。なかなかシュールな一人芸を披露してくれた。会場は、そもそも目的がサンドウィッチマンだし、あまり盛り上がってはいないのだが、独特の雰囲気は持っている。「永野さん」本人がライブの中で語ったところによれば、一部のネタは「さくらんぼブービー」には大うけとのこと。この「さくらんぼブービー」もまたシュールなお笑いで僕もなんとなく気になっている存在。何がどうというわけではないのだけれど。

ということでいよいよサンドウィッチマン登場。みんな待ちかねているので何をしても言っても反応がすごい。お客さんに東京から持ってきたお菓子「東京ばな奈」にサインをしたものを配るのだが、それは当然争奪戦だし、その「東京ばな奈」を入れていた袋まできゃーきゃー言いつつ受け取っている人がいる。まさに旬の芸人の持つパワーだ。そのトークの中で「佐賀って何がおいしいんですかね?」という話になった。お客さんが「牛肉」とか「ノリ」とか「いちご」とか「みかん」とか「鶏肉」とか「お米」とか「丸ぼおろ」とか「佐賀錦」とかいろいろ言っている。富澤さんがその雰囲気を見て、「なんかさ、直球ストライク!みたいなのはないの?仙台っていえば食べ物なら牛タン、お菓子なら萩の月みたいな感じの。だってさ、牛肉だってみかんだってどこのでもおいしいじゃん」と笑いを誘っている。

佐賀県のセールスマンとしては、うれしいような悩ましいような話なのだが単純には笑えない。「佐賀といえばこれ」というのがやはり必要なのだと思う。
(僕としては、いいものはいろいろあることは百も承知のうえで、「やきもの」と「ノリ」の二つが佐賀県を代表するもの、と思っているので、第2回の始まる前までにおいしい佐賀海苔を楽屋に届けておいた。そしたら、第2回のライブで、「佐賀といえばノリが有名なんですってねえ」とさっそく紹介してくれた。ありがとうございます。)

とにかくライブは愉しかったのだが、言いたいのはそこじゃない。ライブが終わって、余韻に浸ろうとサンドウィッチマンのブログを読んでいたら、こんなエピソードを見つけた。

このサンドウィッチマンのライブの行われたモラージュ佐賀店にはサーティワンアイスクリームの店がある。
そのアイス屋さんでバイトしている女性が伊達さんのブログにこんなコメントを寄せていたのだ。
「あたしは、サンドイッチマンさんがいるモラージュでアイス屋さんでバイトしてます。笑ライブ見たかったのに今バイトで見れない!!残念(^_^;)笑
頑張ってくださいね☆o(^-^)o アイス 2008-03-16 13:27:50」

この13時27分50秒という時刻はちょうど第1回目をやっている最中だ。ライブのステージとアイス屋は目と鼻の先なのだが、でもその店でバイトしている以上見ることができないということでブログにコメントをしたのだと思う。

そして、伊達さんは、幕間にそのコメントを読んだらしい。そして午後3時の回が始まる前になんとかそのアイス屋を探そうとマネージャーと二人で店内を探し始めたようだ。

それが次の別の人からのコメントだ。
「今日伊達さんにモラージュで「サーティーワンどこ?」と話しかけられた者です。
隣の県から来ていたので、モラージュのことを全然知らなくて、答えられませんでした。本当に本当にすみません!14時半ぐらいだったから、急いでたんですよね。サーティワン、後から調べたら、ステージのすぐ近くでした・・・」

この人はさらにこう続けている。
「バイトされていた方、伊達さんはマネージャーさんとお二人で、サーティーワンを一生懸命探していらっしゃいましたよ。15時からのステージが控えていたにも関わらず、少しでも顔を出すために早足で探しておられました!どうかこの気持ちだけでも届きますように・・・」

結局、アイス屋を発見できないまま、午後3時からのライブを迎えたようなのだが、普通の芸人ならば幕間はゆっくり休憩したいと思う。ましてや、M−1優勝の夜以来、休みなしの状態になっているサンドウィッチマンの二人であればなおさらのことだろう。
でも、伊達さんは、その時間を割いても、バイトのためにステージを観ることのできないファンのためにアイス屋に行って顔を見せる努力をしておられたのだ。こういうファンを大事にする芸人さんにはこれからも成功していってほしいと心から思う。

ふるかわ 拝

*ギャラリー3月にサンドウィッチマンさんとの写真をアップしています。

平成20年3月18日(火)
第247号 「古賀武夫さん逝く」

古賀武夫さんが3月17日、亡くなられた。長い間、肝臓がんと戦っておられたが、3月28日の58回目の誕生日を迎えることなく、他界されたのだった。地球市民の会会長であり、佐賀県国際交流協会理事でもあるが、そういう肩書きとは別に「古賀武夫」だった。
一生かけて「古賀武夫」を生きた、といえるのかもしれない。

古賀武夫さんを説明するのは難しい。
英語と空手の使い手であり、佐賀を本拠にして世界を舞台にする国際交流事業も展開しておられた。実践家にして哲学者でもあり、酒豪にして細心な人でもあった。英語、フランス語は別格としても、中国語で話しながら中国人を笑いの渦に引き込んでおられる姿を見たこともある。語学の天才であったことは間違いない。いや努力家だったのかもしれない。しかし、どう表現してもちょっとちがう、と思ってしまう。

スキンヘッドに黒マント。それに丸いめがね。戦前の旧制高校の学生のようないでたちで、日本国中を歩いておられた。

僕の最初の選挙のときにもお世話になった。総決起大会と称する投票日近くの集会において、古賀さんには最後の締めの挨拶をしてもらっていた。
選挙の総決起大会というのは往々にして悲痛な叫びが会場全体を覆うものだ。その締めの挨拶というのはきわめて重要で、「さあ、みなさん、この会場を出たら、一人でも二人でも支援の輪を広げましょう!」という気持ちにさせなければならない。ところが、古賀さんは、そういう悲痛なことは言われない。「みなさん、心配はいりません。案ずるより古川ヤスシ!」と締めるのだ。
それはそれなりに会場ではウケていたのだが、あれではいけない、という選挙スタッフの意見もあり、投票日直前の最後の総決起大会のはじまる前、やはりその日の締めをお願いしていた古賀さんに、スタッフの一人が懇々とこの大会の持つ意味、この会場に来ていただいた方にはこの会場を一歩出たら「よし、もう少しがんばらんば!」という気持ちにさせるようになってもらわないといけないこと、そのためには、もう少し何か心に残るようなことを言ってくれないだろうかということを古賀さんに伝えた。
そして大会の最後、古賀さんが登場した。そしていつもよりもっと元気に「案ずるより古川ヤスシ!!!」。

そういうことは全く気にしない人だった。

古賀さんは空手の道場主だった。「あんたも空手をやりなさい。」と知事就任直後に言われた。「いや、新しいことを始める時間がなくて」とお断りをした。ところがその翌日に自宅に空手着が届けられ、空手道場のHPには僕が入門したと書いてあった。
結局、空手の稽古にはまだ一回も行っていない。
でも、今にして思う。古賀さんがお元気なとき、一度くらい行っておけばよかったと。

その空手の仲間で作るthe GENKEES の飲み会の案内も一時期まではもらっていたがあまり行かなかったせいか案内が途絶えた。
一度だけ行ったことがあったけれど、今にして思う。古賀さんがお元気なとき、もう少し顔を出しておけばよかったと。

古賀さんとの思い出は愉しいことがいっぱいだったのに今思い出すのは申し訳ないなと思うことばかり。

そういう気持ちにさせる人だった。

ひとつだけ約束を果たすことができたのが熊本・阿蘇の幣立神宮(へいたてじんぐう)行きだった。
いろんな課題で悩んでいたころ、古賀さんはよく「古川さん、あんまり悩まんほうがよか。幣立神宮に行ってみらんね」と言われていた。自分自身の中にゆとりがないとそういう言葉にもちゃんと反応することができず、のびのびになってしまって、やっと一昨年の秋に行くことができ、一泊して古賀さんを囲んで数人で酒を飲んだ。幣立神宮独特のたたずまいを全身に感じながら、古賀さんがここに誘っていただいたわけがわかるような気がした。一緒に酒を酌み交わしたのはそれが最後になった。

古賀さんとの思い出を語るのにこの文章はまったく非力だと書きながら感じている。でも、いまはこれくらいしか書けない。

古賀さん自身は自分のことを「自己追求途上人」を書いておられた。まさにそのとおりだったと思う。

古賀武夫。ちょっといない男だった。
                                         
ふるかわ 拝

平成20年3月11日(火)
第246号 「『早い』と『速い』」

多久工業高校(現・多久高校)出身の元プロ野球選手加藤博一氏が56歳で今年の1月21日、がんのため他界された。

言うまでもなく、「スーパーカートリオ」の一人として、プロ野球現役時代は、その足の速さで知られていた。打順は二番。僕は、よく佐賀県を野球の打順にたとえるなら二番打者だと言っているが、加藤選手はまさに佐賀県のシンボルそのものだった。
足も速かったが、人生を終えるのも早かった。いや早すぎた。

加藤選手の足の速さはもちろん短距離で発揮されたが、彼は多久工業高校時代、野球部員ながら全国高校駅伝県予選大会にも出ていた。加藤選手は2区。そして1区は武冨豊という2年後輩だった。

その武冨選手には、北九州総体(全国高校総体(インターハイ)の北九州地区大会)5000mでの4位入賞という燦然と輝く記録がある。そんなに「燦然」としていないようにも見えるが、そのときの優勝は喜多秀喜、2位は宗茂、3位は宗猛だったことを思えば、すごい記録だ。ちなみに優勝の喜多秀喜選手は、ご存知のとおり幻のモスクワオリンピック日本代表で、鹿島実業高校出身。ここにも佐賀県勢がいた。

武冨豊選手は、多久工業高校卒業後、神戸製鋼所に入社し、陸上を続けた。そこには喜多秀喜選手もいた。その後、指導者に転じて岡山にある天満屋の女子陸上部のヘッドコーチになり、そして1996年には監督に就任した。そのとき監督の座を武冨氏に譲って総監督に就任したのが佐々木精一郎氏。彼は鳥栖工業高校の出身で佐賀県出身者が2代続けて監督を務めていることになる。

その武冨豊監督率いる天満屋所属の中村友梨香選手が昨日の名古屋国際女子マラソン大会で優勝した。さらには北京オリンピックの日本代表にも決定した。

近年オリンピックには必ず天満屋所属の選手が選ばれている(2000年のシドニーオリンピックで山口衛里、2004年のアテネオリンピックでは坂本直子)ことを思うと、選手もさることながら、指導者としての力量を改めて感じ入るところだし、それが佐賀県人だというのはまことに痛快ではないか。

去年は甲子園では百崎敏克監督に率いられた佐賀北高校が優勝したが、2004年、2005年と夏連覇した駒大苫小牧高校の香田 誉士史監督も出身は佐賀商業高校。

指導者に恵まれている県だなとつくづく思う。

こういうポテンシャルをぜひカタチにしたい。

ふるかわ 拝

平成20年3月4日(火)
第245号 「マクドナルドの判決を読んで」

いささか古い話になるのだが、今年の1月28日、埼玉県内のあるマクドナルドの直営店の店長が管理職ではないという判決が下された。実態としては管理職でないのに、「店長」ということで残業代が支払われてないことに対する訴訟だった。
世の中で「長」という名のつくポストにいる8割くらいの管理職(のはず)の人は「自分もそうだ!」と思ったのではないか。ポストは上がっているのに若いころとあんまり仕事が変わらないという不満は業界に関わらず普遍的に存在しているようだ。
これはこれで大きな問題なのだが、今回、僕のいいたいことはそのことではない。
その判決を伝える新聞の見出しだ。
判決を伝える朝日新聞東京本社版の見出しは「マックに残業支払い命令」。
これに対し、朝日新聞大阪本社版の見出しは「マクドに残業代命令」。
読売も毎日も産経も同じように東京版は「マック」、大阪版は「マクド」だ。

マクドナルドは関東と関西で呼び名が違うというのはよく知られているけど、ここまでやるか、という感じ。(ちなみに僕が前に住んでいた長野県ではマックでもマクドでもなく「マクドナルド」と省略しない人が多かったような気がする)。

日本としてひとつになってずいぶん長い時間が経っているとは思うけど、地域によって違うところがいろいろある。

ところがマクドナルドぐらいでおどろいていてはいけなかった。地域対立がもとで国旗・国歌が変わるかもしれないという国があった。イギリスである。
たとえば国歌。
イギリス国歌といえば、「God save the Queen」。神よ我らが慈悲深き女王陛下を守りたまえというような歌詞。どこにも問題などありそうにない。
ところがよく知られているのはこの1番で、この国歌は6番まである。
その6番はこのようになっている。

Lord grant that Marshal Wade
May by thy mighty aid
Victory bring.
May he sedition hush,
And like a torrent rush,
Rebellious Scots to crush.
God save the King!

ウェイド元帥の勝利が
主の強大なる助力によりもたらされんことを
彼が反乱を鎮めんことを願わん
激流の如きスコットランドの反乱を打ち破らん
神よ我等が国王を救いたまえ!

なんと、スコットランドは反乱勢力になっているのだ。

知り合いのイギリス人に聞いたところ「そんな歌詞あったっけ」。6番は歌った記憶があまりないという。どうも多くのイギリス人にとって国歌の6番というのは縁遠いものとなっているらしいのだが、それでもいったん問題になってしまうと何かしら落としどころが必要なのがこの世界。
イギリスの政府高官も、国歌を変更しなければならないかもしれないと述べているとのことでひょっとしたら歌詞が変わるかもしれない。
そもそも、6番以外でも歌詞が時として変わっているのがこのイギリス国歌。
そう、女王でなく、男性の王の治世になると、「God save the King」となっているのだ。

そのイギリスでは国旗も議論に上がっているという。
もともと今のユニオンジャックはイングランドとスコットランドとアイルランドの旗を合わせて作られた。(ここではスコットランドは入れてもらっている。)
ところがイギリスにはウェールズという地域がある。ここははやばや13世紀くらいにイングランドに併合されたせいか、このユニオンジャックに何の存在も示せていないのだ。
そこでいま、国旗にウェールズのシンボル(レッド ドラゴン)も入れるべきではないかという議論が巻き起こっているのだという。
イギリスの新聞「Telegraph」のWeb版「telegraph.co.uk」には「2ちゃんねる」で提案されたものも含めて新しいイギリス国旗のアイデアが掲載されている。

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/11/30/nflag130.xml

イギリスは、国連での呼び名はUKなのに、オリンピックではGBだし、まことに不思議な国だなと思う。
とはいえ、日本もそもそも自国での呼び方がNIHONなのかNIPPONなのかわからないという不思議な国でもある。そもそも英語名称がJAPANというのもなあ。そろそろ英語での呼び名もNIPPONにしたらどうかという気もする。


ふるかわ 拝