2008年4月

平成20年4月29日(火)
第253号 「晋山式」

曼殊院門跡第四十二世藤光賢門主晋山式とその祝賀会に出席した。
えっ?なになに? 
京都にある曼殊院(まんしゅいん)という天台宗の門跡寺院(門跡とは皇族一門の方々が住職を務められたこと。京都では曼殊院のほか妙法院、三千院、青蓮院、毘沙門堂を五ケ室門跡という。)の第四十二代目の門主になられた藤 光賢さんが山(というか寺院)に入られる(晋山)という式があり、その式とその後の祝賀会に出席をしたということだ。

門主となられた藤 光賢さんは佐賀県吉野ヶ里町にある金乗院(こんじょういん)というお寺のご住職。
先日、この職に就くことになったからということでご挨拶の申し出とこの式へのご案内があったのだがこんなことはめったにあることではない。晋山式は宗教行事になるだろうから、というので、公務ではなくプライベートで行くことにした。

晋山式の会場は曼殊院。新緑の美しい庭を眺めながらの一時間ばかりの式典は、新しくこの寺院の責任者になったということの報告を開祖に対して行い、その後に所信表明をし、諸先輩および万座の方々にいわばお立会いをしていただくというような内容。荘厳のうちにしかもテンポよく進められて(失礼な言い方ながら)まったく飽きなかった。
京都は宗教が息づいていてしかも特別な感じがしない。この晋山式に当たり、個人的にお祝いを持っていったのだが、受付で「では領収書をお渡ししますから」と言われ、しばらくしたら本当に領収書が出てきた。この手の催しで領収書をいただくことはきわめてまれではないか。
(ちなみにその領収書の但し書きは「晋山賀儀として」とあった。お祝いといわず、「賀儀」というのが正式らしい。)

会場を変えての祝賀会。ここでは天台座主猊下(げいか)、天台宗宗務総長様、比叡山延暦寺執行様、岩清水八幡宮宮司様に続いて祝辞を述べた。その内容を最後にご紹介したい。

曼殊院門跡第四十二世藤 光賢門主晋山式並びに祝賀会にご出席させていただくご縁をいただき、まことにありがたく思う。

藤 光賢大僧正は佐賀県は吉野ヶ里にある金乗院の出。その故を以って私もご招待の栄にあずかり、また、本日の祝賀会の料理においても、フランス料理ながらも、佐賀県の食材がふんだんに使われている。前菜の「源氏焼蒲鉾の有明海苔巻き」に始まり、「みつせ鶏のスープ」「佐賀県産牛フィレ肉のロティ」そして「佐賀 ヒノヒカリで握った握り寿司」に至るまで、佐賀県づくし。ご門主のご配慮に心から感謝したい。


フランスといえば、フランスはブルゴーニュのボーヌ村に「媚竈」(びしょう)という名前の日本食レストランがある。この祝賀会の会場においでのほとんどの方はこの言葉の意味するところをよくご存知かと思うが「かまどに媚びる」とは、もともとは中国の論語にある言葉「その奥に媚びんよりは、むしろ竈に媚びよ」からきている。権力におもねることなく、民の暮らしに思いを馳せよ。そういう思いが込められたこの「媚竈」の扁額がこの曼殊院の玄関にかかっている。

書かれたのは良尚法親王(りょうしょうほうしんのう)。もとはといえば、皇族だったお方が、どのような気持でこの扁額の字をお書きになったのだろうかと思いながら字を眺めていた。

仁徳天皇の例を待つまでもなく、「竈に媚びる」ことは政治の基本。これを忘れてはならないということを良尚法親王はわかっておられたようだ。この良尚法親王の世界の深さと広がりをつくづく思う。
あらためてひとりの政治家としてしっかりせねばと気持が引き締まった。

いま私が責任者を務める佐賀県はビッグな県ではない。でもグッドな県にすることはできると思っている。
この、「竈に媚びる」気持ちを持って、佐賀県という「一隅を照らして」いくために懸命に努力していきたい。


ふるかわ 拝


平成20年4月22日(火)
第252号 「結びのまつり」でTOSHIの歌を聴きました

「結びのまつり」というタイトルのイベントが先週末開催された。場所は佐賀市大和町にある巨石パーク。
「どっかで聞いたことが・・・」。
そう、はなわさんがかつて歌っていたことがある。「巨石パークって行ってみたけど石があるだけ〜」みたいな感じで。

その巨石パークの中の広場をステージに仕立てて、佐賀県内で活躍する「癒し」をテーマにしたグループやミュージシャンが次々に登場し、最後は元(というか復活したけど)XJAPAN(エックスジャパン)のTOSHIがメインゲストで歌うという趣向。地元の人たちが主体になって手作りでやったイベントなのだが、巨石パークの不思議系空間でのヒーリング系の音楽ということだけでもなかなかだし、加えて空には満月。とても素敵な雰囲気のライブだった。

そのTOSHIというミュージシャンのことについては、正直そんなに知らなかった。もちろんXJAPANは知っていたし、小泉首相が好きだというので一時期XJAPANの曲が自民党のTVCFに使われたりしたことがあったことは覚えていたけど、リーダー格のYOSHIKIとこのTOSHIの区別はつかなかった。
でも、ぜひと勧める人があって行くことにした。以下はその人から聞いた話だ。

TOSHIはXJAPANを脱退してからは、「癒しの音楽」をテーマにするようになって、大きなハコじゃなくて、高齢者の施設とか学校とかで歌うようになったらしい。その箇所約8000だという。もちろん佐賀にも何度も来ている。XJAPAN時代には、東京ドーム3日連続など大きなハコを一杯にしていたミュージシャンがソロになって逆に小さくてもいい、いやむしろ小さいところのほうがいいということでそういう道を選んだようだ。
今回のライブもその一環で、「そんなに大きなものではないけれど「癒し」がテーマのイベントでもあるしいいですか?」ということで了解をしてもらっていたものらしい。

ところがその後事情が変化した。XJAPANが復活したのだ。
そうなれば話は違う、と事務所サイドとしては考えたのだろう。「XJAPANが復活した今、たとえTOSHIひとりで行くにしてもソロ時代と同じ金額というわけにはいかないし、そもそももっと優先してもらわなければいけないスケジュールがある。」というようなことを主催者側に言ってきたらしい。

主催者としては相当困った。ところが、TOSHI自身が「約束は約束。当時の条件のままで行きたい」と言い、このライブが実現したのだという。

勧めてくれた人はこうも言った。
「TOSHIがときどき佐賀に来ているというのは聞いていました。私自身もTOSHIを佐賀の街のなかで見たことがあるんですよ。エスプラッツ(佐賀市にある商業施設)の横で一人で歌ってました。誰も気づいていなかったようなのですが、声が声ですから私はわかりましたよ。ああ、やっぱりいろんな形で歌っているんだなって思いました」。

これだけ聞けば行ってみたくなるではないか。現地に着いたらもうTOSHIのステージが始まっていた。

TOSHIはライブの中でこう語った。
「XJAPAN時代はロックスターになった気分でいました。ライブをやれば何万人もの人が見に来てくれるし。でも、あのときはほんとに精神的には苦しかった。いろんなことがあって芸能界を辞めたいと思ったりもしましたし。で、勧める人があって、お年寄りの施設を回ろうということになったんです。はじめてある老人施設に行ったときのことをよく覚えてますよ。それまではファンを相手にライブをやってたわけですが、そこには集められたお年寄りがずらっといたわけです。あまりこれまでライブでは見たことがない人たちでしたね。「元XJAPANのTOSHIです」と言っても何の反応もない。とにかく歌ってみろ、みたいな感じで。自分の経歴や名前やいわば肩書きが通用しないというのがこういうことなのか、と思いました。一所懸命に歌いましたよ。そしたら最後にはそのお年寄りが目を真っ赤にしながら聞いてくれました。誰が歌うか、何という歌なのか、とかそういうことじゃなくて、いい歌を歌ってそこに詞が載って誰かに届く。それだけでいいんじゃないか。そう思うようになりました」。

僕も覚えがある。

最初の知事選挙のときのことだ。「辻」というやり方がある。街の中の一角をお借りして政策を訴える演説をすることだ。およそ相手が聞くかどうか関係なく自分が言いたいことを話すわけだが、うるさいし、じゃまだし、お前誰だよ、という感じでほとんどの人からは見られるし、演説を始めても足を止めて聞いてくれる人というのはほとんどない。

そこでくじけていてはいけないわけで、「少しでも耳を傾けてほしい、自分はこれを訴えたい」ということを語り続けるしかない。そして、そういうことをずっと続けていると、ときどきは「よかったよ。がんばってくださいね」と言ってくれる方もある。

こういうことを経験していると、自分のこれまでの人生でいささかなりとも自負していた誇りや自信というものが実は自分が属していた組織に向けられている敬意だったということが、つまりは所詮かりそめのものだったということが強烈にわかる。

逆に言えば、それを経験しているというのが政治家の強みではないかとも思う。

だから、そのライブでTOSHIの話を聞いたとき、他人事とは思えなかった。

ちょっと恥ずかしいことだけど、涙腺が緩んだ。

ふるかわ 拝


平成20年4月15日(火)
第251号 「会見のバックパネル」

世界的デザイナーの吉岡徳仁さんに会った。代官山にある事務所は、島根から移築したという古民家の梁を活かしつつ、モダンに仕上がっている。
お忙しいにもかかわらず、お時間をとっていただいた。
吉岡徳仁さんは41歳。佐賀市生まれで小さいころから絵に興味を持つ。有田工業高校、桑沢デザイン研究所を卒業後、倉俣史朗、三宅一生のもとでデザインを学び独立。
auの携帯電話MEDIA SKINやISSEY MIYAKEの時計の“TO”などつねに時代を驚かせるようなデザインを発表し続けている。

最近では東京・銀座のスワロフスキーのショップのデザイン。
森をイメージしたというお店の構えは個性的な建物の多い銀座8丁目界隈でもちょっと目を惹く。

「同じというのがいやなんですよ」
「どうせやるなら世界ではじめてとかこれまでになかったというものをしたいんです」

控えめな言葉ながら、発せられる内容は確かだし、しかも、実績がそれを証明している。

今年も、これからミラノ・サローネに出かけていき、イタリアの家具ブランド「カッシーナ」をはじめ依頼のあった5つの企業の製品を展示する予定になっているという。

「企業が突然デザインに目覚めたんです。それまではデザインというのはお金がかかるわりには売り上げには結びつかないように思われていたのが、デザインがいいものが売れ始め、いまや企業はデザインに力を入れることの意味を理解するようになってきているんです」

デザインが重要というのは、行政や地域づくりも同じではないかと僕は思っている。

たとえば記者会見のときのバックパネル。もともとはああいうものはなかったのだが、2年くらい前からバックパネルを使うようになった。
去年1年間は高校総体の文字とシンボルマークを使ったチェック模様のものにした。
その後、おとなしい緑のものに戻したが印象が弱くなんとかしたいと思っていた。

その新しいバージョンがこのほどできた。

新しいバックパネルは佐賀県のポータルサイトのトップ画像をそのまま使ったものにした。その画面が毎月変わるため、記者会見のバックパネルも毎月変わることになる。

佐賀県のポータルサイトのトップ画像はこちら。

http://www.pref.saga.lg.jp/web/

今日(4月15日)がその新しいバックパネルでの最初の記者会見。そこにも注目していてほしい。
吉岡さんを目指して、とはいかないが、ただ、無難なだけを意図したものではない、ということはわかっていただけると思う。

ふるかわ 拝

平成20年4月8日(火)
第250号 「ガソリンスタンド」

県庁前の桜が満開だ。
花見のお客さんもいる。
一気にお濠の周りに春が萌え出したようだ。

4月1日、佐賀市内のガソリンスタンドを3つ回った。
最初の2つは市街地にあり、掛け売りが中心の店だった。つまり、ある程度決まったお客様が多いお店だということができる。お客様からの問い合わせは「いつから下げるの?」がいちばん多いが、1週間くらいはこの値段で行きます、と答えているとのことだった。

「3月中の仕入れの分はそのままの価格で販売する、ということは、3月中の仕入れはできるだけ少なくしておいたほうがいいですね」とガソリンスタンドの経営者に水を向けてみた。
意外にも「そうともいえません」という答えが返ってきた。
経営者はこう語る。
「そもそも2,3日おきに来ているタンクローリーが4月初めは1週間くらい手配がつかないようなのです。私たちはガソリンスタンドです。お客様が来られたときにガソリンがありません、ということだけはしてはならないことだと思っています。だから、普通なら2,3日分の仕入れで済むところを1週間分の仕入れをしておかなければならないということなのです」。

たくさん仕入れれば仕入れるほど、相対的には高いガソリンを販売し続けることになる。
でも、店主は「それは仕方ありません」と言う。
「油売るのがガソリンスタンドですから」。

最後の一つは、郊外型のロードサイド店舗でここは4月1日から値下げをしていた。
「もちろん、出血ですけど仕方ありません。こういう場所だと値段で勝負するしかないんですよ」とここの店主は答える。

一人若い女性が給油をしておられたのでお尋ねしてみた。
「よくこのスタンドをお使いになるのですか?」
「いいえ」
「どうしてここを選ばれたのですか?」
「値段を見て「あっ 安くなってる」と思って入りました」。
やはり、店主の言うように、このエリアでは「価格訴求」に大いに意味があるようだ。

値段を下げているところも下げていないところも「大変だけど仕方ない」という点では共通しているなあというのが正直な感想だった。

ユーザーとしてはもちろん安いのは歓迎なのだと思うが、あるユーザーの方は「売る側の苦労を知ってしまうと、高いままでも仕方ないとは思うけど嬉しくはないし、安くしてあると嬉しいけど大変だろうなと思ってしまって」とおっしゃっていた。

値上げの春だ。
原油や穀物などの価格高騰の影響で、食料品や電気・ガス料金など日常生活に必要な商品やサービスの値上げが相次いでいる。
その中でガソリンの値段が下がるのは家計としては朗報だというのは当然だろう。
本来は、これだけ値上げが相次ぐ中で、家計に対する政策を考えるべきだということが政治課題であるべきなのかしれない。
ただ、家計負担を軽減するということは地方自治体や国から見ると減収になる。
そこが難しい。
暫定税率が期限切れになったために、ガソリンや軽油は安くなっている。
ただ、その代わりに、佐賀県を含む多くの地方自治体や国では、今年度の道路事業のスタートが切れずにほとんどのものが保留扱いになってしまっている。
もともと道路財源は新しい道路の整備にばかり使われているわけではなく、過去の道路事業の借金返済に使われる部分も多い。この部分はいくら道路財源の収入が減っても返済を待ってもらうわけにはいかず、道路以外の分野の歳出を削ってでも返済しないといけない。今回の収入減は正直痛いのは痛い。

国も与野党も「地方には必ず財源措置をする」と言っていただいている。それはそれでありがたい。
しかし、国も税収が減っているのは事実で、地方の財源措置のための収入はどこから持ってくるのだろうか。
マジシャンの芸にポケットから鳩が出るというのがある。でも行政にはマジックはない。
ポケットから本当に鳩が出るとしたら、理由は簡単でポケットに鳩がいるからにほかならない。
4月29日と言わず、参議院で徹底的な審議と議論を尽くし、必要があれば修正を行い、ぜひとも一日も早く、この「ガソリン問題」を消火していただきたい。

ふるかわ 拝

平成20年4月1日(火)
第249号 「アブラカダブラ!」

「ハリーポッター」に、よく「アバダ ケダブラ」という魔法が出てくる。
この言葉の意味するものは、ある解説によれば、(以下引用)

「Avada Kadavra
古代の中近東で使われていた言語、アラム語の"abhadda kedhabra"「この言葉のように消えてしまえ」が語源。古代の魔術師が病気を取り去るために使っていた言葉で、 魔法の言葉といえばこれ、と言えるかの有名な「アブラカダブラ(abracadabra)」の語源でもあります。AD200年頃のローマの医者クインタス・セレナス・サモニカスは、 アブラカダブラが一文字ずつ消えて最後のAが残るまでを一枚ずつの紙に書いてこの11枚を一まとめに束ね、患者の首に巻いて9日間おき、それを東に向かって流れる川に肩越しに投げて 治療に使ったといいます。中世になって黒死病が流行った時にも使われていたほど人気のある治療法でした。」

とのこと。

もともとは病気を治す呪文だったようだ。それが「ハリーポッター」では人を殺害する魔法として使われている。
もともとの意味と今のありようとが違ってきているのは昨今の「アブラ」をめぐる国会も同じだ。

もともとは国政のさまざまな課題を審議し、結論を出すべきなのが国会だと思うのだが、その国会の場でほとんど審議をしないまま、衆議院で可決された法案を参議院では3月31日までに可決とも否決とも決せずに結果的に暫定税率が切れるということになった。

ガソリンや軽油の価格が下がることは多くの人が喜ぶことになるだろう。
しかし、だからと言って、そのためには国会で審議もせず、しかも数週間後にはまた与党側が再議決して価格が元に戻ることも見越した上でこういう状況を作り出したことに対しては、僕は感心しない。政治の混乱、というよりは不在を感じる。

もともとは議論をし結論を出すための府であるはずの国会なのに、結論を出さないことが仕事になっているというのはもともとは病気を治す呪文だった「アブラカダブラ」が「ハリーポッター」では人を殺害する魔法になっているというのと似ているのではないか。

ただし、この呪文、「ハリーポッター」では、「許されざる呪文」とされている。人に対して使うだけでも、終身刑に値するとされているのだ。
なぜかといえば、これは相手を一瞬にして殺す呪文で、反対呪文はもちろん、対処方法もないからだ。

「国会で審議をしない」という呪文に対しては、反対も、対処方法もない。これも「許されざる呪文」なのではないのだろうか。

どうも国会をめぐる今の状況、魔法界よりもルールが不出来のようで仕方がない。

アブラカダブラ!! どっかでこの病気を治してもらえないものだろうか。

ふるかわ 拝