2008年6月

平成20年6月24日(火)
第261号「ブラジル日本移民百周年記念式典に参加して」

ブラジル日本移民百周年記念式典に石丸県議会議長ともども参加した。サンパウロのスタジアムに31,000人が集まり、百周年を祝った。皇太子殿下がこの大会の名誉総裁としてお越しになり、日本の県知事も10数人参加されていた。宮城・岩手の県知事もブラジルまで来られていながら、地震発生でとんぼ返りされたが、いずれにせよこれだけの数の知事が海外で集まることはない。この行事の意味の大きさがわかる。

式典では2世、3世などが日本の文化をブラジルで受けつぎつつブラジルに合った形で発展させている姿が印象的だった。和太鼓を学ぶ若い人たちが叩いているのはサンバのリズム。こういうことが文化の変容というのだと思った。

今から100年前の1908(明治41)年に日本人の移民第一弾がブラジルのサントスに到着。ここに日本人の移民の歴史が始まった。佐賀県からの移民はその2年後の1910(明治43)年が最初で、戦前の移住者の数は日本の都道府県の中では多いほうから18番目。佐賀県の人口がだいたい全国40番目前後であることを考えたら、高い比率である。

僕にとっては3年前の「ブラジル佐賀県文化協会創立50周年」以来のブラジル行きだったが、今回も県人会の方々の歓迎を受けた。50周年というと短く見えるが、ブラジルは面積が広いため、戦前は各植民地ごとに県人会があることが多くブラジル全体を束ねる組織は戦後に作られているため、そうなっている。

移民の方の苦労が並大抵のものではなかったことはいろんな文献や前回の訪問でも知っていたが、今回、改めて「50周年記念誌」を読むことでそのことを強く感じた。

たとえばトラホーム。いまはもう縁遠い病気になっているが、僕が子供のころまではなじみのある病気で学校でもこの病気のことを習ったし、目をなんかの薬品で洗った記憶もある。

とくに戦前はこの病気が流行っていたらしく、石川達三の「蒼氓」やブラジル移民を描いたNHKドラマ「ハルとナツ」に、「移民しようにもトラホームにかかっている人は出国前に拒否された」ということが描かれている。

今回50周年記念誌を読んでいたら、佐賀県の面積を超える栽培面積を誇る農場を作るまでに成功された伊万里出身の前田常左衛門氏について、1927(昭和2)年に渡伯されたと記録にあるが、同時期に渡伯された同じ伊万里出身の志気保男氏の手記には1927(昭和2)年の5月「前田氏の奥さんトラホームの為、治療に残られ、志気、小杉の2家族出発」とあるのを発見した。
トラホームで渡航できなかったという話は本当だったのだとリアルに迫ってくる。前田氏一家はその後どのようにして渡伯されたのだろうか。

そういういろんな発見がある中、佐賀県人会エンブ支部長木村優氏の手記をご紹介したい。氏は、馬渡島出身で昭和33年渡伯され、その当時のことをこの記念誌にこう書いておられる。

「私の子供の五男が病気にかかり2、3か所の病院に連れていったが病名が解らず、サンパウロ・クリニカ病院に行きなさい、一時も早くですよ、と言われ、熱が高くクリニカ大学病院には行ったけど悲しいかな子供専門の医者が帰った後で泣く子を抱えて夜通し医者を待ちました。
丁度、トマトを収穫し倉庫に置いていたし、残った家の子供達のことも心配になるし、家内を病院において私だけ夜明け四時頃に帰ってきました。
長男12歳、次男10歳、三男8歳。四男6歳、寝ずにトマトを箱詰めしてるじゃありませんか…。
一番下の子供だけが横に寝ていました。
私は、もう、たまらなくて一人一人の子供を抱きしめて、可哀想に申し訳ない、父としての資格ない、父さんを許して呉れと男泣きに泣いて子供達に詫びました。」

おかげでこのときのお子さんたちは、その後立派に成長されたようで。

木村さんはこう結んでおられる。

「貧乏はしましたけど、子供みんなが良い子供達で日頃も、父さん、母さんと言って大変に親孝行をして呉れます。
こうした一家の空気に囲まれ、現在は庭園用の草花造りに精を出し乍ら、ブラジルに居て生きる幸せを感じる今日、この頃です。」

こういう苦労をされた1世の方々の血を受け継ぐ人たちがいまもブラジルをはじめとする中南米の国にはたくさんおられる。佐賀県では、そういう方の中から希望する人たちを研修生として佐賀県に受け入れてきた。

今回の滞在中、佐賀県に研修で来ていた人たちと会うことができた。みんな、佐賀県での企業や県庁での研修経験に感謝しながらも、ここ数年その事業が途絶えていることについて、ぜひ復活させてほしいという強い思いを語られた。


2世や3世の佐賀県人から「自分たちは佐賀県につながる人間として誇りに思っている。自分たちが経験したことを次の世代に伝えてほしい。」といわれるとこちらも胸に来るものがある。

「いまは厳しい財政状況だからお休みしているけれど、事情が許せばできるだけ早く再開したいという気持ちを持っている」。そう、お答えした。

3年ぶりにブラジルに来て思ったことは、サンパウロ全体に活気が感じられることだ。

「以前に比べて車がきれいになったでしょ」。県人会の人も誇らしげだ。

ブラジルは前からさとうきびで作るアルコールを車の燃料にする政策をとってきたが、最近ではアルコールとガソリンを混ぜて燃料にすることのできる車も登場している。それが世界的なオイルの高騰の中で世界的に注目を浴びているし、もともと食べ物や地下資源は豊かな国だ。「世界がブラジルだけになってもやっていけるということなんですよ」。たしかにそういういいかたも可能なのかもしれない。

こうしたことを背景に、中南米の国の国債といえばこれまではどちらかといえば投資には不向きと位置づけられてきたが、今年の5月、国際的な格付け会社S&Pによってブラジルが投資適格国に位置付けられた。いまや日の出の勢いだ。

思い出したことがある。僕の知り合いのある日系の人が言っていた言葉だ。

「”日系ブラジル人”という言葉はあるけど、”ブラジル系日本人”という言葉がないのはなぜ?」

たしかにそうだ。よく考えるとたとえば「在日韓国人」という言葉はあるけど、そういう方が日本国籍を取得した後は、「日本人」となり、「韓国系日本人」という表現はあまり見ない。これは、日本人となった以上は何系だということを問わない、という意識ではなく、日本人であればその文化的背景をあまり考えたことがない、ということからこうなっているのではないかと思う。

再びブラジルからの研修制度を復活させ、それによって佐賀県に研修に来た人が、場合によってはそのまま企業に残って佐賀県や日本の発展に役立ってくれる人材になるかもしれない。そういう人たちが「ブラジル系日本人」として、世界を舞台にして活躍する人材となってくれるかもしれない。そういうことを考えながら、アルコール燃料で甘い香りのたちのぼるサンパウロを後にした。

ふるかわ 拝


平成20年6月17日(火)
第260号「大田市場にて」

月曜日の朝、大田市場でトップセールスをやった。いよいよハウスみかんの出荷の最盛期を迎える。ハウスで作るみかんはどうしても重油が必要になる。ある意味での石油関連産業である。それだけにこの原油高は痛い。これがハウスみかんの原価にはねかえってしまっているのだが、一方で市場のほうは、そういう事情とは関係なく、価格が決まってしまう。たしかに今回の原油高の関係で、どこの部分にこの原油高のしわ寄せが行っているのか、調べてみたが、市場価格はこの数年間ほとんど変化がない。その結果、スーパーなどの店頭での果物の値段というのもそれほど変化がなく来ている。

去年くらいからたとえば同じ値段でもポッキーの本数が減ったりしているし、そもそもお菓子の店頭の値段は上がり始めた。

でも、ハウスみかんは去年とあまり変わりはない。

いや、価格的には上向きの要素もないわけではない。でも、それは実は原油高のハウスみかんに見切りをつけて廃業するひとたちが出てきていて、その分供給が少なくなってきているからということだ。決してマーケットがいいというわけではない。

お茶でもハウスみかんでも季節のものは概してそうだが、いわゆる「はしり」のときの値段がいい。

だから人よりも、ほかの産地よりも、ほかの果物と競合するときよりも早く出したい、というのが生産者心理だ。

でも、今年は、重油が高いので、いつもの年ほどは重油を焚くことができなかった。
その結果、ハウスみかんの初出荷が遅れた。遅れるとメロンやスイカやさくらんぼなどほかの果物との競合も出てきてきびしい。

そういういろんな声を聞いていた。だから少しでも何かできないかと思って、4年ぶりに大田市場に立つことになった。

大田市場は日本で一番大きな青果市場だ。テレビなどでは朝いちばんのセリの風景がよく出るが、実は真夜中から戦いは始まっていて、スーパーなどの量販店への荷はその時間に集められ、分けられて、また大田を出ていく。そして、10時の開店に間に合うように各店舗に配送され、値付けされる。

朝のセリはそういう量販店が終わったあとの最後の戦いの部分だ。大田市場の扱い全体から見れば2、3割というところか。

だから、僕は前に大田にきたときには、真夜中から視察を始めた。「真夜中に視察する知事なんていません。それだけでも市場の人はびっくりですよ」とある青果会社の人に言われたのがきっかけだったのだが、たしかに真夜中の市場は異様なくらいの熱気と活気にあふれていた。

とはいえ、大変な量であることには違いなく、朝7時のセリの前に、みなさんの前でハウスみかんのアピールをさせていただいた。全国の中で25%以上のシェアを誇る佐賀県産のハウスみかんは人の努力と風土の協働の産物であること、このハウスみかんにいい値がつけば市場全体の元気につながること、などを短い時間だったが訴えた。

これまで少なかった出荷量がここにきてどっと増加したので、価格は今週から大きく下げ基調になるというのがおおかたの予測だった。アピールの影響は定かではないが何とか先週末の価格を維持できた。これからのギフト商戦に少しでも弾みがつけばと期待している。

終わってから、いろんな方に話を聞いたが、「こういうキャンペーンで工夫をしたほうがいい点ってありますか?」と尋ねたところ、こんな返事がかえってきた。

「コラボですね。知事さんだけが来られてもそれはインパクトはあります。市場関係者としてありがたいと思います。でも、それだけでは足りないかもしれないとも思うんですね。以前、古川知事が来られたころは、1年に4、5県の知事が来られるというイメージでした。それがいまや10県を超える知事さんたちがお見えです。
こうなるとただ、来ました、というだけでは弱いということなんですね。

先週の金曜日、山形県知事が来られたときは、タレントのウド鈴木さん(山形県出身で「おいしい山形大使」)が来て場を盛り上げてくれ、それに花笠音頭を踊ってました。これをやると市場の中に人だかりができます。おお、やってるなってね。
市場関係者に「山形、本気でやってんな」と思わせる効果がああいうイベント的要素にはあると思いますね。」

よし、次は市場関係者にサプライズがあるようなそういうゲストと一緒に大田市場に立とうと心密かに思ったのだった。

ふるかわ 拝

東京青果株式会社「佐賀のハウスみかん 古川知事のトップセールス」

平成20年6月10日(火)
第259号「ふるさと納税」

「ふるさと納税」がスタートした。
佐賀県としては、「ふるさと納税の取り組みナンバーワンになろう!」ということでずいぶん早くからいろんな取り組みをスタートさせていたのだが、5月1日にやっと全国一斉に制度開始になり、その日さっそく2件の申し込みと入金があった。たぶん、ふるさと納税がスタートして日本で初めての利用者だったと思う。

納税とは言うけど、実際には「寄付」という形を取る。「寄付」したら、その分、税金が控除されるので結局ふるさとに「納税」したのと同じでしょ、というので「ふるさと納税」という名前になっているということだ。ただし、5000円だけは自己負担となる。つまり、たとえば35000円佐賀県に寄付していただくと、30000円税金が安くなるということだ。

佐賀県のふるさと納税については、先日、めざましテレビ(CX系列)でも紹介されていたし、読売新聞や日本経済新聞なども全国版で取り上げてもらっている。とくに興味を持ってもらっているのが、寄付していただいた方に送るお礼のグッズのひとつである「佐賀県のトリビアネタが書かれたトイレットペーパー」だ。

ふるさと納税という制度が始まったことを、佐賀県を離れた人たちに知ってもらわないといけないので、どうやって県外のメディアに取り上げてもらうか、いろいろ知恵を絞っていたところだったのでこういう反応は率直に言ってうれしい。

さらに、最近は県人会のシーズンだが、今年はふるさと納税がスタートしたこともあって僕自身ができるだけ顔を出して県政報告がてらふるさと納税のお願いもするようにしている。「やろうと思っていたけどどうやっていいのかわからなかったのでよかった」という声もけっこう聞く。先週の京都での関西県人会に引き続き、先週末は名古屋で中京県人会。ここでもブースを設けて説明と申し込みの受付をした。その合間に担当者たちは各テーブルを回っている。頭が下がる努力ぶりだ。

こうした甲斐あって先週末までに31件申し込みがあった。出だしとしてはいいほうなのではないかと思う。ちなみにこれが佐賀県のふるさと納税のサイト。
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kifubosyuu.html
「佐賀県 ふるさと納税」で検索しても出てくるのでよかったら見てみてほしい。

人に勧めるばかりではいけないと思って、僕もためしにパソコンを使って佐賀県のふるさと納税のサイトから入り、クレジットカード払いということでやってみた。実のところ、知事である僕自身が選挙区内である佐賀県に対して寄付をするということは、公職選挙法の関係上できないので、あくまで、パソコンを使った手続きの操作性を確認するものだったが、結果からいえばわりと簡単だった。佐賀県庁の電子申請の登録をすでに済ませている人はもっと簡単にできる。電子申請の登録からやらなくてはいけない人はその分ちょっとだけ面倒だが、それでも3分で済む話。思ったよりも簡単だったということはいえる。少しほっとした。

ただ、一度申し込みをしても、すぐにOKになるわけではなく、数時間か半日くらいは結果を待たないといけない。そこがちょっと残念だが、システム上どうしてもそうなるらしい。一般的にyahoo!を使って公金決済しても同じようなことらしいのでまあ、仕方ないか。とはいえ、どれくらい時間がかかるか、ということは本来、サイトのどこかにわかるように書いておくべきではないかと思うけどな。

佐賀県のふるさと納税は使い道をオープンにしていて、しかも寄付される方が選べること、寄付の仕方も金融機関での振り込みのほか、インターネットバンキングやクレジットカード(yahoo!の公金支払い)が使えることなど、日本の自治体の中でも最高水準の内容になっていると自負している。

これが佐賀県財政を抜本的に改善させることにつながらなくとも、佐賀県出身者と佐賀県との絆を強くすることにはつながるとは思う。

ふるかわ拝


平成20年6月3日(火)
第258号「通信販売」

今回は通信販売。「通信販売で買った」というと懐かしい響きで「ネットで買った」というと新しい感じがするけど、ネットだって通信じゃねーかよ。要するに通信販売であることには変わりはない。

通信販売というと思いだすのがいまから20年前くらいの新聞折り込みの通販のチラシだ。当時はビリヤードがはやっていて「プールバー」なんていう言葉も流行語だったりした。

そのころのことだが、ある日僕がいつものように通信販売のチラシを眺めているとビリヤード台の広告が目に入った。通販はいつも時代を反映する。なるほど、通販でもビリヤード台を扱うようになったのか、と思ってしげしげとその広告を眺めた。そしたら、小さな字で「裏返すと卓球台になります」と書いてあった。通信販売は時代に敏感なだけじゃなくてその流行の先にある不変のものも見据えたうえで商品開発しているのだった。

同じ通信販売のようなものでも、飛行機の中の機内販売はなんとなくスタイリッシュ。たとえば、ANAの機内誌「ANA SKY SHOP」は後ろ半分が通信販売なのだが、掲載されているアイテムが微妙に違うのだ。

前半の機内販売はおしゃれ。今月号のBEAMSとANAのコラボレートによるガーメントケースなんかもいいし、栗原はるみプロデュースによるエプロンなんかもセンスがある。

ところが、だ。後半の通信販売になるとさすがというものが出てくる。

通信販売お約束のヒールアップシューズ(要するに背を高く見せる靴)は当然として、テレビのついでに腹筋を鍛えることができる椅子という、その名も「じつは!腹筋くん」はなかなかシュール。しかも発売元はミズノだ。テレビ見ながら腹筋する器具よりも水着の開発を頼みたいところだ。いろんなバッグを収納できるラックというのも確かに便利そうなのだが、名前が「BAGヤード」。いいたくはないが、「バックヤード」のしゃれですよね。携帯入れ歯洗浄器「ウロハミック」も見逃せない。「おしゃれなデザインの入れ歯洗浄器」で色もブルー、ピンクなど5色。でも、この洗浄器の存在そのものはあまりおしゃれじゃないような気もする。
ミズノは、「じつは!腹筋くん」のほかにも「できる!腹筋くん」という商品もこのカタログにさりげなくしのばせている。けっこうな自信作のようだ。

とここまで書いてきたけど、これまでの商品はいずれも自分がほしいかどうかは別にしてこういうものがあったら便利だなというものだった。でも、なぜこういうものがカタログに載っているのかわからないものもあった。

「ワンタッチヒゲ」である。解説を読むと「週末はヒゲでイメージチェンジ」。要するにつけひげなのだ。

どういう人がこのカタログでこれを注文するのだろう。

「口ひげ、顎ひげよりどり2個で5,880円。色はライトブラック、ダークブラウン、グレーの3色」とある。

ここでいう「よりどり」というのが何を指すのかいまひとつ明確ではないけれど「いま超話題の品」らしい。

通信販売はまことに奥が深いのであった。


ふるかわ 拝