2008年7月

平成20年7月29日(火)
第266号「サービスエース!」

先週末、唐津で宝くじのイベントがあり、それに参加した。バレーボールの往年の名選手たちがやってきて、地元のママさんバレーのチームと試合をするというものだ。
僕は、そのイベントで始球式をすることになっていた。バレーボールの始球式というのは要するにサーブするということだ。バレーボールなんて高校のクラスマッチ以来だったし、少し練習をして本番に臨んだ。
そのドリームチームのメンバーは河西昌枝さんをはじめとするオリンピック出場選手たち。
覚えていますか?または知っていますか?河西昌枝さん。東京オリンピックのときの日本女子バレーボールチームのキャプテンだった方だ。河西さんがいちばん年長でいちばん若い人が去年まで久光製薬スプリングスで活躍していた落合真理さん。このほか、中田久美さんや大林素子さんもいて、つまり、東京オリンピックからアテネオリンピックまでの出場選手たちが揃ったチームだったということだ。

たまたまだが、そのイベントの数日前、BSで映画「東京オリンピック」を観た。いわゆる記録映画とはぜんぜん違う作品だが、今見ても傑作。4年前に独立したばかりのアフリカの小国チャドから来た陸上選手に焦点を当てたり、砲丸投げの選手の癖を延々と撮り続けたりといわばルール破りの連続だったが、今からみると当時のオリンピックの様子をよく捉えている。
映画を観ていて、いくつか再発見をした。ひとつはバレーボール女子決勝のこと。5度か6度のマッチポイントの末ソ連のオーバーネットで日本が優勝したということだ。また、当時のバレーボールの選手たちの胸には「NIPPON」と書いてあるのも新鮮な発見だった。昔は入場行進のときのプラカードもNIPPONだったのだが、いまは「JAPAN」のような気がする。いつ変わったのだろう。

このように、映像の中にたくさんの驚きと発見があるのだ。市川崑監督の力を改めて感じる。

映画の終わり近くに閉会式のシーンがあって、ザンビアの選手団が行進の最後を飾っている。ZAMBIAは、当時アルファベット順で最後となる国(今はジンバブエ)だから最後になるのは当然といえばそうなのだが、実はこの国、この閉会式の日の日本時間午前7時に独立したばかりの、世界でもっとも若い国なのだった。
開会式のときには独立前の名前である「北ローデシア」で入場したのが、ザンビアとして独立し、その喜びにゆれるザンビアの国旗と選手たちの様子が映画でくっきりと観ることができる。そのことについての解説はなく、そこがかえって雄弁に思える。

ところで、宝くじイベントのときの始球式だが、首尾よく終わった。
「ママさんバレールールなので2回まではサーブしていいです。」といわれていたのがよかった。1回目は失敗したが、2回目は左利き特有の右に切れていくサーブが見事に決まり、ドリームチームはかろうじてレシーブしたものの、ボールは横に飛んでしまい、次の人がミスをした。そう、つまり、サービスエースだったのだ。
歴代オリンピック出場選手たちで構成するドリームチーム相手にサービスエースを奪ったという事実は僕の中では燦然と輝いている。
これを証拠として記録した動画も入手した。
これがその動画だ。とくとごらんあれ。

ふるかわ 拝


この画像には二人のサーブが2回ずつ映っています。まず僕(古川)が、2度サーブしています。1度目は失敗して、2度目に成功しているのですが、肝心のサービスエースの瞬間は撮れていません。ただ、とにかくボールがお手玉のようになっている様子はよくわかります。次にサーブしているエンジ色のユニフォームを着ている人は坂井唐津市長です。こちらのほうがむしろよく撮れているくらいですが、市長もご愛嬌で一度失敗して、2度目に成功しています。

平成20年7月22日(火)
第265号「全国知事会議 in 神奈川」

先週後半は、全国知事会議だった。毎年この時期に開かれる全国知事会議は、各県の持ち回り。今年は神奈川県担当で横浜市が開催地だった。

大阪府の橋下知事が参加者名簿上は初お目見えの予定だったので楽しみにしていたが、結局欠席。なぜそうなったのかはわからないが「ジム」的な理由かもしれない。

さて、その全国知事会議のテーマ、今回は分権と消費税と道路財源の三つがメインだった。ただ、新聞でも指摘がされていたように分権を求める知事側の熱意が乏しくなっているのではないかと僕も思う。

「三位一体改革」で結果的に交付税が5.1兆円減ってしまったことにほとほと嫌気と警戒感が出ているのは事実で、「政府の言うことを信じて改革するとろくなことにならない。だったら、いまのままのほうがまだいい」と、塹壕にこもるような戦いを主張する知事さんたちも増えている。それも理解できないわけではない。
でも、僕はそれでも分権を進めるべきだと会議で主張した。たしかに、「分権は進んだが、必要な人材や財源が国から来なかった」ということではいけないだろう。でも、「だから分権はいらない」というのにはならないと思う。そうではなく、「そうならないように気をつけながら分権を進めるべきだ」となるのではないか。
そもそも、「なぜ分権を進めるべきなのか」といえば、身近な事柄は身近なところが判断するほうが無理もなく無駄もない。住民の意見も通りやすい。だから、ではなかったのか。それが「ニア・イズ・ベター」ということだったのではないか。
そこが忘れ去られているようで残念だった。

消費税については、出席している知事はもちろん代理出席のところも含め、地方財政は破綻寸前で、どうしても消費税を充実させないことには財政がやっていけない、ということそのものについては、異論なく了承された。これがある意味僕にとっては新鮮だった。
会議では、全国知事会議としてそのことを提言としてどう表現するかについて意見が分かれた。
「一刻も早く消費税増税を」と迫る松沢神奈川県知事はじめとする都市部の知事は、「消費税率を引き上げるべきである」と表現すべきである、と主張されたのに対し、多くの地方部の知事は、地域経済は疲弊しているから、税率改定の時期や引き上げ幅については慎重に検討すべきであり、表現も「消費税を充実すべきである」という程度にとどめておくべきであると主張した。もちろん加戸愛媛県知事のように地方部の知事であっても、早く消費税に手をつけないと破綻する、と真剣に憂いておられる方がいたことも事実だが。
僕は、消費税を「充実すべきである」と書くにせよ「引き上げるべきである」と書くにせよ、なんかしら、嬉々として増税をするように見えるところが気になった。だからこう発言した。「そもそも税は安いほうがいいに決まっている。ただ、社会保障をはじめとするサービスを維持し続けるためには「増税することもやむを得ない」ということではないのか。そう表現すべき」。
僕の意見は結果的には採用されず、知事会としては「消費税の充実」という表現になったが、朝日新聞東京本社版7月18日付け夕刊に「古川康佐賀県知事は、「引き上げがやむを得ないということを国民に訴えていかなければならない」と主張した。」と取り上げてもらった。

知事会議会場となったホテルは、横浜ロイヤルパークホテル。実はこのホテル、先日、終了したいわゆる「月9」ドラマ「CHANGE」の中で使われていた。第1話で木村拓哉扮する長野県の中学校教師朝倉啓太が深津絵里扮する国会議員秘書美山理香とホテルのロビーで会い、総選挙への出馬を勧められるシーンがある。ドラマ上では「長野センチュリーホテル」となっているが、実際は横浜ロイヤルパークホテルの宴会棟のロビーなのだ。そしてその宴会棟3階が知事会議の会場だった。
どうでもいいことを続けるが、あのドラマ「CHANGE」、前にもこのコラムで書いたけど、なかなか面白かった。ただ、なかなか視聴率が思ったほど取れず、福田内閣の支持率と「CHANGE」の視聴率、どちらが高いか、と関心を呼んでいたりもしていたが、最終回の「CHANGE」の視聴率27.4%? そのころの福田内閣の支持率(読売新聞調査)26.6%? と最後までいい勝負だった。
その福田総理はいま早めの夏休みらしい。僕はあと2週間働いてからだけどもう休みたいくらい。今年は夏が早く来た分、もう真夏に来ているような気がしている。


ふるかわ 拝

平成20年7月15日(火)
第264号「クライマーズ・ハイ」

1985(昭和60)年8月12日の午後11時過ぎ。会合を終え、当時住んでいた東京・世田谷区三宿のアパートに戻った瞬間、部屋の電話が鳴った(当時、携帯電話はなかった。念のため)。職場からだった。僕は当時自治省消防庁地域防災課に勤務していた。コンビナート火災や、林野火災、放射線災害などと並んで航空機災害も担当している課だった。
「東京発大阪行きJAL123便が行方不明。最悪の場合のこともありうる。君は直接の担当ではないが、これから何があるかわからない。すぐに出勤してほしい。」

長い仕事の始まりだった。
僕自身は入省4年目の下働きだったし、直接の担当ではなかったから、事故の対応といっても、コピー取りやら、清書(当時はワープロもそんなに普及してなくてこういう仕事も存在した)が主だったがともかくもその仕事をこなしていた。刻々と状況がつかめてくる。やはり墜落したようだ。場所は、長野・群馬・埼玉の三県境方面。長野県の消防防災課からは「うちは先日、長野市内で地附山が崩れてその対応に全力を挙げているところです。このうえ、長野県内での墜落ということになったら相当の覚悟と対応が必要になります。できるだけ早く情報提供をお願いします。」という声が聞こえてくるが、とにかくつかめない。ようやく機体が発見され、場所が特定され、群馬県上野村御巣鷹山ということになった(いま「おすたかやま」とひらがなで入力したら一発で「御巣鷹山」と変換された。びっくりした。)。とにかくみんな必死だった。

でも、あの夜のことでいまでももやもやしていることがある。それは墜落したことが確認され、現場にどう向かうかということが議論になったときのことだ。僕の記憶では「地図(電線など構築物の様子もきちんと書き込まれた地図という意味)もない場所には夜間着陸できない」と防衛庁が言ったということで、では、と自治省消防庁から東京消防庁に「サーチライト付きのヘリがあれば出していただけないか」という要請をし、東京消防庁からは了解をいただいていたと聞いていたにもかかわらず、実際には飛ばなかったのだ。
後になって、「やはり自分たちで対応する」と防衛庁から申し出があったからだと聞いたが、現実には自衛隊は夜間に飛んでいない。

それは別の話として、事故発生後翌日から数日間、地域防災課の担当職員が現場に飛んだ。酷暑と過去に例をみない惨事、それと現場を知っている人間から直接報告をしてほしいということもあって2日間で担当は帰京し、別の担当が飛んだ。そして、その担当も2日間で帰京した。「次に送るのは、」と課長が僕の方を向いた。「2日間じゃなくて当分行ってもらうことになるが、誰か行ってくれないか」。返事は求められていなかった。

任務は現地の様子を「できるだけリアリティのある形で」報告することだった。御巣鷹山の現場はある程度片付きはじめていたため、僕は、群馬県藤岡市の市民体育館にある対策本部兼遺体安置所に向かった。

500人を超える人の命が一瞬に消えること、の重さをきちんと語り継ぐのも義務かと思い、この原稿を書こうとしたが、事実が重すぎ、どう書こうとしても言葉が軽くなってしまう。藤岡市民体育館に着いて目の当たりにしたのは、 形容しようもない痛々しいご遺体を前に本当に懸命にたとえばわずかの衣服の繊維を頼りに本人の特定に奔走しておられる医療関係者の姿やある一定の部位しか発見されず号泣されるご遺族のご様子だった。恥ずかしいことだが、僕は、その夜、吐いた。

それでも毎日、現地の様子を報告した。その日に起こったこと見たことを、B5(当時はA4ではなくB5)の用紙何枚かにまとめて日航が設置したFAXを借りて送信した。
さきほど記した体育館の様子や「日本中の霊柩車を持ってきてるけど、こういうところはやけに準備がいいんだなって思った」という地元の方の声、上野村役場が報道関係者におよそ「占拠」されていて、机の上に報道の人たちが自社の旗を立てて電話を使っていて、役場の職員が端っこにいることなど伝えたいことはたくさんあった。

この「クライマーズ・ハイ」という映画はこの事故を題材にしながらも、それを巡る地方新聞社に生きる人々の物語として描かれている。事故の事実関係については、抑制的に描かれていて好感が持てた。あの事故はまだ、わからないことが多すぎるのだと僕も思う。

事故から23年経つが、いまも東京(羽田)→大阪(伊丹)を結ぶこのJALの路線には123便はない。121便の後は125便になっている。
まだまだ「終わっていない」のだ。

佐賀県の人で毎年この時期になると亡くなられた方の霊を慰めようとスズムシを毎年御巣鷹山の現場に届けておられる方がいる。嶋本義延さん。趣旨に賛同した何人かの仲間とともに育てたスズムシを毎年慰霊式に合わせて送っておられる。
僕も彼から頼まれて僕も公舎でスズムシを育てている。
そしてその一部を御巣鷹山に送り、一部は公舎の庭に放している。
だから時期になると庭でスズムシが鳴きだす。
今年も、また、その季節がやってくる。


ふるかわ 拝

平成20年7月8日(火)
第263号「日本の底力」

僕がプライベートで使っているモバイルのパソコンはパナソニックの「レッツノート」だ。
「軽くて強いですよ」。こういうことに詳しい職員から教えてもらって自分で選んだ。XPじゃなくてヴィスタなので、重くなると思って最初からメモりも増やした。おかげで、物理的にも立ち上がり的にも軽いノートになった。

このレッツノート、ひそかな自慢がいくつもあるらしい。
まずは日本製だということだ。IBMのパソコン事業が中国のレノボに売却されたのは有名な話だし、ほかのパソコンメーカーも多くは外国製がメイン。その点、レッツノートは主要な部品も含めて日本製にこだわっているという。僕のレッツノートも神戸工場製。

次は、世界商品だということだ。日本製のもので世界中で使われているとはちょっと嬉しいではないか。その堅牢性が買われて米軍にも納入されているという。以下は「伝説」らしいが、ある戦闘で米軍のアパッチというヘリコプターが撃墜されたときも、ヘリは壊れたのに、その中にあったノートパソコンは壊れなかったという話まであるらしい。さすがに米軍に納入するときには「レッツノート」というやや楽しげな名前ではなく、法人用のラインナップ名「タフブック」という名前らしいが。

もっと宣伝してもよさそうなものだが、米軍に納入しているというのはいい実績になると同時に、あるところから見れば米軍に協力している会社ということになるから遠慮気味になっているのかもしれない。このほかにも、水中だの、砂漠の中だの過酷な環境にも強いということでヨットレースや砂漠のラリーカーのマネジメントシステムとしても使われているという。
これってパソコン界の G-SHOCK!のようなものではないか。 僕がカンボジアに行っていたとき、自衛隊の人が「道が舗装されてなくてアップダウンが激しいから時計はG-SHOCK!じゃないと壊れてしまう」と言っていたのを思い出した。

それだけのタフネスの秘訣はいろいろあるようだが、たとえば、上から落としても壊れないのはなぜかというと「衝撃吸収ラバー」とでもいうべきものがあるからのようだ。「卵を3メートル上から落としてもそのラバーの上に落ちると割れない」というくらいだ。こないだ「めざましテレビ」では3メートルではなく、22メートルの高さから卵を落としても大丈夫というニュースをやっていた。そういう部品が密かに仕事をしているというわけだ。

こういう部品を作っているのももちろん日本の中小企業。

先日、フェラーリやマセラッティなどのデザインを手がけたデザイナーの奥山清行さんの話を聞くことがあった。奥山さんは山形県の出身なのだが、いま日本とイタリアを行ったりきたりしている中で、山形のものを世界に売り出そうという山形工房というプロジェクトの責任者を務められている。せっかく日本で仕事をするなら、と地元(といっても岩手県だが)の車の部品メーカーと組んで、アルミとカーボンだけでスポーツカーを作って、ジュネーブのモーターショーに出そうという取り組みを始めた。そんなことできるわけない、というあきらめも交錯する中、高校を出てからその工場でずっと勤め上げてきた社員が意地を見せる。
世界を極めることを知っている奥山さんの過酷な要求に応えて見事にイメージ通りのものをモーターショーに出品することができた、という話だった。
奥山さんは言う。「今回のことがなければ普通の町工場だったところ、無理な注文をしてそれに応えてくれたおかげで、あそこは高い技術を持った工場だと評価されるようになりました。人間、そういう試練というか、場を与えられるかが大事なんです。そして、与えられると意外な人が力を発揮したりするものなんです」。

そういう企業や人間の話を聞くとまだまだ日本もやれるぞ、という気になる。

ふるかわ 拝

平成20年7月1日(火)
第262号「インターネット発祥の地で宇宙の成り立ちを考える」

今回のブラジル行きは欧州経由にした。理由は2つ。もともとブラジルに行くには日本からの直行便がないため、北米(ニューヨークやロサンジェルス)経由で行くか、ドバイ経由でいくか、(意外でしょ。先日乗った名古屋発ドバイ行きの便にも日系人の人がけっこう乗っていました)欧州経由でいくか、の方法が一般的だ。
前回はアメリカ経由にしたが、9.11以降、アメリカへの上陸はとても厳しくなっていて、 僕はアメリカに用事があるわけではなく経由するだけなのに入国させられて、とても厳しい荷物チェックを受けさせられた。しかも、スーツケースのカギは開けておけという。米国の審査官がチェックできるように、だ。もし、それがいやなら、米国の審査官が合鍵を持っている一定の機種のカギをつけるように、とのこと。これって、なんかの構図と似てないか?
そのことが頭にあって、アメリカに用事がないのであればできればアメリカ経由を避けたかった。それがひとつの理由だった。
それともうひとつ。ヨーロッパで見たいものがあったからだ。
それがジュネーブにあるCERN。日本語では「セルン」と発音している。「欧州合同原子核研究所」の略だ。
いま、佐賀県は福岡県と共同して物理学の国際的な共同研究施設「国際リニアコライダー(ILC)」研究所の誘致を進めている。
このILCの、いわば前身となるような機関がCERNなのだ。
何の分野なのかというと素粒子物理学。朝永振一郎先生、湯川秀樹先生などがノーベル賞を取られた、あの分野のことだ。
物理学をきわめていくと実は宇宙の成り立ちに行きつく。これが現代物理学の基本になっている。
万物は何からできているのか?
もともと宇宙はどうやってできたのか?
なぜ質量(いわば重さですね)が生まれたのか?

こういう哲学みたいに見えることが理論と実験によってかなり確かめられてきている。CERNもILCもその研究のための施設なのだ。
その研究のためには、電子と電子の反粒子を加速させて衝突させ、そのときに生じた結果から宇宙草創期の様子を知ることが必要になる。(どう説明しても難しいのだけれど)

今までは加速するのに大きな円形のトンネルを作って、その中に管を入れ、そこで電子を衝突させている。しかしながら円形にするとどうしても力が落ちる。だからCERNでは円であることが気にならないように山手線一周くらいの大きな装置を作った。一方、円形ではなく、直線でトンネルを作って、そこで衝突させればもっと大きなエネルギーが得られるのではないかということで、その大きな直線のトンネルをメインの装置としようという実験施設の構想がILCというわけだ。

ただし、この実現は簡単なことではない。これを世界の物理学界共同で進める構想として位置づけ、さらに関係国政府において財政的な支援を取り付け、そのうえで世界の中のどこか1か所に建設をすることになる。
世界を大きく分ければ、欧州、米国、日本(アジア)となり、さらに日本にはいまのところ4つ候補地がある。福岡県と佐賀県にまたがる脊振山系は岩質が良く、数十キロにわたってトンネルを掘ることが可能な地域だとして、その4つの候補地のうちの1つになっているというわけだ。
これが誘致されれば、数千人の国際的な学者が研究のためにこの地域に暮らし、研究することになる。福岡県と佐賀県の県境付近に新しい学者村ができることになる。
何より新しい人類知に対して貢献できることになる。

国際的な学者のための研究施設という意味ではそれをすでに実現しているのがこのCERNで、ILCの誘致のために何が必要なのか確かめに行ったのだった。
今回の僕たちの訪問は、CERNの正式なゲストという位置づけだったので、CERNで国際共同研究をやっている東京大学の川本先生にフルアテンドでお世話をしていただき、所長はじめCERNの主だった幹部全員に会うことができたし、さまざまな話もうかがうことができた。
CERNという組織ができたのは1954年。戦後、アメリカだけが大国になっていくことに危機感を持った欧州諸国の科学者が共同して研究を進める機関を創設することを決めてスタートさせたものだ。当初からドイツもイタリアも入っている。
各国共同というのがポイントで、いまではCERN加盟国20か国と非加盟国約40カ国から学者が集まり、研究を進めている。
ただ、問題もある。各国ともCERNに対する支援を「インカインド」という形で行うことが多いという。これはお金ではなく、モノで提供するということだ。もちろん自国製品。
だからねじも電線もいろんなものがいろんな国から来ていて、その調整だけでも大変らしいのだ。
CERNがそれほど有名ではないということも課題といえば課題かもしれない。見学者のための常設展示を設けたり、頻繁に中高校生の見学があったり、おりに触れ施設を開放してジュネーブ市民に見学に来てもらっているとはいえ、「市民はどれだけCERNを知っていますか?」と何人もの学者に尋ねたが、「あまり知らないのではないか」との答えが一様に返ってきた。
ただ、半世紀にわたるCERNの成果は大きいことは事実だ。僕の率直な感想としては、各国の科学者がやってきて、支障なく研究をし、食事をし、そして家族を呼び寄せる環境を準備することは簡単ではない。ジュネーブという国際機関の多い街だからかもしれないがそのことが自然にできている。建物を作るのはお金をかければある程度簡単だが、いい研究環境を作ることには時間もかかるし、工夫も必要だろうと思った。

だからといって、脊振山系の可能性がないというわけではない。
「ILCの日本への誘致は可能か?」という当方の質問に対する次期CERN所長の答えは明快だった。「日本ではだめだという理由がない。日本はオープンだし、素粒子物理学に熱心な国でもある。可能性はもちろんある」

このCERN、実は誰もがお世話になっていることがすくなくともひとつある。
それは、インターネットのwwwという機能だ。このワールド・ワイド・ウェブは、CERNの研究者によって開発された技術だ。世界中に散らばっている研究者間でのデータのやり取りをするために作られたという。
訪問したときも、CERNの計算センターの玄関近くに「wwwの発祥の地」と誇らしげに看板が掲げられていた。

それにしても、だ。こんなことして何になる?
読者もそう思われただろうし、同じ質問をこの分野でノーベル賞を受賞した小柴昌俊先生も記者会見で聞かれている。
先生の答えは明確だった。
「Useless!役になぞ立ちません。そういう学問です。」

先生は何もかも世の中に直接役に立つことだけをめざす今の風潮に釘をさされたのだろう。
今回感じたことは、ILCの誘致のためには、学者やその家族がちゃんと生活できる環境を作ることがなにより必要だということだった。それと合わせて、基礎科学に対する県民の理解を広げていくことも重要だと思う。研究環境では欧州にやや劣るかもしれないところを地域理解と熱意で巻きかえすことは可能ではないだろうか。そういう考え方の下に、いまでも3か月に1度、佐賀と福岡と交互に研究会を開催して地域の各界の代表者の方と勉強を重ねている。佐賀と福岡の2県の知事が毎回、物理学者に対して、「質量の生まれた素になるヒッグス粒子がCERNの新しい加速器LHCで発見される可能性はどれくらいか?」「プランクの長さ以下になると時空が定義できなくなるという言葉の意味がよくわからない」などと質問しているのだ。
今回のコラム。ちょっと長くなったけれど、CERN=セルン。ILC=国際リニアコライダー。この慣れない言葉に少しでも親近感を持っていただければうれしい。

ふるかわ 拝