2009年10月

平成21年10月27日(火)
第330号「変わったことと変わらないこと」

先週、新政権になってはじめて霞ヶ関を訪れた。農林水産大臣はじめ何人かの閣僚や副大臣とお目にかかり、意見交換するのが目的だった。

赤松農林水産大臣に対しては、諫早湾干拓に関連して有明海再生のため中長期開門調査を早期に実現していただきたいという内容の話で、原口総務大臣に仲介していただいての面会実現となり、大串政務官も同席された。大臣からは「地域で意見が異なるようだから、古川知事さん、長崎県知事と会って話をしてみてくださいよ」と言われた。諫早湾干拓事業は国営事業だからそういう形で地元にボールを投げてしまわれるのはいささか違和感があるのだが、もとより長崎県知事とはこの件でいつかは会って話をしなければならないと思っていたし、大臣からの要請とあれば重みもある。「その点については了解しました」とお答えしたうえでこう付け加えた。「ただ大臣、トップ同士で話をすることは大切ですが、それだけではなかなか解決しないというのも事実です。実務的な検討をする場を作っていただかないと進みません。幸い、有明海沿岸4県の漁業関係者と県担当部局などが集まる協議会があって、九州農政局が主催しておられます。しかしながら、そこでは諫早湾干拓の話はされていません。ぜひこの場を活用するように、九州農政局に指示をお願いします」。大臣は、陪席しておられた秘書官に目をやられながら「わかりました」と了解された。

直嶋経済産業大臣に対しては、新政権の原子力政策、とりわけプルサーマルをはじめとする核燃料サイクルについてどのように考えておられるのか、お尋ねした。大臣はとても明確に、「原子力発電についても核燃料サイクルについても、引き続き推進していきます。プルサーマルもそうです。これからもよろしくお願いします」とお答えになった。また、僕は「もともとエネルギー政策は国の政策なのだから、もっと国が力を入れて原子力やプルサーマルに対する広報を進めていき、国民的理解が深まるようお願いしたい」とも述べた。大臣は「私も同じように考えていた。そうしたことを見直していく必要があるのかもしれない。」と答えられた。

このほか、総務省、財務省、文部科学省、国土交通省などを回ったが、変わったものと変わらないものがあった。
変わったものは副大臣室や政務官室の周り。これまでは副大臣室や政務官室の前には順番待ちのための椅子やソファがなかったのに、いくつかの役所ではそれができていて、外部からの人やお役人さんたちが順番を待っておられた。

変わってないのは、役所の建物に入るときタクシーだと入れない、ということ。かつては役所によってはあらかじめタクシー会社名とナンバー、運転手の名前を登録しておけば入れたのに、最近急に厳しくなってタクシーだとだめになった。ハイヤーはOKなのに、だ。佐賀県は経費節減のため、今年4月から、東京に置いていた運転手付の県有車を廃止し、東京では僕も含めタクシーで(ハイヤーではなくて)移動するようにした。経費節減のための先導的ないい取り組みだと思うのだが、各省庁は出入りを厳しくしてしまい、とにかくタクシーだと構内乗り入れを禁止してしまった。
テロ防止だというけれど、そもそも役所の建物に入るための警備は相当厳しくなっていて、いまやアポを取ってないと役所には入れなくなっている。それでいて、タクシーはだめ、ハイヤーか自家用車じゃないと、となっているのだ。ハイヤーではなくてタクシーにしたおかげで年間110万円くらいは浮かすことができそうだと、わが佐賀県の担当者はうれしそうなのだが。

そうそう、タクシーでも入れる役所がひとつだけあった。
宮内庁だ。歌会始めなど宮内庁に呼ばれた人たちが皇居に入るときにはタクシーでも大丈夫。
ほかの省庁のご担当はこのことをご存知だろうか。


ふるかわ 拝

平成21年10月20日(火)
第329号「早く議論の場を」

鳩山政権ができて35日。政務三役、行政刷新会議、国家戦略室などこれまで聞きなれていない言葉が連日躍り、一種の「革命」状態だ。

その中でちょっと不思議に思っていることがある。それは最近になって「高速道路無料化反対」「子ども手当反対」などを唱えている「識者」の人たちのことだ。

この方たちは、なぜこの議論を選挙の前にしなかったのだろう。高速道路の無料化が必要なのかそうでないのか、本来ならば選挙の前にしっかり議論を提起しておくべきではなかったのか。そのときには言わないでおいて、選挙が終わったら、したり顔で「ああいう政策は感心しませんねえ」と言うのはこちらこそあまり感心しない。

高速道路の無料化については、民主党のマニフェストでは「割引率の順次拡大などの社会実験を実施し、その影響を確認しながら、高速道路を無料化していく。」と書いてある。だからその社会実験をやってみてから本格的に実施するのかどうか判断してもらえばいいと思う。

またこれまた最近、「識者」の間で「マニフェストにこだわるのはおかしい」という議論もよくきくが、これにも異論がある。選挙のとき有権者に「これを実行するからわが党に投票してほしい」と示すのがマニフェストのはずだ。それを実現しようとすることを否定するのは、選挙のときの言葉をそれほど信用するな、と主張するのと似ているとすら思う。もし選挙のときの言葉を実現する責任を負わずに済むのであれば、選挙のとき、有権者は何を信じればいいのだろうか。

僕はまずはマニフェストの実現をめざすべきだと思う。

ただ、問題は進め方だ。問答無用で進めるのではなく、マニフェストを実行していくための議論の場を作り、そこで実現に向けての議論をしたうえで一定の結論を出す、ということが求められているのではないか。

たとえば八ツ場ダムについても「中止する」と決めてそれを発表するのではなく、再検討することをまず決めたうえでそれを議論する場を作り、合意形成をしていくことを目指すべきではないか。また、その再検討の際は、「ダムをやめる」で終わるのではなく、ダムの代わりにどういう事業により治水・利水を実現してくのかということまで決めてほしい。

これは佐賀県内の城原川(じょうばるがわ)の治水についても同じだ。

この川の治水については、国はダムと河川改修のセットで行うことが必要という見解を示していて、県としてもそのことについて理解してきた。ところが、政権が変わったら、この川の治水についてはダムを建設せずに行う、という見解が示されている。
僕はこの川の治水のためにダムが必要なのかどうか再検討すること自体を否定することはできないと思うが、ダムによらないとしたらどうやって治水対策を実施していくのか、その対案を示してほしいと思う。ただ「ダムをやめます」だけでは、治水に責任を持つ首長としては「わかりました」と言うわけにはいかない。遊水地を造るのか、河川を拡幅するのか、それとも一定程度は洪水をがまんしてもらうのか。一日も早く、ダムによらない場合どういう治水対策を講じていくのか示してほしいし、何よりも議論の場を作っていただきたいと思う。

ダムの水没予定地の皆さん方には40年以上お待たせしてきた。やっと方針が決まり、いよいよ着工というときに政策変更の話がまた出てきたということなのだ。皆さん方をこれ以上待たせるわけにはいかない。一日も早く議論する場を、と強く願う。


ふるかわ 拝

平成21年10月13日(火)
第328号「バナナ」

最近、バナナがよく売れているという。テレビ番組の影響らしいが、僕が小さいころはバナナといえば「運動会」とか「病気」というイメージ。日常生活ではなく、「よそいき」のものだった。グレープフルーツのようにだんだん味がわかってくるということではなく、バナナは一本食べていきなりおいしいしあたりはずれもない。昭和30年代から40年代の前半にかけてバナナは高級果物の代表だった。
そのころ、バナナといえば台湾バナナだった。だから昭和47(1972)年、日本が中華人民共和国と国交を結ぶことになり、結果的に台湾(中華民国)と断交することになったとき、僕はなにより台湾バナナが入ってこなくなることを心配した。不思議だったのは大人たちがぜんぜん心配してなさそうなことだった。

バナナについてはもうひとつ別のイメージがこどものころにはあった。下関だ。小学生のころ日本全国をまわるすごろくがあって、それには日本各地の地名と名産が書いてあった。「長崎 びわ」とか「青森 りんご」というのはまあそうかと思ったが「下関 バナナ」というのには驚いた。
長い間なぜだろうと思っていたが、昭和63(1988)年に下関から船に乗ってプサンに行こうと思ってはじめて下関の港に行ったとき、港の近くにバナナを売っている店がたくさん並んでいるのを見てなるほどそういうことだったのかと思った。けっこう多くの人たちがバナナを買いこんでいた。

そこでは「よそいき」というかさらに進んで「舶来」だったのだ。

僕が一時期暮らしていた沖縄はちょっと違った。
僕の住んだ家の庭にはパッションフルーツの木があったし、知り合いの家には庭にバナナの木があった。「バナナは木に泡盛をかけるとおいしくなる」と聞いた。
「島バナナはおいしいけどモンキーバナナはおいしくない」というのも聞いた。
「台風で倒れやすいんだよね」ともよく言われたような気がする。いろんな人がバナナについて語っていた。

でもいちばん新鮮だったのはパーマンについての発言だった。
パーマンのマンガというかアニメはかつて沖縄でも放映されていた。
あそこにパーマン2号という名前のサルが登場する。
そのパーマン2号なるサルは確かアフリカ生まれという設定になっていたような気がする。だからアニメの主題歌が流れているときバックにバナナの木があってそれをパーマン2号が取って食べるというシーンがあっても僕は何の不思議もなくそれを見ていた。

ところが、沖縄に生まれ育った僕の友人は「あのパーマンのアニメはヘンだった」という。なぜか。「だって、バナナのなり方が逆じゃない。」

当時のアニメの制作者たちはおそらく実際にバナナがどういうなり方をしているのか見たことはなかったのだろうと思う。

ここではバナナは「よそいき」ではなくまことに普段着そのものだったのだ。


ふるかわ 拝


平成21年10月6日(火)
第327号「東名と九博」

東名と書いて「とうめい」ではなく「ひがしみょう」と読む。佐賀県佐賀市にある遺跡の名前だ。
この遺跡が九州国立博物館(「九博」)で展示されていると聞いて先日出かけてみた。題して「有明の縄文文化- 東名遺跡(ひがしみょういせき)が語るもの -」。まだ阿修羅展の最中だったこともあって、この展示も多くの方に観ていただいていた。
出土したものを見るのは実は僕もはじめてだった。正直びっくりした。
要するにこの遺跡は縄文時代早期の貝塚だ。約7000年前のものだというが、その後、温暖化が進んで海面が上がり、それで海がどんどん内陸に入り込んできてその貝塚が海に沈んでしまい、その上を有明海の粘土が厚く覆った。その後、海が引いていってそこは陸になったものの、粘土のおかげで空気に触れずに多くのものが残っているという。
7000年前というと要するに紀元前5000年くらい。メソポタミア文明は紀元前3500年くらいと言われているからこの遺跡がいかに古い時代のものかがわかる。
しかも保存状態がいいから普通なら腐ってしまう木製のものがいろいろ残っている。たとえば木製の櫛。女性が髪をとかすのに使ったと思われるのだが、ただの木をそのまま使ったのではなくてきちんと櫛として使うための加工がしてある。
さらには編カゴもある。採取したどんぐりなどを入れるカゴだったというが明らかにデザインしてあるのだ。ただ実用一点張りではなくて、デザインとか美術的なセンスの感じられる作品なのだ。さらには鹿の角もある。もともと鹿は北方系のものと思われていたが、これがたくさん出ているし、加工も行われている。ひょっとすると交易で手に入れたものかもしれない。
いまから7000年前にもデザインを楽しむ人たちがいてしかも北方の地域と交易していたのかと思うと夢がふくらむ。

ちなみに吉野ヶ里遺跡の最盛期は、紀元前3世紀から紀元3世紀くらいまでの間と言われているからそれと比べてもひとけた古い。
九博の三輪館長がおっしゃった。「吉野ヶ里遺跡も吉野ヶ里だけでなく、古代に関するものを総合的に扱うということがあってもいいのではないでしょうか。そのほうが興味がひろがるのでは」
東名遺跡からの出土品の一部は、いつもは出土した場所である巨勢川調整池の操作室の一角に展示してあるが、たしかに古代連携というものがあってもいいかもしれない。九博での東名遺跡展は12月20日まで開催中だ。

ちなみにこの秋には「九州古代の国宝」展が予定されている。この中には唐津・菜畑遺跡をはじめ、佐賀県内から出土したものも多数展示される。
それとあわせて、というわけでもないのだが、佐賀市内にある鍋島家の菩提寺である高伝寺所蔵の涅槃図が最近痛みが激しくなったため、現在九博で応急修理をしていただいているところだ。その修理が終わったら九博に飾っていただくことになっている。来年の3月13、14の両日とのこと。この涅槃図は縦15.2メートルもあるため、寺では飾ることができなかったが実際に飾るとどういう感じになるのか楽しみだ。九博とはいえそれだけ大きなものを飾るのは苦労するだろう。エントランスくらいあるかもしれないが、いずれにしても楽しみ。
ではいったいどれくらいの大きさのものなら飾ることができるのだろうか、と思って、館長に「たとえば鏡神社にある楊柳観音像の仏画は飾ることができますか?」とたずねてみた。
この仏画は佐賀県の重要文化財になっているもので、以前佐賀県立博物館で観たことがあるが、高さが4メートルあまりあるため僕が観たときも画の下のほうは床に着いてあまっている形になっていた。
館長は即座に答えられた。「もちろん大丈夫です。」
あまりにも自信に満ちた答えだったのでさらに聞いてみた。「なぜ、そんなにわかるのですか?」
館長はこう答えられた。「あれを飾ることができるように、この九博では十分な高さの展示スペースや仏画の展示ケースを用意したのですから」
そしてこう付け加えられた。「ですから、開館展のときにもお借りしてきました」

いまの音楽用CD(コンパクトディスク)の規格はカラヤンの「第九」が入るサイズとして設計されたというのは有名な話だが、九博のスペースの規格を実は楊柳観音像が決めたとうのはちょっと愉快ではないか。そこに目をつけていただいた館長に心から感謝したい。


ふるかわ 拝