2009年6月

平成21年6月30日(火)
第313号「東国原の乱・橋下の変」

東国原・橋下両知事の動きをめぐって世の中が急に「分権」づいてきた。僕のところにもほぼ連日アンケートやインタビューが舞い込んでくる。
ここで僕の考え方をあらためて整理しておきたい。

1 東国原知事
地方分権を実現するために国政に出る、という考え方自体には大いに賛同する。分権を実現するには国会で法律を通す必要がある。そのことを考えるとそういう国会議員が必要だ。

ただ、本当は、高知県の橋本前知事のようなかたち、つまり知事としての任期を全うしたうえで国政に出るというかたちが望ましい。
任期途中、しかも1期目の途中なのに「もうだいたいやりたいことは終わった」というのは僕は理解できない。
県産品を売ることと入札改革することだけが知事の仕事ではないと思う。
知事の仕事は「地味」で「目立たない」けど「重要」な事に溢れている。医師確保も道路整備も国政の場にいないとできない、と東国原さんは思われたのかもしれないが、たとえば、医師確保のため佐賀県は佐賀大学と組んで「県推薦枠」を作って卒業後地元に残って小児科や産婦人科など足りない診療科目の医師となってもらう制度を始めた。いまはほかの県でもやり始めているが全国の先駆けとなったのは宮崎県と佐賀県だったではないか。このように、知事でもできること、知事だからできること、はたくさんあると僕は思う。

でも、本人が「国政に行きたい」と言っているのをむりやり引き留めても、「知事職に残ってもあと1年あまりふらーっとさせてもらいます」(毎日新聞)だけなのだとしたら、これは宮崎県にとって不幸。知事職というのは「ふらーっと」勤めるものではない。知事という仕事に全力を傾けないという宣言している人を知事の座に留め置くべきではないと思う。

結論:東国原知事は国政に行って地方分権を実現していただきたい。


2 橋下知事 
橋下知事の主張も「地方分権を実現するため」という点で東国原知事とも全国知事会とも一致している。橋下知事は、さらにそのために、
1 地方分権の実現を政党に迫ること
2 地方分権の実現のために政治勢力を旗揚げすること
3 地方分権の実現のために全国知事会は支持政党を明確にすること

の3つを主張しておられる。

その3つについて、まとめて言うと
「地方分権の実現のため、各政党のマニフェストに地方分権に関する項目を盛り込んでいただきたい」ということは何度となく申し入れをしてきている。6月18日には麻生全国知事会会長以下、僕も含む5人の知事で自民・民主・公明の3党の政策責任者のところに行き、そのことを重ねて訴えた。
また、これまでも国政選挙の前には全国知事会政権公約評価特別委員会で各党のマニフェストの点数による評価を行ってきた。今回もそれを実施することにしている。その特別委員会は7月8日だ。またその結果について7月14日、15日の全国知事会議で議論されることになっている。僕はこうしたやり方で各政党に、マニフェストに地方分権の実現のための各項目を盛り込んでもらうこをめざす、というのが全国知事会としてとるべき道だと考えている。しかも僕はその特別委員会の委員長だ。「地方分権対中央集権」という戦いの中で、言葉は悪いが僕は全国知事会政権公約評価特別委員会委員長という「正規軍」の師団長を務めているわけで、僕の役割はその任務を果たすことだと思う。もちろん戦いに勝つためには正規軍だけでなく、ゲリラ戦も必要になる。橋下知事の動きはまさにそういうことだと思う。目指す目的は同じなのだからこれはこれでがんばってほしいと思う。
「全国知事会の動きが鈍い」とも言われているが、全国知事会とこうした有志による活動とは性格が異なる。全国には47人の知事がおられ、専門的なことについては委員会を作りそこで議論し総会にかけさらに議論して決定している。「47人の知事の合議による決定」には重みがある。ただ、逆にメディアに訴える力というのはむしろ有志でやったほうがいいということもある。それぞれの持ち味を活かして同じ頂上を目指していきたい。

次に全国知事会として支持政党を明確にすべきという主張については、僕は「税金で運営されている全国知事会が支持政党を明らかにすることがあってはならず、支持政党を明確にして運動をしたければそれは有志による運動で私費で行うべき」と考えている。その点、今回の橋下知事の「有志による政治運動を行い支持政党も明らかにしたい」という表明はまさに政治家としての意見表明であり、僕の理解としては税金を使わずに運動するということだと思っている。その点は評価できる。
これと関連して、「古川知事は支持政党を明らかにしないのですか?」という質問もときどきあるが、僕もひとりの政治家として特定の政党の支持不支持を表明することは理論上は可能だ。しかし、知事という仕事柄、特定の政党のためではなく広く県民のために仕事をしていかなければならないということ、どのような政権のかたちになっても地方分権を進めていっていただく必要があることなどを考えると、佐賀県知事という職にある者が特定の政党に対する支持不支持を簡単に表明するべきではないと考えている。

地方分権についての各政党のマニフェストに対しては、全国知事会としてきちんと評価し、点数もつける。ただ、政治の問題はこのほかにもたくさんある。地方分権についての点数評価だけで政党を支持する支持しないということにはならないと思う。政治の問題は福祉から外交まで幅広いし、そもそも政治をワンフレーズとワンイシューで判断してはいけないというのが前回の選挙から得た経験ではなかったか。

結論:全国知事会として支持政党を明確にすべきでない。また、地方分権に関するマニフェストについては全国知事会としての活動の中で実現をめざしていく。橋下グループから声をかけられても僕は参加しない。

ふるかわ 拝

  平成21年6月26日(金)
臨時増刊号「東国原知事は出馬するのか」

東国原知事が出馬するかしないかをめぐって世の中がかまびすしい。
僕は出馬説だ。というのは、条件付きで出馬する、という人はそもそも出馬したい人だからだ。
出馬したくない人は条件など言わない。条件が合えば出る、と言ってくれている人はかなり脈があるのだと思う。ただ、場合によっては自民党からではなく、新党などほかの政治集団からかもしれない。

荒唐無稽に見える「総裁ポスト要求」についても、地方分権に関する知事会マニフェストを実現するためには、それくらいしないとだめということだと考えれば納得できないこともない。(ちなみに東国原知事が掲げていた文書は、全国知事会のクレジットになっているが、全国知事会政権公約評価特別委員長として僕が作成したものです。)
とはいえ、いきなり総裁と言われればそれは不愉快になる人も多いだろう。ただ、よく考えてみると、そもそも衆議院議員というのは、政権を奪取して自分の思うところを実現することを目指している集団(政党)の中にあってできれば自分がリーダーになりたい、と思っている人たちではないのだろうか。
それがおかしいというのではなく、政治を目指す以上ある意味それが当然のことのようにも思う。ただ、みんな総裁や党首、代表になるために苦労も努力も経験もしているわけで、そのプロセスなしにいきなり結論を求めた、というところが、まあ東国原さんらしさといえばそれまでだが怒る人たちもいて当然だと思う。

ただ、僕はひとつだけ理解できないことがある。それは古賀誠代議士が自民党選挙対策委員長として宮崎県庁に来られたときの座席の配置について、だ。
二人が面談されたのは知事室だったと思うが、その部屋に応接セットというか協議机がありそのいちばん奥の議長席みたいな感じの席に東国原知事が座られ、それと90度ずれる感じ、つまり、東国原知事に対して職員がブリーフィングをするような位置に古賀代議士が座られていた。あれがどうも気になってしかたないのだ。
要請に応えるのか応えないのか、は別にして、古賀代議士はお客様だ。部下職員と同じ場所には座っていただかないのが普通ではないかと思うのだ。
いろんな事情があったのかもしれないが、お客様は上席にご案内すべきだと思う。

ところでそれと似たような似てないような話。
僕は仕事であちこちの会社に出かけることがあるが、きちんとした会社はお客様を応接室に通すときの対応が徹底している。迎えに出ていただいている社員の方が「こちらへどうぞ」と先導され、エレベータに乗るときも「お先に失礼します」と言って乗られ、目的階に着くと「お先に失礼します」と言って先に降りられ、「こちらでございます」とまた先導してくださる。こちらは知らない会社の中。「どうぞ」と言われてもこまってしまうのだ。だから先導は本当にありがたい。そして応接室に入るときも「こちらに社長の◎◎が座りますので窓側から2番目のお席にどうぞ」という具合に教えていただける。

佐賀県庁でもこうした「案内」方法を徹底しようとしていて「お客様をご案内するときは先導すること」を職員に呼びかけている。公務員は人をお迎えすることやお見送りすることになれていないせいか十分とはいえないが、ずいぶんよくなってきたように思う。佐賀県庁に来られた方、どうかチェックしてみてください。

ふるかわ 拝
 
平成21年6月23日(火)
第312号「『ハゲタカ』の鷲津と大森南朋との距離」

「ハゲタカ」が映画になったので観にいった。この作品はもともとは小説だったがNHKドラマとなって評判を取り、今回映画化されたもの。ドラマは企業買収や再生を巡り、日本を買い叩こうとする、いわゆるハゲタカファンドとそれを防ごうとする人たちの物語だったが、映画はその続編という設定で、そこに中国とアメリカがからむという、いまどきの内容になっていた。

このドラマ(映画)の主人公は鷲津というNY帰りのファンドマネージャーで徹底した合理主義者。「世の中はカネだ」と平然とつぶやく。
これを大森南朋(おおもり なお)という俳優が演じている。
この大森南朋、お父上は麿赤児(まろ あかじ)というその筋では有名な俳優であり舞踏家。唐十郎と一緒にやっていた時期もあって僕もテントで何度か観たことがあるが、なんせ濃いキャラクターの人だった。
この大森南朋が「ハゲタカ」ではまことにかっこいい。冷たいのだがその陰には何があるのだろう、と思わせる深みのある演技をしているのだ。
そこで映画を観た後、ユーチューブで大森南朋の画像をいくつか観てみた。ところが、うーむ、だった。
よかったのもある。サントリーニューオールドの宣伝で田中裕子と出てるやつ。
http://www.youtube.com/watch?v=lGEx_OzV-dA

でも、うーんと思うのもある。
たとえばTBS系深夜番組 「私の10のルール」での大森南朋。これはミュージシャンとかクリエータとかが自分に課している10のルールを語るという番組で、「ライバルは遠くに探す」とか「ステージ前にスタッフ全員と握手する」などなんとなく奥が深いものが多い。
ただ大森南朋のは「猫には必ず話しかける」とか「留守番電話を使わない」とかそんなものが多かった。
あの「ハゲタカ」で冷徹な鷲津を演じていたときも、仕事を終えて自宅に戻るといちばん最初にやってたのは「猫のトイレの掃除」だったという。なんだかなあ。
さらには映画「ハゲタカ」で大森と共演した玉山鉄二がテレビで「大森さん、僕たちより経済わかってないんすよね」と言ってたし。
ほんとか。だとするとあの演技、ただものじゃないじゃん。
最近、俳優の日常生活をさらけ出す的な番組が多いけど、なんだか頼みもしないのにすっぴんの姿を見せられているような気もする。

「じゃユーチューブ観るなよ」
そうなりますか。

ふるかわ 拝

平成21年6月16日(火)
第311号「東京駅に辰野金吾の顕彰を」

東京駅に久々に行ってみた。東京駅ではいま丸の内駅舎の保存・復原工事が進められている。2011年度末の完成予定とのことだが創建時の姿に復原することを基本としていて、太平洋戦争のときに焼失した屋根と3階の外壁を新たに復原するというから楽しみだ。

この駅を設計したのは辰野金吾。1854(安政元)年唐津生まれ。当時できたばかりの唐津藩の洋学校(英語学校)である「耐恒寮(たいこうりょう)」で高橋是清に学び、その後遊学して工部大学校(現在の東京大学工学部)で建築を学んだ。入学時は最下位だったが首席で卒業したといわれている。
辰野金吾は明治期の建築界の第一人者で、東京駅(当時は「中央停車場」という名前だったが)のほか日本銀行本店も設計した。佐賀県には武雄温泉のシンボル「武雄温泉楼門」が残っている。唐津にある旧唐津銀行も辰野金吾だと思っていたら、これは辰野金吾の弟子が設計したものだった。

いま僕は、今回復原される東京駅の駅舎のどこかにこれを設計したのが辰野金吾だったということをわかるように残したい、と思っている。「辰野金吾がこれを設計した」というレリーフとか埋め込みとか何か顕彰ができないか、ということを関係者に相談している。
今回東京駅に行ったのもそういう気持ちから工事の状況を見ておきたいと思ってのことだったが、発見したのはこれだった。


たしかに辰野金吾が生まれたころは「佐賀県」という名前がなかったのは事実だ。でも、「肥前国生まれ」というのはちょっと適切ではないように思う。
「唐津藩出身」と書くのがいちばん史実には近いだろうからそれでもいいし、そのほか「佐賀県生まれ」とか「佐賀県唐津市生まれ」とか「肥前国唐津(現在の佐賀県唐津市)生まれ」とか、なんか工夫があってもいいのではないか。

ところでこの辰野金吾の代表作である東京駅が完成したのは大正3年(1914)12月18日で、開業式典のときの首相は大隈重信(佐賀藩出身)だった。
そもそも1868(慶応4)年に東京と京都を両都とすることを建白したのはともに佐賀藩出身の江藤新平と大木喬任の二人だった。その中にすでに鉄道敷設のことが入っていたというし、そう考えるとこの東京駅は佐賀藩と唐津藩の双方にとって、ということは佐賀県にとって、とても意義深いものだということができると思う。
だから、ぜひなんらかの形で辰野金吾の顕彰を東京駅に残しておきたいのだ。

ちなみに辰野金吾は1919(大正8)年3月25日に亡くなった。死因はスペイン風邪。そう、いまふうに言えば新型インフルエンザだった。

ふるかわ 拝

平成21年6月9日(火)
第310号「携帯電話の電池 膨らんでませんか?」

友だちが最近携帯の電池を換えた。換えた理由は「電池が膨らんでしまったから」。突然、電池パックが膨らんで携帯電話からはみだしてしまい、すぐ電池が切れるようになってしまったのだという。
古いものかと思ったが、1年ちょっとだというから、そんな太古の昔のものじゃない。

電池を取り換えようとしてその友だちは問題に気がついた。電池の不具合は買ってから半年間しか保証してくれないと取扱説明書に書いてある。その後は有料になるというのだ。
ところが念のためと思ってネットで調べてみたら驚いた。電池の不具合、とくに膨らんでしまって交換しなければならなくなったという不満の書き込みがびっくりするくらいどっとあった。
しかもそれはある携帯キャリア特有のことではなく、どこの携帯キャリア会社でも起こっていて、しかも特定のメーカーだけじゃなくていくつかのメーカーで起きている。
つまり、相当たくさん起きているようなのだ。それでいて、それに対する対応は、各社というか、相談したショップ、持ち込んだ時期、応対した店員などによってばらばらなのだ。
取扱説明書どおり対応しているところもあれば、期限を過ぎても無料交換してくれているところもある。
なかには「電池を充電しすぎたり、まだ電池が残っているのに何度も充電したから電池が膨らんだんです」という説明をしている店もあるようだが、ある専門家によれば「リチウム電池の場合、電池を充電しすぎたり、残っているのに充電したからといって問題が起きるものではない、今回の問題は電池そのものの不具合によるもの」だという。

どうもはっきりしないと思ってその友だちは自分が買ったショップにあらかじめ電話で聞いてみた。
「1年近く前に買ったのですが電池が膨らんでしまって。半年過ぎているので有料ですよね?」

答えはこうだった。「無料でお取り換えさせていただいております」

気が変わってはいけないとあわててそのショップで無料交換してもらった友だちは交換のときにこう確認してみたという。
「不良品だったってことですか?」

答えはこうだった。「そういうことではないのですが」

不良品でもないのになぜ無料交換期間を過ぎても無料で交換するのかはよくわからないが、そう答えるしかないのだろう。要は電池そのものの問題ではないのか。われわれがあまりにも薄型の携帯を求めすぎて電池に相当無理が来ているのではないかとも思う。確かに最近の携帯は使っていてときどき不具合が起こることが増えているような気がする。

電池に限らず自分の使っている携帯の調子がどうもおかしいと思うときは遠慮せずにお店に相談してみたほうがいいようだ。
うまくいけば保証期間が過ぎていても無料交換してもらえるかもしれない。

そして、もし、保証期間が過ぎていても無料交換してもらえるとなったときは、ひとこと確認をしてみてほしい。

「不良品だったってことですか?」

きっと答えはこうだ。

「そういうことではないのですが」

でもそれ以上責めないでほしい。きっと応対している人もたいへんなのだから。

かつては電話は一家に1台の大切な「装置」だった。それがいまでは「消耗品」になってしまった。県の備品台帳にもiPhoneなど端末が高いものを除けば携帯電話はほとんど載っていない。そういう時代とは思うけれど、携帯キャリア会社は料金を安くしたり機能を充実させることにもまして安心して使える端末を提供してほしい。

きっとショップの現場の人もほっとするにちがいない。


ふるかわ 拝

  平成21年6月4日(木)
臨時増刊号「浅野さんが白血病に!!」 

河北新報社の6月4日付けの記事を観ていただきたい。
前宮城県知事で慶大教授の浅野史郎さんが急性白血病を発症されたことを報じている。浅野さんは化学療法で治療しながら、移植に適合するドナーを待たれるという。

びっくりした。この4月に伊万里市でお会いしたばかりだった。かなりやせておられるような印象を受けたがそれがこの病気のためだったかどうかはわからない。いずれにしても、「サンデーモーニング」も「みのもんたの朝ズバッ!」も5月末で降板されていて、これから療養に専念されることになる。

記事にもあったようにこの病気には骨髄移植が有効だという。そのためには骨髄を提供してもよいという提供者(ドナー)が必要だ。誰のでも合うというものではなく、たくさんの登録者の中から合致する可能性のある人を探していくことになる。

僕自身もドナー登録者だ。より正確には「だった」。岡山県に住んでいたころ、この登録制度が始まって、おそらく岡山県のドナー登録第一号だったのではないかと思っているがとにかく登録した。その後、僕はカンボジアやアフリカのアンゴラにPKOで行っていたため、献血や献骨髄、献腎などができなくなってしまった。

だから、というわけではないが、元気のある皆さん、骨髄移植のドナー登録について関心を持っていただけたらありがたいと思う。    
骨髄移植推進財団のウェブサイトはこれだ。http://www.jmdp.or.jp/



ふるかわ 拝
 
平成21年6月2日(火)
第309号「全国知事会は政党支援を明確にすべきか 」

5月18日に東京で開催された全国知事会は、直轄事業負担金問題もあって白熱したものとなった。
そのなかで、今回はじめて知事会に出席された大阪府の橋下知事が、「分権に真剣に取り組むべき。そのためには、これまでのようにこうしてほしい、ということを具体的に政党につきつけるだけでなく、それにどう答えるかで全国知事会としてどの政党を支持するのか明確にすべき」と主張された。
この意見に東国原知事が賛同された。「われわれは税金でこの会に参加している。それくらい明確にしないとなんのために出席しているのかわからない」

それに対し、三重県の野呂知事は「政党の支持を云々する知事は、やや自信過剰だ」、埼玉県の上田知事も「地方分権(という論点)だけで政党の支持を決めるのは、シングルイシュー(争点を一つに絞る)選挙の発想だ」とそれにはやや否定的な考えを示され、結局このことについては、7月に三重県で開催される全国知事会議で議論されることになった。

この点についての僕の考えを明確にしておきたいと思う。
それは、「全国知事会として特定政党を支持する、または支持しないことを機関決定すべきではない」ということだ。理由はシンプル。「全国知事会は税金で運営されている」からだ。

税金で運営されている組織は特定政党を支援してはならないというのは法律的にはどこにも書いてない。しかし、全国知事会が知事個人の集まりではなく、「都道府県」という地方政府の集合体であることを考えても、当然の前提だと思う。
ある県の知事がどこかの政党の推薦を受けた。それはいい。選挙だからそういうこともあるだろう。しかし、だからといって県費でどこかの政党の応援をする、ということは認められない。知事が政治家として特定政党や候補者を支援することはもちろん可能だがその場合には「公務」ではなく「政務」としてひとりの政治家として行うことが求められる。そういうことから考えれば、各都道府県からの負担金、すなわち税金によってまかなわれている全国知事会としてどこかの政党を支援するということを決定すべきではない。

たとえば、農協には相当の税金が直接間接投入されている。だから農協そのものは特定政党の支援をすることをしていない。その代わり、全国的な団体として「全国農業者農政運動組織協議会」という政治団体をつくって政党の支援を行っている。佐賀県内の農業政治活動組織は「佐賀県農政協議会」という。農協そのものではないのだ。医師会についても然りで、医師会としては政治活動を行わず、「医師連盟」を結成し、その中で政治活動をしている。
だから、特定の政党支援を行おうとするならば、全国知事会としてではなく、知事有志が政治家個人として政治連盟を立ち上げてやるほかないと考える。

そのためにも、次の総選挙で各政党が何をマニフェストに掲げるのか、できるだけ早く素案を示してもらいたいと思う。政策の内容がわからなければこちらも評価のしようがない。

ちなみに全国知事会では、これまで国政選挙があるたびに、マニフェストに地方分権の実現に向けた具体的な要請項目を盛り込んでもらうよう活動を行ってきた。その責任者は僕で、年に何度かこの要請を行ってきていて、その結果、たとえば、民主党の分権調査会の報告では「直轄事業負担金の廃止」や「国と地方の協議の場の法制化」をはじめ、全国知事会の要請項目がいくつか織り込まれた。
国政選挙の前になると「21世紀臨調」という組織が、与党が前回のマニフェストをどの程度実現したかという「実績評価」と、与野党の今回のマニフェストの「内容評価」をし、点数をつける評価大会を行うことにしている。
前回の参議院選挙のときも同様の大会が行われ、そのときは地方分権についての当時の安倍内閣の実績評価は75点、参議院議員選挙のマニフェストに対する内容評価は、自民党・公明党65点、民主党55点という点がついた。

今回は高得点の評価ができるような、そんな各党のマニフェストであってほしい。


ふるかわ 拝