2010年2月

平成22年2月23日(火)
第347号「『障害』から『障碍』へ」

このコラムを以前から読んでいただいている方は、僕が「障害福祉」のことを書くのに「障碍」と表記することに気づいておられると思う。

そう、たしかに僕は個人的な文章では「障害」と書かずに「障碍」と表記している。
なぜかというと、「害」には「害毒」や「有害」などネガティブな意味があり、本来使うべきではないと考えているからだ。そうは言っても「碍」という漢字は常用漢字にない。ということで、いくら僕が個人的に「害」を使いたくないと思ってもそういうわけにはいかず、公用文では「障害」と表記しているが、このコラムのような個人的なところでは「障碍」と表記するようにしている。

僕は、二つの理由から「害」よりも「碍」のほうがふさわしいと思っている。1つは、「碍」というのはもともとの字は「礙」という字で、これは、「石を前に迷っている状態」をあらわしていて、いわば「妨げ」の意味。ほかのものをあえて害するという意味はないから。
もう一つは、「碍」は現在は常用漢字に含まれていないが、以前は法令にも使用されてきた歴史ある表記だから。生活保護法ができる前の「救護法」という法律の中に、「障碍ニ因リ」という形で使われていた。

(参考)

救護法(昭和4年法律第39号)
第一章 被救護者
第一条 左ニ掲グル者貧困ノ為生活スルコト能ハザルトキハ本法ニ依リ之ヲ救護ス
一 六十五歳以上ノ老衰者
二 十三歳以下ノ幼者
三 妊産婦
四 不具廃疾、疾病、傷痍其ノ他精神又ハ身体ノ
障碍ニ因リ労務ヲ行フニ故障アル者
2 前項第三号ノ妊産婦ヲ救護スベキ期間並ニ同項第四号ニ掲グル事由ノ範囲及程度ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム


もちろん「障がい」と書く方法もないわけではない。事実、10道府県、5政令市など多くの自治体において「障がい」と表記しているのだが、僕は「漢字とかなの交ぜ書き」というのがこれまたあまり好きではない。漢字で意味を理解する文化という面からは「がい」では意味がわからない(話はずれるが、行政で使う「へき地」という表記を見た、ある若い職員がこの「へき地」というのは「壁地」ということですか?と聞いてきたことがあった。たしかに似ているが「僻地」という表記を見たらきっと意味が理解できただろう。「めん羊」という表記を見て、この「めん」はどういう意味なのかわかるだろうか?「緬羊」と書くと繊細な動物繊維のイメージが湧いてくるではないか)。「がい」という表記については、障害者団体からも「がい」とすると「がい」が強調されて違和感があるということや、軽く見られている感じがするといったご意見もいただいている。

いま、文化審議会の国語分科会で常用漢字表の改定版の作業が行われている。
そのときに、どういう字を入れてほしいかという要望をとったところ、一番多かったのはガラスをあらわす「玻」という字で、それに次ぐ第2位がこの「碍」の字だった。その国語分科会の答申時期が迫ってきているのだ。この時期に障碍関係団体だけでなく、自治体としても政府に対し意見を出しておきたい。
 また、昨年の12月に設置された政府の「障がい者制度改革推進本部」で、法律や政令などにおける「障害」の「害」の表記のあり方に関する検討が始まることになっている。これにもこうした意見があることを反映させていきたいと思っている。

先日、滋賀県大津市で開催されたアメニティ・ネットワーク・フォーラムにおいて、この「碍」の表記について、佐賀県が独自のアンケート調査を行った。
その結果、「碍」を常用漢字に追加するように求める動きに対しては約8割の方が賛成で、「碍」が追加されれば約4割強の方がその字を使うよということを回答いただいた。関係者の一定の理解は得られていると考えている。

(参考)

「碍」についてのアンケート

いま、「障害」を「障碍」と表記すべきとの主張があります。「害」の字に「有害」「害悪」などのネガティブな意味があるためです。「碍」は「さまたげ」の意味で、「害する」という意味はありません。それに、「碍」は常用漢字ではないため公的に使用することはできませんが、昔は普通に使われていました。このため、現在、常用漢字を見直している文化審議会国語分科会に、「碍」を改定常用漢字表に追加してほしいとの要望が数多く寄せられています。これを踏まえて、以下のアンケートにお答えください。


Q1.こうした動きについて、どう考えますか?
□賛成する (286枚、77.9%) □反対する(32枚、8.7%)
□関心がない( 40枚、10.9%) □無回答 ( 9枚、2.5%)

Q2.常用漢字に「碍」の字が追加されれば、「障碍」と表記しますか?
□表記する (160枚、43.6%) □表記しない(73枚、19.9%) 
□まだわからない(132枚、36.0%) □無回答 ( 2枚、 0.5%)

※アンケート用紙総配布数850枚 回収枚数367枚 回収率43.2%


もちろん、漢字を変えただけでは何も変わらないとは思う。しかし、「老人」と「高齢者」、「痴呆」と「認知症」のように、表記を変えることでより、客観性が高まり、学問や政策の対象になっているというイメージが強くなっているのではないかと思う。少なくともこれらについて元の表記に戻そうとは思わないではないか。

「害」のマイナスイメージを取り除き、「碍」とすることによって「障碍者」への理解を広げていきたい。
内閣府や文部科学省に対し、できるだけ早くこうした声を届けていきたいと思う。

ちなみに↓は、先日このことを記者会見したときに使ったファイルです。




PDFファイル(710KB)



ふるかわ 拝

平成22年2月16日(火)
第346号「がんばれハウステンボス」

長崎県佐世保市にあるハウステンボス(HTB)の再生にメドが立った。旅行業大手の(株)エイチ・アイ・エス(HIS)が、3年という期限付きだがメインスポンサーとなってくれることになった。澤田会長はじめHISの皆さまにはどうかよろしくお願いしたい。

HTBは地域とともにある、というのが基本的なポリシーだ。
東京ディスニーランド(TDL、いまはTDR)が時間と場所を忘れるおとぎの国であるということを基本にしているのと違う。
たとえばTDRはいま自分がどこにいるのか、ができるだけわからないようになっている。立地場所ももともとは千葉県浦安市ではなく富士山麓にという話もあったのだが、富士山麓だと日本ということが強調されすぎるということで候補地から消えたと聞く。たしかに浦安の埋立地のほうが場所的には中立的な感じはする。また、TDRの中には時計が少ない、というか目立たない。場所と時間を忘れて存分に楽しんでもらう、というTDRのコンセプトがこんなところにも表れている。

僕自身もこんな経験をしたことがある。TDLに行って「シンデレラ城ミステリーツアー」の順番待ちのために並んでいたときのこと、シンデレラ城ミステリーツアーの衣装を着て、待機中のお客さんの整理をしていたスタッフがいたので声をかけてみた。「このアトラクションのコスチュームがかっこいいので仲間うちでは一番人気って聞いたんですけど本当ですか?」
答えはこうだった。「私は、ここで生まれたのでこうしてるんです。」

すごいでしょ?あとで調べてみたら、これは彼女が機転をきかせたのではなく、マニュアルにそう書いてあるからなのだった。

その点HTBは違う。
もともと県の工業団地として造成された土地を有効活用できないかと、オランダ風の街並みを再現しようとつくられたもの。なぜオランダかといえば、江戸時代、長崎が交易していたのが中国とオランダだったから、という史実に基づく。しかもオーナーは元役場職員で県庁地方課での研修経験も持つという人。
スタートから地域との関係がきわめて密接だった。
開業に際しての地元との交渉の中で、漁民の方をはじめさまざまな形で地元の人たちを雇用することが基本となった。年齢層も比較的高い人たちも多く、マニュアルを徹底しようにも難しい。「だからあまり難しいマニュアルは作ってないんです。スタッフには、自分でいいと思ったことをやってください、と言ってます。」開業3年目くらいのころハウステンボスに初めて行ったとき、運営会社の人からそう教えられた。

HTBはバブル崩壊の直前にオープンした。ヨットハーバー付きの別荘も一定程度売れるメドは立っていたものの入金はまだ、という状況でバブルが崩壊、経済的にたいへんな状態の中での船出となった。これがもう少しだけ開業が早かったら、もう少し状況が変わっていたかもしれないなと思う。というか、バブル崩壊以来、我が国経済は失われた十年を経てその後も一時期を除いては好況に恵まれていない。もう少しいい時代のときにHTBを誕生させてやりたかったという思いもする。

ただ、今回のHTBの支援をHISだけでなく、九州経済界挙げてしていただいたことも特筆すべきことだと思うし心から感謝したい。ほかの地域の人から見たら、なぜ福岡県の経済界が長崎県にある一施設に対してこれほど支援の手を差し伸べていただけるのか、理解できないかもしれない。もちろんHTBが九州観光にとって大きな位置づけがあるから、ということになるのだが、県域を越えてもそこにしっかりと関心を持っていただけるようになったのは、九州観光推進機構の果たした役割も大きいのではないか。
この機構は、九州各県と九州経済界が資金を出し合って設立したもので、九州全体をひとつの観光地と考えてやっていこうという取り組みをしている。
この機構があるからこそ、今度の上海万博でも九州はそろって出展しようということになっているのだ。
九州全体としてもそうだが、HTBを訪れるお客様の何割かは嬉野温泉をはじめ佐賀県内で泊まっていただいている。佐賀県としてもHTBがうまく再生することは意味が大きい。
そこにあることが当たり前になりすぎていて、僕も会員になっていながら最近HTBから足が遠のいていた。これを機会にまた訪れてみたい。


ふるかわ 拝

平成22年2月9日(火)
第345号「木村多江さんと奈良美智さん」

先日、この時期恒例のアメニティ・ネットワーク・フォーラムが滋賀県大津市で開かれた。客観的には日本最大の、そして主観的には日本最先端の、障碍福祉を議論する場だ。今年も大津プリンスホテルに約1500人が集まった。

僕はここ数年、このフォーラムの呼び物のひとつである知事セッションの取りまとめをさせてもらっている。今年も僕以外に5人の知事さん方に来ていただいてそれぞれの地域での障碍福祉施策の紹介をはじめ、地方分権や政権交代について熱く意見を述べてもらった。いずれもみなさんすばらしかったが、僕がとくに政策面で関心を持ったのは北海道だった。北海道独自の福祉施策はこれまであまり聞かなかったが、高橋はるみ知事から障碍福祉についての方向性を包括的に規定した「北海道障がい者条例」の内容をお話しいただいた。こうした包括的な障がい者条例は日本初だと言っていいと思う。
また、高橋知事は最後のまとめのご発言で「私はもともと経済関係が長く、福祉とはどちらかといえば縁が薄かった。今回ここに立たせていただくに当たって、準備をし、その中で自分なりにいろいろ感じることもあった。これからはもっとこの分野についてがんばって行きたいと思う。ここに呼んでいただいて心から感謝したい。」と言っていただいた。こちらもうれしかった。フォーラムに出ていただくために、各県の知事さん方に障碍福祉について説明を受けたり関心を持っていただくことも、知事セッションの意義のひとつなのだから。

今回はこのほかおまけというか付録というか、主催者側から「木村多江さんと対談しません?」というお話をいただいた。というのは、このフォーラムとあわせて「バリアフリー映画祭2010」が開催されている。副音声と字幕をつけることによって、たとえば目の見えない方や音の聞こえない方でも映画を楽しんでいただくようにすることを映画のバリアフリー化と呼ぶが、そのバリアフリー化された映画の上映会なのだ。そのラインナップのひとつに、映画「ぐるりのこと。」があり、その上映に当たって、主演の木村多江さんに来ていただくことになったので対談しないかという話が来た、ということだった。

木村多江さんは平成15年に放送されたドラマ「白い巨塔」で末期がんの患者役だった。僕はそのときにはじめて木村多江という女優を意識して、それ以来注目してきた。
最近ではNHKの土曜ドラマ「上海タイフーン」の元気なキャリアウーマン役も印象的だったし。ドラマ以外でいえば、つい先日まで東京・銀座にあるエルメスのお店「メゾンエルメス」のディスプレイにおもしろいしかけがしてあった。木村多江さんが息を吹きかけるとエルメスのスカーフが揺れるのだ。これをデザインしたのは佐賀県出身の世界的なデザイナー吉岡徳仁さん。 http://www.tokujin.com/info/
いろんな意味で注目している木村多江さんとのトーク。断る理由もなく了解した。

当日、木村多江さんとの映画「ぐるりのこと。」のシアタートークはあふれんばかりのお客様に入っていただき、とてもいい雰囲気で進めることができた。

たとえばこんな感じだった。
古川 橋口亮輔監督からはどういう感じでお話があったのですか?
木村 私はいつか監督の作品に出てみたいと思ってましたからこのお話はうれしかったのですが、お目にかかったら「翔子(劇中の木村多江さんの役)は木村さん自身のことだから」とずばっと言われてびっくりしました。
古川 翔子という役ははうつになって、いろいろあって人とのつながりの中でうつを克服していく、という役柄ですよね。それを「あなた自身のことだから」と監督から言われたわけですね。じゃ役づくりはどうされたんですか?
木村 役づくりをする必要がありませんでした。
古川 というのは?
木村 現場で監督からどんどん追い込まれていくんです。何を演じても監督からは「ダメ、ちがう、なぜできないんだろう、」の繰り返し。現場ではみんなだまーってしまって、しいんとしてるんです。私がうつになってしまって、だからもうそのままでよかったんです。
古川 まさに素のままで演技ができてしまう・・・。
木村 だからあの作品は順撮り(映画で出てくるとおりの順に撮影を進めていくこと)をしています。だんだんうつになって、そこからまただんだん這い上がっていく感じは私そのものなんですよ。

木村多江さんといえば、ここは聞いておかなくちゃということもある。

古川 木村さんって「不幸の似合う女優」みたいに言われていますよね。
木村 そうなんです。そういう役が多いですし、週刊誌に「不幸な女」みたいに書かれるんですけど、別に私が不幸なわけじゃないんですよ。「不幸な役を演じている女優」って書いてほしいなって思います。私は幸せですから(笑)。

こういう感じであっという間の60分だった。
残念なことがある。木村多江さんとご一緒するなんてめったにないことだけに主催者に「写真撮っておいてね」と頼んでおいた。終わった後、「写真とってくれた?見せて。」とお願いしてみてみた。頼んだとおり、数十枚くらい撮ってあった。木村多江さんのちょっとしたしぐさまで丁寧にカメラが追いかけていた。撮り手の情熱が感じられるいい写真だ。


ところが木村さんしか写っていない。「あのー。僕が木村さんと一緒の写真はないの?」と訊ねてみた。「あるある。もうすぐだから待ってて」。そうですか。待ちます待ちます。「ほらほら」と彼が声を挙げた。たしかにあった。僕が木村さんと一緒に写っている写真が。でも、たった1、2枚、しかも遠くから写しただけだ。「これだけ?」「これだけってちゃんと写ってるでしょ」「これってさ、僕を写したというより会場の写真を撮ったら僕が入っていた、って感じじゃない」「主催者ですからね、記録を残しとかないと。」

撮り手の情熱の感じられない、「記録用」に撮られた写真はこれです。


ところでバリアフリー対応の映画をまとめて上映する「みんなで観て、楽しむ映画上映 in佐賀」が、今週末の2月13日(土)に開催される。ラインナップはスタジオジブリの「猫の恩返し」と「おくりびと」。「猫の恩返し」は、佐々木亜希子さんという女性活動弁士による副音声活弁ライブだし、去年の日本映画の中での最大の話題作「おくりびと」を、字幕や副音声がついた状態で観るときっと新しい発見があると思う。山上徹二郎プロデューサーをはじめとするすてきな人たちのトークも楽しみだ。
もちろん僕も観に行く予定だが、ぜひたくさんの人たちに観てもらってバリアフリー対応の映画の体験をしてほしいと思う。

そうそう、大津では奈良美智さんにも会った。奈良さんは僕の大好きなポップアートの芸術家。青森県弘前市の出身で僕は弘前まで展覧会を観にいったこともあるくらい。
いまでも家にはそのときに買った奈良美智さんデザインのグッズがいくつも飾ってあるくらいだ。
奈良さんはやはりこのフォーラムと合わせて開催されていた障碍者たちの芸術・文化祭「アール・ビュット・ジャポネ」のために来られていたのだった。
これについても書きたいことが多いけどそれはまた。


ふるかわ 拝

平成22年2月2日(火)
第344号「村井弦斎の『食育』 」

今年の6月12日に佐賀市で食育推進全国大会が行われる。
その名のとおりの大会で、全国から3万人を集めようと関係者ががんばってくれている。

そのときの挨拶をそろそろ考えようと思っていたら、先日「村井弦斎」という作家のことを書いた文章に出会った。(岩波書店「図書」2009年7月号)それによれば、村井は明治時代に活躍した作家で「食道楽」(しょくどうらく)という小説が爆発的に売れたことで有名、とある。その小説の名前に僕はピンと来た。たしか村井弦斎はわが国における食育の先駆者ではなかったかと思って調べはじめた。

たしかに村井は食育の先駆者だった。食育という言葉自体は石塚左玄が造語したものだが、それを世の中に広めたのがこの村井で、さきほど挙げた「食道楽」という本の中で食育という言葉を使った。「智育と体育と徳育の三つは蛋白質と脂肪と澱粉のように程や加減を測って配合しなければならん。しかし、智育よりも体育よりも一番大切な食育の研究をしないのは迂闊の至りだ。」(岩波文庫版 第二百五十二 食育論)

また、弦斎の作った料理心得歌の中に「小児には徳育よりも智育よりも体育よりも食育が先」があるらしい。

ということで食育の先駆者村井弦斎という点は納得できたのだが、ネットで検索していたら「弦斎は、大隈重信の従兄弟の娘である尾崎多嘉子と結婚している。」という記述を発見したのだ。(ウィキペディア)。

おお、こんなところで佐賀と縁があると思ってさらに調べてみたが、ほとんど同じ記述しかない。この「弦斎は、大隈重信の従兄弟の娘である尾崎多嘉子と結婚している。」という言葉をグーグル検索してみたら、まったく同じ表現が「はてなダイアリー」から「芸能ニュースモバイル女性セブン」までいくつも使われている。

やっと探し当てたのが、多嘉子の父親は佐賀藩士の尾崎卯作らしいということだった。ただ、出典は村井のことを描いた「美食探偵」という小説。歴史的に真実であるかどうかはわからない。ちなみにこの小説を書いたのは火坂雅志という作家。そう「天地人」の作者である。

そこで、県立図書館のレファレンスにお願いして調べてもらった。弦斎が結婚していたという尾崎多嘉子は大隈重信と正確にどういう関係だったのか。

すると、尾崎多嘉子自身が語った言葉が掲載された雑誌がみつかった。その部分だけ抜粋すると、「いまの早稲田大学を建てただけでも、永く世にその名をのこしている大隈重信候はわたくしの父の従兄弟なのでございます。(中略)なんでも、私の父、尾崎卯作の母と、大隈さんの母上とが姉妹だったそうでございます。」(「婦人之友」1955年11月号、12月号)
ところが、この言葉を裏付ける家系図などの資料がみつからなかった。

かなり調べてもらったし、早稲田大学にまで訊ねてもらったが、結果的にはわからなかった。
家系図というのは、大隈重信から遡るものが大半でそれ以降のものは早稲田大学でも所蔵していないらしい。
というのもそもそも家系図というのは幕藩体制期によく作られたものらしいのだ。

調べてくれた人がこう言う。
「佐賀藩士の系図は本藩・支藩など大きな領地をもった家の家臣は、個人の家でそれぞれ作成して、自分の領主に提出しました。現在、本藩や鹿島藩・小城藩・多久家・武雄鍋島家・諫早家などの分が残っています。

本藩に残っている系図を見ますと、単に家系の系統を記すだけではなく、先祖の誰のとき、何石加増されたとか、どういう褒賞にあずかったとか、家の石高に関する記載も多々あり、これは基本的に家禄を引き継いでいった侍の知行のあり方のため、そういう記録もしっかり残しておく必要があったためと考えられます。

明治以降は廃藩になり、侍の身分がなくなり、侍が藩から禄米をもらうという制度もなくなりますので、公的に個人の家が、系図を作成し、藩に提出するということはなくりました。明治以降、系図を続いて作られる家もあったでしょうが、それは個人の家の行為ということで、先祖のお祭りの継続のためなどに書き継がれることはあったと思います。ただ、公的なことに用いられることは、もうなかったと思います。財産の相続の証明などは戸籍がその役割をはたす時代になりました。」

そういうことだったのかあ。このこと自体がとても新鮮な発見だった。

村井弦斎のことはこれから「食道楽」と「美食探偵」を読んでもう少し調べてみたいと思う。

6月までにまた何か発見ができれば大会当日の挨拶に使わせていただきます。

ふるかわ 拝