2010年4月

平成22年4月27日(火)
第356号「障がい者制度改革推進会議へ意見を寄せて欲しい」

4月26日(月)、僕は第9回内閣府障がい者制度改革推進会議が始まる直前、その会議室に入らせてもらって、その会議のメンバーに、「障碍」という書き方を認めてもらうようにお願いをした。

前にこのコラムで書いたように、いま佐賀県では常用漢字にこの「碍」の字を追加してほしいというお願いをしている。

先日の文化審議会国語分科会の漢字小委員会では、残念なことにこの「碍」の字を追加することは見送られたが、条件が付いていて「政府の障がい者制度改革推進会議の結論次第では、さらに審議する可能性もある」ということになったのだ。つまり、舞台はそっちに移ったことになる。
ということで、東京に行く機会を使って、この会議のメンバーに直接お願いをしたのだった。

僕はこう申し上げた。

「障害」と書いても「障がい」と書いても、また「障碍」と書いても、そのことで世の中が変わるものではないかもしれません。たしかに本質論ではありません。そのことは十分わかったうえで、でも、「障碍」と表記したい、という人たちが一定数いるのも事実です。そこでお願いです。

そういう人たちについては、そう書いてもいいよ、というメッセージをこの会議から発信していただけませんか。

法令上の表記や障碍福祉制度をどう進めていくのか、という本質的な議論とは別の次元のささやかなお願いとして、この「碍」の字を使いたいという、一定数の、しかしながら深い思いを持つ人たちの声を聞き届けていただければと思います。
どうかよろしくお願いします。

この会議では、これまでも障碍福祉にかかわる各分野についてかなりの議論が行われている。
そのHPはここだ。
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/kaikaku.html

このページの中ほどの右側に「▶推進会議へのご意見はこちら」というボタンがある。
「碍」の字を常用漢字に追加して「障碍」と書けるようにすることに賛成の方はここに意見を寄せていただけたらうれしい。
連休明けに次回の会議があるようだ。それまでには意見の集約をされるようなので、できれば早めにお願いできればと思う。


ふるかわ 拝

平成22年4月20日(火)
第355号「門は開くか」

先週の14日、平成22年4月14日に赤松農水大臣が佐賀に来られた。有明海再生について、佐賀県の人たちと意見交換をするためだ。もちろん主要なテーマは中・長期開門調査を実施するかどうか、ということになる。

4月14日というのは有明海にとって大きな意味のある日だ。13年前、つまり平成9年4月14日に諫早湾の潮受堤防が締め切られた。いわゆるギロチンの日なのだ。
その日を選んで赤松大臣は佐賀県に来られたということになる。

佐賀空港にほど近い漁港で大臣をお待ちし、簡単なブリーフィングの後、船に乗って一緒に有明海を視察した。もうノリの漁期はおわりかけていて、ところどころにノリ網を撤去する漁民の人をみかける程度だが、大臣は有明海を直接ごらんになるのははじめてとのことで、干満の差の話やノリの養殖方法などかなりの質問をされた。
聞いていただけるのはまことにありがたい。僕も必死にいまの有明海の状況についてお伝えした。

また、有明海についてのいろんなエピソードも話した。
有明海がヒトの身体に良く、僕がこどものころは有明海のガタ(潟)にけがしたところを浸けるとそれでけがが治ると言われていた話。
ノリの漁家たちの漁期の間の忙しさといったら、忙しくて忙しくて寝るひまもなく、ご飯を食べながらつい眠ってしまって箸や茶碗を落としたりする、という話。
ノリが採れて関係者の懐があったかくなると地域の商店や百貨店でものが売れ、家の修理や改築をする人も増える、という話。
これからちょうど有明海は潮干狩りの時期を迎えるが、有明海の潮干狩りは船に乗って少し沖に出てそのまま潮が引くのを待ち、潮が引くと、そこが干潟になっているので船から降りて貝を掘り、また潮が満ちはじめると船に戻って潮が満ちるのを待ち、そして船に乗って岸に戻る、という干満の差6メートルという日本一の干満差を使った潮干狩りだ、という話。

有明海がどういう海なのか、わかってほしかったのだ。大臣は真剣に聞いておられた。なんとかしてわかろうとされていると感じた。

視察を終えて陸に戻り、その後ホテルで意見交換会が行われた。
僕を含む9人の意見発表者が有明海再生と中・長期開門調査について、行政からは僕と佐賀市長と太良町長、議会からは県議会議長が、アカデミズムからはNPO法人有明海再生機構の荒牧副理事長(元佐賀大学教授)が、それぞれ意見を述べた。そして有明海漁協やノリ漁民、タイラギを採っている漁民の人たちも現場の生の声を発表された。すべてがこのせいとはいわないにせよ潮受堤防ができてから潮の流れる方向やスピードが変わったということを体験的に報告していただいた。みな結論は同じだった。有明海再生のためには環境変化の真の原因を突き止めることが必要で、そのためにも開門して調査をすることが必要、というものだ。

もちろん、長崎県には開門するといま淡水である調整池に塩水が入り込み、営農に使えなくなるから開門には反対、といった意見があるのは僕も知っている。だから僕たちはそういう不安を取り除くことが必要だし、それは可能だと言っている。たとえば、農業用水の確保という意味では、干拓地の一部をため池にしてそこに水を溜めておけばいいのではないか。現に中海干拓でもそうしているし、佐賀平野にもそういうため池があるのだから。

こういうことも含めて大臣にはお話を申し上げた。これまでなかなか農水大臣にはお目にかかることができなかっただけに堰を切ったようにいろいろ話をさせていただいた。
先日は、有明海のことで鳩山総理大臣にもお目にかかることができた。
どうやらこの問題についてはゴールがかなり見えてきているように思う。

佐賀県での視察の最後に大臣はまとめのご挨拶をされた。その一部を抜粋してみた。

(赤松大臣)

大変貴重な時間をいただき、ありがとうございました。
万が一、開門して塩水が入ってきた時の用水対策として、今日は吉村農村振興局長も私と一緒に来ていますし、九州の農政局の宮本局長も来ておりますので、万が一そうなった時には、そういう対策もきちっとできるということを教えていただきましたので、それはそれとして受け止めさせていただきたいと思います。

なぜ、今日、佐賀県におじゃましたのか、そしてこの後、福岡、熊本、長崎と行くわけですけれども、私自身には思いがありまして、ちょうど13年前の4月14日、まさに潮受堤防ができてギロチンといわれる、ダダダダ、ダーと落ちたのが今日でございます。あの13年前の。
まあ、別にその日だからということもございませんけれども、そういう、皆さま方の思いをしっかり受け止めるには、そういう日もいいのではないかと、今日と明日の2日間、こうして回るわけですけれども。

(中略)

どちらにしましても、結論付けたことは言えませんが、今日、色落ちのノリを実際に見せていただきました。タイラギの実態も見せてもらいました。そういう中で古川知事ともお話ししましたが、必ずしも100%全て、あの潮受堤防ができたことが原因なのか、それはやってみないとわかりません。そうかもしれないという可能性がある以上、開門を含めて、その時はどうなるのかということも合わせて調査をし、その中で、冷静な形で議論して、それぞれの地域の納得の上で、1つの方向性が指し示すことができないか。今、考えている途中です。


話を聞いていると門が開くのは、「万が一」ではなく、「百が九十九」というくらいの可能性のように思えた。

結論は4月末か5月に出すということのようだ。大臣、期待していますね。


ふるかわ 拝

平成22年4月13日(火)
第354号「新党についてのエトセトラ」

最近、新党が相次ぐ。すでに結成されたたちあがれ日本。この新党は名称に「党」という文字が入っていない。「たちあがれ日本」とカッコ書きせずにこのままたちあがれ日本と書くと、とてもわかりにくい。モーニング娘。に続く、新聞表記泣かせだ。
ちなみにこの党の英語表記は「The Sunrise Party Of Japan」らしいから、このまま訳すと「日本朝日党」か。上海で見た日本の缶ビールみたいな名前になる。では「日の出党」ではどうか。「日の出ビール」は、「毎朝新聞」と並んで小説やドラマによく出てくる架空の企業名だし、その意味ではすでに有名と言ってもよいが、なんとなくインパクトに欠ける。
そもそも、開票速報のときの略称は何になるのか。みんなの党は「みん」だから、このままいけば「たち」のはずだが、そのへんも興味深い。

この長い名前で思い出すのは韓国の「開かれたウリ党」だ。前のノムヒョン政権の与党だった党だが、普通は「民主自由党」のように漢語ばかりの政党名が多い中、形容詞の入ったちょっと面白い名前でということで当時物議をかもした。ただ、この党は英語名が「The Uri Party」で、逆にとても短い単語だった。百年続くということを豪語したが、数年で解党した。
というか、どうも、我が国のこの新党については、何をやりたいのかどうもはっきりしない。既存の政治勢力ときっぱり一線を画すわけでもなく、なんとなくいつかどこかと一緒になる雰囲気が結党時点から漂っている気がしてしかたないのだ。

みんなの党はその点はっきりしていて、党首会見のバックボードにも「政権交代 再編」と書いてある。つまり政界再編のための党だということが明確になっている。たちあがれ日本もそういうことなのだろうか。
どうもなんだかはっきりしない、という点では首長たちの新党も同じだ。
先日発売された月刊誌「文藝春秋」に山田杉並区長や中田前横浜市長、それと齋藤前山形県知事の3人による地方首長新党とでもいうべき新党結成にむけての決意表明がなされていたが、地域主権型の国づくりを進めていこうということは理解できるし、そのほか自立を求めるという方向性には賛同するものの、だからといってなぜ新党を結成しないといけないのか、参議院議員選挙に候補者を立てないといけないのか、そこはよく理解できなかった。「地域主権型の国を作る」ことは、地方六団体でもいまの政権でも目指している共通の目標だと僕は思っているのだが。しかも、この新党、代表格は山田杉並区長だが、報道によれば彼自身は参院選には立候補しない方針だという。
地方政界における場がありながら、それでは足らないからということで新党を結成するのであれば、山田さんご自身も立候補されたほうが筋が通るのではないか、という気もする。

まだまだこの新党、はっきりしないところが多い。今月末の結党宣言に期待したいと思う。

そういえば、鳩山邦夫氏も離党し、新党を結成するかに見えたがいまのところ
行動をともにする国会議員の名前を聞くことはない。ある新聞がこう見出しを
つけた。

「新党ひとり」。 

うまいね。


ふるかわ 拝

平成22年4月6日(火)
第353号「菓子店経営の繁盛秘訣」

先週末に、作家の北方謙三さんを佐賀にお招きしての講演とトークショーがあった。
もちろん、北方さんが佐賀と台湾を舞台に描かれた小説「望郷の道」がテーマだった。
僕はトークショーに参加させてもらったのだが、そのときにパネリストのひとりから一冊のご本をいただいた。
この本の舞台となった「新高製菓」が昭和5年に発刊した、「菓子店経営の繁盛秘訣」というものだ。

繰り返しになるが、新高製菓は戦前に台湾で創業された菓子メーカーで、創始者は森平太郎という佐賀県出身の人だ。この人が北方さんのひいおじいさんにあたる。
新高製菓は本土にも販路を広げ、戦前には明治や森永と並ぶ菓子メーカーとして名を成した。
その製菓会社が昭和5年に創業25周年記念として、自分たちの商品を売ってくれるお菓子屋さんのためにその本を刊行したのだった。

今読んでも相通じるものが多い。
たとえば菓子小売店繁盛のための必要な点として、
一 お客に親切であれ。
一 よき品を備えおくこと。
一 出来る丈(だけ)商品を豊富に置くこと。
一 商品の智識
一 商品と店の個性を作ること。
一 名実一致の宣伝法。

と、いつの時代にも必要なことが書いてある。
でも、中にはこんなものもある。
婦人客の心理をどうやってつかむか、という項目で、いくつかの声かけの言葉が記されている。
一 よくお出かけくださいました。
まあ、これはこれでいいでしょう。といっても今は言わないと思うが。

次がおもしろい。
一 このごろは大変お肥(ふと)りになりましたでございますね。
そのころはほめ言葉だったようだ。
この本にはこの言葉についてこう解説している。
これはときどき放射する言葉であってお客は自分というものの存在をみとめているのだ、ということを非常に有難がるものであります。」
「放射する」という言葉はやや違和感があるが、「放射線」とか「放射能」という言葉は戦前には使われておらず、「輻射線」などと呼ばれていたので、現在とは意味が違っておそらく「発せられる」という意味だろうと思う。

ついでにもうひとつ。
一 今夏のご避暑はどちらでございましたか?
解説にはこうある。
「その言葉を浴びた客は、もし避暑した客であればどこどこというだろうし、でなかったら「今年はまいりませんでした」というふうに答えるでありましょう。そんな時にはさようでございますか、大変おやけになっているものですから、といった具合に持ちかけます。」
このころは、「やけている」ということもほめ言葉だったようだ。
それにつけても、この本は菓子店の繁盛の秘訣をまとめたものだ。宝石店や毛皮の店ではない。当時はそんなに避暑が多かったのだろうか。

新高製菓はこの本を刊行した翌年(昭和6年)には、日本初のフーセンガムを発売、大ブームとなった。いくら台湾に本拠を持っていた会社とはいえ、当時本土にも拠点はあり、これだけの会社が戦後忽然として消えた感をまぬかれない。いつかじっくり調べてみたい。


ふるかわ 拝