2010年5月

平成22年5月25日(火)
第360号「菅原文太さんと「牛の鈴音」やります」

韓国の映画やドラマというとイケメンや美女が出てくるイメージが強い。ところが、6月5日(土曜日)から佐賀市で公開される韓国映画「牛の鈴音」という作品は全然違う。
ドキュメンタリー映画だし、主な登場人物は、牛を飼う年老いた農夫とその妻、さらにはその牛そのもの。とくに大きな盛り上がりを見せるシーンがあるわけでもない。それでも2009年に韓国国内での映画動員数ナンバーワンを記録した。
その映画が佐賀市のシエマという映画館で6月5日(土)から3週間にわたって上映される。
僕はこの映画を試写で観たが、派手さこそないものの、生きること、大地とともにあること、食べること、育むこと、それらの意味を静かに考えさせてくれる。口蹄疫のこともあって、命のことを考えさせられる作品だ。食育そのものの映画と言ってもよい。

韓国でこういう映画が制作されていること、ちゃんと公開されていること、それが大ヒットしていること。こうしたことを考えると、いまの韓国の映画界はなかなかのものかもしれないと思った。人気ドラマ「アイリス」みたいな作品ばかりを作っているわけではない、ということだ。

その映画公開のオープニングに合わせ、菅原文太さんが佐賀にかけつけていただけることになった。
というのも、日本でのこの映画のポスターやチラシの題字は、菅原文太さんが書いておられるのだ。菅原さんはいま山梨で農業を営んでおられるが、この映画をごらんになり、内容に感激され題字を書かれたものだ。題字を書くに当たってわざわざ筆を求めて京都まで行かれたというからその思いの深さもわかろうというものだ。
その菅原さんが、佐賀にお越しになる。そして、この映画の背景にあるものや、食育、農、大地、などについて僕とトークセッションをしていただくことになっている。
6月12日(土)からスタートする全国食育大会(「佐賀食育フェスタ」)のプレイベントとしてぴったりの内容だと思う。
菅原文太さんといえば「仁義なき戦い」や「トラック野郎」が有名だ。「トラック野郎男一匹桃次郎」(1977年)は唐津が舞台だった。マドンナ役の夏目雅子が唐津焼窯元の娘役で、菅原文太さんが唐津くんちの曳山(やま)、材木町だったかな?に乗っておられたように思う。
菅原さんは、俳優の仕事に一区切りつけ農業に志され、岐阜県でスタートされた後、山梨に移っておられる。
きっと渋い、いい話が聞けると思う。
映画とトークショーの概要は以下のとおりだが「菅原文太さんを見たい!」というファンの方も多く、たいへんな反響をいただき、トークショーのチケットは発売から2日で売り切れてしまった。感謝!

参考までにこんな日程だ。
日時:6月5日(土)
開場:10:30 開演:11:00
料金:1300円(130人限定/要予約)
タイムスケジュール
10:30 開場
11:00 『牛の鈴音』上映(約85分)
12:30 菅原文太さん×古川康知事トークセッション(約30分)
13:00 終演

これ以外の『牛の鈴音』上映スケジュールは
6月5日(土)〜6月25日(金)3週間
1回目 11:00/2回目 15:40/3回目 19:00(6日のみ18:30に変更)

場所/チケットご予約/お問い合わせ先:シアター・シエマ
〒840-0831 佐賀県佐賀市松原2-14-16 セントラルプラザ3F
TEL:0952.27.5116
くわしくはこちらを。
http://ciema.info/

ふるかわ 拝

平成22年5月18日(火)
第359号「公約は口に苦し」

先日、夏の参議院選挙を前に各党の政策責任者と面談した。全国知事会を代表して、各党のマニフェストに織り込んでいただきたい事項を提示し、そのうえで意見交換をしたのだが、そこで興味深いことが二つあった。
まずひとつめは自民党だ。

自民党はこれまでマニフェストという言葉をあまり使ってこなかった。だからこちらも自民党に対して発言をするときにはマニフェストとは言ってなかった。マニフェストというカタカナがだめ、というだけでなく、「政権公約」という漢字言葉にも敏感だった。いまや亡き中川昭一代議士が政調会長のときには、僕が持っていった「参議院選挙における政権公約に対する要請」という文書のタイトルをごらんになって、「これはなんだ!参議院議員選挙は政権選択選挙じゃない、こんなもの受け取れるか」と言ってつっかえされ、こちらであわてて「政権公約」を「選挙公約」に差し替えたこともあったくらいだ。
ただ、今回は様子がちがった。自民党に「選挙公約」に対する申し入れに行ったら、政策責任者の方に、「私たちもマニフェストという言葉を使うようにしましたから」と言われたのだ。「なぜそうされたんですか?」と尋ねたら「『マニフェスト』で検索すると民主党のしか出てこないというんじゃ困りますからね」と笑いながらおっしゃっていた。

ふたつめはほかの政党の「マニフェスト感」だ。とくに新党系のところからは逆に、「あまりマニフェストという言葉を使いたくない」ということを言われたのだ。
典型例はみんなの党(英語名称は「Your Party」ということを今回知りました)。「マニフェスト」と言わずに「アジェンダ」という言葉をよく使っている。
そのほかの新党でもマニフェストと言わずに、あえて公約という言葉を使おうとと思っているという発言もあった。
なぜマニフェストという言葉を使いたくないのか?それは「マニフェストというと、なんだか選挙目当てのおいしいとこを並べたものと思われる」というから、らしい。

これは困った。僕は日本で最初にマニフェストを掲げて選挙を戦った一人。いまでもマニフェストの必要性を感じているし、ローカル・マニフェスト推進首長連盟の代表も務めている。その人間に向かって、「マニフェストは選挙目当てのおいしいとこを並べたもの」。これはある意味、マニフェストの危機だな。
たしかに民主党にも責任があると思う。去年の総選挙のときの民主党のマニフェストは、本当にできるんですか?という事項が並んでいた。子ども手当にせよ、高校授業料無償化にせよ、いま実行に移されていることを思えば、いい加減なことが書いてあったとはもちろん思わない。
ただ、全国知事会としても、当時の民主党のマニフェストには財源面で不安を覚え、政権公約を点数評価した際には、最大10点の減点ポイントだった財源不安の項目では、他党が1〜2点の減点だったのに対して、民主党は5.5点の減点となったほどだった。風呂敷がいささか大きすぎたところは今回素直に変更したほうがいい。去年とちがって「野党だったからわからなかった」といういいわけがきかないのだから。

もう、「あれもこれも」はいらないと思う。「わが政党はこれを目指す、そのためにはこういうことをしなければならない」。そういう骨太のマニフェストを今度の選挙には各党とも出していただきたいと思う。
政治家にとって少々話しにくいこともマニフェストに入れてほしい。たとえば、消費税の税率アップなしに社会保障財源の確保が本当にできるのか、ちゃんと語ってほしい。

「公約は口に苦し」である。


ふるかわ 拝

平成22年5月11日(火)
第358号「インドで僕もちょっとだけ(その2)」

まだインドにいる。(と司馬遼太郎ふうに。)

インドの人にとって日本が身近な存在なのかどうかはよくわからない。

インドのテレビを見ていると、キャノンやヤクルトの宣伝が流れているし、「うちの三姉妹」という日本のアニメもやっている。街にはSUZUKIやHONDAの乗り物がたくさん走っている。

ただ、製品は身近かもしれないが、日本人や日本そのものとなるとまた別の感じがあるのかもしれない。

アウランガーバードで僕らをガイドしてくれた人(名前を忘れてしまったのでアジャンター氏と呼んでおく。)は30年以上にわたってこの仕事をしているという人だった。

日本に行ったことは一度もなく、30年前にローマ字で日本語を学んだというが、仏教遺跡を巡るとこの人の日本語知識の豊かさに驚く。

「須弥壇がないでしょ?だから日本で見るのと高さが違うんです。」

「このお釈迦さまは結跏趺坐です。さっきのは立脚座だったでしょ。」

いまでも日本語を「読む」ことはできないというから、アジャンター氏は頭の中で「結跏趺坐」を「kekkahuza」とおぼえているということになる。

瀬田貞二という英語の翻訳家も(ほんとかどうか確認はできていないが)一生英国には行くことがなかったということを聞いたことがある。それでいながら「ホビットの冒険」「指輪物語」「ナルニア国物語」をはじめ、すてきな本を流れるような筆致で翻訳してくれた。

その国に行ったことはなくてもその国に関するきちっとした仕事ができる、ということだ。

アジャンター氏もそれに通じるものがある。

アジャンター氏は、日本語のほかスペイン語もできるらしく、お客は主に日本人とスペイン人だという。

「日本人とスペイン人はどうちがいますか?」

下種な質問だがぶつけてみた、もちろんこの手の質問は質問した人が何人(なにじん)であるかによって答えが違ってくるものだろうが、それでも30年以上にわたってこの仕事をずっとしてきたこの人ならではの答えがあるように思った。

ちょっと考えてアジャンター氏はこう答えた。

「日本人は前もって勉強してきます。スペイン人は勉強してきませんし仏教のことには興味があまりありません。遺跡に行ってもそこでお互いに話をしたりお酒を飲んだり、そっちのほうが楽しいようです。それと日本人は時間を守ります。でもスペイン人は守りません。8時に集合と言っても8時半くらい。そんなところが違いますね。ただ、スペイン人は建築に興味があるようです。」

アジャンターやエローラは何世紀にもわたって建築が続けられてきた。ガウディの作品がそうであるように、幾世代もかけてひとつのものを造り上げていくことにスペイン人は興味があるのかもしれない。

遺跡を観たあと、アジャンター氏は僕らをアウランガーバード市内のお土産屋につれていってくれた。こちらからお願いしたのだった。ガイドさんに連れて行かれるお土産屋さんというのはこういっちゃ悪いが、期待というより覚悟していかなければならないことが多い。僕自身は旅先でものを買うのは好きなほうだが、こうしたお土産屋というのは値段も品質も信頼性が低いというのが通り相場になっていると思っていた。

ところが今回連れていってもらった「MUGAL ART&GALLARY」(という名前だったと思う。)はとてもいい感じの店だった。

いくつか商品を選んでいたら、ぜんぶで3000ルピー(6000円)分くらいになった。クレジットカードを差し出したが、その会社のカードは扱ってない、という。

ところが僕は現金をそんなに持ち合わせてなかった。というのは現金はデリーに置いてきたからだ。どうしようかと思っていたら、売り場の人がこういう提案をしてきた。

「もしデリーに現金があるのなら、ものは持ち帰ってもらっていいから、代金をデリーからここあてに送金してくれないか。」

びっくりした。「それはあまりにもあなたにとってリスキーではないか」
と言ったら彼はこう返してきた。

「それは心配ない。日本人と取引してきてだまされたことはほとんどないから。」

そうは言っても、と再度断ったら彼がこんな話をした。

「先日、日本人団体が買い物にきて、いろんなものを買っていってくれたが、そのうちの一人のご婦人が試しにつけたブレスレットを外し忘れたまま店を出発してしまった。僕はそのことに気付かなかった。1時間近く経って、そのご婦人が店に現れた。戻すのを忘れていたから、と。何キロも離れたところまで行っていたのにわざわざブレスレットを返すために店に来てくれたんだ。こんな人たちはいない。もちろん日本人にも悪いのはいる。でもたいていの日本人は正直だ。だからそういう取引の方法でかまわない。」
と言うのだ。とてもうれしくなる話ではないか。

どうしようか、迷った。そのいい話にさらにもうひとついいエピソードを付け加えさせたいという気持ちもわいてきた。

ただ、日本人としてもまじめな思考が頭をよぎった。つまり、デリーから送金するということは、お昼近くにデリー市内に戻り、ホテルに置いてきた日本円をルピーに両替し、それを銀行に持っていって送金を終了させるということをその日の銀行の営業時間のうちにやってしまわないといけないということだ。なんせデリーに戻ったその日の夜にデリーを発つのだ。
結局はその方法は断念せざるを得なかった。残念なエピソードを作ってしまわないように。

まだまだ続きを書きたいところだが、とりあえず今回はこれまで。

ほんとインドにはまったらしい。


ふるかわ 拝

平成22年5月4日(火)
第357号「インドで僕もちょっとだけ(その1)」

GWを利用してインドに来ている。いま、この原稿もアウランガーバードという町のホテルで書いている。
インドがやがて数年のうちに世界一の人口大国になるらしい、というのはすでにわれわれの半ば常識となりつつあるが、そのインドというのがいったいどういうことになっているのか、恥ずかしながら身体感覚がなかった。
アタマの中では、「最近経済成長が著しく、社会資本の整備も急速に進み、新興国の中でも、人口増加を背景として、ますます存在感を高めている国。英語ができること、もともとゼロという概念を生み出した民族だけあって概念的思考にもすぐれ、米国をはじめとしてIT産業の中心勢力になってきている。アメリカ企業のコールセンターもインドに立地している例が多い。」といったことが入ってきているのだが、どうもそれがピンとこないのだ。
中国については、毎年、というか毎年何度かといってもいいくらい、足を伸ばしているので発展の具合もわかるし、発展していない部分もわかる。でもインドは、いったい何がどうなっているのか、さっぱり見当がつかなかった。

今回の旅は、プライベイトなもので視察があるわけではない。ただ、ひたすらインドの歴史や文化を実際に味わってみたい、という思いで組み立てたから、発展めまぐるしいベンガルール(旧名バンガロール)などには行かず、デリー、タージマハル、そしてアウランガーバードをベースにしてアジャンタ、エローラと世界史の教科書に出てきた遺跡をずっと旅した。道中、車で数時間移動することもめずらしくなく、いきおい車窓からの風景を眺めながら、いろんな思いを馳せることができた。

いろんなことを言う人がいるが、大別すればインドは、「二度と来るもんか」派と「また来たい」派にわかれるという。どんな国だってそうだろうといえばそうだが、インドの場合は「どちらでもいい」という人が少なく、たいていは強烈にどちらからに与する(くみする)ことになる。
僕自身は後者だ。こんな国にいままで足を踏み入れなかったなんて。

インドについては、またどこかで改めてじっくり報告したいと思うのだが、
今回の旅を通じてわかったような気がすることとわからないままのことがいくつかある。
今回はそれを列挙してとりあえずの報告にしておきたい。

1 インドが本当に経済発展している、という実感は正直なかった。特に首都のデリーで目にしたのは多くの人たちが路上で暮らし、夜は寝、また、ある人たちに至っては、ほかの人々が残した食事を、時として犬たちと一緒に食べているような光景だった。

2 人が中心の社会がまだ息づいている、と感じた。「乗り物の値段が交渉制だ」ということと「コンビニエンスストアがない」の二つがポイントだ。まず、前者についていえば、一般的に商品に値段がついていることが少ない、または遠慮がちだ。一物一価なんてものはなく、人によって値段がちがうのが当たり前。その典型が乗り物で街歩きのお手伝いをしてくれるオートリクシャー(三輪タクシー)。当然のことながら厳しい交渉が待っていて目をつりあげながら交渉している旅行者もいれば、悠々と乗り込む現地の人たちもいる。少ししかお金のない人からは少なく、お金を持っていそうな人からは多く、という発想自体が悪いとは言えない、というのがこの社会の前提のようだ。
かつては、バンコクのタクシーが交渉制だったが、メータータクシーが導入されて、その伝統も消えた。残された大国はインド。システムではなく「人がまん中。」って今年の県政の目標みたいだ。
さらに、コンビニエンスストアがない、ということもインドの好ましさの例として挙げたい。僕が住んでいたころの沖縄がそうだった。コンビニエンスストアは一軒もなかったが、その代わり普通の店がコンビニみたいだった。夜遅くまで開けていたし。
インドはいまもそうだ。もちろん24時間開いているわけではないと思うが、まったくコンビニエンスストアの看板を目にしなかった。それでも朝4時にホテルを出てみたけど、それでも客相手の屋台はあったし、開いている店もあった。
もちろんやがてはこれらも変わっていくだろう。それだけに、「メーターでない乗り物」と「コンビニがない」という時代にインドに足を踏み入れたということはよかったように思う。
3 日本人が珍しがられている。そして信用されている。
とこの話を書こうとしてふと書いたものを見てみたら相当長い。現地で書くと気持ちが高まってしまうようだ。
ということでこの続きは、次号で。


ふるかわ 拝