2010年6月

平成22年6月29日(火)
第365号「誰も寝てはならぬ」

こないだのFIFAワールドカップの日本ーデンマーク戦、僕は午前3時過ぎに自宅を出て自転車で街の様子を見に行った。普通なら寝静まっているこの時間帯にけっこう家の電気がついている。3,4軒に1軒という感じだったろうか。そして、街のあちこちで人が集まっている。思わず、「誰も寝てはならぬ」という歌詞を思い出した。なんかこの雰囲気、記憶がある。しばらく経ってやっと思い出した。そう、トリノ五輪だ。荒川静香が金メダルをとったときのフィギュアスケートもこんな感じの深夜早朝だった。そして、そのときの荒川静香がフリー演技で選んだ曲の名前が、歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」だったのだ。
実はこの曲はワールドカップとも関係があって、イタリアでワールドカップが開催された1990年、イギリスでこの曲が大ヒットした。というのもイギリスのBBCのワールドカップ中継のテーマ曲がこれだったのだ。実物はこれ。↓
http://www.youtube.com/v/grwanWJXih0&hl=ja_JP&fs=1&rel=0"

ワールドカップについて僕が1994年に書いた「サッカーと北朝鮮問題」というコラムがある。
この94年はJリーグが発足して2年目。Jリーグが大変な人気だったときで、合わせてワールドカップアメリカ大会の年でもあった。しかし日本は出場していない。前年10月に「ドーハの悲劇」で本大会出場を逃した。それがかえって本大会に対する日本人の興味を煽った。日本人がはじめてワールドカップを意識したころだったと言ってもよい。
一方、朝鮮半島は北朝鮮の核開発疑惑を巡って緊張。「ソウルは火の海になるぞ」と北朝鮮当局が威嚇したり、逆に日本で朝鮮学校に通う生徒が着ているチマチョゴリが切りつけられたりと差別事件も発生したりしていた。
その背景を踏まえて読んでいただきたい。
http://www.power-full.com/gra/karakuti1994_8.html
当時、36歳だった僕が書いた文章なので稚拙ではあるけれどそれなりに取材して書いている。「審判以外で出たことは一度もない」というさりげない一文にしても、けっこう調べた記憶がある。
あれから16年経った。サッカーは強くなったようだが、「雰囲気」に弱い社会、というのはあまり変わっていないように思う。

ついでに週刊yasushiの平成16年8月17日(火)第065号は「パラグアイ」というタイトル。オリンピックのサッカー日本代表がパラグアイに破れたということで、パラグアイのことを書いた。http://www.power-full.com/syukanyasushi/syukan2004-8.htm

もうひとつ。ワールドカップで思い出したが、中田英寿さんが1年くらい前に佐賀市の名尾にある名尾和紙の工房を訪れ、和紙体験をされた。その中田さんから「自分がやっているハイチの支援プロジェクト「TAKE ACTION FOR HAITI」に協力してくれた人に対する感謝状にこの和紙を使いたい」という申し出があって実際にいま使っていただいているという。

こういうことをさらりとしていただけるという中田さんってやっぱかっこいいなと思う。

今日の23時がいよいよ日本対パラグアイ戦だ。
佐賀市では、中心市街地にある聖地656(むつごろう)広場でパブリックビューイングを実施することにしている。もちろん、それまでの時間もまちなかで過ごしてほしいなと思う。
楽しいことはみんなで!!
ぜひたくさんの人たちと一緒に試合を楽しみたい。


ふるかわ 拝

平成22年6月22日(火)
第364号「国連公共サービス賞受賞!」

佐賀県は、先日「国連公共サービス賞」を受賞した。
この国連公共サービス賞というのは、その名の通り、国連が毎年世界中の公共サービスの中からずぐれたものを選んで表彰しているもので、いわば「公共サービスのワールドカップ」。
表彰は分野別・地域別に分かれていて、佐賀県はアジア・太平洋地域に属するのだが、佐賀県が応募した「協働化テスト」がその「政策策定過程への参加を促す革新的メカニズム」部門で第1位、「イノベーション“さが”プロジェクト」が「政府内の知識管理促進部門」で第2位となったのだ。詳しくはこちらを。
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kensei/_1363/jyusyou.html

ほんとかなと疑う向きは、総務省や外務省のHPにも載っているので見てほしい。
さらには、国連のHPにも載っている。

ね。これ見ると「なんだかたいしたものかも」って思うでしょ。
この賞は地方自治体だけでなく、政府や大学やNGOの活動も対象にしている。そういう中での日本初受賞とあって、佐賀県だけでなく、推薦していただいた総務省や窓口の外務省にもとても喜んでいただいた。
今年は全世界から200を超える応募があったというし、第4次審査まであるのだが、最後の審査は、国連経済社会理事会の下部組織である「行政専門家委員会」(事務総長が指名した世界を代表する24名の専門家からなる)が審査を担っており、その中で選考されるのは相当厳しい。それをクリアして認められただけにうれしい。

協働化テストとは「佐賀県が行う全ての行政事務(業務)を対象に、県民満足度を高めるための担い手のあり方及び業務プロセスについて、CSO(市民社会組織)又は民間企業等から広く提案を募り、協議を重ねながら新たな役割分担を練り上げていく一連の取組み。平成18年度の開始以来、約600件の提案を受け、多くを採択・実施することで、県民協働の推進及び事務効率化を推進している。 」(総務省HPより)というもの。

「イノベーション“さが”プロジェクト」は、「佐賀県と民間企業等との間で、行政課題解決のための共同研究を実施し、佐賀県の行政実務に関する知識・経験と民間企業等の創意・工夫とを結合させることで新しい公共サービスのあり方を創造する取組み。平成19年度以降、これまでに13の研究テーマを設定して共同研究を進めており、特に「新型インフルエンザ対策のシステム化」に係る共同研究は、広く応用可能な研究として期待されている。」(総務省HPより)というもの。

要するに、佐賀県は公共サービスの担い手を県庁だけでなくCSO(NPOだけでなく自治会や婦人会などの地縁的な団体も含めてこう呼んでいます。)や民間企業にも広げた。そしてそのために情報公開を徹底したことに加えて県、民協働でそのサービスを実施していくことを目指している。そこが表彰されたということだ。

その取り組みを始めたときにはいろんな課題があった。これまで自分がやってきた仕事を「あなたの仕事は公務員でなくてもできるはずだ」と宣言され、「あなたが仕事をしていることによって、いくらのコストになっているのか」と計算を余儀なくされる。
現場の県職員の中には正直相当の反発もあった。気持ち的には理解できるものもある。
がそれにめげずに県民協働課や業務改革課のスタッフは「これからの時代は自分たちだけが公共サービスを担う時代じゃない」ことを懇々と説き続けた。CSOとの対話も重ねられた。
CSOの人たちも、熱心に「どうやって県民協働という理念を現実のものにするのか」ということを考えていただいた。単なる安上がりの委託を進める、というだけではない「協働化テスト」の意味はそこにある。

今回の受賞は「佐賀県」が受賞したものではあるけれど、「佐賀県知事」が受賞したものではない。一緒に進めていったCSOの方々や企業の皆さんたちの努力と、膨大な作業を強いられながらもちゃんとこなしてくれた佐賀県庁職員の働きのおかげで受賞できたと僕は思っている。
職員代表として坂井副知事と黒岩人材育成総括監が、CSO代表として楽縁基山の久保山さんが、企業代表として(株)パスコの榊原さんと飯田さんが、6月23日(水)にスペインのバルセロナで行われる国連主催の表彰式に出かけている。

日本は、サッカーだけじゃなく行政も国際水準にある、ということを世界にアピールしてきてほしい。


ふるかわ 拝

平成22年6月15日(火)
第363号「おかえり はやぶさ」

去年の12月1日(火)に、僕はこのコラムで「第335号「がんばれ『はやぶさ』」を書いた。
http://www.power-full.com/syukanyasushi/syukan2009-12.html

その「はやぶさ」が6月13日(日曜日)深夜、無事帰還した。正確には「はやぶさ」そのものではなく、「はやぶさ」が放出したカプセルが帰還したのだが。

半年前にも書いたように、「はやぶさ」の帰還は奇跡だった。そもそも、月より遠い天体に行った宇宙船の一部が帰還したことはこれまでの人類の歴史上かつてなかったことで、つまり「はやぶさ」は、これまで人類がやったことのないことに挑戦していた。もっとわかりやすくいえばアメリカのNASAでさえやったことがなかったことを日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)チームが成し遂げたのだ。

その途中にさまざまなトラブルがあってそれを乗り越えたこと、「はやぶさ」そのものは大気圏中で燃え尽きてしまったことなど、「はやぶさ」をめぐる物語は日本人として誇りに思うことにあふれている。

佐賀県では、このプロジェクトをリードしていったプロジェクトリーダーの川口淳一郎さんを9月12日(日曜日)に佐賀県立宇宙科学館(ゆめぎんが)にお招きして、ご講演をしていただくことにしている。この日は宇宙の日。国際宇宙年だった1992年9月12日に毛利衛さんがスペースシャトルで初めて宇宙に飛び立ったことを記念して定められたのが「宇宙の日」で、その日に合わせてのご来佐としたのだ。
具体的にはこんな感じだ。

「小惑星イトカワへの旅 〜小惑星探査機「はやぶさ」の挑戦と成果〜」

講師:宇宙航空研究開発機構(JAXA)はやぶさプロジェクトマネージャ川口淳一郎教授
日 程:平成22年9月12日(日) 宇宙の日
時 間:14:00〜16:30
場 所:佐賀県立宇宙科学館 3F プラネタリウム(佐賀県武雄市)

今回、帰還を前に急に新聞やテレビでも取り上げられるようになり、「はやぶさ」ファンの僕としては、やっとみんなが注目してくれるようになった、という思いと、なんだかなあ、という思いが交錯していたが、せっかく多くの人がはやぶさに注目しているいま、ぜひみんなで立ち上がらなければならないことがある。
前回のコラムに書いたとおり、この「はやぶさ」の成果を踏まえての次期計画「はやぶさ2」を含む開発衛星計画は昨年の事業仕分けで厳しい指摘を受けているのだ。

財務省からの指摘はこうだ。
「開発衛星の用途は、例えば、水星を探査する衛星などであるが、こうした衛星は、国民生活にどのような利益をもたらすかを検証する必要があるのではないか。」

たしかにそのとおりかもしれんけどなあ。「国民生活」だけがポイントじゃないだろう。
事業仕分けの結果は、予算額1割カットというご託宣だった。
こういうのはどうしても世界一でなければならない。2番じゃだめだと思うし、本当はこうしたプロジェクトは「事業仕分け」より「成長戦略」に位置付けるべきではないのか。

奇跡を実現したJAXAのチームの人たちを祝し、そしてこのプロジェクトがこれからもきちんと進んでいくように心から祈って、僕も「はやぶさ」の世界お約束の「リポビタンD」で乾杯した。




ふるかわ 拝


「はやぶさ ラストショット」
もともと、はやぶさは大気圏再突入のとき地球と反対側にカメラを向けたま燃え尽きる予定だったが、スタッフたちが最後にはやぶさに「地球の姿を見せてやりたい」と、向きを変えて写真を撮らせた。はやぶさはいわば燃え尽きながら地球に写真を送り続けた。この写真が地球に届いたときには、はやぶさは燃え尽きていた。
「提供:宇宙航空研究開発機構(JAXA)」

平成22年6月8日(火)
第362号「口蹄疫 佐賀県がいまやっていること」

口蹄疫が発生して1か月以上経った。
祈るような気持ちの中、なんとか新たな市町村での拡大には至らず、最悪の事態はまぬかれている。
ワクチンが昨日ぐらいから効きはじめているし、あと数日経ったあとに新たな市町村での発生がなければ、今回の口蹄疫は収束に向かっていくのではないかと思う。
しかし、それをもって日本から口蹄疫がなくなったと断言できるわけではない。
これから口蹄疫はいつでも発生することがありうる、という認識を持って、その初動対応を決めておくことが必要だ。

いま佐賀県ではその初動対応を細かに決めておく作業に取り組んでいる。あと1,2日でとりあえずまとめあげる予定だ。
口蹄疫らしき家畜を最初に発見するのは畜産農家だ。その畜産農家から通報を受けてまず獣医が診ることになるだろう。そして、「これは怪しい」と思えば家畜保健衛生所に連絡することになる。そして、家保の獣医師も「これは怪しい」と思えば検体を東京・小平にある農水省の検査機関に送ることになる。ただ、結果が出るのが「怪しい」と見立ててから16時間後くらいになってしまう。中には典型的な症状を呈していることもあるかもしれないが、その場合でも、農水省の検査機関に送らないといけない。
明明白白に口蹄疫だとわかっても、農水省からの検査結果(PCR検査の結果)を得たうえで、家畜伝染病予防法に基づく措置を講じる、というのが法に基づいた指針で示されている手続きだ。
でもそうなると、検査結果が出るまでは畜産農家に「お願い」ベースで移動や搬出を「自粛」していただくほかない。禁止や制限はできないということだ。
また、一般の人たちを対象とする交通遮断は無理だ。とするとその結果が出るまでの16時間がまことにもったいない、というのが佐賀県の意見だ。

だから、知事の責任で初動対応、つまり畜産農家に対する移動や搬出の制限、一般の人たちを対象とする交通の遮断、をさせてほしいと農水省に「お願い」している。なぜ「お願い」なのかというと、この法律に基づく仕事は、法定受託事務といって、いわば農水大臣が責任をもって対応することが基本とされ、その指示の下に知事が動くということになっているからだ。

でも、僕が責任を持って対応することができるようになれば、PCR検査の結果が出る前であっても、現場の獣医や家保の獣医師が、さらには県庁の畜産課が「これは口蹄疫だ」と確信するよなケースの場合は、直ちに佐賀県として移動禁止、搬出禁止の措置を講じることができるし、発生農場付近にいる人たちの移動制限や、交通遮断も可能になる。そうなればウィルスが拡散する可能性がより小さくなる。
できるだけ早めにウィルスを封じ込めることが口蹄疫を拡大させないために何より必要だと僕は考える。とすれば、人の移動制限や交通遮断もしなければ十分な防疫の実は挙がらないのではないかと思う。
だからそれが法律ではできないとすれば、条例などを制定してでもやりたいと考えていた。

そういうことを農水省に投げかけて確認したところ、知事である僕が明明白白に口蹄疫だと判断すれば、法の定める手続きに従って実施できる、という回答を得た。

いずれにしても法律に書いてあることを淡々とこなすだけでなく、拡大させないために何をしなければならないか、ということを考えて、実行していくようにしたい。

とにもかくにもあと数日。新たな拡大がないことを心から祈りたい。


ふるかわ 拝

平成22年6月1日(火)
第361号「普天間問題をテーマにした全国知事会議レポート」

先週の27日、普天間問題に関する全国知事会議が都道府県会館で開かれた。
鳩山総理が麻生全国知事会会長に直接要請して開催することになったという、歴史的な知事会議だ。ちなみに当日の僕の席は沖縄の仲井眞知事の隣りだった。

総理からまず沖縄の基地負担軽減のために力を貸してほしい旨の話があり、各県知事がそれに対して意見を言い、そこで総理はご退席。そのあと、全国知事会として声明をまとめようということで声明(案)が配布された。
実は僕はこの(案)を作る過程に関わっていた。(案)を作る段階でのポイントは以下3点を声明に織り込めるかということだった。

1日米同盟と在日米軍の必要性は容認する。
2沖縄県に米軍基地が過度に集中しており、負担の軽減が必要であることを理解する。
3負担の軽減のため、全国知事会は今後とも協力していく。

案を作る際の議論は3 に集中した。 
何人かのメンバーから「「協力」という言葉は重すぎる、別の表現にすべき」という意見が出されたのだ。僕は「これくらいの表現がないと沖縄の基地負担の軽減に対する全国知事会としての態度があいまいなものになってしまう。ぜひこの「協力」という表現を残すべきだ」と主張した。結局この「協力」という言葉を残したまま、全国知事会議に諮られることになった。

事務局が(案)を読み上げる中、隣りの仲井眞知事は、(案)の一文一文かみしめるように眺めておられたが目線が一番下の文のところまで行って、ぴたっと止まった。そこには(全国知事会は)「政府から具体的提案があった場合には、関係する市町村の理解を前提として今後とも協力していく考えである。」と書いてあった。
思い切って尋ねてみた。「仲井眞知事、いかがですか?」
仲井眞知事は僕の方を見てこうおっしゃった。「じょーとー(上等)。」そしてかみしめるようにもういちど「じょーとー」。
「上等」は、もちろん共通語でも使うが、沖縄ではもっと頻繁に使う言葉で、いわばベリーグッドのことだ。
原案づくりに関わったものとして沖縄県知事の理解を得られたとほっとした。
ところが残念なことにこの(案)に対し、多くの知事から「協力」という言葉が重すぎる、との意見が出された。(案)に関わった僕としては機関銃で撃たれているような気持ちだ。仲井眞知事も同じようないたたまれない気持ちだったようで、たまらず手を挙げて発言を求められたが、麻生会長の判断で「仲井眞知事は最後に発言をしてください。」となった。仲井眞知事がぼそっと「いまの案のままがいいんだがなあ」とつぶやかれた。
その後も、各県の知事、副知事が次々と「協力」の表現には反対、これ以上の負担はムリという意見を述べられていった。そんな中、僕だけが「協力」という表現をそのまま活かすべき、と発言したが、多勢に無勢だった。
仲井眞知事が最後に「原案のままでお願いしたい」と発言されたが、最終的には「協力」という表現は消え、「真摯に対応」となった。
「協力」という意味は即「受け入れ」ということではない。「沖縄の負担軽減につながる具体的な提案があったときにはまず話だけは聞いてみよう」ということなのだがうまく伝わらなかった。こうして全国知事会議は終わった。

ただ、今回、個別の知事が自由に発言し、そのまま終わってしまっていたら全国知事会として何のメッセージも発することができなかったことになる。
原案よりも表現は後退したが、全国知事会として、沖縄の基地負担軽減のために「真摯に対応する」ことを決議した、こと自体は一歩前進だったと評価できると思う。
ところで、今回の全国知事会議はさきほど述べたように鳩山総理が麻生全国知事会会長に開催を要請されたのだが、ふとある歴史的な事件を思い出した。

1853年(嘉永6年)にペリーが来たときに、老中阿部正弘が果たしてペリーの要求通り開国すべきかどうか諸大名に意見を聞いたことだ。
もちろん諸大名に意見を求めるということは当時初めてだった。今回の件もなんかそれと似ているとはいえないだろうか。
どの藩がどういう意見を出したのか記録が残っていて、それによれば唐津藩は「意見なし」、佐賀藩は「開戦論」だったという。
ただ、このときに幕府が意見を求めたのは諸大名に対してだけではない。幕府有司、儒者、浪人、町人に至るまで意見を聞いている。
その中には、吉原の遊郭の経営者であった藤吉(42才)という町人が町奉行あてに出した願い書きというものもある。異国船への対応として彼が提案したのは、「千艘の漁船を集め、異国船に魚などを持ってねんごろな挨拶に及び酒宴を催し、酒興たけなわになったところで、見定めておいた火薬に火をつけ、鮪包丁片手に面々に切り込めば、たとえ過半数が焼け死んでも「必勝之利無疑奉存候」というもの。まじめに考えていたのか、という気もするが、記録に残っている、ということはそれなりにまっとうな意見として扱われたものと考えていいと思う。これには、その後段があって、藤吉曰く、「勝利の暁には、吉原町などの一郭に船宿を許可し、江戸市中大火の折の炊き出しなどのご用を仰せつかりたい」とのこと。なかなかしっかりしている。(集英社版日本の歴史「開国と倒幕」)それくらい当時の江戸幕府はペリーの来航に驚愕したと言うことだろうと思う。この年の6月から7月にかけてのいわばパブリックコメントには記録に残っているだけでも719通の意見が寄せられてている。大名から250通、幕臣から423通、藩士から15通、学者から22通、庶民から9通だった。


ふるかわ 拝