2011年12月

平成23年12月27日(火)
第441号「今年最後に」

今年の一年のスタートは選挙まであと100日、というところだった。今年の1月から3月10日までのことはすでに前の年のことのように思えてしかたない。3月11日から一年が始まったように思えるし、また、僕の場合は、メール問題への対応のスタートとなった7月30日の臨時記者会見がもうひとつのスタートにもなった。
このメール問題に関しては、反省すべき点が多々あり、たくさんの方からお叱りをいただくこととなった。今回の反省を踏まえて、自分自身があらためていかなければならないと思う。
一方で本当に多くの方から激励のメッセージもいただいた。こういう方々の期待に応えなければならない、ということも感じた。

僕は3期目のマニフェストで約束したことを、ひとつひとつ実行していかなければならない。
すでに、佐賀ー上海便の就航(マニフェスト7-2)や海外拠点の設置(7-1)、サガン鳥栖のJ1昇格(4-5)、子どもの医療費に対する支援拡充(3-3)、地域での消費を拡大する仕組み(地域商品券の発行支援)(2-1)、住宅リフォームの支援(2-2)、社会資本整備に関する総額調整ルールの策定とクリーク対策の実施(2-5)など、いくつものマニフェスト事項を実行してきている。

このほか、今年は九州新幹線鹿児島ルートが開通し、新鳥栖駅の利用人員は毎月伸びているし、西九州ルートの諫早ー長崎間の着工と武雄温泉ー肥前山口間の複線化も事実上決定した。
さ来年の開業をめざして九州国際重粒子線がん治療センターが着工したし、企業誘致についてもLED照明の国内製造拠点としてアイリスオーヤマが進出を決定、また、アマゾンの物流サービスを行うアマゾンジャパン・ロジスティクスが九州の流通拠点を佐賀県に設置することを決定し、将来的に千人規模の雇用が予定されている。
諫早湾干拓に関して、開門に必要な事前対策等の予算も盛り込まれた。
佐賀県自慢の米の新品種「さがびより」が全国屈指のおいしさと「特A」の評価を受け、佐賀県鹿島市の酒蔵の日本酒「鍋島 大吟醸」は世界一の称号「チャンピオン・サケ」を手にした。

佐賀県にとってのグッドニュースがたくさんあった一年でもあったのだ。

来年度予算においては、さらにこのマニフェストの内容を含む佐賀県の総合計画2011の内容を実現する政策を盛り込んでいかなければならない。
やらなければならないことはたくさんある。

この季節、今年できたこと、できなかったことをあらためて振り返って、よりよい来年に向けてはずみをつけたいと思う。

今年一年、本当にお世話になりました。


ふるかわ 拝

平成23年12月20日(火)
第440号「大阪市警視庁の時代」

12月19日、新しく任期がスタートした橋下大阪市長が初登庁、あらためて大阪都構想の実現に向けて意欲を示した。

僕自身は、この大阪都構想によって大阪がよくなるのかどうかについて責任をもって発言できるだけの材料は持ち合わせていないが、今回の市長選、府知事選を通じて明確になった民意を受け、その実現にむけて努力するのは当然のことだと思う。どういう方法でそれを実現させようとするのか、そのプロセスに注目してみたい。
選挙のときには「当選したら(市長として)自分はこんなことをやります」と宣言するのがふつうだ。ところが橋下候補の場合は「大阪市長はいらない」というのが公約だった。東京都知事のように大阪府知事に権限を持たせ、大阪市は廃止せよ、というのだから、「自分はいらない」という主張をしたということになる。その意味で前代未聞の選挙だったと言えるのではないかと思う。

その橋下市長は、都構想の実現に向けて何から始めるべきか。
僕だったら、大阪市の行政区(東京都の特別区とは違うという意味では「普通区」とでも呼んだ方がいいのかもしれないが)の再編から始めるだろうなと思う。 
東京都の特別区23区は、大阪市や福岡市など他の政令指定都市の行政区とはかなり内容が違う。特別区の区長は公選の政治家だが、行政区の区長は市長が任命する公務員だし、特別区には議会があるが、行政区にはない。英語名称も、特別区の場合はCity で東京都港区は Minato City。一方行政区はWard。大阪市港区の場合は、Minato Ward という。(ただ、大阪市港区のHPではMinato ku)と書いてあった。)
人口にしても特別区では世田谷区のように88万人と佐賀県と同じくらいの人口のところもあるし、行政区の場合は平均15万人。ただ、その中で大阪市の行政区は、24区中半分近くの11区が10万人に満たない行政区で、全国の行政区の中で人口が少ないほうだ。面積についてはもっと小さく、全国政令指定都市普通区の面積ランキングでも、もっとも小さいの大阪市浪速区で、東成区、福島区とずっと大阪市の行政区が続く。
このことは橋下市長も問題視していて、大阪都構想実現の折には現在24ある行政区を、7から8に再編して強化するとのこと。それはたしかに必要だろうと思う。

であれば、そこから始めたらいいのではないか、と思う。
というのも、大阪府と大阪市を一体化する大阪都構想を実現するためには、法律改正が必要になる。これにはいささかの議論と時間が必要になる。
しかしながら、大阪市の行政区を再編するのには法律改正はいらない。自分たちでできることなのだ。まずは自分たちでできることはやる。そのうえで国に対しても求めていく、というほうが国に対するアピールとしても強力になるのではないだろうか。

橋下市長は、24すべての区長を公募にする、と言われているようだが、公募するとしたら、「区再編のまとめ役」となってやっていってもらうことを明確にしておいたほうがいいのではないか、と思う。

ところで、大阪都ということになれば、日本で二つ目の都が誕生することになる。
日本の自治体制度の中で東京にしかないものがいくつかあって、ひとつが「都」という名前。そのほか、たとえば「警視庁」という名称もそうだ。
これは昭和18年に東京都が成立する以前に存在した「東京府」の時代であっても警視庁という名前で、東京府警察本部という名前だったことはない。

ところが戦後、実は「大阪市警視庁」という警察機構が存在した時代があった。
昭和24(1949)年から29(1954)年までの5年間だ。戦後の一時期は、米国風に自治体警察制度がとられたことがあった。その時期に、大阪市における警察機構の名前が大阪市警視庁だったことがあったのだ。

なぜ警視庁という名前にしたのかはよくわからないが、当時、GHQから「大阪にも警察機構を作りなさい」という内容の通達が来たとき、その挿絵に「0saka Keishicho」と書いてあったからそうなった、という話を聞いたことがあるし、その挿絵も見た記憶がある。たしか筆記体で警察車両のボディーにそう書かれていたようにも思う。
この大阪市警視庁は、「帝都」を守る義務を負っていた警視庁とはややポリシーが違っていたようでもある。当時の文書を見てみると、この大阪市警視庁は、住民の命と安全を守ることを最優先に警察行政を行っていくこととしていたようだ。戦後すぐの民主主義の若々しい息吹きを感じるものがある。
残念なことに、この大阪市警視庁は、自治体警察制度が日本の実態に合わないとして昭和29年に廃止され、都道府県警察制度となり、その際に、大阪府警視庁とはならず、大阪府警察本部という46道府県と同じ名前となった。

大阪府が大阪市と一体となって都をめざすのがいいのか悪いのかよくわからないし、現在の大阪の状況が府と市の二重行政のせいなのかどうかもよくわからない。でも大都市制度は当分動かない、というかなかなか動かせない、と言われて久しかった。そこに一石を投じ、議論を巻き起こしていること自体は、地方自治の世界で生きているものとしては評価すべきだと思う。

一方、九州知事会は、九州広域行政機構という、新しい広域的な枠組みの行政制度を提案している。九州に存在する国の出先機関の仕事を、いわば「丸ごと」受けることにしようというもので、全国の中でもこのように新しい枠組みで受けようと提案をしているのは九州だけだ(同じような取組みとして、関西は広域連合という既存の枠組みで受けようとしている)。
こちらは政府との精力的な交渉の結果、野田総理が来年の通常国会にこの九州広域行政機構を念頭に置いた法案を提出する、と約束していただいた。
しっかり内容を詰めていきたいと思う。こちらにもぜひと注目あれ。


ふるかわ 拝

平成23年12月13日(火)
第439号「筑紫美主子さんに会えました」

先月はじめ、筑紫美主子(ちくし みすこ)さんの「芸道75周年記念公演」が行われた。佐賀にわかの役者としてずっと舞台で活躍されてきた方だ。

筑紫さんは大正10(1921)年、白系ロシア人の父と佐賀出身の母との間に北海道の旭川で誕生された。3歳のとき、佐賀の遠縁に引き取られ、そこで大切に育てられた。幼いころから京舞を習い始め、当時から注目されていたという。19歳のとき、劇団の役者と結婚、本格的に舞台に上がるようになった。その後、佐賀弁を駆使しながらの芝居「佐賀にわか」の中心的な人物として、半世紀以上にわたって活躍。最近は、舞台に立つことはなく、佐賀市内のご自宅で過ごされているが、このたび芸道75周年を記念してひさびさに公の場所に姿をあらわされた。

前から一度お目にかかってみたかった。今回の公演では筑紫さんご自身が挨拶されると聞き、駆けつけた。会場の佐賀市民会館に着き、楽屋に案内されたところ、そこに筑紫さんが車いすに座っておられた。きれいに化粧されていて卒寿(90歳)には見えない。こちらからご挨拶申し上げたところ、口数は少なかったが、笑みを満面に湛えて応対していただいた。

この日、公演の始まる前に僕が前口上で祝辞を述べることになっていた。みんな筑紫さんの姿を見たいと思って来ている人ばかり。僕が長々と話すわけにはいかないし、なにより雰囲気を壊さないようにしないといけない。そもそも、会場の雰囲気はどういう感じなのだろうか。どきどきするうちに、名前がコールされてしまい、出番となった。
会場は満杯だった。シニア層が多いが、そうでない人もいて年代はいろいろだ。でも、雰囲気が柔らかいのがわかる。みんな、楽しみに来てる。笑いに来てる。「楽しみたい光線」がこちらにも来ているのがわかって、話し始めることができた。かつて、筑紫さんが専属で出ておられた温泉センターに小さいころ遊びに行ったことがあったことや、佐賀にわかを一度見たいと思って父に話をしたところ「お前にはちかっーっと早かろう」と言われたことなどを話した。(佐賀にわかはいわゆる下ネタ系も多い。父がためらったのもそのあたりのようだ。)
会場のみなさんは笑いながらこの話を受けとめてくれ、袖に下がるときには「古川知事、がんばれ!」と声までかけていただいた。

さて、次はお待ちかね筑紫さんの挨拶。付き添いの人と一緒に舞台中央で挨拶されたが、さきほどの楽屋のときよりも声に張りがある。「今日はありがとう。」「最後まで楽しんでいってください」。短いながらもしっかりとしたお言葉だった。舞台人はやはり板の上に立つと背筋が伸びる。
そしていよいよ佐賀にわかが始まった。演目はその日のための書き下ろし。肥後にわかの役者さんが客演で入っておられるなど豪華キャストで、会場と適当に掛け合いをしながら進んでいく。観ている人ももうツボを心得た人たちばかりで、役者と一緒に舞台を作り上げていた。筑紫さんが途中、ほんとにちょっとだけ登場されて、せりふを二言、三言述べられた。それだけでも会場は大喝采。あっという間の80分だった。

筑紫さんには筑紫三馬さんという後継者がおられる。また、このほかにも佐賀でにわかを演じている若い世代の人たちも出てきていて、この日の佐賀にわかにも出演しておられた。次の時代にもこの佐賀にわかが受け継がれていく、ということも感じることができた。
にわかは佐賀にわかのほか、たとえば小城市牛津町には「牛津にわか」がある。この牛津にわか、現職の県の副知事や、元・僕の秘書をしてくれていた県職員もメンバーとして関わっている。もちろん、仕事ではなく、個人的に、だ。地域の文化を伝えていくとき、県職員や市町の職員、学校の先生たちなど、公務員の人たちの応援や理解、参画というのはとても意味が大きいと思っている。
こうした活動をする「地域に飛び出す公務員」を僕は支援する、と宣言しているが、これからもこうした地域文化を継ぐ人、そして楽しむ観客の人たちをどうやって育成していくか、考えて実践していきたいと思う。

12月11日(日曜日)には同じ佐賀市民会館で「にわか選手権2011」も開かれた。高校の演劇部も含め県内6団体が熱演したという。
これからも、次の世代の人たちの新しい佐賀にわかを、ぜひ多くの人に楽しんでもらいたい。


ふるかわ 拝

平成23年12月6日(火)
第438号「サガン鳥栖 新世界への旅立ち」

12月3日(土曜日)、全国的に雨という予報のなか、奇跡的に晴れ上がったベストアメニティスタジアムに史上最多の22,532人もの観衆が集まって、今シーズンのラストマッチ、ロアッソ熊本戦が行われた。それまでの最多は、今年の9月21日に行われたロンドンオリンピック最終予選、日本対マレーシア戦の22,504人。今回との差は28人。わずか28人差でも史上最高には変わりはない。1人の大きさ、を感じた。

その日、今回2012年度ミス・インターナショナル日本代表に選ばれた鳥栖市出身の吉松育美さんもスタジアムにかけつけていただいた。選手たちも元気百倍だったと思う。
吉松さんと話をする機会があったが、ミス・インターナショナルの日本代表というポジションを獲得するために、身体的なことはもちろんのこと、立居振舞、教養、プレゼンテーション能力などをトータルで磨いていかなければならないのだ、ということを感じた。お話をうかがっていても人を飽きさせることなくよどみがないし、スタジアムを埋め尽くした大観衆に対してご挨拶いただいたときも堂々として自分が小さいときからサガン鳥栖を応援してきたことを披露していただいた。
もともと吉松さんはアスリートで、高校生のとき県高校総体の100メートルハードルでは優勝されたこともあるほど。これから来年秋のミス・インターナショナル世界大会に向けての厳しい日々が続くが、きっとその障害も乗り越えていかれることだろう。

3日の試合のことに戻ろう。その日、試合そのものは2対2の引き分けだった。札幌が勝ち、徳島が負け、結果的にサガン鳥栖の2位が確定し、そのことによって昇格も決まった。
試合が終わったとき、会場がなんともいえないふわっとした雰囲気に包まれた。僕らの回りでも、おめでとう、ありがとう、の言葉が繰り返され、スタジアムは拍手で湧きかえった。
と、そこにロアッソのサポーターが陣取っている一角から、大きな声が聞こえだした。「サガーントッス」と、ロアッソのサポーターの人たちが声をそろえてエールを送ってくれているのだ。
そして、そこにサガン鳥栖に対する激励の横断幕も。

『サガン鳥栖を愛する全ての人へ』
『堅忍不抜の努力に敬意を表します』
『追いつき追い越すまでJ1にいてね』


ロアッソとの試合は厳しいものだったが、J1昇格を決めたチームに対する見事なまでの気の遣いよう。満場がロアッソサポーターからの暖かいエールに聞き入った。

「いい瞬間だなあ」。「この瞬間の気持ちを味わいたかったんだ。」
この瞬間に居合わせることができたことを心から幸せと感じた。

その後のセレモニーでサガンドリームスの竹原社長は、来年はJ1上位(18チーム中9位以上)、そしてサガン鳥栖から日本代表選手を出し、さらには、J1上位3チームと天皇杯優勝チームが出場できるアジアクラブチーム選手権大会(ACL)に行かせたい、と宣言された。
頼もしい。J1に残留することを目標にするのではない。それからさらに先をめざす、そこが大事なのだと思う。

J2を「卒業」したサガン鳥栖。J1というのは、漫画「ワンピース」ふうに言えば、いよいよ「グランドライン(偉大なる航路)」、いや「新世界」への出帆ということだ。これまで以上に強い相手しかいない、そういう中をサガン鳥栖は進んでいくことになる。

これまでにまして、力強い支援をお願いしたいと思う。


ふるかわ 拝