2011年2月

平成23年2月22日(火)
第399号「学童保育を知っていますか?」

先週末、学童保育のこどもたちが書いた作文やイラストの表彰式に出席した。
親が共働きの場合、子どもが小さいうちは保育所に預けることができる。
では、その子どもが小学校に入ったらどうなるだろうか。小学校の低学年のうちは、学校が終わるのも早い。その時間には仕事の終わっていない親も多い。
昔なら、一人で家に帰って家の中で独りで過ごす、という「鍵っ子」状態だったわけだが、いまは親の仕事が終わるまで空き教室や別棟で子どもを預かってくれるありがたい存在がある。
それが学童保育だ。最近では放課後児童クラブ、と言ったほうがわかるかもしれない。この二つは同じもの。佐賀県内の小学校ではそれぞれクラブに名称をつけていて、〇〇小児童クラブ、〇〇小なかよし会、ひまわり教室、中には「キッズの森」なんていうのもある。

かつては、この学童保育(厚生労働省系)と学校当局(文部科学省系)との折り合い(行政用語では「連携」)が悪かったこともあった。
僕の知っているある小学校では、「台風のため、明日は小学校を休校にする」という連絡が学童保育の指導員には行かなかったということがあった。また、当時は、学童保育の部屋にはインターフォンひとつなく、学校からの連絡は指導員の個人持ちの携帯だけが頼り、ということもあったりした。しかもその連絡は学校から直接来るのではなく、学校→その町の教育委員会担当課→その町の児童福祉担当課→学童保育の指導員の携帯 という流れだったりした。
いまは学校当局もきわめて協力的になってきていると聞いている。ありがたい。
僕はマニフェストで学童保育の充実を掲げ、必要とするすべての小学校に設置することを訴え、平成22年度までに実現することができた。いまでは佐賀県の小学校低学年の子どもの3割が利用するまでに至っている。

知事選挙マニフェストに学童保育のことを書く人などいなかったころからそれを書いていたのは、僕自身、ふたつの、ささやかだけど大切なきっかけがあったからだ。
ひとつは長野県庁にいたとき、平成の初めのころだから今から20年くらい前のことだ。ある職員からこんなことを聞かれた。「古川さん、女性の県職員がいちばんやめるタイミングって知ってますか?」。僕はこう応じた。「こう聞くからには結婚でも出産でもないってことだね?」。
その職員は答えた。「そうなんです。出産してもOKですし、子どもが小さいうちは保育所に預けたらいいんですが、小学校に入ったら誰も見てくれないんです。そのときにやめる人が多いんですよ。」
長野県は、南北が200キロ以上あるという大県で、しかも県庁所在地の長野市はかなり北に位置している。県内異動でも単身赴任や実家から通えないというのはざらだ。なるほど。小学校に入ってからが大変なのか。恥ずかしながら新鮮な発見だった。
その職員はたたみかけた。「そういう子どもを預かってくれる学童保育というのもあるんですけど、なかなか実際には設置されてないんですよね。」
これが学童保育という言葉との出会いだった。

そのなつかしい言葉に、それから十数年して今度は長崎県で出会った。
僕は当時総務部長で人事も担当していた。女性登用ともからんで、「登用もしていくが、いろんな経験を積んでもらうために広域的な異動(具体的には離島への異動)もより積極的にやっていこう」ということを議論していた。そのとき、労働組合の女性部の人たちとのやりとりの中でこういう内容のことを言われた。「女性職員の場合、子どもを伴って異動することが多くなりますが、たとえば学童保育のないところでどうやって子どもの面倒を見てもらいながら仕事をするのですか?」
久々にその言葉を聞いた。学童保育という言葉に関心を持ち、これがどれだけ大きな意味を持つのか考えはじめたのはそのころからだった。

子育て支援というとすぐに待機児童の解消、保育所の整備みたいなことが頭に浮かぶ。(もちろんそれはそれで大切なことだ)。でも学童保育のことを知っている人はまだ少ない。
ぜひとも、こうして子どもたちを支える重要な活動をしてくれている人たちがいることを知ってほしい。


ふるかわ 拝

平成23年2月15日(火)
第398号「G1サミットに参加して」

週末は山梨・小淵沢と佐賀とを2往復した。
「G1サミット」への参加と佐賀県での用務の両立のためだ。
相当ハードだったが、やはりそうしてよかったという心地よい疲労感に包まれている。

「GIサミット」とは、各界で活躍する僕と同世代の人たちが集まって議論し、行動につなげていく場として、3年前にグロービス経営大学院大学の堀義人さんが同世代の人たちと一緒に立ち上げた会議だ。「G1」とは、「世界(Globe)は一つ」、「世界(Global)No.1を目指す」、「世代(Generation)が一つに結集する」などの意味を込めて命名されているという。

山梨・小淵沢にある「星野リゾート リゾナーレ」という施設で3日間にわたって行われたこの会議の、初日と最終日に僕は参加した。外はこの地域にしてはめずらしい雪模様だったが、中では熱い議論が行われた。
参加者のひとりひとりがかなりの実績と情報発信能力を持っている人たち。その人たちが多くの場合、話を聞く側に回っている。いきおい言い足りないこと、知り足りないことがあふれ、それが休憩時間や食事の時間、そして夜の時間に爆発している。
新しい日本が生まれる胎動が起こっているような、はじけた空間だった。

社会保障のあり方について興味深い議論がなされたセッションでは、そこに参加していたグリー(GREE。2千万人の会員を持つ携帯ゲームやソーシャルネットワーキングの会社)の田中良和社長(34歳)が、ほかのパネリストたちの決して明るいとはいえない我が国の未来予想図についてのコメントを聞いた後、こういう内容の発言をした。
「みなさんの話を聞いていると、僕は自分のおじいさんのことを思い出します。僕のおじいさんは建築事務所をやってました。そこそこ食えていたのですが、バブルのころにご多分にもれず大きなビルを建ててしまい、それで赤字になり、その借金を返せないまま亡くなりました。
そのおじいさんが仮に生きていたとして、僕に次のようなことを言うのです。
『おい、実はな、おまえにはおまえが一生かかっても返せないような借金があるんだ。悪いけどおれの代わりに返してくれないか。それとね、おれはいま生活能力がないんだ。悪いがおれの借金を返すだけじゃなくて、いまのおれの面倒も見てほしいんだよね。
そうそう、もうひとつだけある。いまはこういうおれだけどさ、バブルのころはけっこう羽振りがよくて、お前をよく旅行に連れて行ったりうまいもん食わしてやったよな。そのことは忘れずに感謝しないといけないからね。これは人生の先輩として言っておく。』」
これだけで会場は大受けだった。たしかにいまの若者が置かれている状況はそのようなものだろう。
大借金を負わされ、現在の高齢者の介護や福祉の負担もあり、しかも、それでいながらかつての栄光の時代の自慢話を聞かされ、尊敬しろといわれ・・・。
しかも田中社長の話には続きがあった。最後のとどめだ。
「おじいさんはこれだけのことを僕に言って、最後にこう言うんです。『ところで、おまえさ、最近、元気なくない?』」

これはあるセッションのほんのひとコマだ。こういう議論や会話がいろんな分野で行われていた。

このほか、結果について賛否が分かれ議論を巻き起こしたのは、「うつ病と組織の健康〜組織のトップが知っておくべきこと〜」というセッションでなされた、以下の報告についてだった。
アメリカ・デューク大学での実験によれば、うつ病の患者さんたちを三つの群に分け、「抗鬱薬を投与するだけの場合、抗鬱薬にプラスしてスポーツを併用させた場合、スポーツだけの場合」とし、どれが1番回復したかというと、答えは「スポーツだけ」の場合だったというのだ。その後のケアでも「スポーツだけ」の場合、良い結果が継続した、という。
これについては、「賛成、自分もそう思う」という人もいれば、一方で「うつ病はそんなに簡単なものじゃない」という反対意見も当然あり、議論が巻き起こったのだが、そういう議論を巻き起こすことも会議の一つの役割だと思う。

そして、会場のリゾナーレとそこで働くスタッフの方たちも、まことに気持ちよかった。あまりにスタッフの動きが気持ちいいので、いったいどうしてなんだろうかと、僕がいったん佐賀に戻るために小渕沢駅に向かうとき僕を駅まで送ってくれた従業員の人に訊ねてみた。というのもこの施設、実は星野リゾートが再生させる前には一度ダメになったことを知っていたからだ。その従業員の方はこう話してくれた。
「以前経営されていた会社のときには、自分たちはとにかく上の人たちが決めたことをやれ、とだけ言われてました。ところがいまの経営者になってからは違っています。どうやったらお客さまに喜んでいただけるのか、自分で考えろ、提案しろ、行動せよ、ということなんです。いろんなメニューを自分たちが考えています。評判が良ければうれしいですし、悪ければ変えます。いちど厳しいときを経験しているからかもしれませんが、本当に真剣に考えますね。それが大きな違いだと思います。」
「その効果が出ているということですね?」
「そうだと思います。以前は40%そこそこだったこの施設の稼働率、いまでは60%を超えていますから。」
リゾートでそれだけの稼働率をたたき出すのは簡単なことじゃない。ちょっと聞きにくいことを聞いてみた。
「すごいじゃないですか。でも再生にかかると人件費のカットからはじめますよね。その辺はどうなんですか?」
その従業員の方はちょっと答えにくそうだったがこう話してくれた。

「給料、良くなっています。っていうか、働いたらきちんとその分いただけるんです。この業界は、サービス残業がいわば当たり前の世界です。でもきちんといただけるというのはやはりやる気がでます。」

遅い時間、車の周りは雪、雪、雪。真剣なまなざしで車のステアリングを握り、前を見つめながらも、僕にこう話をしてくれた。

リゾナーレ。世界的な建築家「マリオ・ベリーニ」が設計した建物だけがその財産じゃないことを教えてくれる。

GIサミットが終わって、僕なりのコミットメントが二つある。ひとつ。来年はフルで参加できるようにしたい。もうひとつ。いつの日か、またリゾナーレに行ってゆっくり泊まってみたい。


ふるかわ 拝

平成23年2月8日(火)
第397号「村木厚子さんにお久しぶりにお目にかかった」


先週末は、毎年のこの時期の恒例行事、アメニティフォーラムに参加するために滋賀県大津市に行った。障碍福祉の世界での最大イベントであるこのフォーラムに僕はこの6年間くらい毎年出席しているが、そのほかにもレギュラーメンバーは多い。そのうちの一人が村木厚子さんだ。
そう、厚生労働省の障害保健福祉部企画課長をされていた当時のことで、冤罪に巻き込まれた方だ。
もともと村木さんは労働省の入省だが、このアメニティフォーラムにも僕と同じくらいの回数、顔を出しておられ、仕事だからやっている障碍福祉ではなく、この分野にひとりの人間として関心を持っていただいている方だった。それゆえ、今回、アメニティフォーラムでお話されるというのは、「いらっしゃいませ」というより「おかえりなさい」だった。

以下は村木さんの話のエッセンスだが、164日に及ぶ逮捕・拘留を経て戦場から帰ってこられた雰囲気かと思いきや、ますます物腰の柔らかさが増しておられた。それはそれで一種のすごみだったけど。
以下の村木さんのご発言、かぎカッコ(「  」)がついているが正確な引用ではない。僕の記憶に基づいて書いていることをあらかじめ申しあげておく。

「私は164日間、逮捕・拘留されていました。164日というのは宇宙飛行士の野口聡一さんが国際宇宙ステーションに滞在した日数が163日間ですからそれより一日長いです。その長い期間、どう過ごしていたのかといえば、ひとことでいえば好奇心旺盛に過ごした、ということです。めったに入れるところではないですから。せっかくだから何でもみてやろうという気持ちでした。
たとえば、逮捕された翌日、手錠をかけられたのですが、どうも手錠が手に当たって痛い。これを担当職員に言っていいものかどうか、とても迷いましたが思い切って言ってみました。「手が痛いんですけど」。職員は何も言わずに一度手錠を外した後、調整して痛くないようにして再度はめてくれました。「ああ、これくらいのところはOKなんだ」と思いました。

こういう感じでお話をされる。会場は1500人近くの聴衆で埋め尽くされている。みんな食い入るように村木さんを見ている。
「拘置所の職員はやさしかったです。私は、自殺するんじゃないか、と当局に思われていたらしいのですが、そんな私に対して、拘置所に入った日に担当の職員から「泣いてるときじゃないから。これから検察と戦うんでしょ」と言葉をかけてもらいました。同じ法務省の人間なのにいいのかな?て。でもそういう感じなんです。先日、(今回の事件を題材に)放映されたドラマでは拘置所の職員が厳しく描かれていましたが、あれは違いますね。」

福祉と拘置の共通点という、ちょと意外な観点からのお話もあった。
「拘置所生活において重要なことは職員とうまくやっていくことです。だって出られないし、職員を替える権利もないわけですから。そして、職員とうまくやっていくコツ、さらには拘置所暮らしをうまくやっていくコツは、あまりいろいろああしたい、こうしたいという希望を持たないこと、なんですね。いわばあきらめる、ことなんです。そうすると、逆に何かほっとする部分が出てくる。そうすれば職員との間に無用の緊張やあつれきを生むこともなくなります
。」
と言いながら、村木さんは続ける。「でも、これって、福祉施設における暮らしでもあるかもしれない、と思いました。とくにこどもの場合は小さいころから施設に入ると、そこでうまくやっていくために感情を抑えることに慣れていってしまう、ということがあるかもしれない、と。」
よくわかる。施設の職員さんたちが悪いということを言っているのではない。
そういう職員さんたちにみんな気に入られたい、と思うのは、そこで長い間暮らしていくことになるこどもやオトナにとって当たり前のことだと思う。それと似たようなことを村木さんは感じ取っておられたようだ。

「また、弁護士という存在にもいろんな面があることを感じました。私には弁護団が組織されたのですが、弁護士さんがそんなに何人も集まって何をされるのかしらと思っていたら、それぞれ人によって得意分野というのがあって、リーダーシップを取って仕事される熟練の方から現場を回って取材して新しい証拠を取って来られる方まで、ほんと役割分担がきちんとされていました。弁護士になる人は人助けが好きでないとできないだろうな、と思いました。しかも、弁護士の方にお世話になるのは、法律や訴訟のことだけではないんです。何かほしいものはないか、伝言することはないか、などなど、生活全般にわたっていろんなことで私をサポートしていただける。これって福祉の世界の訪問相談サービスと同じだな、と思いました。そのことを弁護士の方に申し上げたら『そうなんです。だから弁護士仲間には社会福祉士の資格を取った人までいますよ。』ということでした。」

「ここもそうか、と思ったのは、面会時間のことです。規則によればはもともとは面会時間は30分となっています。なのに実際は10分しかありません。それは面会には必ず職員が付き添いますが、要するに人が足りないんですね。だから10分になってしまっている、ということなんです。大阪拘置所自体がとても古くて建て替えが必要なのですがそういうこともできていない。そして職員の数も足りない、というのはハード・ソフトの両面にわたって要するにお金が足りないから、ということなんですね。
障碍福祉の世界でもお金が足りない、人が足りない、という話がありますが。ここもそうでした。」

一審で無罪となったときにはまだ控訴の可能性があったのでまだ安心できなかった村木さんが、ホントにほっとしたのは検察が上訴を断念した日、弁護士から連絡があったときだったという。
「細川厚生労働大臣からも電話がありました。『おめでとう。明日から出勤を。』ということでした。そう、自分は起訴されたから強制的に『起訴休職』とされ、出勤ができない状況になっていたんです。逆に言えば無罪が確定したら直ちに仕事に戻る必要があるのでした。翌朝、厚生労働省に出勤して辞令をいただきました。
その辞令にはただ一言書いてありました。『復職した』。」

村木さんがこれまでもらわれた辞令の中でもっとも短い辞令をもらうために、もっとも長い間、仕事を空けたということだった。

村木さん、本当におめでとうございました。

ふるかわ 拝


平成23年2月1日(火)
第396号「もっとアバウト、タカラヅカ」


タカラヅカは知っていけばいくほど奥が深いようだ。
今週は先週書けなかったタカラヅカについてのこぼれ話をしたい。

(珈琲屋 「伊万里」)
ひとつは先日宝塚に行ったときのこと。30分くらい早めに現地に着いたので周りを見ていたら、「珈琲屋 伊万里」という店を発見した。宝石店とか呉服店なら入りにくいが喫茶店でもあるし、時間もある。カランカランと音のするドアを開けて店に入ってご挨拶した。ご夫婦らしきお二人で経営されている、それほど大きくはない喫茶店の名前の由来は「伊万里焼が好きだから」とのことだった。ご主人らしきマスターが「伊万里市にはまだ行ったことがないんですよ」と照れくさそうに話される姿がなんともほほえましい。「こちらとしてはこういう名前をつけていただいているだけでも、とてもうれしいですから」と申し上げた。
店内には1月、2月のタカラヅカの公演のポスターがきれいに貼られている。古いのが残っているわけではなく、すべて現在とこれからのものばかり。そしてポスターの一枚一枚にゴールド色のマジックで「珈琲屋 伊万里 様」と書いてあった。場所柄当然のことかもしれないが、タカラヅカにお詳しいのではないかと思って宝塚を訪問した趣旨をお話したところ、さがさくらジェンヌになられたお二人のことをもちろんご存じだった。それだけでなく「夢乃聖夏さんは次の作品は『愛のプレリュード』、朝夏まなとさんは中日劇場ね」とよく知っておられ話が進む。おいしく伊万里ブレンドをいただいてお店を後にした。

(ある大浦みずきファンの家族)
ヅカファンの人たちに「タカラヅカにお詳しいそうで」と言うと「私なんか」という返事が返ってくることが多い。でもその「私なんか」の内容が「私なんか毎日CSでタカラヅカの放送を観ているだけで」とか、「私なんか家族全員『会』に入っているだけで」など、ぜんぜん「私なんか」ではない。そういう方にタカラヅカというシステムについて語っていただくと、みんな熱い。
ある会合で聞いた、大浦みずきの大ファンだった東京在住の家族の例によると、その家は父母と三姉妹の5人家族で、お母さんと三姉妹が大のヅカファン、というか大浦みずきファン。その家では大浦みずきを本名(阪田なつめ)にちなんで「なーちゃん」と呼んでいたほど。
その家で一番権力を持っているのは大浦みずき。家庭の中では彼女の公演が最優先。
仕事があろうが、試験中だろうが、4人で順番にチケットを取りに並んでいた。
公演中は公演中で大変。長女は運転手。他にも控室を毎日模様替えするらしく、鏡のまわりをレースで飾ったり、ひらひらのティッシュケースカバーなんかを作ったり。公演ごとだったのかなんだったのか忘れたがとにかく色が決まっているらしく、控室はその色一色。
あまりない色だとユザワヤ(手芸用品店)でレースと染色料を買って、自分で染めたりもする。
もちろん宝塚大劇場へは東京から車で行くし、ニューヨーク公演へも行っていたという。
これくらいしないと熱心なファンとはいえないのかしらん。

(「レム日比谷」での会話から)
東京宝塚劇場の横に「レム日比谷」というホテルがある。ここは昔、「みゆき座」という映画館や「芸術座」という劇場があった。僕が東京に来て父とはじめて行った劇場でもあったが、それらが入っていたビルがなくなりこのホテルができている。
東京宝塚劇場の横にあるくらいだから当然ファンのことは頭に入っていて、部屋の造りも女性を相当意識したものになっている。それだけでなく、各部屋では宝塚歌劇専門のCS放送チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」を観ることもできる。さらにいえば実はこのホテルの支配人がそもそも元タカラジェンヌの貴柳みどりさん。そもそもこのホテルの経営母体が阪急阪神グループだということを考えれば納得できるけれど。
このホテルに以前泊まったことがある。そしてそのレストランで朝ごはんを食べていたら後ろに女性2人組がいた。
タカラヅカ・のネタで盛り上がっている様子だったので、友だち2人で昨日の夜観劇したのだろうと思ったら、初対面だったらしい。
「どちらからいらしたの?」
「愛媛からです。」
「あら、遠くて大変ね〜。わたしは新潟から。でも愛媛だと大劇(宝塚大劇場)には日帰りで行けるからいいわね。新潟だと前後泊しなきゃいけないから3日がかりで・・・」

3日かあ。
タカラヅカ、奥が相当深い。


ふるかわ拝