2011年5月

平成23年5月31日(火)
第411号「気象情報はどこも同じか」

この週末は日本地方財政学会で沖縄だった。といっても、ちょうど台風が沖縄を襲っていたため、僕の佐賀県内での日曜日の日程に影響を与えないよう、飛行機が飛んでいるうちにと、残念ながら早めに引き上げざるをえなかった。
僕はもともと知事になる前から日本地方財政学会の会員なので学会には必ず参加している。しかも、今回は沖縄で開催されるということもあって、沖縄県での勤務経験を持つ僕に、学会でシンポジウムのパネリストや分科会での討論者を引き受けてほしい、と主催者に頼まれて了解をしていた。普通のシンポジウムとは違う、重い役割をお願いされていただけに、それを果たすことができないまま引き上げることになってしまったのは本当に申し訳なく思う。すみませんでした。

もともとは5月29日(日曜日)のお昼に那覇空港を出発することにしていた。
そこに台風2号がフィリピン東方のカロリン諸島で発生した。5月22日(日曜日)のことだ。こういう状況の中でどういう日程を組むべきか、水曜日くらいから秘書課の日程担当は悩み始めていた。
当初の気象庁の発表では、この台風2号は、ゆっくりとした足取りで進むと予測されていて、沖縄に近づくのが5月29日(日曜日)、本土に近づくのが30日(月曜日)となっていた。これなら、29日(日曜日)の昼間の便に乗って帰るのは可能になる。

ところが、世の中にはいろんな気象情報がある。僕が沖縄にいたのは1982年(昭和57年)ころだったがそのころから気象情報は日本のほかに米軍も出していた。たとえばこれ。
http://www.usno.navy.mil/JTWC/
沖縄は台風の常襲地帯だし、軍の作戦にも大いに影響を及ぼすだけあって、沖縄にかかわる天気予報については、米軍も関心を持たないわけにはいかなかったのだろう。いずれにしても、今回の台風2号の進路予測について、米軍の天気予報のサイトを調べて見てみたら、米軍の予報では、この台風2号のスピードが日本の気象庁の予報より速く、それだと一日早く、つまり28日(土曜日)に沖縄に到達する見込みになっている。これだとまずい、日曜日に帰れなくなってしまうではないか。

その時点で日本のお天気サイトをいくつか見てみたが、僕が見たものでは、あまり気象庁のものと違いがなかったように思う。
ある番組のお天気キャスターが言いにくそうに言っていたが、台風情報については、気象庁の予報と異なる予報を出さないようにしよう、という暗黙の了解(というか暗黙のお願いを気象庁から言われているのかも)が民間の気象予報士の間にもあるらしい。台風は被害が大きくなるから、たしかに人によって言うことが違ってしまったら台風への備えも迷ってしまうことになる。国民を混乱させないために予報内容を統一する、というのは理解できないわけではないようにも思う。

もちろん米軍はそういう制約は受けないから、独自の予報を行っている、というわけだ。
今回は結果的にこの米軍の予想が的中した。(日本の気象庁も当初の発表の後には修正を重ね、最終的には的確な予測を出していたことを名誉のために言っておきたい。)

これから梅雨の時期に入る。
台風や大雨の備えが必要になってくる。以前と違っていまは民間の気象予報も出ているし、インターネットで米軍関係をはじめ、さまざまな情報にアクセスすることもできる。
さらには日本のサイトでも、実際に台風がいま来ている、とか来た、という現地からリアルな情報をツイッターやweb上で出されている。
つまり、行政機関としても、台風の進路や被害の予測が以前よりもはるかにしやすくなってきているということだ。それらをしっかりと活用するだけの情報利活用能力が危機管理や防災には最も強く求められると思う。

佐賀県は先週、防災の総責任者「防災監」の設置を新しく決めた。その防災監には新しく任命した副知事が就任、災害時における陣頭指揮を執ってもらうことになった。

この仕事をしていると四季がちゃんと回っていくことがいかにありがたいことか、ということを痛感する。佐賀県は比較的災害の被害が少ない県ではあるけど、どうか今年も被害のないように、と願う。


ふるかわ 拝

平成23年5月25日(水)
第410-2号「韓国で観光PR その2」

ハナツアーは韓国最大の旅行会社。1993年に創業している。
韓国旅行界は、その後訪問した「旅行博士」もそうだが、新興勢力がかなり力を伸ばしている。このハナツアーはその中でもトップの座についている会社。日本でいえばHISみたいな感じか。
このハナツアーが旅行代理店を対象に始めた見本市がこの旅行博覧会。世界への旅行意欲をかきたてるため、世界中の政府や観光地が宣伝のために参加している。日本も道府県や民間など35団体がブースを出している。ひときわ目立つのが佐賀県。かなりの大デレゲーションを送り込み、嬉野温泉から芸妓さんまで来ていただいている。
中国もかなりのスペースで宣伝していた。ひときわ熱心だったのが広州の観光局。一所懸命「なるべく早く広州市においでください。世界一の高さの広州タワーからの景色は最高です」と宣伝に余念がない。感心していたらその観光局の人がひとこと。「もうすぐ東京の新しいタワーに抜かれてしまうものですから」。そりゃがんばらんばですね。

ハナツアーの特色として自分たちで新しい観光地を開発してきていることがあげられる。具体的にはたとえばパラオやプーケット。これらはかつてはそんなに韓国人とってメジャーな旅行先ではなかった。それをチャーター便で送客を始め、反応を見ながら増やしていき、一定の実績を元に定期便化し、さらに行きやすくしていく、という戦略。
観光地はあるものではなく、作っていくもの、との指摘はまことに正しいと思った。
日本向けの商品の売れ行きはここ数カ月、厳しいものの、ハナツアーそのものとしては、世界中に送客していることもあって、日本が減った分をそのほかに向けているとのこと。まあ、そうだろうと思う。佐賀県が安全で楽しい旅行先であることをハナツアーの社長や会長にお伝えし、送客をお願いした。

その後、「旅行博士」に行った。
ここはネット専業の新興旅行会社。いわば楽天トラベルみたいな感じのところ。待ち合わせ場所は、会社近くのビビンパの店。お昼を食べながらの会談となった。社長の申さんは細身の身体に携帯電話。まさに新時代のIT関係の社長という感じだ。お話も単刀直入で、短い時間だったがとても実りのある内容だった。
この会社は旅行先としては日本が圧倒的に多いという。それだけに今回は相当危機感をお持ちだった。
「どんなことをすればいいでしょうか。」こちらも率直に尋ねてみた。
「日本や韓国のリーダーが、『日本は安全です』とアピールしてくれるのがいちばん助かります。」
即答だった。
「たとえば『日本に1万人、韓国人の旅行客を送ります』などと李大統領に表明してもらうのがいちばんありがたいですね」。
なるほどそうか。それならちょうどよいきっかけがあった。僕が申社長とお目にかかった5月20日(金)の翌日から、李大統領は日本に来られることになっていた。そのときにそのようなコメントを出してもらえないだろうか。
「わかりました。なんとかやってみます」。さっそく、日本政府にこうした声を伝えた。
政府でも、すでにその方向で取り組む方針は出ていたようだったが、結果的に日韓共同プレスリリースとして、「今般の震災で影響を受けた日韓間の人の移動の再活性化を目指すため、日韓両国が協力して取り組む」と発表された。これが韓国人の日本への旅行回復につながれば、と願う。

90分くらいいろんな話をしていた中、「旅行博士」の若い女性スタッフに尋ねてみた。
「なぜ旅行博士に入ったのですか?」
答えは意外だった。
「私は、前にこの旅行博士の顧客だったんです。使っててとてもいいなと思いました。旅行が好きというよりもむしろ旅行博士が好き、だから入ったんです、いまでも旅行博士が好きだし、社長が好きです」。
こういう会社にはがんばってほしいなあ。
なんせ震災のため、3月は日本関係の商品売上ゼロ、4月は5%回復、5月が半分、とこんな感じらしいのだ。しかも、値段は相当下げている。6割引き程度まで。ということは、いくら半分戻ったといっても収入はその半分にもいっていないということになる。

なんとかチャーター便でも送客しませんか?と声をかけてみたところ、
「チャーター便だといまはリスクが高すぎて手が出ないんです。」という返事が返ってきた。
「長崎も定期便がなくなっているので福岡を使うしかありません。景気がよくなれば、チャーターもあるかもしれないが、いまは定期便の活用しかない。だから福岡空港から入って佐賀を回るルートで何か特徴あるものを考えてくれれば、と思います。たとえば、レンタカーを使いやすくするとか。これからは個人旅行の客はレンタカーを使うようになるのではないかと思います」。
おもしろい。こうしたことも考えていかなければ。

旅行関係者と話をしているといろんなアイデアを提供される。「有名ブロガーを呼びませんか」「メディアを連れた旅行の企画をお願いします」「新聞に広告をだしませんか」「佐賀県内のゴルフ場でゴルフのレッスン番組を作りませんか?そこで佐賀の宣伝もしてもらって」

これが元気や勢いというものかもしれない。
でも、逆にこれだけ元気な国がこんなに近くにあるのだから、これを使わない手はない。
そしていまは韓国の旅行関係者が困っておられるとき。どれだけ支援ができるのか、タイミングと内容が問われている。


ふるかわ 拝

平成23年5月24日(火)
第410-1号「韓国で観光PR その1」

5月18日(水曜日)、韓国で観光PRをしてきた。九州知事会の一員としてだった。先日、九州知事会が開催されたとき、東日本大震災で外国人、とりわけ韓国人旅行客が大幅に減少しているということが話題になった。そのとき、僕が「九州の知事がみんなで韓国に行って、『九州は安全ですよ〜』とアピールするくらいのことをしてもいいのではないか」と発言したら、そうだそうだということになった。折も折、九州観光推進機構や九州運輸局も同じようなことを考えておられ、では一緒にやりましょうということになったのだった。

18日(水)、九州各県の知事(3人)副知事(4人)が揃ってソウルでまず韓国観光公社の社長に面談、その後記者会見。現地および日本のメディアに九州の安全を訴え、その後、ロッテ百貨店前でチラシを配るという段取りとなった。

当日、予定通り、韓国・インチョン空港に到着した。いきなり、入国審査のところで「日本からの入国者で希望される方は放射能の検査をすることができます」と書いてあって、やはり・・・となんか肩を落としたが、気を取り直して韓国観光公社へ。李参(イ・チャム)社長と面談した。こう書くと、イ・チャム社長はふつうの韓国の人のように思うが、実は彼は民族的にはドイツ出身の、要するに白人だ。30年以上前に韓国を訪れ、韓国語を学び、韓国の実業界でも活躍し、俳優として、たとえばドラマ「天国の階段」にも出演し(チャン理事役でした)、というプロフィールの持ち主。身長が196センチだから、まあ、一緒にいるとトランプのキングと並んでいるような感じになる。

そのイ・チャム社長に対し、広瀬九州知事会会長(大分県知事)と石原九州観光推進機構会長(JR九州会長)が九州観光をアピール。僕にもふられたので、韓国語で「いちばん近くて、いちばん安全な地域。九州です。安心してお越しください」と話した(これはもともとその後の記者会見のシメに使おうと思って準備していた言葉だった)。
日本側からの参加者がひととおり話した後、社長がまとめのコメントをされた。興味深かったことがあった。

それは「韓国に来る外国人観光客の数が、日本の震災以降減っていて、とくにヨーロッパからの客は25%減っている」ということだった。韓国での風評被害に日本が悩んでいる、という認識の下に今回のキャンペーンは行われたわけだが、実は韓国も日本と同じように風評被害を受けていたのだった。
それに関連して社長はこう言われた。「だから、ヨーロッパに出かけていって、韓国観光のアピールをしてこようと思っています。でもそのとき、私は韓国が安全だと言うつもりはありません。韓国が魅力的でみなさんにとって興味を持っていただけるところだ、ということをアピールしてこようと思います。旅行は安全なところに行くものではなく、何か楽しいことがありそうなところに行くものですから。」

とても含蓄のある、いい話だった。

社長との面談後、記者会見が開催された。日本側の参加者ひとりひとりがコメントをしていく。いよいよ僕の番になった。「佐賀県知事がいまから韓国語で話します」と司会の方が言われたとたん、会場の雰囲気が「おお!?」みたいになった。
(まずい、注目されてる。みんなが思うほど上手じゃないし、この原稿そのものは僕が考えたコメントを国際交流員の人が韓国語に訳してくれたものだし)と、自分の心の中でぶつぶつ言い訳したりしたが、でもしかたない、とスタートした。時折交えたジョークがそれなりに受けてうれしい。だんだん元気が出てきて、約3分間のプレゼンが、あっという間に終わった。

最後のシメはこのようにした。「いちばん近くて、いちばん魅力的な地域。九州です。安心してお越しください」。予定していたものをちょっとだけ変えた。イ・チャム社長の言葉を少し反映させたのだ。 

それからロッテ百貨店前に移動。ここで横断幕とチラシで街ゆく人たちに九州の存在と安全性、そして魅力をアピールした。
けっこう、韓国の記者さんたちやTV局のカメラも来てくれていて、僕にインタビューしてくる。少しでも韓国語を話せる、ということで、のようだ。マイッタ。それほど上手ではないのに。

でも、九州観光の宣伝のためだ。僕なりに一所懸命に答えた。意外と多かった質問は「水は安全なのか?」だった。「農産物は大丈夫か?」というのもあった。日本の食べ物がこれだけ不安がられているのかと正直びっくりした。

僕は「水も大丈夫。農産物も水産物も僕は毎日食べていて、これだけ健康です。安心してください」と元気よく答えたが、こういうことにも心配が及んでいるんだということを実感した。

選挙風に言えば今回のキャンペーンは「かなりの手ごたえ」だった。みんな興味がある。知りたがっている。それを、できれば韓国の人に韓国語で伝える、ということには大きな意味がある。滞在は短かったが得たものは大きかったと思う。


ふるかわ 拝

平成23年5月17日(火)
第409号「携帯の電源を切るのは?その後」

月になって初めてANA便に乗った時、新鮮だったのが携帯電話の使い方についての説明のアナウンスだった。
それまでは「機内では携帯電話の電源は切っていただきますようお願い申し上げます。」みたいなアナウンスだったと思う。
それが4月からは「携帯電話の電源はドアが閉まっている間は使用をご遠慮ください。」という内容に変わっているのだ。つまりドアが開いている間は使えるようになったのだ。
携帯電話を使えるようになるタイミングのことについては、すでにこのコラムで書いたことがある。
※平成22年11月2日(火)第383号「携帯電話はいつONにできるか?」

つまり、日本の規則が厳しすぎるのではないか、ということを言いたかった。
ほかの国、たとえば香港では、「携帯電話はドアが開いているときはOK。着陸時は機内でアナウンスがあればそれ以降OK。」というルール。それなのに日本は機体の外に出ないと携帯電話が使えない、という厳しいきまりになっていたのだ。こういうところにもガラパゴス現象が発生していたのだった。
僕が書いたから、ではもちろんない(と思う)が、規制が変わった。ドアが開いている限りは携帯が使えるようになった。
ただ、不思議なのが、今回国土交通省に問い合わせをしていてわかった次のことだ。
日本の航空会社は、航空保安に関しては日本の航空法に基づく規則(以下勝手に「航空保安規則」といいます。)に従って航空事業を行っている。それは不思議ではない。ところがその航空保安規則は、その日本の飛行機がたとえば(くどいようだが)香港の空港に着陸したときにも適用されるのだという。理由は「日本の会社だから」。
まあ、百歩ゆずってそれはわかるとしよう。
であるとするならば、香港の航空会社は、日本の空港に着陸した後も、香港の航空保安規則を守っていればいい、ということになるのではないか。
つまり、香港で行われているように、「着陸時は、機内でアナウンスがあればそれ以降は携帯が使える」となるべきではないのだろうか。
うーむ。

「言えば変わった」といえば、ANAの割引運賃の制度はこちらから申し入れをしたことで変えてくれた。というか新しい割引運賃の制度を作ってくれた。
今回の震災後、節電のために佐賀県出身の学生はしばらく首都圏を離れて帰省してはどうか、という呼びかけを僕がはじめたとき、僕は全日空にもアプローチをして、こういう学生たちのための特別な割引運賃制度を作れないかと相談を持ちかけていた。その後、学生たちだけでなく、被災地から避難されて来られる方が出てきた。こうした方々に対する支援を全日空としても何かしていただけないか、再度相談をしていた。
その結果、新しい割引運賃の制度を作ってくれたのだった。大人5人以上集まったら、という条件付きではあるけれど、なんらかの事情で避難をしなければいけなくなった方々については、普通運賃の半額(50%OFF)で座席を提供していただけることになったのだ。広報がまだ徹底できていないこともあるし、災害救助法適用市町村から避難される方はそもそも航空運賃は佐賀県が負担しているのでこの運賃制度を使う必要はないけれど、たとえば、埼玉県からとか東京都から震災の関係で佐賀⇔東京の区間を搭乗されようとしている方、とりあえず、佐賀県庁被災者支援チーム(0952−25−7385)に連絡をしてみてください。ひょっとしたら、あなたが使おうと思っているものよりも安い運賃になるかもしれない。とにかく早めにご相談を。


ふるかわ 拝

平成23年5月12日(木)
第408-3号「『県庁おもてなし課』を旅して その3」

おいしいお昼で腹ごしらえをしていよいよパラグライダー体験へ。吾川スカイパークへの入り口にあたる国道にパラグライダーのインストラクターの車が待っていてくれ、いざスカイパークへと出発した。国道44号から上へ上へと上がっていく。けっこう狭い道。しかも「たしかに」標識がない。たしかに、というのは「県庁おもてなし課」にも、標識がない、ということが書かれていたからだ。ちなみにインストラクターに「県庁おもてなし課」、ご存じですか?
とたずねてみたが「僕は愛媛県から来てるんですよ。だからわからないんです」という答え。残念。
「たしかにわかりづらいという声は聞きますね。この道を上がってきていたけど、不安になって途中で戻ってしまったという人もいますよ。」
「そういうことを防ぐには標識が必要ですね。」
「あればありがたいですね。ただ、いま、吾川スカイパークは町が手をひいて利用者たちの自主管理ということになってるんです。だからなかなか標識をつけてくれ、といいにくいところもあります。」
「なにか工夫はできないでしょうか」
「僕がはじめてお越しになる方から電話で道を聞かれた場合には、何も迷わず20分は上に向かって走ってください、と説明してます。」(笑)。
もともとこの「県庁おもてなし課」が書かれたのは数年前のはず。それ以来何も改善されていないというのが問題のようにも思うが、インストラクターはあまりそうは思ってないようだ。
「とにかく飛べる場所が確保できているだけでありがたいですから」

そういうことを話しているうちにスカイパークについた。何のことはない。基本的にはスキー場のゲレンデだ。絶壁からバンジージャンプよろしく飛び降りることをイメージしていたが、そうではなくてちょっとほっとした。ゲレンデ全体で5組くらいの利用者がいる感じ。そんなにコミコミではない。
そもそも高知県内、GWというのにあまり観光客がいないように思う。一方、テレビのニュースでは龍馬関連のところは大渋滞と行列だったということが報じられている。とにかくどこに行っても龍馬づくし。「龍馬の愛した珈琲」「龍馬の愛した軍鶏鍋」など。「龍馬が愛したロールケーキ」「龍馬愛用の携帯電話」が出てきても何の不思議もないくらいだ。
さて、パラグライダー。これから教習だ。ただ、ここではdocomo,auは入るがiPhoneは通信できず。困った。とにかく連絡が取れるところに身を置くことが危機管理の基本。必要な連絡はauの携帯に電話をしてもらうようにお願いしてスタートした。
とにかくパラグライダーはおもしろかった。一本、二本飛んでいるうちに浮遊感が心地よくなる。
ちなみにパラグライダー体験をしている人の中で、埼玉県から来たという人がいた。「県庁おもてなし課」を読んでわざわざここに来たという人だった。仲間だ。今日はこれから馬路村に行くという。まったく同じ。っていうか反対だけど。
スカイパークのトイレを使ってみた。まあ、つかえはしたがそんなにきれいということもなく、もっとトイレがきれいであってほしいとも思った。ただ、自主管理だからなかなかそれも難しいのかも。(そもそもこのことも「県庁おもてなし課」で問題にされたのではなかったか)
インストラクターはとてもいい。生徒とともに走ってくれるし。すばらしい。
おもてなしマインド満載だ。
ただ、愛媛県の人だけど。

緊急にいろいろ連絡が入り始めたので、教習を途中で切り上げ、高知市に戻ることにした。
とはいえ、いま降りてもバスがない。待ち時間の有効活用で、帰りに中津渓谷に寄った。これがワンダフル!水がきれいだし、巨石の雰囲気はまるでジュラシックパーク。馬路にせよ、仁淀川にせよ水がきれい。森が深い。そういえば、安田も佐川も酒どころだ。安田は土佐鶴。佐川は司牡丹。やはりいい水のところ名酒あり、を実感した。
佐川から高知に鉄道で戻りながら仕事をし、ホテルに入っても仕事を続けながら、夕食を外で取ることにし、ネットで探した店に電話してみた。
「いまいっぱいですねえ。空く時間ですか。わからないですねえ、9時半くらいにならんとあかないと思います」。なんか前日にも同じ会話聞いたなあ。もうちょっと商売熱心にやればいいのに、と思う。
6時くらいから呑み始めたとして、ふつう2時間か2時間半経てば終わるのではないか。つまり8時半くらいにはワンテーブルくらい空きそうなものだが、いやあ、9時半くらいにならないとわからないですねえ、とのこと。
佐賀も長っ尻だと言われるが、酒の量より話の量だろう。高知は、酒の量がはんぱなくて長いのかしらん。とにかく行ってみよう。仕事に一区切りをつけて、そのめざすところの「利他食堂」という店を探した。8時半くらいには着いたと思う。ラッキーなことにちょうどひと組帰るところだった。やはりそうか。
ちなみにこの店、カフェみたいな感じの店で、しかも出す料理は地元のものにこだわった料理。創作和食がメインの店だ。メニューを見ても地元のものをしっかり出している。カツオをはじめとする魚から野菜、肉、酒に至るまで高知をまるごと楽しんでもらおうという気持ちが感じられる店。
そもそも高知県内のあちこちで思うのだが、高知県はなんとかして地元のものを使おうとしている努力を感じる。たとえば鶏肉と卵の両方を使えるという「土佐ジロー」という鶏の品種があって、どれだけおいしいかしらないが、料理だのお菓子だのなんでも「土佐ジロー」。トマトは高糖度トマトやフルトマ。
それにちりめんと龍馬をまぶしてできあがり。とにかく地元のものを味わってもらおうという姿勢は高評価したい。これこそがおもてなしマインドの原点だと思う。

佐賀県はどうか。酒にしても料理にしても、そもそも素材でいいのだ。「佐賀県産野菜をふんだんにつかったあれこれ炒め」とか 「とれとれのホワイトアスパラありのまま焼き」とか、名前の付け方ひとつでもふつうのものが出せるのでは。佐賀県では日本酒や焼酎の原産地呼称管理制度を入れて佐賀の地酒を普及させようとしているけど、高知のようには普及できていない。とりあえずビールを飲んでその後は、どこ産にこだわることなく、「オレはイモ。水割りね。薄めで」「私は麦。お湯で5:5」とかそういう注文のほうが多いのでは?
とにかく地元のものにこだわる意味で、あっぱれ高知県!ここは素直に評価したい。
ところで利他食堂。スタッフがみんなイケメンと美人ぞろい。うーむ。これは謎だ。
翌朝の食事のとき、周りの人と話をしたら、一組の母親と娘は高知出身でたまたま高知に帰って来ているみたいだった。よさこいの話、牧野富太郎の話など熱心に語っている。やはり地元のことを熱心に語れるというのはいい。聞いているだけでうれしくなる。こうして熱心に地域のことを話してくれるというのも大切なおもてなしマインドだろうと思う。

朝食後、はりまや橋へ。そしてそこからバス。そして高知龍馬空港で見たのがこれ。方言の広告。

「たっすいがは、いかん!」
ビールの広告ですよ。これ。
ツイッターに載せたら意味を教えてくれる人がいた。
「おじけづいたらいかん」というような意味だという。
が、あとから地元の人に聞いたら、ちょっと違っていた。
「気が抜けたらいかん!」
なるほどガツンと、ですか。たしかにビールの広告だ。

最後まで高知県らしさに感心しつつ、飛行機に乗って高知を後にした。
 
そうそう、この本「県庁おもてなし課」の巻末に有川浩さん、おもてなし課の職員、唐津市出身の食環境ジャーナリスト金丸弘美さんとの座談会が収録されている。どうかそれも併せてごらんあれ。
有川浩さんはほんとうに高知県が好きなのだと思う。これだけヒントに満ちた作品を書いてもらったのだからもっといかすことができないのかな。率直に思った。
そもそもこの本、県庁ではどういう評価になっていたのだろうか。喜ばれていたのか、煙たがられていたのか。今度そおっと聞いてみようっと。

今回の旅は基本的にバスを使ったが、バスの中でおよそ旅行者の姿を見なかった。でもバスの旅は悪くない。たしかに時間はあまったりする。でもそこで休んだり近くの人やお店の人と話をしたりできる。
レンタカーで動くと次から次に移動することができる。だからたくさんのところに行くことはできるだろう。でも、ゆっくりはできないのではないか。なにより車窓からの風景を楽しむことはできない。知らない人と話をすることはできないし、ましてやバスの運転手さんと話をすることもできない。
バスと鉄道を基本とする旅のおもしろさ。新発見の3日間だった。


ふるかわ 拝

平成23年5月11日(水)
第408-2号「『県庁おもてなし課』を旅して その2」

岩崎弥太郎の生家のある安芸市を出て、鉄道に乗り、安田に到着。ここからバスに乗り換えて馬路村をめざすことになる。バスは一日3本。逆にいえば、その時間に合わせるために安芸市で途中下車して観光やお昼を取っていたというわけだ。さて、この安田駅。もちろん無人駅だ。駅に併設されている安田町の特産品施設が残念なことに閉まっている。このGWに閉まっているということはもう閉鎖されたのだろうか?道路に面した側には飲食できるスペースもありそうでその看板はまだ出ているけれど、少なくとも5月5日午後1時半の時点ではクローズされていた。
時間からちょっと遅れてバスが来た。乗っている乗客は二人。僕らも乗りこみ、約30分の旅に。乗客は二人。ジャージを着たわりと若い女性(ホラー系の写真集みたいな本を読んでた)と、顔に念仏みたいな文字を書き込んだ高齢の男性。なんだか不思議な宮沢賢治の世界のバスみたいだった。
バスは安田川をさかのぼりながら馬路村へ。周りの景色は見事なまでにきれい。川の水も、周辺の緑も。雰囲気は佐賀県でいえば七山に似ている。僕は馬路村に行くのは10年ぶりになるが、道が立派になっていてびっくり。以前は、とにかく山道だった。いまは道路という感じだ。

いよいよ馬路村に到着。バスを降りて数分歩いて本日の宿である馬路温泉へ。
安田川の気持ちの良いくらいの清流を眺めながら、大きくはないがセンスを感じさせる建物に到着。14:40くらいだった。 フロントの女性に「チェックインできますか?」と尋ねたところ、もうしわけなさそうに「すみません。ああ、3時くらいから受け付け開始しますので」という答え。日本旅館的な宿の場合、たしかに夕方チェックインがふつう。たしかにちょっと早すぎるなと思って安田川を見渡せる気持ちのよいテラスで時間を過ごしていると、フロントの人が「3時になりました。受け付けをしますのでどうぞ」と声をかけてくれた。
ウレシイね、おもてなしマインド!
部屋に入った。これも気持ち良い。天井が高く、外の景色も川と水と森と空。
これといってめずらしいものがあるわけではないが、これだけのものをそろえてみせてもらうと、それだけでぜいたくな気持ちになる。なにげなく宿泊案内に目を通していたら「チェックイン 午後4時」と書いてあった。ほんとうはチェックインは午後4時だったのだ。それを早めに着いた僕らのために1時間前倒しして部屋に入れてくれたのだ。それも恩着せがましくせずに(僕はふつうにネットで申し込んでいるので先方は僕がどういう仕事なのかはご存じありません)。素晴らしきおもてなしマインド!
フロントの方に、はからいに感謝しつつたずねてみた。「「県庁おもてなし課」を読んできたという人どれくらいいます?」。「私が知っているだけでこれまで5人くらいですかねえ。」にこっと笑いながら答えていただけた。たしかに交代制勤務だし、いちいち全員が「読んできましたよ」と申告しているわけでもないだろうから、そういう答えになるだろう。もうちょっといてもいいように思うけどな。
ご自慢の風呂に入り、その後に夕食を取る。地元のものをいかにして出すか工夫していることが感じられるメニューで、これまたウレシイ。テーブルの上に置かれたメニューを見ていて「つるつるわかめ」を発見。おお、やはり。思わず、10年前の記憶がよみがえる。10年前に馬路村に来て、そのときのことを文章に書いたことがあったのだ。それがコレ。「交流」と「直流」

結婚式はしなかったみたいだが、こうしてしっかりメニューに取り入れられていて、なんだかなつかしい友達に出会った気持ちになった。

食事のとき隣になった人と会話した。ご夫婦で愛媛県からお越しとのこと。佐賀のこともよくご存じ。やきものがお好きという。旅先で「佐賀県から来ました」と会話を始めると、「佐賀といえば」という話になる。今回は、「佐賀といえば有田は佐賀ですよね」とか「去年の秋に伊万里と唐津を旅しました」など、やきものについての話をされる方が多かった。
僕も佐賀県って何が有名でしたっけ?と聞かれたら迷わず、「ノリとやきものですね」と答えるようにしている。
さて、馬路村の話に戻る。食事を終えたあと、翌朝のことでフロントの方と話をした。バスだと06:58発。これでは朝食も取れない。朝食は07:30からなのだ。さすがにこれを1時間早めてほしいというわけにはいかない。フロントの人に「どうしたらいいですかね?」と相談したら、おにぎりでよければご準備しますけど」という答えをいただいた。ただ、さっき夕食がおいしかったので朝食も食べたい気分だ。安田駅に9時までに着けばいいのだから、車ならここを8時過ぎに出れば十分。タクシーはありますか?とおそるおそるたずねてみたら、「一台だけあります」という答え。ラッキーなことに空いていて予約してもらうことができた。
翌朝。タクシーが馬路温泉にやってきた。なんとプリウスだった。この日は吾川スポーツパークでパラグライダ体験をすることになっている。そこに午後1時くらいまでに着けばいい。ということで午前8時に馬路温泉を後にしたのだ。途中、馬路村農協の東谷(とうたに)組合長のご自宅に。この方が馬路村のゆず製品の売り上げを年間20億円以上にした立役者。車の中で東谷さんに会いたいということを僕が言っていたことに気を遣って、わざわざタクシーの運転手さんが「ここが組合長の家ですよ」と教えてくれた。
止めてもらって玄関先から声をかけてみた。「とうたにさーん、佐賀の古川でーす」「おおー、古川さんかあ。やっぱ来とったんかえー」「やっぱ?」「昨日、あんたに似ちゅう人を温泉で見たんじゃ。」 「何年ぶりかえー」。「10年前に大歳さんと来たとき以来」。
「あんとき以来かあ」。会話がはずんだ。タクシードライバーのおもてなしマインドに感謝した。

安田駅から高知駅へ。いったん途中下車してホテルに荷物を預け、さらにまた乗車。佐川駅に向かう。安田や馬路は高知県の東部。高知市は中央部。これから向かう佐川、そして吾川スポーツパークは高知県の北西部。高知県を半分横断していることになる。佐川までの車中は、座席が一緒になったみかん農家の女性と話をしながら過ごした。
旅では一歩よけいに歩く、いつもより多めに他人と接触してみる、そうすることで会話が生まれ、発見がある。話してみると、とくに相手が地元の人の場合、一所懸命その地域の良さを教えてくれることが多い。それがうれしい。(国の光を観るのが観光ということをあらためて感じる。)
せっかく来られたからにはこの地域のいいところをたくさん見て、おいしいものをたくさん食べて帰ってほしい。それはみんなが共通に持っている思いなのだということを再確認できた。ただ、僕は何を話していても、頭の中で「佐賀県ではどうか」とつい考えてしまう。ちっとも休みにはならないなあ。
佐川駅で降りて、乗り換え10分で仁淀川町大崎までバス。乗ること約30分。
びっくりするような山中の風景。佐賀県にはない。耕して天に至る、だ。
役場のある大崎地区からタクシーに乗った。ちょっとぜいたくのようにも思えるが、隣の森地区にある合田旅館というところのラーメンが美味しいというウワサを聞いて、そこでお昼を食べることにしたのだ。なんの変哲もない旅館。
その昼間に出しているラーメンだけど、だしがいいのだと思う。ここの味噌ラーメンと塩ラーメン。まことに美味であった。テーブルが5つくらいで、ほかには観光の人(高知県内から来たという人がカップルで)がひと組、あとは地元の人たち。それですべてテーブルが埋まっていた。「佐賀から来ました」というと「佐賀にはもっとおいしいラーメンがありましょうに。わざわざ食べに来ていただくほどのことは」と謙遜されたが、いえいえ、ミシュラン風にいえば、「寄り道して食べる価値のある食堂」とお見受けしました。☆☆というところか。

食堂からまたタクシー。今度は、吾川スポーツパークの入り口のところまで。
そこにインストラクターが迎えに来られることになっているのだ。タクシーの運転手さんの言によれば、この合田食堂のラーメン、かつては幻のラーメンと呼ばれたらしい。「そんなに貴重だったんですか」と突っ込んだら「いやあ、親父さんが作ってくれるときと作ってくれんときとあって、今日はやっとるかあな、という気持ちで行かんといけんかったんです」と笑う。この店を発見したのはネット。「高知県仁淀川町 ラーメン」で検索してひっかかってきたのだ。
名野川の信号機のところでタクシーを降りた。そこに車が近寄ってきた。パラグライダのインストラクターの乗った車だった。「古川さんですよね?」
そのとおりです。
なかなかパラグライダに行きつかないが、いよいよ次回が最終回。高知空港から飛び立つまでをお届けします。高知空港で最後に見たものは何か?どうぞお楽しみに。


ふるかわ拝

平成23年5月10日(火)
第408-1号「『県庁おもてなし課』を旅して その1」

この大型連休の後半、久々に旅をした。行き先は高知県。高知県が舞台になった小説「県庁おもてなし課」を読んだからだった。この小説の作者の有川浩(女性)が高知県出身ということで、高知県の県庁に実在する「おもてなし課」を題材にして、高知県の観光についての作者としての思いを込めた小説になっている。
この小説は、観光大使というものの存在意義を問うことから始まる。これって何のため?何をしてほしいの?
いま佐賀県ではまさにその疑問から、観光大使制度を僕が知事になってからお休みさせている。そろそろ意味を再確認してまたスタートさせようと思っているところだけに、この投げかけはとても刺激的だった。そして、小説の中で、観光大使の名刺を配るのであれば、いっそのことその名刺を持っていけば観光施設が割引になるくらいのことを考えたほうがいいのではないかという提案がなされる。
はたして現実はどうか。高知龍馬空港に到着した後、まっさきに空港の観光案内カウンターに行き、割引券があるかどうか聞いてみた。ありましたがな。高知県版と四国四県のバージョンが。最近では珍しくなくなってはいるがあったのはうれしい。この小説のおかげなのかそうでないのかは、残念なことにこのカウンターの方が「県庁おもてなし課」のことをご存じなかったので確認のしようがなかった。そこはちょっと残念。

そのカウンターで空港からいちばん近い駅を教えてもらってそこまでタクシーに乗った。たいていの、というかすべての空港ではその空港の母都市に向けてバスが運行されているが、その空港にいちばん近い駅との間の交通は意外と不便だ。僕は車の運転をしないので、とにかく公共交通機関とタクシーの組み合わせで観光していくしかない。
とにかくも、空港近くの立田駅をめざしタクシーに乗った。「近くてすみませんが立田駅までお願いします。」
ふつう空港でタクシーに乗る人はほとんどが高知市内に行く人たちなのではないかと思う。それだと3千円から4千円くらいになるだろう。ところが立田駅までは千円ちょっと。せっかく待ったのにそれじゃあなあ。という思いがあったのか、運転手さんは返事をするでもなく、黙ってドアを閉め、動き出した。
よく佐賀空港や佐賀駅でもタクシーの運転手さんのマナーや話し方についてはお叱りをうけることもある。こういうところで近距離をお願いするのであれば、あらかじめ予約を入れておけばよかったとちょっと反省した。
そして10分後に立田駅に到着。もちろん無人駅で見事なくらい周りは何もない。
ところがここでいい出会いがあった。そこに孫に列車を見せに来た女性の高齢者の方とその息子さんがおられたのだ。列車が来るまで20分近くある。自然と話がはずんだ。「高知の人が意外に食べるものってありますか?」と聞いてみた。即答が返ってきた。
「みそかつラーメンですね。」
何それ?と話は続いていく。これこそ有川浩が書いていた「おもてなしマインド」ではないか。
「それとカツオのたたきを食べられるときには、ぜひぽん酢だけでなく塩たたきも召し上がってみてください。これも最近増えていておいしいですから。」
こうも言ってくれた。うれしいなあ。もちろん塩たたきのことはガイドブックにも載ってはいるのだが、ガイドブックに載っているのが本当かどうか、を確かめられるのは大きい。
話に満足して安芸行きの列車に乗った。

さっきのタクシーに懲りて今度はあらかじめ予約をしておこうと思ってiPadで検索。高知県には優良タクシードライバー制度が導入されていたのは知っていた。安芸市にその認定を受けたドライバーがおられるかどうか探してみたら、数人おられた。タクシー会社に電話して、そのうちのおひとりを指名してみたら、ラッキーなことにその日乗務日でしかも空いているという。
電話口で2時間の観光コースを回っていただくということにして、安芸駅に到着。その優良タクシーの運転手さんがにっこり出迎えてくれた。
聞けば、この認定制度、「龍馬伝」が始まるというのでスタートしたものらしい。この安芸市には岩崎弥太郎の生家がある。ということもあって去年は毎日何件も指名があったそうだが、大河が終わった今年は僕がはじめての指名だったという。
岩崎弥太郎の生家。行ってみてびっくり。きれいで大きい。あんなに貧しくもなく、しかも龍馬の生家からは遠い。実は二人は大人になってから長崎で知り合ったらしい。観光ガイドの人がうれしそうに説明してくれる。佐賀から来た、と言うと、「佐賀藩のアームストロング砲はすばらしかった」と、まるで往時を知っているかのようにつぶやかれたのがおもしろかった。これもうれしいね。「おもてなしマインド」が発揮されている。
お昼は安芸市内のこれまた観光名所「野良時計」の横にある喫茶店に入り、最近売り出し中のB級グルメ「ちりめんじゃこどんぶり」を食べることにした。
いい時間だったこともあってかほぼ店内はいっぱい。僕たちのグループで席が埋まるくらいになった。そしたら、僕たちのすぐ後に5人のグループが入ってこられた。その人たちに対する店の方の反応がびっくりだった。こう話しかけられた。「5人ですか?いま満席です。5人さんの席はありません。どっか外に出てていただけませんか?うちは中では待てませんもんで。」
たしかに店内で待つスペースはない。でもその店に隣接してその店が経営している地元の産物を扱っているコーナーもある。そこを見てもらって待っておいてもらってもいいんじゃ?
こちらが店側に立ってついつい心配してしまう。
「すみません」とも「空いたら連絡しますから」ともなく、「うちは中では待てませんから」と、なんかお客様が怒られたような感じになってしまった。(幸い、すぐに席が空いたため、結局その方たちも座れることになったのだが。)
その代わりと言ってはなんだけど、このちりめんじゃこどんぶりはおいしかった。また食べたいと思った。そこは素直に認めます。ちりめんの名産地だけあってか、おいしいちりめんでした。

これでまだ一日目の午後1時くらい。今回はこれくらいにして、また明日追加配信しますね。


ふるかわ 拝

平成23年5月3日(火)
第407号「絆こそ命」

この三日間、被災地にいた。気仙沼の避難所に支援に入っている佐賀県や佐賀県内市町職員の元を訪れ、激励し、お世話になっている避難所の責任者の方とお話をすることができた。
佐賀県は今回の震災において宮城県を重点的に支援している。そして宮城県庁からの要請により宮城県の中でも気仙沼市に重点的に支援を実行してきている。佐賀県庁と佐賀県内市町の職員も4月1日以降、気仙沼市に入り避難所の運営支援を行っている。1回の派遣期間はこれまで1週間(5月からは10日間)。一回の派遣人数はだいたい22人。10か所の避難所に2人ずつプラス連絡要員2人だ。男女も年齢もいろいろだが佐賀県庁からはすべて志願での派遣とした。

その派遣要員たちが現地でどういう動きをしているのか、また現地の人たちからどういう評価を受けているのか率直に知りたくて、また、それを通じてよりよい支援を行うことができるようになるだろうと思って、現地に赴くこととした。4月29日に佐賀県を出て5月3日に戻るという日程だった。大型連休中は国会議員をはじめとしていろんな方が現地に行かれるに違いない。そこに僕まで行ったのでは先方に迷惑をかけることになる。そこで今回のことは非公式なものという位置づけで行うことにした。

この原稿はまだ旅先で書いている。
正直、何をお伝えしたらいいのかまだうまくまとまっていない。落ち着いたら今回のことをお伝えしたいと思うが、言葉を失う光景があまりにも多く、まったく整理しきれてない。

ただ、今回のことを通じて感じたことを一言でいうならば「絆こそ命」。これに尽きる。
人と人との絆こそが、避難の局面でも、避難所暮らしでも、生活再建でも必要だし、それがあるところは力強くそれに向かっているのではないか、という気持ちになった。さらにいえば、それは日ごろから培っておくべきものなのだということも感じた。

それともうひとつ。これだけの広域にわたる被害が出ていると、どこに対して支援をしたらいいのか、みえてこない。今回は南相馬市から陸前高田市までの地域の被害を目の当たりにしたが、それでもすべてではもちろんない。これだけの現実を前にして僕が感じたのは、対向支援の価値だった、対向支援、つまり支援の当番制だ。「佐賀県は宮城県に入り、その中でも気仙沼市を支援する」と決め、気仙沼市の支援については、佐賀県が徹底的に行う。このように担当を決めれば相手が見えてくる。何が必要なのか足りないのかも見えてくる。
あらためてこの「相手の見える支援」ということの必要性を感じた。とてもではないが、被災地全体に何かをやろうとしてもできるものではない、と痛切に感じたのだ。

ここまで書いてきたがぜんぜん表現できていないと思う。今日のところはこれくらいにさせてほしい。
またちゃんと書きたい。


ふるかわ 拝