2012年4月

平成24年4月24日(火)
第457号「MCPCアワード2012でグランプリ!しかもあの方がプレゼンター」

先週は東京で大忙しだったが、その中、「MCPCアワード2012」でグランプリを受賞することができた。受賞したのは、救急車に配備したタブレット型情報端末で病院の状況を把握して搬送先をいち早く決定できる、佐賀県の救急医療情報システム「99さがネット」。

でも、それってそもそも何?
MCPCとはモバイルコンピューティング推進コンソーシアムのことで、モバイルコンピューティングの普及を進める団体。モバイル業界ではもっとも中核的な団体と言ってもよい。
その団体が、モバイルコンピューティングの導入で顕著な成果を上げている企業や団体を表彰する日本で初めての試みとして、「MCPC アワード」を2003年度から毎年開催している。
いわば、毎年「ベストモバイル賞」を表彰している、ということだ。いくつかの部門賞があって、その最高峰が「グランプリ」。併せて総務大臣賞も受賞できることになっている。ちなみに去年のグランプリ・総務大臣賞は日産自動車の「リーフ」だった。そう思えば、なかなかの賞だということがわかる。その2012年のグランプリにこの99さがネットが選ばれた、ということだ。

グランプリは最終審査に残った5つの企業・団体のプレゼンテーションを経て、審査員が決定する。その最終審査兼審査結果発表が4月20日金曜日だった。ちょうど東京に用事のある日だったので、プレゼンテーションは僕がやった。これまで10年のMCPCアワードの歴史の中で、自治体トップがプレゼンした、という例はないと聞いていた。それだけに僕自身が行う意味があるかもしれないと思った。プレゼンはかなり気合を入れてやった。手ごたえはあった。だれもが経験したことを改善できている、という自負があったからだ。その、いい意味での予感が的中した。

グランプリが発表される瞬間、僕たちグランプリ候補の5企業・団体は檀上にいた。事前にまったく結果を知らされてない、ガチの審査だ。行ったことはないが、アカデミー賞の会場にいるみたいにどきどきする。司会者が「MCPCアワード2012は・・・・・・・・・・」と盛り上げて、「佐賀県!!」。佐賀県と聞いた瞬間、じわああっとうれしさがこみあげてきた。ゆっくりゆっくり喜びが全身に沁みとおるような、酔った後に冷たい水を飲んだとき、それが全身にゆきわたっていくような、そんな感情を味わった。

その99さがネットとはこういうものだ。
救急車を呼んだことのある方ならだれでも経験していると思うが、119番通報を受け現場に急行し、患者さん(傷病者)を救急車に乗せた救急隊員がまず行うことは「電話」だ。患者さんの様子が把握できたら、その患者さんの状態に応じた救急医療機関の受け入れ先を探すため、あちこちに電話をかける。ところが簡単には見つからない。「いまいっぱいで」「今日はその診療科目の医師は不在で」など、とにかくなかなかみつからないのだ。
その結果、どういうことが起きているかというと、受け入れ先の病院を見つけるために時間がかかってしまうということだ。受け入れ先がみつからないことには、救急車は走り出すこともできない。

また、本当はそれほど高い機能の医療機関でなくても対応できる患者さんでも、受け入れてくれる病院が見つからなければ、救急救命センターに搬送せざるを得なくなることもある。軽症の患者さんでもひとり分埋まってしまうと、本当に重篤な患者さんが発生したときには救急救命センターが「満杯」ということになってしまったりする。それも問題だった。

そのために、これまでにも救急医療情報提供システムというものができていて、医療機関がその日担当できる医師の有無や、患者の受け入れ状況などを入力するようになっていた。それをインターネット経由で見る、ということだ。ところがあまり役に立っていなかった。医療機関は忙しい。担当医師の有無くらいは入力できるが、患者の受け入れの可否や有無などを入力することは、現実にはできていなかったのだ。

そういう問題があることを知った佐賀県の担当職員が、この問題の解決のため自分で救急車に乗って現場を経験し、そこでいくつかの気づきを得た。
1 救急車の中にはインターネット環境がない。
2 もしインターネット環境が使えるようになり、そこに救急隊員が自分たちの搬送実績を入力するようにしてそれを共有できれば、お互いに助かるのではないか。搬送情報は医療機関より自分たち救急隊員にとって重要なもの。だとすれば救急隊員が入力すればいいのではないか。
3 もちろん、救急隊員も忙しい。でも患者さんと医療機関に搬送し終えて、消防署まで帰る間の車の中ではすこし時間がある。そういう時間を活用したらいいのではないか。

そして、狭い救急車の中でも簡単に使うには、ということでタブレット型端末、具体的にはiPadを使うことにしたのだった。

この新しい99さがネットがスタートしたのが、去年の4月。それ以来、アクセス数はそれまでの10倍になった。そして救急隊員による搬送実績の入力率は100パーセント。有効活用されてきた結果、搬送時間も1分近く短くなり、しかも、救命救急センターへの集中も緩和された。

このおどろくほど簡単だが、だれも実現できなかったシステムは、いまや大きな広がりを見せている。佐賀県における成功を受けて、すでにこの新しい年度には5つの、そして今後18の都道府県や消防機関でこの類似のシステムの導入が計画・検討・実行されている。
この広がりが評価されたのだと思う。

詳しくはこちらのニュースを。
http://www.itmedia.co.jp/promobile/articles/1204/20/news107.html

受賞レセプションでも申し上げたが、今回の受賞は、僕が受賞した、というより、担当としてがんばった職員、そしてそれを支えてきた県庁。そして回りの医療や救急関係者のおかげだ。
協働化テストが国連公共サービス賞を受賞したのに続いて、こうした大きな賞の受賞。現場の職員たちの励みと県民の誇りにつながればと願う。

そうそう。大事なことが抜けていた。さきほども書いたように、グランプリを取ると総務大臣賞も受賞する。実際には総務大臣ご本人ではなく代理のお役人の方がプレゼンターだが。
代理の方というとちょっと残念という気持ちになることもあるが、今回だけは代理の方でラッキーだった。
その代理の方とは、桜井俊総務省総合通信基盤局長だったのだ。知っている人も多いと思うが、この方のご子息が櫻井翔くん。(念のため、「嵐」の、です。)

局長とのツーショット撮影がこちら。(クリックで大きな写真になります)

ミーハーではなく、MCPCアワードとしてのオフィシャルな記録のため、であるので念のため。


ふるかわ 拝

平成24年4月17日(火)
第456号「やはり あなたでしたか」

先週、はじめて春秋航空で上海に出張した。かなり混んでいたが、それでも快適。1時間くらい機内で寝ていたせいか、ほんとうにあっという間だった。
そしていくつもの用務をこなしたのだが、楽しみにしていたのが、在上海日本国総領事館の泉総領事との面談だった。
いろんな人から「上海で何かをやろうとするんなら、泉総領事にお目にかかったほうがいいよ」と言われていたのだ。
実際お目にかかって、やはり只者ではない、と思った。

まずは、中国から日本への観光客を増やすためのお願いを申し上げた。
中国は広い。いま佐賀県に来られている中国人団体客は主として上海周辺の方が多いが、これからは重慶など内陸部の方にも来ていただくことが必要になる。そのためには、上海に拠点を置く春秋国際旅行社が内陸からも旅行客を集めることが必要で、それをスムーズに行うためには、できれば重慶に住んでいる人であろうが広州に住んでいる人であろうが、上海で一括してビザを発給できれば、旅行会社としては集客や管理がたいへん楽になるし、旅行する本人にとっても手間がかからずに済む。
課題があることは知りつつも、こちらの気持ちを知っていただきたいと思って、率直にお願いしてみた。
これに対し、担当の方が発言された。「たとえば重慶に住んでいる人は在重慶の総領事館で訪日ビザを発給してもらうのがルールであって、それを変えるのはなかなか厳しい」というご返事だった。確かにそうだ。そういう答えになるのは、こちらも予期していた。
ところが、その答えを聞かれた総領事は、こう言われた。
「ルールはそういうことだろうけど、旅行会社が団体旅行を主催していて領事館の管轄外の地区から旅行申込があった場合困るということがあるから、こういう話が出てるんじゃない?少しでも訪日客を増やそうというのが政府の方針なんだから、運用の部分も含めてなんとか工夫の余地はありませんか。」

さすがでした。そう言っていただけると、うれしいではないか。

ただ、総領事は、こうも言われた。「これはこれでやります。ただ、私たちだけでできるものでもない。国内の関係方面にも古川知事はじめ皆様方の問題意識をお伝えください。」
それともうひとつ付け加えられた。「団体ビザの時代はしばらくは続くと思います。でも、やがては中国も個人旅行の時代に入ってきます。ネットは普及しているし、韓国のように個人がネットで旅行や航空券を購入する時代がすぐそこに来ている、と言ってもよいです。そのことを忘れないようにしたほうがいいと思いますよ。」 
しっかり肝に銘じておきたい。

そのビザのこととはまったく別のことだが、総領事にひとつお尋ねしたいことがあった。
震災からの復興のため、この総領事館主催で行われたイベントのことだ。
たとえば去年から今年にかけてAKBは2回上海に来た。これだけだったら驚かないが、この総領事館は、初音ミクのコスプレイベントを実施していた。(初音ミク・・・はつねミクと読む。要するに、CGで作り出された、架空のアイドル)
これは尋常ではない。

僕は、このイベント、総領事が仕掛け人ではないかとにらんでいた。そこで尋ねた。
「このイベント、驚きました。どういう経緯でおやりになることになったのですか?」
総領事はこうお答えになった。
「以前、上海でコミケ(同人誌即売会)が開かれたんで、それに行ったんです。
雨の中、あの気の短い中国の若者たちが開場前の3時間、ずっと待ってました。そして開場と同時に会場に飛び込んでいって、楽しそうに一日じゅう遊んでいるんです。
これを見て、アニメとかネット上のキャラは日本と中国の若い人たちをつなぐ大きなツールになるな、と思いました。」

なるほど。あなたも、ずっとそこにいたのですね。(聞かなかったけど。)

もうひとつ気になることがあった。
そのコスプレ大会、優勝商品が北海道旅行だったのだ。北海道・洞爺にあるG8サミットで使われた有名ホテルの宿泊と三ツ星フレンチレストランの招待券が賞品だった。
(このホテルを舞台に開かれたサミットは、各国首脳に有田焼万年筆が贈られたり、柿右衛門窯が有田焼の酒瓶を作り、それに北海道の地酒を入れてお土産に使われたり、と佐賀県と縁のあるサミットだったので、とても印象的だった。)

総領事にたずねた。「北海道を舞台にした賞品にしたのは、なぜですか?」

やはり、の答えが返ってきた。
「だって初音ミクは北海道の出身じゃないですか。」

「やはり、あなたが仕掛けたのですね。」
総領事は笑って、お答えにならなかった。

「古川知事、また会いましょう」と笑って言っていただいた。
「はい、私もお目にかかりたいと思います。」

総領事館を再訪する用事は、すでにいくつか頭の中にある。


ふるかわ 拝

平成24年4月10日(火)
第455号「菊次郎とさき 観劇記」

こないだの日曜日、福岡・博多座で公演中の「菊次郎とさき」の芝居を観てきた。僕と中学の同級生陣内孝則が室井滋さんとともに主役を演じていたからだ。うわさにたがわぬいい芝居だった。楽しめた。28日まで博多座でやっている。ご一覧を心からオススメしたい。

「菊次郎とさき」は、もともとビートたけし名義の小説として発刊された後、連続ドラマにもなった作品。ビートたけしこと北野武の一家を題材とした物語だ。菊次郎はたけしの父親、さきは母親の名前で、2人の間に生まれた4人の子供の末っ子が北野武ということになる。
舞台では、主役は菊次郎であり、さきだ。だから、武がそんなに目立つわけではないが、どうしてもその存在が気になる。まだ少年の武がしでかす発言やいたずらが、僕らが知っているビートたけしとオーバーラップするものだから、その分、印象が増幅されてくる。その意味ではちょっとズルいね。でもそういうことを抜きにしても、この話はおもしろい。
「北野家だから」といって、とてもまねできない特別のことがあるということではない。この作品が今回の芝居も含めて多くの人から、泣いた、笑った、また観たい、という高い評価を得ているのは、「ああ、あのころはそうだった」「うちの近くにもああいう家があったね」「うちもそうだった」という「ある、ある」感を持って楽しむことができるから、だと思う。

北野家は職人の家だった。菊次郎は腕はいいのに大酒飲みで、いろいろとしくじっている。その分、さきは働き者で教育熱心。子供たちには「お父さんのようにならないように」と勉強をさせている。
陣内によれば、当時は、陣内の実家や近所でも、父親が酒を飲んであばれて、ということがめずらしくなく、「ランドセルに教科書ばいれんね、明日出ていくけん」と母親に言われ、泣きながらその準備をしていると、近所の人たちが「まあまあ、そう言わんと」と仲裁に入ってくれる、というようなことがあったらしい。そういうことを見聞きしているからか、陣内はコミカルからシリアスまでいろんな役を演じることができる役者だが、とりわけ彼の「菊次郎」には一種の凄味がある。

菊次郎の叔母であり、さきの母代わりの「うし」役の音無美紀子さんの好演も光った。「うし」は娘義太夫の名手だったとされているが、たけしはその芸能の血も受け継いだのではないか、と思う。音無美紀子さんにご挨拶させていただいたが、そのときには「(夫君の)村井(国夫)は佐賀でございますから。またお墓まいりに行かせていただきます」という丁寧なお言葉をいただいた。

2012年3月24日に地元足立区で初日を迎え、大阪公演を経て、博多座で4月6日から28日まで約1か月間公演するほか、5月まで富山、名古屋、東京と続いていく。
博多座だけで36回の公演。「モチベーションを保つのが大変では?」と終演後、陣内に会ったときに水を向けたが、さすがは大俳優の答えが返ってきた。
「それがさ、毎回、気持ちが入るんだよね。◎◎のシーン(ネタバレになるので書きませんが)なんか、いま(の公演)でもやっぱり自分で泣いてしまうしね。」
ライブは二度と同じものがない。ある意味料理と似ているところがある。でもその一回一回に全力で取り組んでいる陣内の舞台を、ぜひ多くのみなさんに楽しんでいただきたい。


ふるかわ 拝

平成24年4月3日(火)
第454号「来年の春には佐賀県内でフルマラソン大会を」

4月1日。新年度の始まりは快晴の日曜日だった。その日は、佐賀県庁組織の上では、これまで教育委員会が所管していた文化・スポーツが知事部局所管になり、文化・スポーツ部が発足した最初の日。その幕開けの行事が佐賀県総合運動場陸上競技場のリニューアルオープン式典だった。
そして、その後行われた佐賀新聞社と佐賀陸上競技協会主催の第23回「さが桜マラソン」、僕は来賓として開会式に出席した。(文化・スポーツ部のスポーツ課長は、この大会に「選手」として参加していた。そちらのほうが正しい。)

さて、そのさが桜マラソン大会の開会式で、主催者である佐賀新聞社社長は「九州で唯一まだフルマラソンの大会のない佐賀県で、ぜひともフルマラソンを実現させたい」と力強い挨拶をされた。
「佐賀県でフルマラソンを」という声は県議会からも出ている。文化・スポーツ部の次年度の目玉としてぜひ取り組んでほしい事業だと思っていただけに、こうした挨拶はとてもうれしかった。そのご挨拶のあとの僕の来賓あいさつでは、こう応じた。「ぜひとも佐賀県でフルマラソンを実現しましょう。ほかよりも遅く始まるということは悪いことではありません。その分、新しい取組みができます。新しい形の内容のフルマラソンを実現することができます。九州の中で一番遅く始める分、一番新しくて一番楽しいフルマラソンを、皆さんとともに実現していきましょう。」

その後、招待選手として演壇に立たれた間寛平さんが、その発言を取り上げていただいた。
間寛平さんはもちろん稀代のコメディアンだが、走るほうでも地球一周マラソンをされていて、ランナー界の星でもある。
その間さんが、挨拶の中で「知事さん、さっきエラッそうに『いちばんいいフルマラソンにしましょう』や言うてたけど、ほんまにすんの?」と聞いてくれた。「やりますよ」と応じたところ、「いつやんの?」。
ここはきっぱり言うしかない。「来年やります」と答えた。
会場が湧いた。そこまでの答えが出るとは、間さんも会場の方々も思っておられなかったのだろう。
間さんはさらに尋ねてきた。「来年のいつやんの?」
これには笑ったが、「来年のいまごろ」と答えた。
来年、フルマラソンを佐賀県内で実施したい、という思いはある。
このさが桜マラソンもその母体としては十分ありうると思っているが、そうと決まったわけではない。ぎりぎりの答えだった。

7000人を超える参加者の前で、「来年の春に佐賀県でフルマラソンを」と、いわば公言したようなものだ。これにむけて検討のスピードを上げてもらわないといけない。

フルマラソン大会を行うのは簡単ではない。なにが大変なのかというと、コースづくりだ。
公道を仕切ってランナーだけを通すわけで、その間じゅう、道路交通を制限したり、遮断することが必要になる。
だいたいマラソン大会は日曜日に開催されることが多いから、平日ほどではないにせよ交通に大きな影響が出ることはまちがいなく、どのように迂回ルートを作ってスムーズに交通の流れを確保するか、なかなか難しいという。さらには誰もがこうしたマラソン大会に理解があるわけではない。ドライバーから怒られたり不満をぶつけられることも多いと聞く。
その交通整理を行っているのは、多くの場合警察官。自分たちのために交通制限をしているわけではないのに、文句はその人たちが言われるわけで、たいへん気の毒に思う。
とはいえ、東京や大阪でもフルマラソンは行われている。地方の県でも、調べた限りでは、九州では佐賀県以外のすべての県で、全国的にも43都道府県でフルマラソンの大会が行われている。佐賀県だけができないという理由はないと思う。

僕がコースを作るわけではないが、走っていて楽しいコースにできないか、と思う。どこなら走れるか、ではなく、どこを走ったら楽しいか、で検討してほしいと願う。
たとえば、県庁前のお堀端をスタート地点にしてはどうか。スタートの合図は、幕末に佐賀藩が他藩に先駆けて製作に成功したカノン砲。世界遺産登録が予定されている三重津の海軍所跡や歴史の通り道・長崎街道などを通り、ゴールは佐賀城の鯱の門。歴史と観光を踏まえた楽しいものになるのではないか。

とまあ、こういうことを考えているだけでも楽しくてしかたない。
一方、マラソンランナーに「どういうコースだったら出たいか」と聞いたら、「いい記録の出るところ」という答えが返ってきた。確かにそうかもしれないなあ。

いろんな課題はあるだろうが、ぜひとも来年の春には佐賀県内で、いちばん新しい形のフルマラソンをぜひ実現を。文化・スポーツ部のみなさん、よろしくね。この部が発足して最初の僕からの検討事項です。


ふるかわ 拝