2012年9月

平成24年9月25日(火)
第479号「ホノルル弾丸出張」

前に富士登山の話を書いたが、実は登山の前日の夕方に、ハワイからとんぼ返りしたばかりだった。ホノルルで開かれた米日カウンシル主催の知事会議に出席していたのだ。
(全体の様子は、佐賀県庁ウェブサイトにある「現場からお伝えします」にもアップされている。)
平成24年8月22日(水曜日)米日カウンシル知事会議

米日カウンシル(U.S.-Japan Council)は、留学生数の減や相互の関心の低下などで残念なことに日米の関係があまりいい状況にないことを憂えた日系アメリカ人の人たちが、「日本の地方のリーダーたちと議論する機会を作りたい」という趣旨でスタートさせた組織だ。会議は2年前から始まり、これまでは東京でやっていた。東京で行われた会議にはルース駐日米国大使も参加されており、関心の高さがうかがわれた。もともとこの会議の中心人物の一人、ダニエル・オキモト スタンフォード大学教授が湯崎広島県知事の恩師であるということから、お互いにメンバーを募って、ということで知事会議が始まった。

今回は、舞台を日系人の多い米国・ハワイ州に移して行うことになり、佐賀県のほか、広島県、静岡県の知事が参加した。
この会議は、それぞれの地域が誇る企業や技術を紹介する、ということも大切なポイントとなっている。
これまでも県内のIT企業のスマートグリッド関連の技術などを紹介してきたが、今回はハワイ州が舞台ということもあって彼の地の豊富な水資源を有効に活用するマイクロ水力発電の技術、ハワイ州に新しいがんセンターが作られつつあることと関連してSAGA HIMAT、そしてパーキングパーミットのハワイ州との相互利用、の三つをプレゼンした。
また、夜は、MORIMOTOという日本料理店で行われたパーティで佐賀牛の紹介をした(残念なことに現物はまだ持ち込めなかったが)。というのも、MORIMOTOのニューヨーク店では口蹄疫問題以前には佐賀牛を扱っていただいていたのだ。今回、米国向けの佐賀牛輸出が再開されることになっていたため、「またよろしくお願いします」とシェフに頼んでおいた。

もともと、この会議に参加している知事たちは英語がある程度使える、という前提に立っている。最初は日本語でやっていたものが議論が白熱すると、つい、英語になる、という会議なのだが、今回も、3人それぞれ、英語と日本語のハーフアンドハーフで進められた。僕自身、ふつうの会話やパーティでの話は英語でできるが、さすがにマイクロ水力発電の原理や重粒子線が骨肉腫に有効だというような技術的な話は難しかったので、ツカミは英語にしてあとは日本語でプレゼンし、同時通訳をお願いした。

いい原稿が作ってあったこともあってプレゼンの反応もきわめて手応えがあり、終了後のレセプションでもたくさんの現地の人や日系人の人からプレゼンテーションの内容について詳しい質問や評価の声を聞くことができた。

僕がとくに力を入れて話したのは「これまでは東京とワシントンとの関係が日米関係だったが、これからは日本の地方とアメリカの地方との交流が大切だ」ということだった。日本の地方には優れた技術を持つ企業や医療機関、社会システムがある。それをもっと知ってもらい、経済的な理解と発展につなげていきたい、と思ったのだ。
この言葉は、アバクロンビー ハワイ州知事もたいへん気に入られ、その後の挨拶によく引用されていた。

ところで「アバクロンビー」といえば、カジュアルファッションの有名ブランドを思い起こす。「何か関係があるのですか?」と知事に尋ねてみたら「もともとはスコットランドの名前でね。ハワイ州に多くはないよ。ショップとは残念なことに関係がないね」とのこと。「店に行っても割引してくれるわけじゃないし」と笑いながら付け加えられた。この辺、なんかうまいなぁ。

それともう一つ。ハワイ州にはたくさんの日系人や日本からの移民の方、移住されている方、住みつかれた方などがおられる。数は少ないが在ハワイ佐賀県人会もある。ということでハワイに行くからには、と県人会の会長さんとお目にかかることになった。会長さんは武雄市生まれ。旧制佐賀高校(現在の佐賀大学)出身で50年以上にわたってハワイ州に在住しておられる方。となると、おみやげが難しい。もう相当米国暮らしが当たり前になっておられるわけでいまさら、お茶や海苔でもないか、とも思う。そもそも日系人の多いハワイ州では、たいていのものは手に入るはずなのだ。思い余って直接聞いてみた。「失礼ながらおみやげは何がよろしいですか?」
答えは即答だった。「〇〇の丸房露と羊羹がよか。佐高に行くときによう買いよった」
何十年もハワイで暮らしておられるが、若いころ食べておられたふるさとのお菓子の味は、いくつになっても格別のもののようだった。

会議を通じて、安心して留学や教育交流できる先としてハワイ州は魅力的だと感じた。
幸い、いまは福岡とホノルルとの間には直行便がデイリーで2便あって、行き来が便利だ。子どもを英語圏に留学させたいが米国本土ではちょっと不安。そうお考えの方もおられるのではないかと思う。そういうときに治安が良く日系人も多いハワイ州の存在は頼もしいものがある。こうしたことを生かして交流を強化していくことができないだろうか、と帰りの機内でもいろいろ考えていた。

日付変更線をまたぎ1泊3日という慌ただしい日程だったが、佐賀県とハワイ州との関係強化が相互にプラスになることを確信した出張だった。

P.S 正直な感想をもう一ついえば「ハワイはプライベイトで行くほうがいい」、だなぁ。


ふるかわ 拝

平成24年9月18日(火)
第478号「プロフェッショナルから観た日本維新の会 その2」

今回はプロフェッショナルな観点から見たときの「維新八策」のいい点、悪い点について。
大阪維新の会のサイトに掲載された維新八策を見て感じること。

一つめは、前回の民主党のマニフェストと味付けはまったく違うが、別の意味で似ているということだ。
前回の総選挙では身体に悪いとわかっていてもいい匂いのする、まだ食べたことのない甘いケーキが出され、ついつい手を出した人が多かった。例えば、「子ども手当月額26,000円」とか「月額7万円の最低保障年金の導入」といったケーキだ。
維新八策はその真逆。味でいえば甘いケーキではなく、激辛のタンタン麺だ。国民、住民に厳しいことを言っているのだから。例えば、「@努力に応じた、A現物支給中心の、最低生活保障制度」「高齢者はフローの所得と資産で先ずは生活維持(自助)」といったタンタン麺。
じゃあ、国民は厳しいことが嫌いかといえばそれはそうでもない、ということを橋下代表や維新の幹部の人たちは知っているのだと思う。激辛でも、ヒーヒー言いながら涙を流しながら食べる激辛のタンタン麺。これもまたケーキとは違った意味で「うまいんだろうな、食べてみたい」と思う人がたくさんいる、ということに気づいている。
振り返ってみると、前回総選挙の前は「格差社会」が取りざたされていた。格差社会に対する一つの答えとして、民主党は子ども手当や最低保障年金など国民が「食べてみたい」というメニューを出した、ともいえる。
味付けは逆だけれど、今回の維新八策も同じように、この日本を何とかしてほしい、という人たちに対して、「激辛だけど、食べてみたい」というメニューが出されようとしている、ということではないか。

もう一つは、都会型だ、ということだ。
維新八策の中に、僕の見た限りでは「農」「山」「漁」「村」という文字はなかった。日本という国家をどうしていきたいのか、ということはこの維新八策を読んでいるとイメージがわいてくるが、日本列島という国土に住むそれぞれの人たちの暮らしをどうしていきたいのか、ということはどうも浮かび上がってこない。
ただ「公に頼るな」「自分で働け」と鞭うたれているような感じすらする。

維新八策の柱は「統治機構の再構築」だろう。
しかし、よく見ると、実は維新八策に掲げられていることに、真新しいものはそんなにない。これまでいろんな学者や団体が主張してきたものの中で、維新の主張に合うものをまとめた、という印象だ。
よく維新の政策として取り上げられる「首相の公選制」「消費税の地方税化と地方間財政調整制度」についても、「首相公選制」については中曽根康弘氏が昭和36年(1961年)に直接の国民投票による首相公選制度を提唱したのをはじめ、小泉内閣においても平成13年(2001年)に「首相公選制を考える懇談会」が開催され、12回にわたる会議の結果を「首相公選制を考える懇談会」報告書として小泉総理に提出された。
「消費税の地方税化、地方間財政調整制度」も、みんなの党が前回の総選挙の公約(アジェンダ)で道州制を前提としてではあったが掲げていたし、それより前に九州知事会と九州の経済界で構成する九州地域戦略会議が平成20年(2008年)にまとめた「道州制九州モデル」においてもそうなっている。
このほか維新八策の前文にある「〜今の日本、皆さんにリンゴを与えることはできません。リンゴのなる木の土を耕し直します〜」というのも、海外での支援のあり方についてよく言われる「パンを与えるのではなく、小麦の育て方を教えるべきだ」という話の焼き直しだろう。

では目新しさがまったくないのか、といえばそんなことはない。僕がいちばん注目しているのは、
「1.統治機構の作り直し〜決定でき、責任を負う統治の仕組みへ〜」の「基本方針」の中にある「政府組織設置に関し、法律事項から政令事項へ」という項目。

これはプロの感じがする。民主党は「国家戦略局」を作ってそこを国政の司令塔にする、ということをマニフェストで書いていたが、実際には国家戦略局を設置するための法律が成立せず、結局、国家戦略局はできずに「国家戦略室」のまま3年過ぎてしまっている。国家の組織のありようとしてそういうことではいけない、ということでこの項目が入ってきたのだろう。少し専門的だが、「法律事項」なら法律案を閣議決定し、国会で与野党が議論し、両院で可決されてはじめて決まるのだが、「政令事項」なら、極端な話、政権をとったその日にもできることになる。
この項目は実行されれば生きてくるように思う。

今回あらためて維新八策を繰り返し読んでみて、やはり思う。首相公選制をはじめほとんどの項目はこれまでいろんな政党や識者が考えてきたことだ。でもこれまで実現できなかった。だとすると、今回、維新はそれをどうやって実現しようとしているのか。そこがポイントにならざるを得ないのだ。
繰り返しになるが、維新が何をやりたいのか、ではなく、どのようにして進めていきたいと考えているのか、が知りたい。
しかし、現時点ではそれがない。先週も述べたように、いまはまだいい。ただ、いつかはその「どのようにして」というところを示してほしい。選挙戦に入ってもこの維新八策のままで選挙を戦うというのでは、とにかく激辛にしておいて野菜の味も麺のうまさもわからなくするタンタン麺のようなものではないか。
シェフは有名で期待も高いのだから、ぜひその鉄人ぶりを発揮して細かなレシピを示してほしい。


ふるかわ 拝

平成24年9月11日(火)
第477号「プロフェッショナルから観た日本維新の会 その1」

政党「日本維新の会」の発足が決定した。これで役者がそろった。いよいよ次の総選挙に向けて動きが加速していくことだろう。
そして、その「日本維新の会」の設立にあわせて、「維新八策」がまとめられた。今回はこれについてプロフェッショナルな政治、行政、マニフェスト専門家としての感想を述べてみたい。

「維新八策は政権公約ではなく、政党の綱領だ」と橋下代表は説明している。それは確かにそうだ。だからこの維新八策の中に「何をいつまでに実行する」「財源はこうして確保する」ということが書いてなくてもおかしくない。ここは僕も納得できる。自民党の綱領には「憲法改正」が謳ってあるが、結党から57年(うち政権の座にいること53年)たっても実現することができないままだったし。
だから、維新八策に「参議院の廃止も視野」だの「衆議院の議員数を240人に削減」だのを掲げてもすぐに実現しなくても直ちに問題になることはないはずだと思う。

ただ、それだけで終わってはいけない、というのが現代の政治における常識だ。少なくともここ数回の選挙では、政権を取ったら何をいつまでにやっていくのか、そして財源確保の方法も明記して有権者に示す、というのが多くの政党においては義務として認識されてきている。
国民の注目度の高い維新の会も、「維新八策に掲げた政策目標を実現していくため、次の4年間で何をやっていくのか」をマニフェストにして示すことが期待されているだろうし、その必要があると思う。
それが果たして示されるのか、というのがどうも見えてこない。そこについて橋下代表が「政治は方向性だけ示せばよく、数値目標なんて役人が示せばいい」と言っているからだ。
そこは違う。夢をふりまくのが政治の仕事ではない。「魔法使いサリー」ではないのだから。
どうすればそれが実行できるのか、それが信頼できるのか、そこを示してもらわなければ信じようがない。

果たして実行可能なことを国民に示しているのか、そしてとりわけ給付の充実に関することについては僕らはとくに財源がどうなっているのか十分にチェックしていかないといけない。「天下り法人の廃止などにより16.8兆円をねん出」、「国家公務員給与の2割削減で財源確保」のような目を引く表現に対しては冷静に評価していかなければならない。
たとえば「国家公務員給与2割削減」を例にとると、「国家公務員の数を2割減らす」ということが「2割仕事を減らす」ということだとしたら、その2割減った仕事はどうなるのだろうか、と思わなければならない。ふつうに考えればその2割の分の多くは、地方公務員の仕事になる。ということは国家公務員の数は2割減るかもしれないが、地方公務員の数は増えることになる可能性がある、ということだ。
こういうことを話すと、「同じ仕事をするのに人を2割減らす、という意味じゃないの?」と驚かれる方がたくさんおられる。残念ながらそういうことではないのだ、たぶん。

マニフェストでは「あれもこれもやります」と言っておきながら、実際に政権を取ったら「できませんでした」、ということをここ数年で僕らは見ている。
だからこれから作ってくれるであろう、今回の維新の会の政権公約(維新八策ではなく)もそういう痛い経験を踏まえたうえで、見ていかないといけないと思う。
そういう観点で見てみると、「維新八策をさらにかみくだき、4年間どう進めていくのか、というところがはっきりしない」というところが維新の会のウィークポイントなのではないか。
前回の総選挙のとき、僕は全国知事会の政権公約評価特別委員会委員長をしていた。シンクタンクの中には、政治主導への期待感や工程表を提示していたことから民主党のマニフェストを高く評価する意見もあったが、全国知事会の評価(自民、公明、民主の3党のみ評価)では、公明党が最も高く、次いで自民党、最後が民主党だった。民主党は、個別項目はいい点を取っていたのだが、暫定税率の廃止やムダの排除による財源捻出は無理ではないかということで「財源確保」の項目の評価がかなり低かったのだ。そしてその懸念は民主党政権ができた後、現実のものとなった。

今回は、3党だけでなく、かなりの数の政党のマニフェストの評価を全国知事会として行わなければならなくなる。今回委員長を務められる平井鳥取県知事は大変だろうと思うが、我々プロフェッショナルの評価というものを世間にきちんと示していただきたいと思う。もっとも僕もメンバーの一人なので他人事ではないけれど。

次回は維新八策のここはいい、ここは弱い、という点について述べてみたい。


ふるかわ 拝

平成24年9月4日(火)
第476号「富士山登山 行ってよかった。でも、できなかったことも」

先々週の週末、生まれて初めて富士山に登った。仲間4人での登山だったが、みんなに支えられてなんとか登頂することに成功。この夏のいちばんの思い出となった。

富士山に登ろうとする人のきっかけのほとんどは「日本人だから」「一生に1回はね」というもののようだが、僕らもそうだった。昨年天山に登ったとき、その打ち上げで「次は富士山かな」ということになったのだった。
佐賀からだとツアーも出ているが、僕らは自力で計画。佐賀空港から羽田まで飛び、羽田空港発富士山5合目行きのバスに乗り込み、約3時間半で5合目に到着。
ふつうならそこで体を慣らした後に登りはじめ、数時間登ったところ(7合目か8合目)で休憩、夕食(だいたいカレー)など食べて仮眠を取り、午前1時か2時に再び登りはじめ、日の出前に頂上に着いてご来光を待つ、というパターン。
ところが、僕の仕事の日程の関係で、当日はどうしても5合目に泊まるしかなかった。5合目の宿泊施設で夕食を取り就寝。そして午前3時半に起きて4時に出発。7時間後の午前11時の頂上到着をめざすことになった。
幸いなことに天気が良く、気候も8月にふさわしくまだ寒くはなかった。準備したフリースやダウンジャケットも使わずにすんだ。(前日登った人は寒かったというから、たまたまだったということだろう。)
それにしても、5合目から一気に、というのはきつかった。1時間おきくらいに休憩するのだが、だんだん足が疲れてきてつりそうになる。休憩のときに足をもむと少しはよくなるのでそれでまた少し元気になって出発するのだが、だんだんまた足が疲れてくる。最初のうちは1回休むと30分くらい足がなんとかもってたのが、休憩を繰り返すたびに疲労が蓄積してきて、だんだん足が大丈夫な時間が短くなってくる。充電を繰り返した後の携帯電話の電池みたいになったということだ。8合目くらいになるといくら休んでも出発後10分くらいしか足がもてなくなってしまい、ゆっくりしか登れなくなってしまっていた。
ただ、ラッキーなことに富士登山はどうしてもゆっくりになってしまうのだった。というのもこの季節、ほんとうに大量の登山者が富士山をめざす。そのために登山道が渋滞していて、みんなの歩くペースに合わせていくしかないのだ。よほどの人はすいすいと脇から抜いていくけど、ほとんどの人たちはゆっくりとしたペースで登っていく。そのペースに合わせればいい、という意味では助かった。

富士山に登っていて気付いたことがいくつかある。ひとつは高齢者から子供まであらゆる世代の人たちが登っていることだ。小学生くらいの子どももいる。こどもは体重が軽い分、元気だ。高齢者も多い。高齢者はツアーに入っている人が多いが、仲間だけで登っている人もいる。このほか、米軍兵士も多かった。訓練、というわけではないのだろうが。

予定した時間どおり、午前11時に頂上到着。富士山の頂上は尖っているわけではなく、1周3キロくらいの火口になっている。火口や周りを見ると火山らしい岩がごろごろ。ほんとうに活火山なんだと実感するし、その光景だけみたら、どこか別の惑星に来たみたいだな、と思ったりした。
頂上に着いてそれで終わり、ではない。火口をぐるりと回りながら、富士山頂郵便局をめざした。夏の期間だけ、臨時の郵便局が開かれているのだ。ここでいろんな人にはがきを書き、投函。これがひとつの夢だったのでそれを果たすことができた。その隣に浅間大社奥宮がある。これも夏の間だけ開いているようだが、今回の富士山登山の最終目標は実はそこだった。
そこに、小城市出身の書家、中林梧竹が書いた「鎮國之山」碑があると聞いていたからだ。
今年は、梧竹が没してから99年目。来年は100年になる。その節目の年に梧竹の作品を我が国の最高地点で観ておきかった。

ところが奥宮付近を探したもののその碑がみつからない。思い余って神社で働いておられる若い男性に声をかけてみた。「あのう、中林梧竹の鎮國之山という碑がこの神社にあると聞いたのですが、どこにありますか?」。真面目そうでお客様対応も丁寧なその神官は、考えこんでおられたが「申し訳ありませんがよくわかりません。聞いたことがありません。」との返答。ところがその奥宮のお札をお分けするところには「鎮國」という大きな文字や「鎮國」という字の書かれている扇子まで売ってある。「ではお尋ねしますが、この鎮國の文字はどなたがお書きになったのかご存じですか?」としつこく尋ねたところ、「上司に相談してきます」との答え。
ほどなく現れたその上司(といっても大学のサークルの先輩みたいな年回りの感じ)の方が言われるには、「そちらが言われる碑というのは、その方の作かどうかは別にして、あるにはあります。この奥宮を出ていただいたところです。ただ、冬構えのために囲ってしまって見ることができないのです」。念のため、インターネットで調べてみた(富士山頂でも少なくともドコモとauは携帯が使えた。)。ネットにも、鎮国の碑は「奥宮の前にある」と書いてある。たしかに奥宮を出たところにトタンで囲われた高さ2メートル弱のなにかが存在している。



これを囲ったのはその前日とのこと。一足遅かった。
梧竹先生、泉下で大笑いのことだろう。

来年、梧竹先生没後100年記念富士登山を敢行されるのであれば、8月のお盆明けくらいまでにされることを強くおすすめしたい。


ふるかわ 拝