2013年10月

平成25年10月29日(火)
第536号「欧州の人をどのようにして九州に連れてくるか」

先週1週間は欧州出張だったが、そのうちの前半は九州観光推進機構としての仕事だった。要するにヨーロッパの人をどうやって九州に連れてくるかということだ。知事は福岡県知事と佐賀県知事、九州観光推進機構の会長である石原進JR九州会長、行政側の代表として九州運輸局の佐藤局長、このほか熊本県副知事をはじめとする各県の代表の人たち。こうした代表団がロンドンとパリで今回初めて九州観光をアピールするイベントを行ったのだ。
これまで佐賀県を含む九州の観光地は、韓国や中国といったアジアの人たちに来てもらうことをメインに考えていた。最近ではタイやマレーシアの人たちも増えてきてはいるが、なかなかヨーロッパやアメリカまで誘客の範囲を広げることができずにいた。
今年の春から福岡とアムステルダムとの間に直行便ができ、状況が変わり始めた。すなわちオランダの地理的な中心地であるアムステルダムという非常に便利な所から福岡に直行便ができたということで、ヨーロッパの人たちを九州へと誘客しやすくなったのだ。
そこで初めてロンドンとパリで旅行説明会とレセプションを行うことになったものだ。
結果的には、今回の試みは成功に終わったと言っていいと思う。
ヨーロッパの人たちとアジアの人たちでは旅行に期待するものや実際の行動が違う、ということが明確になったのだ。
例えば、旅行日数。ヨーロッパの人たちは平均して10日から2週間。それに対してアジアの人たちの訪日旅行の平均日数は数日間。この数日間のうちに日本列島の複数の場所を訪問するのはなかなか大変で、弾丸ツアーで東京と関西を回るといったところがせいぜい。その点、旅行期間の長いヨーロッパの人たちの場合、東京に入り、京都を訪れ、さらにもう1個所、といった人がかなりおられるのだ。最近では広島が人気の目的地となっているらしい。あと1歩足を伸ばしていただくと九州においでいただける。
ヨーロッパの訪日旅行客は比較的文化や歴史に関心のある人が多い、ということもわかってきた。
また旅行形態も、アジアの人たちとは違って、ヨーロッパの人たちの場合は個人旅行が圧倒的に多く、8割から9割が個人旅行なのだ。そして情報の入手先も、インターネットが圧倒的に多い。
こうした様子がわかってくれば、次に何をしなければならないのかが見えてくるというものだ。

とは言うものの、ロンドンとパリでは微妙な違いも見て取れた。英国はもちろんオランダや北欧も英語に対する理解能力がかなり高く、そのためインターネットの活用がかなり進んでいるが、一方、パリを始めとするフランスやスペイン、イタリアなどのラテン系の国々は、英国や北欧系の国ほどインターネットの利用が進んでおらず、旅行の形態も旅行のガイドブックや旅行会社を経由したものが一定存在しているということがわかってきた。
英国においても、旅行ガイドブックの情報を重要視するという答えが一定数ある。
そこで、今回は訪問先の町で日本を取り上げた旅行ガイドブックを全て購入し、九州や佐賀県の観光地がどのように取り上げられているのか調べることにした。これについては、後日報告したい。

あるフランス人にパリの旅行レセプションで聞いてみた。
「フランス人の好きな場所って日本のどの辺でしょうか。」
「先日私の友人が日本に行ってきました。東京から関西、広島まで行ってきたそうですが、彼の1番気に入った所はどこだったと思いますか?
高野山でした。
それがフランス人なのです。
ミシュランガイドで高尾山が星を取ったように、みんながえっと思うようなものを見つけるのを楽しむ人たちなのです。」

なるほど。とても面白い。そういう人たちにとって、佐賀県はきっと魅力にあふれているはずだ。このことも含め様々な可能性を感じた欧州訪問だった。


ふるかわ拝

平成25年10月22日(火)
第535号「なぜ縄文人は農業をしなかったのか」

先週、このコラムで書いたチームラボの代表の猪子さん。彼と話しているといつまでたっても話の泉が尽きない。
話がICT教育のことになった。猪子さんはもちろんICT教育をどんどんやるべし、とのお考えだ。佐賀県は全国に先駆けて来年春から、すべての県立高校の入学者にタブレット型端末を持たせて、教育に活用していこうとしている。このことについては、猪子さんからも期待の声があった。そのときの会話の様子はこんなふうだった。

古川: ただ、懸念もあるんです。現場の先生たちの中にはなかなかICT教育に慣れない、という方もおられて。
猪子: 新しい、若い先生たちはどうですか?
古川: この人たちは見てて安心です。そもそもパソコンやインターネットのユーザですからね。それを授業に使う、というだけですからスムーズに使っておられるようです。
その言葉を聞きながら、猪子さんは突然こんなことを口にされた。
猪子: 古川さん、なぜ縄文人は最後まで農業をしなかったのだと思いますか?
古川: それ、どういう意味ですか?
猪子: 弥生人が外国から日本に入ってきて農業を始めたとき、縄文人は狩猟や漁労をしていました。獲物が取れたり取れなかったり。獲物を求めて場所を移って暮らしてました。弥生人は農耕民族。定住して、こつこつ農作業を行い、秋には実りを得ることができるという暮らしを始めました。安定性や保存性から言って、狩猟よりも農業の方が優れています。しかも大勢の人たちを養うことができる。弥生人たちがそうするのを縄文人は見ていました。でも縄文人は狩猟をやめて農業を始めることをしなかった。むしろ弥生人をちょっと小馬鹿にしながら見ていたかもしれません。結局、縄文人は消えていきました。
古川: なぜ縄文人は農業をしなかったのでしょうかね?
猪子: これはある年齢の人たちがなぜICTを使おうとしないのか、と似てると思っているのです。「便利なのはわかっている。使いやすい道具もいろいろあるらしい。でも・・・。」こういう思いの人、日本の一定の年齢層以上にはけっこういます。農耕を見つめる縄文人のような感じで。

ICT教育の現場には、農耕をみつめる縄文人がいては困る。時代が変わっていることを認識しながら、弥生式のツールでしっかり次世代の子どもたちを教育していただかなくてはならない。
猪子さんはいまシンガポール。シンガポールでいちばん大きなアートイベント「シンガポールビエンナーレ」の中心的な企画を任されたらしい。

古川: なぜ、猪子さんにそれを任せようとされたのですかね?
失礼も省みずに聞いてみた。

猪子:

決定する人が若いからだと思います。

きっぱりとお答えになった。
また、こう付け加えられた。

猪子:

日本は決定する人の年齢が上すぎます。

僕もその「上」の一人だ。縄文人だ。「農耕を見てるだけ」、にならないように、という意識はあるのだが。


ふるかわ 拝

平成25年10月15日(火)
第534号「ブラボー!プロジェクションマッピング in 佐賀城本丸歴史館」

先週末の10月12日土曜日の夜、佐賀城本丸歴史館で行われたプロジェクションマッピングに出かけた。
「ニコニコ大百科」によると、プロジェクションマッピングというのは「ビデオやCGなどの映像を、プロジェクターによって直接建造物・自然物などを含めた立体物に投影する。しばしば『最先端』と呼ばれる新しい表現手法である」。
はい、そのとおりでした。
さらに「ニコニコ大百科」によれば、「周囲を暗くし、投影する距離や角度を緻密に計算することによって、あたかも投影されている物体そのものが発光していたり、形が変わったり、透けたりしているかのように見せることができる。特に建造物などの大規模なものは圧巻で、音楽や効果音が加わることによって空間そのものをデザイン・演出してしまう。その仮想と現実が入り交じったような迫力のある映像には思わず見入ってしまうだろう。」とあって、これも、はい、そのとおりでした。ということだ。

今回の佐賀城本丸歴史館でのプロジェクションマッピングは、1回30分位で、パート1とパート2に分かれていた。
パート1が佐賀藩の歴史篇。鍋島直正公の時代の佐賀藩が海外から技術を導入してアームストロング砲や軍艦などを作っていたという歴史をコンパクトに、ILCのプロモーションビデオ(PV)にも出ていた俳優の森さんがその映像とともに解説。その間、マッピングされている佐賀城に向かって10門ほど並んだアームストロング砲(のレプリカ)から佐賀城目指して弾が飛ぶ、という内容。
パート2は、美しい映像で海水面が上昇していく様子を表現し、最後にその水が本丸の上を流れ落ち巨大な滝となって終わった。
こう書いてもまったく意味不明だろうな。表現力不足で申し訳ないが、とにかく、これは体験するしかない。
 
これを制作したのはチームラボ。前にもILCのPVを作っていただいたことがあり、そのご縁で今回こうしたプロジェクションマッピングをお願いしたものだ。
彼らは常に最先端の挑戦をしてくれて、それがいつもかっこいい。それでいて、その一人ひとりがまた輝いていておもしろい。代表の猪子さんをはじめ東大の出身者も多く、もともと駒場の東大の生協前にたむろしていた学生たちが集まってデジタルコンテンツ制作集団を立ち上げたというのがチームラボのおこり。当初はたしか「生協前」というとぼけた名前だったのではなかったか。頭の良さと、いい意味のユルさが同居している、というところがすごい。
今回も、二つだけエピソードを紹介すると、パート1の森さんのナレーションを、全体の尺(長さ)との関係で、もう少し短くできないかというオファーが本丸側から来たらしい。あと2分短くなりませんか?みたいな感じだっただろう。ふつうならその分、話す内容を減らすところだが、森さんは「わかりました。その分、早口で話しましょう」と答え、本番でも見事にフェートン号事件以来の佐賀藩の歴史をかなり早口で(しかも何も見ずに)さらにクリアな日本語で話してくれていた。
課題を解決するために僕らはどうしても妥協しがちだが、彼らは妥協せずに課題をクリアすることが可能なのではないか、と考えているのだろう。
もう一つはアームストロング砲。ある日、県庁でこのイベントを担当する文化課にチームラボから「アームストロング砲の設計図面がほしい」という注文が入った。たいていのヘンな注文には慣れている文化課もこれには驚いたそうだが、どうやらチームラボでは、プロジェクションマッピングをするに当たって、「せっかく佐賀城本丸の壁面を使ってやるのならあの壁をぶっこわせ、というイメージのほうがおもしろいのではないか」という提案が出てきて、「だったらアームストロング砲で」となり、「それを作ろう」ということになり、「では図面を」となったらしい。
作るといっても、どうやって?
答えは段ボール。日本で最高といわれる段ボール加工技術者にお願いして、その設計図を基にしてミリ単位で精巧なアームストロング砲をこの3日間だけのために作ったのだ。
この二つのエピソードだけでも、彼らがいかに作品を、というか常にいいものを創ろうとしているのか、わかっていただけるのではないか。

今回の佐賀城本丸歴史館でのプロジェクションマッピングは、3日間、午後7時から毎日3回(3日目だけは4回)映写されたのだが、整理券を配りはじめる前にはたいへんな行列ができて、毎回スペースいっぱいの千人くらいのお客様に見ていただいた。せっかく来たのに見られなくて帰っていただく人もでたほどだった。3日間合計で9300人の方に見ていただけたし、内容的にも満足された方が多く、催しとしては大成功だった。

来年の2月28日から3月23日まで、ふたたびチームラボにお願いして、今度は佐賀県内の五つの美術館・博物館で、それぞれ趣向を凝らしたプロジェクションマッピングをやることにしている。
こうすることによって美術館・博物館を身近に感じていただくことができると思うし、こうした施設の新しい可能性を探ることもできると思う。


それにしてもチームラボおそるべし。こういう人たちに7年後の東京オリンピック・パラリンピックの入場式を演出してほしいなと思う。


ふるかわ 拝

平成25年10月8日(火)
第533「被災地再訪」

先日、休日を使って気仙沼市など被災地を2年ぶりに訪問した。

僕が震災直後の2011年4月末に訪れたときには、がれきがあちらこちらに散乱していて、どこから手をつけたらいいのか分からないような状態だった。電気もガスも水道もなく、夜も真っ暗だった。地震で地盤が下がったままになっていて、潮が満ちてくると音もなく市街地に海水が流れ込んでくる。夜真っ暗な中に、しかも雨が降っているわけでもないのに道路が冠水していて、そこを車が通らなければならないというのもちょっと怖い気持ちになりかけたりした。人気(ひとけ)もなくて西部劇の村のようだった。

それが今回行ってみたら、多くの場所が更地になっていて、ある意味「きれいに」なっていた。もちろん、それは一般的な意味での「きれい」ではない。あるべきものがない、という意味だが。
僕が以前行ったときには気仙沼市内では何隻も船が陸に上がっていたが、それらも1隻を除いて解体されていた。ちょうど最後の1隻の第18共徳丸が解体中で、辛うじて外から見ることができた。
それと前回とちがったことがもう一つあった。においがなくなっていたことだ。当時はにおいがとても表現できるものではなかった。気仙沼は水産の街なのだから。
新しいお墓も目についた。昔からのお墓が流されたからでもあるし、もちろん大勢の方が今回の震災で犠牲になられているからでもある。
「人が亡くなるとき『何人死んだ』と数で言うな、『太郎が死んだ、次郎が死んだ・・・』と言え」という言葉を聞いたことがある。真新しいお墓を一つひとつ眺めていると、その言葉が思い出された。

南三陸町の防災対策庁舎にも行ってみた。周りはずいぶん片付けられていたが、この庁舎だけは残っていて、小さな祭壇が設えられていた。
あの庁舎のいちばん上のところにつかまった何人かの人は助かり、その下にいた人たちは痛ましいことになった。その当時の生々しさはなお残っていたが、これもやがて取り壊されるという。

当時、震災対応では佐賀県庁と佐賀県内市町の職員は、あちこちの県や町に散らばるのではなく、対向支援として主に気仙沼市の支援に入っていた。僕が視察に行ったとき、気仙沼市でいちばん大きな避難所も佐賀県職員が中心になって運営していた。日頃県庁で見かけると頼りなさげ(?!)にしている職員がてきぱきと仕事をこなしている。直接人の役に立つ仕事というものが、こうも職員を元気にさせるのかと感じたものだった。
職員たちは1週間ごとに交代していた。最初はなかなか信頼が得られないものの、次第に人間関係ができてくると今度は別れがさびしくなる。
何人もの職員が別れ際には「また来るからね」と言って去っていったという。

僕が前回被災地入りしたときに同行してくれた職員も、そうだった。彼自身はすでに震災直後の3月に被災地に1週間入っていた。とてもいい経験だったと言っていたし、もう一度行きたいと言っていたので誘ってみたら喜んでOKしてくれた。「私は公民館長に約束したんです。必ず自分はまた来ますから、と。だから、行かなければ、と思ってました。」というのだ。
このような、被災地に思いを持った職員がたくさんいた。

今回一緒に被災地を訪問した職員も、やはり当時2回被災地入りしたという。
その職員は語る。
「当時は何でもしましたね。とにかく人手が足りない中、いきなり『デイサービスをやってくれないか』と頼まれたこともありました。デイサービスの機能を持つところもなくなっていたんです。
自分たちが断ってしまったらその人たちはどうしようもないわけですから、頼まれたからにはやろう、ということで経験者もいない中、ほんのちょっとした引継ぎを受け、各避難所に配置した職員を何人か呼び集めて、食事のお世話や夜間のトイレの手伝いなどなど、見よう見まねでやりましたよ。昼間は、あんまりお手伝いすることがないので、みんなで自衛隊の方と一緒にがれきの撤去作業を手伝っていました。その気になれば何とかなるものです。」
彼の言葉には力があった。


今回、再び被災地を訪れて感じたことは、やっと復興は緒に就いたばかりだということだ。
行ってみればそのことがわかる。また、早く復興が実感できるようになってほしいという気にもなる。
その意味でも、被災地を訪れることは必要なことだ、と改めて思った。

一方で、初めて被災地を訪れた別の職員は、何かを感じ取ろう、掴み取ろうと必死になっていた。
逆に言えば、必死にならなければ、あれだけ大きな震災だったということを感じることがなかなか難しい状況になっているのではないか、とも思った。

陸に上げられた船もあと1隻を残して解体が進められ、南三陸町の防災対策庁舎も取り壊しに。
そうなると、初めて被災地を訪問した人にどうやってあの震災の爪痕の大きさを感じてもらえばいいのだろうか。
住んでおられる方からしたら、爪痕など一刻も早く消えてしまえばいい、と思われるだろう。
それも理解できるところだが。何とか関心を持ち続けてもらうためにも、そして、その地域にいつか住む後世の人たちのためにも、何か残しておくべきものもあるのでは、という気になった今回の訪問だった。


ふるかわ 拝

平成25年10月1日(火)
第532「以牙還牙 加倍奉還」

これは9月26日木曜日に福岡市で行われた中華人民共和国成立64周年レセプションにおける僕の挨拶だ。

「佐賀県知事の古川康でございます。中華人民共和国成立64周年まことにおめでとうございます。
李天然駐福岡総領事はじめ、総領事館の皆様方にはいつもお世話になっております。

昨年のこの場で私は、今は日中関係が厳しい状況にあるけれど、こういう時こそ人対人の交流をしっかりと続けていくべきだ、だからこそ今予定されている青少年交流だけは是非とも実現させたい、と申し上げました。皆様のおかげをもちまして、その事業は数か月間の遅れはありましたものの無事実現することができました。心から感謝申し上げます。必ずや未来を担う子どもたちの交流は実を結ぶことになると信じております。

さて最近私は中国に関する二つのニュースを見て興味深く感じました。
一つが9月の中旬に中国人留学生が大阪府に住む9歳の日本人の子供を救助してくれたというニュースでした。
川で溺れかけている子供を発見したその中国人留学生は一度救助を試みてうまくいかず、再トライしてその子供を救い出すことができたそうです。
新聞の取材に答えて彼は、
『命を救うのに国籍は関係ない。自分の行動が日中友好につながれば、これほど嬉しい事はない』と答えていました。
まさにこうした一人ひとりの行動が今厳しい状況にある日中間の問題を解決することにつながるのではないかと期待をしています。

もう一つが、私は中国語が下手なのですが、『以牙還牙 加倍奉還』という言葉です。

日本語にすれば、
『やられたら やりかえす 倍返しで』。

日本で人気だったドラマ『半沢直樹』が中国でもブームを呼んでいるというニュースでした。
日本で放映されたものが翌日くらいには中国語の字幕が付いて中国で流通しているという話でした。
ここでは著作権のことについてはあえて触れないでおきましょう。

日本で評判のドラマが中国でも人気、と言うのはとてもうれしいことだと思います。

しかしながら『やられたらやりかえす 倍返しで』というのは、ドラマの中だけにしておきませんか。

今年、程永華駐日特命全権大使に佐賀県をご訪問いただきました。一昨年に引き続いて二度目のご訪問でした。
もともと一昨年、2泊3日で予定されていた佐賀県訪問が、よんどころない事情で1泊2日で切り上げざるを得ませんでした。
大使はそのことを覚えておられ、自分が前回行けなかった残りの行程をこなしたということを申し出られ、李天然総領事とも連絡を取られてわざわざ今年もう一度訪問していただいたのでした。
自分がやらなければならない役割をしっかりと認識していただいてそれを行動に移していただきました。一度でよかった佐賀県の訪問を二度していただきました。これがほんとの倍返しではないでしょうか。
私達も、一度の中国訪問を二度に、一度中国の方にきていただくのを二度に、という「倍返し」をしていくことで日中関係は強化されていくのではないかと思います。

『やられたことを倍返し』するのではなく、『してもらったことを倍にして返す』、新しい日中関係を作っていこうではありませんか。

今年は中華人民共和国建国64周年。64という数字は8掛ける8です。
8は中国では発展の『発』につながる、そして日本でも末広がりと言う、それぞれに縁起の良い数字です。この年が両国の関係が改善していく飛躍のきっかけになるよう心から期待して、私のご挨拶とさせていただきます。」


実際に話したこととは少し違うけど、だいたいこういう趣旨のことを述べた。終わったあと、本当にたくさんの方から反応があった。こちらも嬉しかった。

実際にどう挨拶したかは↓を見ていただければ。

You Tube動画
中華人民共和国駐福岡総領事館による中華人民共和国成立64周年レセプション


ふるかわ 拝