2013年11月

平成25年11月26日(火)
第540号「台湾からのアドバイス」

先週の木曜日から金曜日にかけて観光プロモーションで台湾に出かけていた。

台湾の人は、佐賀といえば何を連想するのだろうか。
実は現地の代理店にお願いしてアンケートをしてもらっていた。
それによれば、断然「佐賀のがばいばあちゃん」だった。
数年前、本でも映画でも大ヒットしてたからなあ。今度はこれに代わるヒット作を作っていかないと。

今回、一般から募集した台湾の人たちプラス台湾のパワーブロガーの人たちに集まってもらい、「Saga Night Café」という企画をしたのだが、佐賀県に関するいろんな映像や解説を見てもらって、そのあとに何が一番印象に残ったか参加者に聞いてみたところ、一番だったのは「呼子のイカ」だった。佐賀牛や有田焼なども紹介したのだが、「おいしい牛肉や陶磁器はほかにもありそうだけど、イカがおいしいというのはほかの地域にはないと思うから」というのが一致した答え。

実は先日、雑誌の宝島社と組んでコラボレーションをスタートさせたとき、宝島社のスタッフの人からも同じことを言われたことがある。
「佐賀県で売るとしたら『イカ』ですよ」
宝島社は呼子のイカに「透明すぎるイカ」とネーミングして宣伝してくれたが、このアプローチ、台湾の方にも使えるのではないだろうか。
しかも「呼子のイカ」は海外はおろか日本国内でも東京に運ぶのも難しいというデリケートなもの。要するに現地に来ていただくしかない、ということなのだ。

とはいえ、いまや台湾は日本各地の自治体や観光関係者がぜひわが地域に、と宣伝のために押し寄せている人気の出発地。たとえば九州の知事の半分以上が今年台湾を訪問している。
この競争激しい中でいかに佐賀県に来ていただくか、ということについて、台湾政府の対日交流のセクションの人からはいいアドバイスをいただいた。
「佐賀県について少し調べてみましたが」と前置きして「とにかく認知度を上げたほうがいいですね」。

「学校交流をしているところがほかの県に比べて少ないですね。だから学校交流をするといいですよ」
「それかスポーツ交流ですね」
「それが発展していくと姉妹都市に結びつきます」
「子供が交流している相手地域には親も興味を持ってくれますし、その子供が親になったときにも覚えててくれるでしょうしね」
「また、台東には熱気球大会があります。佐賀に勉強に行ったみたいですよ。この台東の熱気球大会のときに佐賀からもバルーンを出したらどうですか。目立ちますし、佐賀のほうが先輩ですから。そのアピールにもなります」
「今度熱気球の世界大会を誘致しようとされてるんでしょ。その宣伝にもなっていいんじゃないですか」

何人もの人が僕たちのために前もって調べてくれていて、そのうえでアドバイスをしてくれたのだった。心から感謝したい。
こうしたありがたいご意見を実行していかなくてはならない。

どこに行っても言われることは「認知度の低さ」だ。もっともこれまで何にもやってこなかったのだから、それで「知っておいてくれ」と言う方が虫がいい話なのだが。この「認知度を上げる」というのは観光だけでなく、地域全体としての情報発信を強めていかなければ、ということなのだろうと思う。
これから本格的にそういうことについても考えていきたい。うーん、やるべきこと多し、だ。


ふるかわ 拝

平成25年11月19日(火)
第539号「夢の人 ポールに会えた!」

先週の金曜日の夜、福岡市で行われたポール・マッカートニーのライブに行ってきた。
と書くと、「あ、いいなあ。関係者に頼んでうまいとこ席取ってもらったんでは?」と言われそうだが、そうではない。チケットぴあで予約をして取りました!(きっぱり)
普通に予約して抽選で当たってそれでローソンで受け取って、というパターンなのです。

とにもかくにも友達4人で出かけたのだった。

このコラムでも何回か書いてると思うのだが、僕は昔からのビートルズファン。今年71歳になるポール・マッカートニーの最後の来日になるかもしれないし、今回のワールドツアーは37曲中24曲がビートルズナンバーということでビートルズメインのライブとしてもこれが最後になるかもしれない、という二重の意味でラストチャンスだと思って、福岡で公演がある、と聞いてすぐに抽選に応募した。
ポールは福岡には過去に一度来たことがあるということだったが、今回の来日、楽しみにしていることはなんですか?と聞かれたポールは迷わず「SUMO!」と答えていて、実際にライブの前日には十両の途中くらいから最後の結びの一番まで熱心に相撲観戦をした。相撲が目的の福岡入りだったのかもしれない。前回の1993年に福岡に来たときも相撲を観ているし、今回もライブ本番でシコを踏んだり相撲の人形を披露したりと相撲大好き色満載だった。

会場となったヤフオクドームにはわりとスムーズに入れた。荷物検査も軽いもので、飛行機に乗るほどめんどさくはない。お客さんの年齢層はかなり広い、といってもやはり僕らくらいとかそれ以上とかがメインか。
1964年リリースのビートルズナンバー「Eight Days A Week」でスタートした。
途中、新譜からの曲やウィングス時代の曲も交えながら次々と歌っていく。日本のライブの場合は、ライブの中にいろんなミニイベントが盛り込まれたりMC(アーチストのおしゃべり)が割と長かったりするが(さだまさしのように)、ポールの場合はほとんどコメントはなく、せいぜい「Thank you 」とか「Next song is for Nancy, my wife」ぐらい。しかも、今回はそういうコメントにも字幕が出るので英語が全然わからなくても心配ない、という形になっていた。
とにもかくにもひたすら歌うだけのポール。
途中、「All My Loving」 や「And I Love Her」などビートルズ初期の歌を歌っている姿を見たとき、正直「生きてて良かった」と思った。この瞬間をいつか味わいたいと思って生きてきた甲斐があった、としみじみ思った。
「Let It Be」は東日本大震災の犠牲者に捧げる、とのコメントがあった後、歌われたが、そのコメントがあってからイントロが始まると観客はみんな手拍子をやめ、ずっと歌に聴きいっていた。
追悼や鎮魂のために曲を捧げる、という場合、拍手や手拍子をせずにただ聴きいる、というのが聴く側のマナーだ、というのが行きわたってきているのかな、と思った。

ちょっとびっくりだったのはライブの最中、会場内で写真を撮っている人がいたということだ。こそっとというよりは、わりと堂々と。
正確なところはわからないのだが、動画はダメだが写真を撮るのはOKだったという情報がある。日本人のアーチストの場合は厳しいけれど外国人の場合はわりとゆるい、ということもあるらしい。

2回目のアンコールの最後の曲は、ビートルズ時代のアルバ
ム「Abbey Road」のB面のメドレー。これも一度生で演奏を聴きたかったもの。ビートルズが最後にレコーディングしたこのアルバム(発売は「Let It Be」のほうが遅いけれど)のB面はもともと短い曲のメドレーになっていて、しかも1曲1曲が名曲。しかも。そのアルバムのいちばん最後に収められている曲の名前が「The End」なのだ。今回のライブでは、その「The End」をほんとに最後にやってくれたのだから、なんかこれは何かの暗示か、とつい思ってしまったりした。
今回のコラムのタイトル「夢の人」もビートルズナンバー。オリジナルのタイトルは「I've Just Seen A Face」という曲。まさに夢の人に会えた一夜だった。


ふるかわ 拝

平成25年11月12日(火)
第538号「スマイルアゲイン」

先週スタートした佐賀県の「障害者月間2013」。そのオープニングのイベントで挨拶するために資料を読み込んでいたら、ある作文に目がとまった。
障碍者に対する理解促進のための作文コンテストの小学生部門で佐賀県1位となったものだ。
その小学6年生の男子生徒の作文には、車椅子生活者だったおばさんの話が書いてあった。
以下はその作文に書いてある内容だ。本当なら伝聞として書くべきだが、そういう前提でお読みいただきたい。


おばさんはもともとは元気だったのが28歳のとき脳内出血で車椅子生活者になったという方だった。いつも笑顔でやさしい人だった。いままで自分はおばさんがおこったり泣いたりしているところを見たことがない。
おばさんと一緒に車椅子で外に出るのは大変だった。
行きたいところがあってもそこに障害者用のトイレがあるか、車椅子でそこにたどり着けるのか、出かける前に必ず調べていた。行けないとわかるとおばさんは「仕方ないですね」と笑顔で明るく言っていた。「あきらめも大事。したいことはいっぱいあるけど、まだまだ障害者にはやさしくない社会。だからできる事があったらラッキーと思って楽しむ。」
と言っていた。

街に出たら出たで、歩道を歩いていても「あー邪魔か」とか「他の所ば通ればよかとに」などと言われることもあり、そのたびにおばさんは「ごめんなさい」と言っていた。自分は「おばさんが謝ることじゃないのに」と思っていたが、おばさんは絶対におこらなかった。

そのおばさんが昨年、ガンで亡くなった。その遺品の中におばさんが誰にも言えない気持ちを詩にしていたノートが見つかった。
障害者として生きることが辛いこと、世の中の人の目が冷たすぎること、あきらめることがつらいこと、障害者であっても人の役に立ちたいこと、それでも生きて笑顔で暮らしていこうと思っていること、弱音を言いたくても家族のことを思って泣けなかったこと。いろいろな気持ちが書いてあった。

その詩のタイトルが「スマイルアゲイン」だった。
どんなに苦しくても辛くても泣きたくても、何度でも笑顔に戻れるようにがんばろう、という意味だ。
自分もおばさんのようにがんばって生きて行きたい。



こういう内容だった。
僕が知事に就任して11年目。自分なりに障碍者の理解促進に向けていろんな取り組みをしてきたつもりだったが、こういう気持ちで暮らしておられた方がいらっしゃったということは、まだまだそれが十分にできていないことを反省しなければならない。これまで以上にしっかりと進めていきたい。

この作文は、佐賀県で1位になった後、全国大会に出品されている。
全国の方々にも読んでほしいと思う。


ふるかわ 拝

平成25年11月5日(火)
第537号「フリーレンジって 最新EU食物事情」

食べ物に関する言葉で、フリーレンジという言葉をご存じだろうか。

「電子レンジ使用可能」という意味、ではない。

先日の欧州出張の際に、ロンドンで「鶏卵はフリーレンジのものが好まれている」という話を聞いた。

「フリーレンジ」
調べてみると、「平飼いされた鶏のこと」とある。

このことに代表されるように、ヨーロッパでは食物を摂る際に「正しい食べ物かどうか」を判断する傾向が高まって来ている、という。

ジェトロのレポートの中にも、英国人が食品を購入する際に重視する項目に関する調査結果が掲載されていたが、そこで一番高いプライオリティのあったのは「健康に良い食品」だった。「価格、価格に対する価値」が2番目で、「動物保護・フリーレンジ」は7番目だった。

アムステルダムのカフェレストランのメニューにも「free range」と表記されたものがあり、広がっているのを感じた。

いろいろ感じつつ帰国のKLM便に搭乗した。食事のメニューを見ていたら、ここにもこういう表記があった。
「焼き鳥 野菜のマリネ
注 オランダ動物保護協会によってTHE BETTER LIFE HALLMARKを授与された肉を使用しています。」
このほか、「牛肉の蒸し煮」 のところには
「注 持続可能な方法とアニマルウェルフェアに配慮した飼育方法によるDe Vrije Koeのオランダ産Blaarkop牛を使用しています。」
このDe Vrije Koe とは文字通りの意味はfree cow、すなわち自由に飼われた牛、という意味になるが、要するに、出来るだけサステイナブルな生産に心がけたということだ。Blaarkop牛は、オランダで昔から飼われている品種。
翌朝の朝食も、もう推して知るべし、だろう。
「温かい料理はどちらもEU規制に合った地鶏の卵を使って調理をされております。この地鶏は良質の飼料で育てられたものです。」


と、ふと今回の出張中、英国で聞いた話を思い出した。
「いよいよ、日本産の和牛の輸出が英国で解禁される。
しかしながら、EU基準に合った食肉処理場が日本にはほとんどなく、その点で輸出が難しい。」
ここに言うEU基準とは、独自の食肉保管温度の基準や大腸菌の検査方法の基準などのこと。つまり、主に衛生面での基準であって今回ここで述べたものは違うのだが、それにしても、農林水産物の輸出を目指すのなら、衛生面だけでなく、こうした「政治的に正しい」食物を生産していくべきではないだろうか。

佐賀県畜産公社が持つ食肉処理場も建て替えを検討すべき時期に来ている。
対米輸出基準はもちろん、ハラルやEU基準への対応などを考えたものにしていくことによって、他にはない強みになっていく可能性があると思う。
ソフト、ハードの両面から挑戦してみたい。


ふるかわ 拝