2013年4月

平成25年4月30日(火)
第510号「さが桜マラソン2013のふりかえり」

4月7日日曜日、さが桜マラソン2013が無事終わった。去年まではハーフだったものを今年からフルマラソンにしたのだ。
このマラソン大会、二つの意味で奇跡だった。

一つが、たった1年間で準備を終えたことだ。

もともと、僕としては、というか佐賀県としては今回の任期中に、つまり2015年3月までにフルマラソン大会を佐賀県内で行う、ということを決めていた。ところが、いつやるのか、どういう形にするのかということについては決めてなかった。
そんな中、去年の4月1日のさが桜マラソンの開会式で、招待選手の間寛平さんが挨拶の中でこう振ってこられた。「知事さん、さっきエラッそうに『いちばんいいフルマラソンにしましょう』や言うてたけど、ほんまにすんの?」
僕は答えた。「やりますよ。」
やろうと思って密かに下準備は始めていた。すでに担当者がほかの地域のフルマラソン大会の視察に行ったりしていた。だからそう答えたのだが、間寛平さんはさらにたたみかけてきた。
「それならいつやんの?」
う~ん、いつと来たか。いろんな検討を重ねてきていた中で、ネックはコースだった。僕がイメージしたコースと、担当者がほかの地域を参考にしながら検討をしていたコースとが、まったく違っていたのだ。逆にいえば、その部分を僕が譲歩し、担当者が「これならやれると思います」と言っていたコースを軸にしてもらえば、来年ならできるのではないか。
しかも、フルマラソン大会に参加してもらう可能性がもっとも高い人たち、すなわち、今年のハーフマラソン大会の参加者の前で「来年やります」と宣言することは、もっとも大きな広報にもなるのではないか。
7000人を超える参加者を前に、僕はこう答えた。「来年やりますよ。」「来年のいまごろ。」

このやりとりを聞いていた関係者は本当にびっくりしていた。
唯一、県庁のある文化・スポーツ部関係者は平然としていた。「大丈夫です。今日は4月1日。エイプリルフールですから。」
その淡い期待は翌日見事に裏切られた。

翌日から「来年の春、フルマラソン大会を佐賀県内で実施する」というミッションの下、動き始めたのだった。
普通はフルマラソン大会をやると決めてから実際にできるまでの期間は、約2年あるいは2年半だと言われている。
道路をかなり長い時間にわたって封鎖しなければならない。ランナー達の安全性をどうやって確保するのかという問題もある。また、実際にやっていくための事務局の確保をどうするのか、スポンサーがつくのか、予算はどうするのか、など課題が山ほどあるのだ。フルマラソンなら今までやっていたハーフマラソンの2倍だろうと思われるかもしれないが、それはとんでもない。ざっと見てみても 8倍位の負荷があったような気がする。

調整を始めて、うれしい計算違いがこれも二つあった。一つが警察の協力、そしてもう一つが地元の皆さんの理解。これらも素晴らしかった。
この二つがなければ、絶対1年間で準備を終えることができなかったと思う。心から感謝したい。


もう一つの奇跡は、天気だ。

多くの人たちの協力を得てある程度の準備が整い、いよいよ本番を迎えるばかりとなった大会の2日前、とんでもないことが起きた。爆弾低気圧が発生したのだ。とんでもない強い風を伴うこの低気圧は春先特有のもので、これまでにも日本近海で発生して大きな被害を与えている。「日曜日は全国各地で強い風が吹くため、外出を控えてほしい。」気象台が信じがたい予報を流し始めていた。

佐賀では、平均風速15m/秒で、瞬間風速25~30m/秒という予報が出ていた。
気象台からこう言われたという。
「雨量がどれだけになるかの予報は、変わることがあります。でも、風がどれくらいになるかということについては、あまり変わることはありません。」
このままでは大会を開催することができないのではないか。関係者はそういう不安に襲われていた。

「テントではダメです。コンテナにしてください。」
この爆弾低気圧によってものすごい風が起きるとしたら、例えば救護テントは「テント」では役に立たない。「テントではなくコンテナを!」。担当者の悲痛な叫びだった。実際に救護所はコンテナになった。
また、ある者は、昨年風雨にさらされた徳島マラソン大会の事務局から、悪天候のなかでいかに大会を運営したのかアドバイスを受けていた。
一方で、冷静に情報収集をしていた者もいた。予報は気象台だけではない!
気象台の予報だけで満足せず、自衛隊や民間の気象予報会社に情報を求めるなど、あらゆる努力をして、本当はどうなるのか、をはっきりさせようとしていた。

大会前日は雨。雨がすこしづつ弱くなると同時に風が吹き始めた。僕はその日の午後、自転車に乗って42.195キロのマラソンコースをまわってみた。雨と風の中だったが、明日に向けて沿道の各所で準備が進められていた。時間が経つごとに強くなる風の中を走りながら、「なんとか明日できますように」と願っていた。

その願いが通じたか、翌朝は思ったほどの風にはなってなかった。むしろ、ちらりと青空が見えたり、ぱらぱらと雨も降ったりもするが、できない天気ではない。ゼッタイない。
そして、それはそのとおりとなった。日本各地で強風が吹き、ところによって被害が出ていたにもかかわらず、佐賀県ではマラソン大会が開催できた。
これも奇跡としか言いようがない。
さすがに風景のアクセントにと考えていたバルーン係留だけはできなかったが、予定通り、ほぼ予定通り大会を開催することができた。


そして今、ランナーたちが集うサイト「 ランネット」 によれば、2013年に行われた日本国内のフルマラソンの中でこのさが桜マラソンは参加者たちの評価で4位にランキングされている。評価点91.9点(4月25日現在)。
東京マラソンが5位、僕らが一つの目標としていた長野マラソンが6位。初のフルマラソンにしてそれらを超えた高い評価をいただいている。
わずか1年しか準備期間のなかったマラソン大会。それだけに本当にみんなが力を結集し一つの目標のもとに団結して進めてもらった結果だと思う。

ここまで良い結果が出るとは思わなかった。
先日の打ち上げのとき、僕は正直に申し上げた。
「これだけ素晴らしい結果になると思いませんでした。皆さんたちの働きに心から称賛を送ります。」

打ち上げに参加した面々はそれぞれに反省の言葉やこれからの決意を述べていた。
すでに来年に向けて動きはスタートしている。


ふるかわ 拝

平成25年4月23日(火)
第509号「新しい好生館の開院記念行事で日野原先生にお目にかかった」

伝統ある県立病院好生館の流れをくむ「佐賀県医療センター 好生館」が完成した。
5月1日に引っ越しして5月7日から新しい病院で一般診療を開始することになる。
引っ越しに先だって新病院の開院記念行事が先週19日(金曜日)に行われた。そこには日野原先生の姿もあった。
そう、101歳にして現役医師の日野原重明先生だ。
今回は好生館の顧問として来ていただいたのだが、佐賀医科大学開設時に同大学の顧問として当時の日本最先端の医療を佐賀県で実現していただいて以来のご縁、ということだ。
先生はいまでも時々佐賀に来られている。
以前いらっしゃたときに御覧になったナンキンハゼを気に入られ、佐賀からお送りした苗木を、聖路加病院とご自宅に植えられたという。
「いまでも秋になると赤くなりますよ」と先生はおっしゃっている。
秋になるごとに佐賀を思い出していただくなんて素敵ではないか。
 
日野原先生には何回もお目にかかっているけれど、いつもお元気で「これからのことをお話になる」姿に感銘を受ける。
今回お会したときも、たとえば、
「私は、8年制の医学教育をする大学を作ろうと思ってるんです。ただ、なかなか文部省のお役人のアタマがかたくてね。」とか、
「音楽療法が病気に効果がある、ということもわかってきました。だから今度音楽療法を専門に学んだ人たち、『音楽療法士』に身分を与える法律を作ってはどうかと思ってるんです。新しい身分法を作るのは一筋縄ではいきませんからね。それで超党派の議連を今回立ち上げることにしました。」
101歳の方から出てくる言葉とは信じられないが本当のことだ。
先生はいつも「いくつになってもやるべきことが残っている。夢はつきない。」と言われる。今回もあらためてその方向に変わりがないことを感じた。
しかも先生は実は2月末に圧迫骨折をされていた。ふつうなら治るのに2か月かかる。それをセメント療法という方法で1日で、というか35分の手術で治して、術後4日目には福岡市で講演をされた、という。
執刀したのは聖路加病院の医師なのだが、先生に「どうやって担当する医師を決定されたのですか?」と聞いてみた。先生はこう答えられた。
「若い医師にしました。彼らは数をたくさんやってますからね。慣れてます。それに私が患者で治すことができれば、自信になります。若い医師に自信を持たせることも必要な教育ですから。」
一つひとつの行動が日野原哲学そのものなのだ。

好生館の顧問就任に当たっては、こんなエピソードもあった。
「先生に好生館の顧問になっていただきたいので、お目にかかりたい」と事務局にお願いしたところ、「先生はお忙しいので、これ以上のお役回りをお引き受けいただくことは日程的にも困難。どうかご容赦願いたい」と断られた。
無理もない。もっともな話だ。しかし、僕はあきらめなかった。「佐賀医科大学の基礎を築かれたのは初代学長の古川哲二先生と並んで日野原重明先生です。好生館は、その佐賀医科大学の関連教育病院として、佐賀県の医学教育の一翼を担ってきたのです。先生にぜひお願いしたい、と思います。ダメでけっこうですから一度お願いだけさせていただけませんか?」
「そうですか。そこまでおっしゃるのであれば仕方ありませんね。でも無理だと思いますよ。」
くどいほど念を押されて、アポを取っていただいた。
面談当日、ずばり「ところで先生、お忙しいこととは思いますが、好生館の顧問になっていただけませんか?」とお願いしてみた。
先生の答えは明快だった。「ああ、いいですよ。佐賀にはご縁がありますからね。」 !!!

事務局にそのことをご報告したら「やはりそうですか。先生はきっとこの話をお聞きになれば『引き受ける』と言われるように思ったのですよ。だから会ってほしくなかったのですが。」と笑いながらおっしゃった。先生の殺人的なスケジュール管理をしておられる立場からは当然のことだと思う。それほど周りの人たちも先生のことを大切にしておられる、ということだ。

新しい好生館には日野原文庫ができる。先生が好生館のために著書をすべて寄贈してくださったのだ。同時にできる県立図書館の病院内サテライトとも合わせて、入院患者の方や地域の方々に広く使っていただけるとうれしい。


ふるかわ 拝

平成25年4月16日(火)
第508号「病気の家族の代わりに本を借りにきた人に本を貸し出せるか」

そもそも図書館について、言いたいことがある、とこの前書いた。

2001年(平成13年)頃だったと思う。
当時、僕は長崎県で暮らしていた。

僕の一家は図書館のヘビーユーザーで、週末によく大量に本を借りていた。借りようとしたものがないときは予約して借りていた。

あるとき、図書館から電話がきて、僕の連れ合いが予約していた本が入ったという連絡を受けた。ところがその日、彼女は所用があって行くことができなかった。そこで僕が代わりに取りに行くことにした。本人ではないので、念のため、貸出カードだけでなく委任状を作って図書館に行った。

もう、おわかりだろう。 僕は本の貸出を拒否された。
理由は「本人ではない」から。

「本の貸出は個人に関わる重要な情報ですから」というのが担当者の説明だった。貸出に関する規則も見せてくれた。そこには確かに代理が来た場合の規定はなかった。この担当者とその上司の人たちは説明責任を果たそうとしていた。そこは評価したい。

「本の貸出は個人に関わる重要な情報」
もちろんそれはその通り。だからこそ僕は委任状を持ってきたのだが。

不思議なことには、本を返すときには誰が返してもいいらしい。
これがまたわからない。
「返却のときには確認をしませんから」と担当者は言ったが、本の「貸出」は個人に関わる重要な情報だが、「返却」は違う、というのが理解できない。

こうも尋ねてみた。
「本人が病気で入院しているときに本を借りたいという場合はどうなるのでしょうか?」
「今回は病気ですか?」
「いいえ。用事です。」
「ではちょっとねえ。」

病気ならいいのだろうか。用事ではダメで。でも病気ならいい、とは規則には書いてない。
結局、僕はもやもやした気持ちのまま帰らざるを得なかった。

来月、佐賀市嘉瀬町に新しく佐賀県医療センター好生館がオープンする。そこには県立図書館の分室があり、入院患者の方に手軽に本を読んでいただくことができるようになる。
都道府県立図書館の分室が病院内に設けられるのは、全国でも初めてだ。入院している患者さんが少しでも明るい気持ちになれるように、という思い、また、地域の方の使えるスペースに、という思いでこのサテライトを設置することにした。

ところでこのサテライト(もちろん、本館も)、貸出も返却も、代理OKです。委任状なしで。


ふるかわ 拝

平成25年4月9日(火)
第507号「佐賀県首都圏営業本部に来てみてください」

東京・平河町の都道府県会館という建物に多くの都道府県の東京事務所が入っている。
江戸家老屋敷みたいなものだ。
佐賀県のオフィスはその11階にある。

でも、ほかの県とはちょっと違う点が二つある。
一つが名前。佐賀県は東京事務所と言わない。「佐賀県首都圏営業本部」だ。
首都圏で何をしなければならないのか、その方向性を明確にした名前に替えて今年度で8年目になる。

もう一つがディスプレイだ。
佐賀県に限らず、どの県の東京事務所の入り口にもディスプレイがあって、その県の特産品や観光地などをアピールしている。たいていの場合、何年も続けて同じものが飾ってあったりする。動きはないし、おもしろくもない。というか、ひたむきさが感じられない。

と僕は思っていて、いまから9年前、ディスプレイをできれば毎月、とはいわないまでも少なくとも季節に応じて変えるように指示した。それ以来、首都圏営業本部に行くのが楽しみになった。良いのを職員が作っているのだ。

(写真はクリックで大きくなります)
平成24年度のディスプレイのテーマは以下のとおりだった。
(1)サガン鳥栖
(2)春秋航空
(3)佐賀の地酒
(4)SAGA COLE
(5)佐賀の秋祭り(バルーン、唐津くんち)
(6)有田サンタ×プロジェクト
(7)佐賀の初夢(正月飾り)
(8)佐賀のひな祭り
(9)サガン鳥栖(2013シーズン突入)

先日、平成24年度のディスプレイについての総括が送られてきた。
このディスプレイの写真は首都圏営業本部のfacebookに毎月アップされているが、それに対して寄せられた「いいね!」の数やそのほかの反応などが記されていた。

それによれば、昨年度もっとも反応の良かったものは(4)のSAGA COLE。

(写真はクリックで大きくなります)
「いいね!」の数だけでいえば、今年3月の(9)サガン鳥栖

(写真はクリックで大きくなります)
(4)のSAGA COLEはもともと佐賀新聞が手がけた佐賀名物の広告特集なのだが、エッジが利いていて、僕も好きだった。
http://www.saga-s.co.jp/sagacore.html
こういうのに反応があるのはうれしい。

このほか、僕としては(7)の「佐賀の初夢」もよかった。僕が年明けに首都圏営業本部を訪れたとき、熱心にディスプレイをのぞきこんでいる人がいた。そのフロアにある他の県の東京事務所の人だったが、僕の姿を見て「いやあ、この初夢シリーズ、いいですね、有田焼できちんと富士山と鷹と茄子とが表現されていて。いいなあ。」としみじみと言われた。

(写真はクリックで大きくなります)
僕が飾ったわけではないけれど、まことに誇らしかった。

4月現在のディスプレイはどうなっているでしょうか。
それはぜひ見に来ていただくか首都圏営業本部のfacebookに「いいね!」を!
https://www.facebook.com/sagasyutoken

ふるかわ 拝

平成25年4月2日(火)
第506号「武雄市図書館オープン!」

先週の土曜日、鹿島の酒蔵ツーリズムと合わせて武雄市図書館の内覧会に出かけてきた。
この図書館、全国で初めてのチャレンジがいろいろなされている。
市立図書館をカルチュア・コンビニエンス・クラブ(要するにTSUTAYA)に委託している。そして貸出用の本があるだけではなく有料でDVDが貸し出されたり、本が販売されている。つまり、市立図書館とTSUTAYAが合体している、ということだ。これだけでもなんか楽しくなるではないか。

こういう従来の図書館のジャンルには収まらない新しい図書館に対しては当初さまざまな議論があったのは事実だが、実際に足を運んでみて、まったく新しい空間ができているな、と思った。
本を読むためだけでなくPCを使う人への配慮や静かに勉強したい人たちのためのスペースなど、あったらいいな、がカタチになっている。
本の並べ方も標準的なものとはかなり違う。日本十進分類法ではなく、お客様が探しやすい分類になっているということだ。だから、「001 総記」みたいな分類がない。すべて本屋さんで本を探すような感覚になっているのだ。
図書館って英語ではlibraryというけど、武雄市図書館はむしろフランス語のbibliothèque(ビブリオテーク)という言葉が似合うように思った。

そうそう、それともう一つ。
この武雄市図書館の中にスターバックスコーヒーができた。
県内にスタバがいくつあるのか、という問題は、その地域の都会度を図る重要な(笑)指標になっている(関ジャニ∞村上信五とマツコ・デラックスの番組『月曜から夜ふかし』の中だけかもしれないが。)。
その意味で2013年3月というのは島根県に初めてスタバができ、その結果、国内のスタバ空白地帯は鳥取県だけになったという画期的な月であったが、武雄市図書館に一つできたことで佐賀県はスタバ順位を33位から31位へと二つ上げ、同じく33位だった鹿児島県などの上を行くことができたことも喜ばしい。

とにかくぜひ一度足を運んで見ていただきたい。わざわざ行く価値あり。
そして、本屋のコーナーに置いてある約600種類の雑誌の中からあまり売れそうにないものを買っていただくと、売り上げ貢献になっていいのではないか。
僕は、『i bought』という、200人のクリエーターたちが最近買ったものを紹介している雑誌を買った。この手のスタイリッシュな雑誌が並んでいるのだ。
近くにプールとかフィットネスのジムとかできると、もっと面白いけどな。

そもそも図書館がどうあるべきか、については僕自身の経験も含めて言いたいことがほかにもある。
また、書きたい。


ふるかわ 拝