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平成20年12月23日(火)

第287号「師走の銀座を歩いてみれば」

 

先日東京に行ったとき、時間があったので銀座を歩いてみた。銀座4丁目の交差点から銀座通りを新橋方向に少し歩くと松坂屋がある。以前は比較的地味な印象の百貨店だったが、いまや松坂屋には行列ができている。松坂屋の中にある「ねんりん家」というバウムクーヘンの店に並んでいるのだった。通りからもこのバウムクーヘンを作っている様子は見ることができる。クリスピークリームドーナッツがやはりオープンキッチンというかオープンファクトリーというか外から見せることで待ち時間を飽きさせないようにしているが、それと通じるものがあった。

 

松坂屋を過ぎて、しばらく歩くと小さく「H&M」とかかれた看板を見つけた。

そう、スウェーデン発祥のアパレルブランド「H&M」の日本初出店がここなのだった。それほど大きくないビルの地下1階から地上3階までが店舗で9月のオープン当時は大混雑で入れなかったという話まで聞いていたのでどんな混み具合かというのも気になっていたが、12月の週末の午後8時時点では混んではいたけど入れないということはなかった。雰囲気は「ユニクロ」だった。ただ、白人系と思われる家族連れが多いのが印象的だった。彼らにとっては本国でおなじみの店が日本にもできた、ということなのだろう。「ユニクロ」や「無印良品」がロンドンにできた、ということで日本人が買い物に行っているというのと通じるものがあるのかもしれない。

 

その「H&M」の銀座店はメンズは地下1階だけで、地上1階から3階までがレディス。

「ユニクロ」と雰囲気が似ているけどちょっとおしゃれかなという感じ。とはいえベーシックなものが中心だからそんなにびっくりするようなものがあるわけでない。さらにいえば、サイズがインターナショナルなので探しにくい。僕は普通「L」とか「LL」のサイズのものを買うことが多いのだが、H&Mだと「M」がちょうどいいくらい。日本で売られているサイズと比べてワンサイズ表示が違うように思った。とはいえ、ジャケットにせよハーフコートにせよ、そこそこの値段にしてはなかなかのセンスのものだ。僕は薄手のピンクのセーターとちょっと変わったデザインのポケットチーフを買った。

 

その「H&M」とよく比べられるユニクロだが、僕自身は好きなブランドだ。

さすがにチェックのシャツやフリースは「ユニバレ」するので買わなかったが、コットンパンツや開襟シャツはユニクロ製を愛用している。

 

そういう僕にとってショッキングだったのは初デートのとき彼がユニクロの服を着てきたので別れたいというある女性からのyahoo!知恵袋への投稿だった。

 

初デートで彼がユニクロだったので別れたいです!!!

会社はスーツでビシッと決まっていたのに 私服がユニクロでダサすぎ!!!

ユニクロって服に興味無い人が行く場所だし・・・別れたほうがいいですよね?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1420103289

 

これに対して1000件を超える意見が寄せられている。多くは、「ユニクロの社長に謝れ」とか、「別れたほうがいいです。だって彼がかわいそうだから」とか投稿した女性に批判的な意見だったが、「なぜあなたは彼の着ている服がユニクロだとわかったのですか?」という質問がけっこう多くて面白かった。

 

あなたはどう思いますか?

 

 

ふるかわ 拝

 

 

 

平成20年12月16日(火)

第286号「クリスマスのころには」

 

街中にクリスマスムードがあふれるこの季節、僕はクリスマスソングをよく聴く。この原稿もマンハッタントランスファーのクリスマスアルバムを聴きながら書いている。

この時期になると心理学者であり文化庁長官も務められた河合隼雄さんから聞いたクリスマスの思い出の話がよみがえる。

僕がかつて「BREAK!」というラジオ番組のパーソナリティを務めていたときのことだ。その番組に当時文化庁長官だった河合隼雄さんに出演していただいていろいろ話していただいた中に河合さんが育った家のクリスマスのことがあった。※

以下は昭和初期の丹波篠山の歯医者の家に生まれた河合さんが語る、当時の河合家のクリスマスの様子だ。

 

「私の父は6人兄弟の次男でした。もともと河合家は農家だったのですが当時は長男しか白米が食べられない。次男だった父はそれに反発しまして、自力で白い飯を食べてやると言って、16歳のときに家出してしまってそれで歯医者になったという、ちょっと変わった人でした。母親は師範学校出で教員をしていました。家に足踏みオルガンがあって唱歌をみんなで歌ったりしましてね。都会と比べてはいけませんが、あのへんではちょっとハイカラでした。

クリスマスも当時からやってました。父が『クリスマスというのは別にキリスト教じゃなくてもいいんだ。いい子にしていればサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるんだ』と言って、確かに毎年プレゼントが来るんです。それがふつうの届き方じゃなくてプレゼントは家の中のどこかに隠れてるんです。サンタクロースがどこかに置いていったんだということでね。だから、25日の朝は、どこにあるのか兄弟6人みんなで探しました。これがほんとに楽しみでしたね。見つけるとうれしくてうれしくて。

 

それがある年、小学5年生だった兄がサンタクロースを捕まえようというと言い出したんです。サンタクロースはたくさんプレゼントを持ってるんだから、よそに行かせずにこの家にもう少し置いていってもらおうじゃないかってね。そしてそれを父に言ったんです。『サンタクロースを捕まえようと思ってる』ってね。そしたら父は立派でした。『なるほどそれはものすごくいい考えだ、でも子供だけじゃできない。オレも手伝う』と言ったんですよ。それで兄とふたりで座布団を敷いてサンタクロースを待ってるんです。僕らは心配で、サンタクロースが怒って来年から来てくれなくなるんじゃないかと思って脇から見てましたね。でもそこは小学5年生ですから、結局兄も寝てしまってふと気づくともう朝。父親もその横で寝ている。『しもたあ、どないなってんねん』と家の中を探すとプレゼントがしっかり来ている。そんなこともありましたよ。

 

そうは言っても何年か経つうちに『あやしい。サンタクロースっていうのは父じゃないか』とだんだん思いはじめました。というのも家中で母にもぼくら子供にもプレゼントが来るのに父だけには来ないんですから。あるとき、そのことを問いただしたら、『しもた、お前らのことばかり頼んで俺のことを言うのを忘れてた、今年は自分の分も頼む』と言い出したんです。『お父さん、どこに頼むの』って聞いたら『それは教会だ』ということで、教会に行くんです。

しかもクリスチャンじゃないから教会に行くっていっても教会の外から拝むだけ。『外から拝んでも大丈夫、通じんのや』と言って、『今年は自分にも来ますように』と言って拝むとこれが来るんですよ。プレゼントが。父に。感激したなあ。」

 

なんともすてきな話だと思いませんか?

 

 

ふるかわ 拝

 

 

 

平成20年12月9日(火)

第285号「暴力団追放大決起大会」

 

7日(日曜日)午前10時。佐賀県みやき町石貝の石貝団地集会所。

気温はわずか2度。天山・脊振はすでに先日来の雪で薄化粧。平年を7度下回る寒さだったが、ここに4,500人の人々が集まった。

「暴力団追放大決起大会」が開かれたのだった。

 

この町は、すぐ隣が福岡県久留米市。

ここに本拠を持つ九州最大の暴力団道仁会がみやき町にある元保養施設に本部事務所を移転してくる構えをみせたことが先月下旬明らかになり、地域住民をはじめ、町や近隣自治体、県警、佐賀県も一緒になって移転阻止に向けて動いている。

その暴力団関連施設の進出を絶対にくい止めようとこの大会が開かれたのだった。

 

みやき町長、鳥栖市長がそれぞれ決意を力強く述べられ、僕の番になった。

与えられた時間は5分だったが、こういう寒さの中、5分も話をするわけにはいかない。

僕はこういうことを言った。

◎佐賀県知事の古川康です。いろいろ言うことはありません。暴力団の進出を絶対に許さない、そしてあの少し前までの普通の日々を返してほしい、平穏な暮らしを取り戻したい。みなさんと気持ちは一緒です。

◎きょうこれだけのみなさんに集まっていただいたことはそのこと自体がとてもとても大きな力です。何にも代えがたいパワーです。

◎私たちはいつもみなさんたちとともにいます。一緒になって、必ず平穏なあの暮らしを、あの日々を取り戻しましょう。

 

大会に来てご挨拶された方はみやき町長以下全員、短く、しかも原稿を読まずに自分の思いを語っていただいた。こういうことひとつで盛り上がりはずいぶん違うと思う。

 

そしてデモ行進となった。大会参加者のほとんどが参加したと思われる数千人の規模となった。遠くから眺めていると三国志の時代の大規模な軍勢にも見える。目指す施設は山の上にある。まるで要塞だ。その要塞に向けての進軍となった。寒い中、これだけの人たちがデモ行進に参加しているという勢いと重みを施設関係者にはしっかり見て欲しかった。

 

もともとはこのデモ行進はただぞろぞろと歩いてその建物のところまで行って、そこでシュプレヒコールを上げるという予定だった。ただ、いざ歩き始めると何も言わずに歩いているだけというのはどうも気勢が上がらない。そこで「歩きながらでもシュプレヒコールを上げよう」ということになり、先導車に乗り込んでいた方にお願いしてシュプレヒコールの文章を読み上げてもらうことにした。ところがこれがなかなか難しい。

 

「暴力団の進出を絶対に許さないぞ」という言葉をただ普通に読んでも、ちり紙交換の声くらいの盛り上がりにしかならないのだ。これではいかんとみやきの町長さんがある職員を呼び、彼にその音頭を頼んだ。

 

彼は抜群だった。

「暴力団の進出をぜったいにー」のところまでは抑え気味に言っておいて、爆発するように「ユルサナイゾー」と叫ぶのだ。

そうするとみんなもそれに合わせて、というかつられるように「ユルサナイゾー」となる。

気合いのこもったいい盛り上がりとなった。

 

町長さんに「あの方すごい迫力ですね」と申し上げたら「組合の委員長をやってましたからね」という答え。なるほどなるほど。ありがとうございました。

 

その日の集会は政党や団体を超えて様々な地域のいろんな立場の方が来られていた。こういうことがまさに「地域を挙げて」ということなのだなと感じた。

 

その日の朝、佐賀県警は福岡県警と一緒にこの施設にいわゆるガサ入れを行った。

なんとしても進出をくい止めようという住民の思いとそれを受け止める関係者の努力で、少しはいい方向に進みつつあるようにも見える。いい結果を生みだせるように最後まで努力を重ねたい。

 

 

 

ふるかわ 拝

 

 

 

平成20年12月2日(火)

第284号「東京の真ん中で佐賀米をアピールする」

 

佐賀県は米どころだ。っていうかほとんどの道府県は米どころで米が取れる。だから、多くの地域では米はまず自分たちの地域で消費される。

 

佐賀県のお米も例外ではなく、主に県内とその周辺で消費されていて、遠くても関西市場まで、というのがほとんどだ。ところが首都圏にも佐賀のお米を気に入ってくださって、扱っていただいている店がいくつかある。

 

いまは新米の季節。そして来年いよいよ本格販売する「佐賀37号」の試食も兼ねて佐賀米販売店のひとつ、東京・墨田区にある亀太商店に先日出かけて佐賀米のセールスプロモーションをやってみた。お客様へのアピールもしたかったし、佐賀のお米は首都圏で勝負になるのか、最近の消費動向はどうか、いろいろ勉強もしたかった。

 

天明年間に創業したというこの商店。もともとは薪炭と米を商っていたという。いまでもかすかに「木炭売ります」の看板が残っている。昔は水戸藩御用達だったらしい。

 

お店に立ち寄ってみておどろいた。その日は平日の午後で曇りがちだったが僕が入った直後からひっきりなしにお客が来られるのだ。僕が来たからではもちろんなく、ごくごくふつうなのだという。

 

そして来店されたお客様の全員がこの店の米袋を持って来られている。その袋にはこれまでにそのお客様が買われたお米の名前が記録されている。そして5回お米を買っていただくごと、1カップ分サービスしてもらえるというしかけになっている。

 

しかもお客様方はあることはおっしゃらず、その代わりにあることをおっしゃる。

 

なんともヘンなものの言いようだが、要するに「魚沼のコシヒカリ5キロ」などと銘柄指定で買う方はおられず、その代わり「七分づきで」とか「白米で」などと精米歩合を指定される方が多いのだ。

 

この店の代表の市野澤荘介さんが七代目。そして副代表の利明さんが八代目。この八代目はなんと僕と同い年。彼は日本で261人しかいない5つ星のお米マイスターだということもあって話がはずんだ。

 

彼は佐賀のお米は間違いなくいけるという。

 

その理由をていねいに話してくれた。

 

八代目いわく「最近は炊き上がったご飯が口に入るまでの時間が長くなっています」

 

「はあ?」

 

「夕方に家族そろって炊きたてのご飯を食べるって感じじゃなくなってんでしょ。みんな時間がばらばらだし」

 

「なるほど」

 

「それにその都度炊かずに一回炊いてそれを次の食事のときにも使うというのも増えてきています」

 

みたきたようなことを・・・でもそうだよなあ。

 

「つまり、お米が炊き上がった後も長い時間炊飯器の中に残されている状態が出てきているってことです」

 

たしかに。うちの炊飯器は炊き上がってからの時間が表示されるが、‘10H’とかつまり炊き上がってから10時間経過しても残りを食べることなどもある。

 

「それと最近の傾向として弁当が増えてきている、というのもあります。食材価格の高騰でお米が売れるようになり、お昼も弁当を持っていく人が増えました。弁当を持っていく人は冷たいご飯を食べることになります」

 

そりゃそうだ。昔の幼稚園みたいな弁当を温める装置なんて最近見ないし。

 

「つまり、炊きたての状態だけでそのお米がおいしいかどうかを判断したのではいけないんです」

 

「それがいまのお米に求められるものです。炊き上がってから時間が経てば当然劣化はしていきますが、それでもそこそこに美味しい。ここがいま求められてるんですよ」

 

「佐賀のお米はそこができているんです。冷めてもおいしいんです」

 

うれしいじゃない。

 

試食用に「佐賀37号」と「天使の詩」をおにぎりにして並べてもらっている。

 

もちろん冷めているがおいしい。炊き方がいいというのもあるからだろう。

 

「佐賀37号」を試食されたあるお客様がこうコメントされた。

 

「このお米、甘いですね。そして粒が大きいような気がします。おいしいです。」

 

うーん、それってプロの方たちがコメントされる言葉と同じです。

 

思わず、八代目と顔を見合わせてしまった。

 

プロのいるお店はお客もプロに近くなっている、と思った。

 

突然八代目がこう僕に話しかけられた。

 

「佐賀はいいポジションとってますよね」

 

全盛期のモーニング娘。の安倍なつみ みたいだ。

 

「どんなふうにですか」

 

「僕の誕生日が八月七日なんですよ。そのときに佐賀白石の「七夕こしひかり」が入荷してきます。毎年僕の誕生祝いをしてくれているみたいです。これでその年の新米のシーズンがスタートします。そして次に「夢しずく」が出てきて、「佐賀ひのひかり」や「たんぼの夢」が出てきて、最後に「天使の詩」がシーズン最後を飾る、つまり1年の最初と最後を佐賀が取ってるんですよ」

 

あまり広いとはいえない売り場だが、およそ30種類近く並べられた店頭の中で佐賀のお米が真ん中にある。季節だけでなく売り場的にもいいポジションをいただいているようだ。

 

「今日だけ特別にこうしたというわけじゃないんですよ」

 

僕の視線を感じた八代目が笑った。

 

お客様もひっきりなしだし店の周りには近所の人たちまで集まってきて、なんだかにぎやかだ。

 

この店の親戚の人たちも来てて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっている。

 

産地から遠く1千キロはなれたところでもこうした情熱を持って佐賀米のよさをアピールして1キロ、2キロをお客様に売っていただいている方がいらっしゃる。

 

とてもありがたい気持ちでお店を後にした。

 

店を出ようとしたら小学生の坊ちゃんが学校帰りで店の前を通りすぎた。八代目がその子に声をかけた。

 

「うちの九代目ですよ。」

 

そのときばかりは八代目が父親の表情になった。

 

 

ふるかわ 拝

 

 

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