週 刊 y a s u s h i

2 0 1 5 年 7  月

 

衆議院議員

Official Website

power-full.com

Home  Profile  Concept  My Opinion  Contact

2015年7月28日(火)

週刊yasushi 第625号「毎週末の悩み」

 

 

国会が延びたと言うこともあって、最近も平日は東京、週末は地元という生活が続いている。

そんな中、毎週末の悩みというものがある。日程調整だ。

 

先週末もたくさんの地域行事に顔を出させていただいた。夏祭りをやっているところも多く、またイベントもいろいろあるなど行事も重なりいつもにまして調整が大変だったが、こうした行事の調整をするに際して国会議員の事務所として悩ましいことがある。

 

それは出る行事の数を減らしてでも出席する行事については滞在時間を長くするという方がいいのか、それとも短い時間でも数多くの行事に参加したほうがいいのかということだ。

 

イベントに来賓として国会議員が呼ばれていて、会の途中で登場し、あいさつをしたと思ったらそのまま引き上げる、という光景、皆様もよくご覧になっておられることと思う。

ちょっとしかいられないのであればわざわざ来る必要は無いのではないか、と思う人も多いのではないかと思う。わかる。僕も自分がこの仕事につくまではそのように思ったこともある。

 

一方で、主催者側から「少しの時間でもいいから顔出していただけないだろうか」とお願いされることもままある。確かに行事の内容によっては来賓がどれぐらい来ていただけたのかということが重要な場合もあるだろうし、それもわかるところだ。

 

ただ、そうなるとその「少しでもいいから出てほしい」という行事に出席するために、他の場所にしばらくいるはずだった時間を削って捻出しなければならないということになる。

もともとこちらもあちこちに顔を出したいと言う気持ちがあるのは事実なので結果的に見ると短い時間でたくさんの場所に顔を出す、と言うことになってしまっている週末が多い。ただこれでいいと思っているわけでもない。

もちろんイベントや会合の中身にもよるだろうが、参加されている皆様方からご覧になると「わずかな時間でも来た」と思っていただけるのか「短い時間しかいられないのなら来ない方がいい」と思われるのか、どっちなのだろうか、と毎週頭を悩ませているところだ。

 

知事をしているときには僕の出席がだめな場合でも副知事が2人おられ、手分けして大事な役をこなしていただいていた。ところがいまは、副代議士、という役は存在しない。どうしても自分が顔を出さなければいけない場面が知事の時よりは圧倒的に多いのは事実だ。

 

 

「あまり来てくれないけれど来てくれた時は長くいてくれる人」、と「よく顔は出してくれるけれどいつもちょっとだけの人」、どっちがいいですか?

 

 

ふるかわ 拝

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

2015年7月22日(水)

週刊yasushi 第624号「小さな村の大きなチャレンジ」

 

 

先日、人口約1200人の宮崎県西米良村の黒木定藏村長さんが事務所を訪問していただいた。

小さな村だからできることをやっているというお話をされた。「人口が少ないから“できない”“しない”ではなくて、それだからできることがいろいろあるんですよ。」と、いくつもの取組をお話しいただいた。

これがいずれもふるっている。ぜひとも紹介させていただきたい。

 

1 東京に行ったことがない人を集めて

この村で、東京に行ったことのない高齢者の方が結構おられるというのがわかった。

いつもテレビで見るだけの街、子どもや孫や友達もいろいろいることはわかっていながらも行く機会となるとそうはない。であれば、是非ともこれまで東京に行ったことのない人に東京に行ってもらおう、そして、またそれを元気の糧にしてもらおうということになった。

旅行費用については、村がお手伝いをするということになったが、直接、税金でやるわけにはいかない。何か手はないかと考えた時に、村有林を切ろうという話が持ち上がった。

そもそも、今は高齢者になっておられるこの方たちが、その昔、苗を植え、手入れをして守ってくれたお蔭で、今の村有林がある。この方たちのために一部切り出しをするのはだめだろうかと相談したらみんな賛成してくれた。それで3年前から事業がスタートしている。

題して「平成の江戸見物」。

箱根に泊まり、日本一の富士山が山中湖面に映る“逆さ富士”を見て、スカイツリーや皇居にも行く。また、靖国神社をお参りし、戦友や親類、親に挨拶される方もたくさんおられた。

また、こんなこともあった。

まだ、一度も東京に行ったことのない88歳の男性が一念発起して東京見物に参加しようと決断された。このおじいさんは、家族に迷惑をかけられないと8年に渡って妻の介護を一生懸命に続けられていた。ところが、出発の約2週間前におばあさんは突然の他界。おじいさんは「江戸見物」をあきらめようと思っていた。

ところが通夜の夜、そんなおじいさんに長男の嫁が、「おじいちゃん、是非、東京に行ってください。私たちは、おじいさんがおばあちゃんの介護を頑張ってくれたお蔭で、子育ても仕事も順調にできて、今があります。きっと、おばあちゃんも東京に行ってほしいと願っていると思う。おばあちゃんも一緒に連れて言ってあげてください。」と、涙ながらに頼んだという。親子の絆がまた一つ深まったエピソードであった。

 

一人ひとりのそれぞれの人生の中にこの「平成の江戸見物」がある、と思う。

 

2 温泉場の掃除

村で温泉を掘ったところ掘削に成功した。しかし、施設の掃除に大変なお金がかかることがわかった。そこで村長は考えた。

昔、江戸の町では、一般庶民には長屋に風呂を作ることが許されなかったため、町の熊さんや八つぁんは銭湯に行かざるを得ないが、銭がない。そこで、朝、湯屋に来て掃除や薪割りをして、そのお礼がわりに一番風呂に入るという「朝風呂会」を立ち上げたのだという。

そこにヒントを得て、「村人に声をかけて、朝一番で温泉の掃除をしてもらう。お礼は一番風呂!」と役場で提案してみた。ところが、職員はみんな「そんなの誰も来ませんよ」と言った。「わかるもんか。もし、誰も来なければ俺が一人でもやる。お前らは加勢しなくていい。」と村長が気合を入れたため、総務課長さんは仕方なく、村人に声をかけた。ところが、「何かできることがあれば協力したいと思っていた」というお年寄りを中心に5、60人もの仲間が集まり、ローテーションで掃除ができるようになった。題して「朝風呂会」。

また、それを見ていた若いものたちが年寄りにばかりさせていてはいけないということで、今度は夜に風呂掃除をやるようになった。題して「夕風呂会」。

 

話を聞いているだけでも心が温かくなる。

 

3 「西米良川床」

京都の貴船に川床がある。あれをできないかと思い立ってやろうとしたら、川の管理は基本的に県庁。なかなかOKをもらうのが難しそうだった。

ところがその川の支川になると管理が市町村長になっていることがわかった。そうであれば、とその支川に床を作って、弁当や飲み物を楽しんでもらうような仕掛けを作った。「こんなところが観光資源になるのか?」と、みんな不思議に思っていたが、始めてみるとこれが大好評。初年度、1,000名を超す人気となった。思い切って始めてみることが大切であると改めて感じたという。

 

地方に任せるということでほかにもこういうことがありそうな気がする。

 

4 地方創生って

今回の地方創生。やはり人口だと思う。そのための取り組みの一つとして子どもの教育環境をよくしていかなければならないと考えた。

村の子どもの学力は県内でもいい方なのに、仕事の都合で村内に来られる人は、子どもを連れて来ず単身赴任。これはどうも塾がないなどの教育環境が整っていないから、ということがわかった。

ということで今年の夏から、村の子どもを対象に塾を開くことにした。これで学校外の教育についてもやれると思う。

医療のことについても、医師はお蔭さまで充足している。居ていただくだけでもありがたいことだが、今後これからは、病気を治すだけでなく、予防にも力を入れ、もし介護になっても元々この人はどういう病気だったのか等、トータルでわかるような予防・医療・介護の一環システムの村民一人ひとりのカルテを作りたい。そのためにもその中核になる医師が必要。1200人の村だからやれる。

こういう小さな村でも強みを持つようにできる。都市の近くの村だったらこんなふうにできなかったと思う。山あいの小さな村だからこそできることをやる。そのことに尽きると思う。

 

ちなみにこの村の合計特殊出生率は2.18(過去10年間の平均)。さもありなむ、だ。

 

 

ふるかわ 拝

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

2015年7月17日(金)

週刊yasushi 臨時増刊号「新国立競技場は民間施設にしたらどうだろうか」

 

 

総理が新国立競技場のゼロベースの見直しを決断された。僕の地元でも、平和安全法制のことよりもこのことの方が聞かれることが多かったほどの関心の高いトピックだったし、僕自身も内容について疑問を持っていたので今回の決定は良かったと思う。

 

先週の木曜日や金曜日には自民党の若手の勉強会、そして関係部会の開催と党内部での議論が行われ、多くの議員から、全面的な見直しを求める強い声が多く出された。

 

ただ、僕がその場に出ていて感じたのは、議論はどうしても、いかに建設費をカットするか、がメインだったということだ。

僕はむしろどうやって毎年収入を得てこの競技場経営をペイさせていくかが問題ではないのかと思う。

どれだけ建設にコストがかかるとしても例えば20年でそれを回収できるとしたら費用対効果としては悪いものでは無い。

 

しかしながら、今回の競技場が仮に当初の予定金額である1300億円で建設できたとしても、毎年の収入がほとんど見込めず税金でずっと穴埋めしなければならないようなものだとしたらそちらの方が罪が深いと言うべきだろう。

 

北京のメインスタジアムのように初めてオリンピックを開催するという国であれば国立の、国威発揚の舞台と言うものが必要だというのも理解できないわけではない。しかしながら2度目のオリンピックというのは、その国や都市の「発展ぶり」をアピールするのではなく、「成熟ぶり」を示す機会ではないだろうか。

だとすれば民間主体の施設のほうが良くないだろうか。

 

いまの案では、この競技場には常設のサブトラックが作られないことになっている。

世界陸上など国際大会を開催するためにはサブトラックが必須になっていて、それだけでもこの新国立競技場は陸上競技場としては十分な機能を持っていないことがわかる。

だとするならば、競技場として使うということを考えるよりも都心に位置する集客施設と位置づけた方がより収益が見込めるのではないか。

「体育」ではない、「スポーツビジネス」を、とある自民党議員が述べておられたが全くその通りだと思う。国立でなくても良いのではないか。民間資金で建設・運営する新しい施設を目指してはどうか。

 

さいたまや横浜には8万人を収容できるスタジアムがあり、ラグビーワールドカップやプレ五輪、そしてオリンピックパラリンピックの開会式や試合、競技などはそこでもできるのではないか。

どうしても東京にこだわりたいのならば、一昨年、東京国体の開会式を行った味の素スタジアムは東京都調布市だ。ここでも良いのではないか。

 

かつて出陣学徒壮行会がここで行われたことに見られるように、神宮外苑は国家のシンボルだった時代もあった。それを21世紀の今、現在の日本国民の叡智と努力で改めて整備していくようにしてはどうだろうか?国家主体ではなく、民間に任せたらとてつもなくアイディアが出てくるように思う。

 

ザハのプランは最初に見たときには美しくて衝撃だった。本当にこういうものができるのか、とワクワクした。

いまの見直し案はなんか僕が持っている自転車のヘルメットみたいだ。

 

もう一度オリンピックパラリンピックにワクワク感を取り戻させて欲しい。

 

 

ふるかわ 拝

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

2015年7月14日(火)

週刊yasushi 第623号「都道府県 ってどこに書いてあるの?」

 

 

先週から今週にかけて山場を迎えているのは平和安全法制だけではない。

参議院議員の選挙制度改革についてもそうだ。

平和安全法制にせよ参議院議員選挙制度にせよ、違憲かどうかを決めるのは最高裁。

前回の参議院議員選挙についてはいわゆる「一票の格差」が4.77倍で最高裁から違憲状態にある、ことを指摘されていることを考えると来年夏の参議院議員選挙までには違憲状態を解消しなければならない、ということになる。しかもそれをこの国会で決めていかなければ周知期間のこともあるから来夏の選挙から施行できないことになってしまう。

衆議院議員選挙とちがって参議院議員選挙では都道府県単位で最低でも1人は議員を出すとされている。だから、人口の少ない県からでも最低1人(ということは参議院議員選挙は半数づつの改選なので合計で1県から2人ということになる)選ぶということを守ろうとすると、議員定数の総枠のことを考えなければ人口の多い県からの議員の数を増やすしかない、ということになる。でも現実的ではない。

ということでいま人口の少ない県を合区しようという案が出てきている。

 

なんで都道府県単位で少なくとも1人代表を出す、というのが違憲になってしまうのか、という1つの理由が都道府県が憲法上の存在ではないから、だ。

都道府県は憲法に書いてない、というとけっこう多くの人から驚かれる。近代日本が作られて以来、都道府県と市町村は我が国の骨格であるというのは誰もが知るところ。それはそうなのだが、日本国憲法には「地方自治」という章まで作ってあるにも関わらず、そこには都道府県の規定はなく、憲法92条で「地方自治の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律でこれを定める。」とされているだけで都道府県という言葉はない。地方自治法第1条の3において「 地方公共団体は、普通地方公共団体及び特別地方公共団体とする。②  普通地方公共団体は、都道府県及び市町村とする。」とされていて、ここではじめて都道府県の存在が出てきているのだ。

 

なので、都道府県単位で最低でも1人は代表を出す、という制度が憲法違反かどうかを判断する際には、残念なことに憲法の下部法令である法律になんと書いてあるか、ということが判断の要素になっていないのだ。

自民党の改正日本国憲法草案では、47条(選挙に関する事項)を新しく起こしてあり、そこでは「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律で定める。この場合においては、各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定めなければならない。」とある。

これだと人口を基本としつつも、「行政区画、地勢等を総合的に勘案して定め」ることとされているから、今回のようなケースでも都道府県単位で選挙制度を議論することも認められる余地がかなりある、と考えられるが、あくまでもそれは自民党の改正憲法草案の話。最高裁は現行憲法で判断するほかなく、どうしても人口だけが判断要素になってしまう、というのは釈然とはしないがやむを得ないかとも思う。

甲子園も地方紙も銀行もいろんなものが都道府県単位で最低でも代表は一つはある、もちろん、法の下の平等の話と甲子園の話をいっしょにしてはいけないが、参議院議員(選挙区)には地域の代表の性格がある、というのは日本国憲法制定時においても内務大臣も認めていたことなのにな、と僕として感じるコモンセンスが通じないのがまことに残念に思う。

 

今回の選挙制度改革、新聞報道では鳥取県と島根県、それと徳島県と高知県 の合区が報道されているが、人口基準でいけばその先には佐賀県が見えてくることになってしまう。

参議院の中での真剣な議論から目が離せない。

 

 

ふるかわ  拝

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

2015年7月7日(火)

週刊yasushi 第622号「『道の駅』に思う」

 

 

先週末に唐津市で九州各地から各界の方が集まって九州の将来を議論する九州未来会議が行われた。その中で、まちづくり計画研究所の今泉重敏社長が道の駅についての発言をされ、それをききながらいろんなことを思った。

 

道の駅がスタートしたのは1993年。それから20年余りたって全国に1000カ所以上の道の駅ができている。人気のところも多く、地域振興のシンボルになっている部分もあり、この事業は国土交通省のヒット事業と言えると思う。

一方で、果たしてこの、道の駅事業の収支はどうなっているのか、というのも気になるところだ。

 

道の駅を作るときは、市町村が事業主体になることが多いが、駐車場とトイレくらいには国土交通省の補助金があり、あとの特産品販売施設などは他の事業の補助金や交付金が充てられていることが多い。

ということでハードには国費を含め、税が使われている。経営については第三セクターで公益性と収益性を追求するという仕掛けになっていることが多い。

そして、その第三セクターが管理委託を受け、一定の委託料を自治体からもらったり、指定管理制度と言って何年間かにわたり一定の管理料をもらって経営しているという場合もある。

つまり、多くの道の駅では、初期のハード施設は補助金や交付金、そしてその後の維持管理は、委託料や管理料といった名目で自治体からの支出がなされていて、要はゲタを履かせてもらっているということだ。

 

それで収支はどうなっているかというと、ざくっとイメージだけで言えば、ゲタを履かせてもらってやっと黒字、というところが平均的、ということのようだ。逆に言えば実力ベースではやや赤字ということになる。この構造はアンテナショップと似ている。

もちろん広告宣伝効果というものもあるのは確かだ。しかし、だからと言って、本来事業で赤字になっていいというものではないだろうとも思う。

 

地方創生と六次産業化でこれからも道の駅は増えていくだろう。

しかし、きちんと黒字が出ないというのでは継続的に地域が発展していくことにはならないのではないかと思う。

自治体のやっていることだから利益を出してはいけないという意見もあるようだが僕はそうは思わない。第3セクターなどにも経営のプロを入れていく等をしていかなくてはいけないのではないだろうか。

 

と書いてきてふと思った。これは今回の農協改革の目指すところとよく似ているのだ。今回の農協改革も農業者の利益を所得を増やしていくため生産物をより高く販売し、資材をより安く調達することを目指すこととされ、そのために販売のプロに役員に入ってもらうようになろうとしている。

こうした流れは農協だけに限ったことではなく、道の駅に代表されるような自治体が経営する施設においても同じではないかと思った。

 

地方創生にとって本当に必要なのものは補助金ではなく補助金をもらわないでもやっていけるような知恵なのだ。その実現が難しく人材が圧倒的に不足している事は否定しない。しかしながらそういう人材を育てていくことあるいは確保することこそが地方創生にとって1番の王道なのではないかと思う。

 

ところで、今泉社長の言によればいまや道の駅以外にも海の駅や空の駅などいろんな駅があるらしいがそのほか、最近ではまちの駅というのも増えてきているとのこと。その名の如く、商店街にある情報発信施設を指すこともあるが、それだけではなく、たとえば、トヨタ九州PR館ももまちの駅になっていて、愛称は「クルマの生まれる駅」、キリンビール甘木工場もまちの駅になっていて「 ビールの駅」という愛称を付けているという。そう、「まちの駅」は、愛称が付けられるのだ。

そのまちの駅、最近では葬儀屋さんもぜひ入りたいと言っているとのこと。

 

愛称どうしますか?って聞いたら、「『終着駅』でどうでしょうか?」という答えが返ってきたという。

 

こういう楽しい駅づくりは悪くない。

 

 

ふるかわ 拝

 

Copyright (C)  power-full.com All Rights Reserved.

<掲載画像の無断転載・複製を一切禁じます>