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2016年1月26日(火)

週刊yasushi 第650号「2045年、ロボットが人間を超える日」

 

 

先週、ロボット政策推進議員連盟の会議が開かれた。そこで来年度の各府省のロボット関連予算や事業の内容についての説明を受けた中、文部科学省から「ロボットが東大に入れるかプロジェクト」(通称東ロボくん)の説明があった。

これは2011年からスタートした10年間のプロジェクトで、人工知能にセンター試験の問題や東大の入試問題を解かせて2021年までに東大に合格するだけの力を身に付けさせるということなのだ。

バカバカしいと言えばその通りだが面白いと言えば面白い。このような、生活にすぐに役に立つわけではないが夢のあるプロジェクトのことを「グランドチャレンジ」と呼ぶ。

 例えば「1960年代のうちに人類を月に送り込む」と言うアポロ計画もグランドチャレンジの1つだった。

その東ロボくん、毎年試験を受けているが2015年はセンター試験模試を受けた結果、国立大学33大学39学部64学科、私立大学441大学1055学部2406学科で合格率80%以上のA判定を獲得した。11万6000人中2万5343位で、早稲田大学や慶応義塾大学クラスの難易度の大学でも合格率60%以上を獲得した。という事はかなり優秀な受験生になっているということだ。

 東京大学の入試模試においてもたとえば世界史では偏差値54.1と東大受験者の平均を越えた。

 

とはいえ文部科学省の説明によれば、その世界史においても、400字の論述問題が苦手で、知識はあるもののそれを出題の意図に沿った形でまとめる、ということがなかなかできないのだと言う。

物理も点数が取れていない。それは実体験が足りないからだという。たとえば、物理の問題で「金属を折り曲げて」という表現があったとき、金属について「硬くてなかなか加工しにくいものであるけれど力を加えれば、変形してしかも元に戻らなくなる」という知識、というか経験が人工知能には与えられていないため、そのことを前提にしたこの問題は理解不能のようなのだ。国語辞典で「金属」を引いてもこのことはわからないから、国語辞典を丸暗記させたからといって問題が解決するわけではない。人工知能に苦手がある、というのはちょっと小気味いいがそれでも賢くはなってきているとのこと。

 

いずれにしても東ロボくん、グランドチャレンジとしては実に面白い。

 

このようなグランドチャレンジは他にもある。例えばチェスの世界で、世界チャンピオンの人間に勝てるコンピュータを開発するというグランドチャレンジがあり、これは既に成功している。

将棋においてはコンピュータの強さはすでにプロ棋士並みになっていると言う一方、囲碁のほうは将棋より難しいらしく、まだまだ人間の方が強いようだ。

 

変わったところではサッカー。「2050年、人型ロボットで作るサッカーチームがワールドカップサッカーの優勝チームに勝つ」というプロジェクトも進められている。題して「ロボカップ」。

 

人工知能の学習速度がどんどん上がっていくといつか人工知能が人間より賢くなる時がやってくる。東大に入れるどころの話ではない。

2045年にはその瞬間がやってくると言う。これをシンギュラリティー(技術的特異点)といい、それを超えると人よりも人工知能の方が賢くなるということなのだ。

このコラムもスマホに音声入力で書いているが、日本語の理解能力が2、3年前に比べるとかなり上がっている。こいつ賢くなったなぁと思う。

このスマホが僕を超える日も近いのだろうか。

 

 

ふるかわ 拝

 

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2016年1月19日(火)

週刊yasushi 第649号「こどもの食の現場から」

 

 

先日、佐賀県内の学校で栄養職員としてお仕事をされておられる教職員の方々とお話しする機会があった。

いろんな声を聞かせてもらった。

 

Aさん:

学校に遅刻してくる子がいるが、親が連絡して来ないことが少なくない。

いったい遅刻なのか休みなのかわからず、学校が連絡を取らなければならない。連絡のつかない家庭もけっこうある。電話をすると、親が「まだ子供は寝てます」、とか「今日は休ませますから」と言うこともある。

親の生活が夜型になったせいか、朝起きることのできない子供が増えている。また、無理して学校にいかせなくても良いと言う親が出てきている。そういう家庭においては食事も問題があるケースが多い。

 

Bさん:

アレルギーが増えている。アレルギー対応の中には、卵がダメと言う子がいるが、卵がダメにも様々あってベーコンの中のつなぎとしてちょっと入っているだけでもダメ、という子もいるし、その程度ならば大丈夫という子もいる。学年の最初の時にアレルギーについてアンケートをして、その情報を元に毎食、献立がアレルギーで問題がないかどうかチェックすることにしている。ただこれはあくまでも自分でチェックをするほかなく、それを1人でやっているため、ある意味怖い。

 

Cさん:

ベーコンについては卵を使ったものもあれば使っていないものもあって、事業者からベーコンを調達するときに原材料名の中にきちんと書いてもらうことになるのだが、そこは相手方を信用するしかないという部分もある。

 

Dさん:

中学校が学校給食の場合はまだいいが、弁当にすると菓子パンをお昼ご飯にする子が結構多い。伸び盛りであるにもかかわらず必要な栄養素やカロリーが取れておらず、結果として体に負担のかかっているケースが増えている。また、食べ過ぎる子もいれば、食べない子もいる。食べない子の原因を探っていくと、親との関係性の問題だったりする。対話したり、観察することでわかってくる部分がある。だからやはり近くにいてやることが大事だと思う。

 

Eさん:

その意味でも学校栄養教諭が配置されているところのほうが間違いなく子どもの食や育ちに目が行きやすい。担任の先生からの情報もあるし生徒の顔も見えるため、その子に何が足りないのかということも見えてくる。

 

 

短い時間の中でたくさんのことを教えてもらった。

かつては家庭において行われてきたしつけや食育。それが十分に行われなくなってきている現実に直面せざるを得ない学校栄養職員の人たちの苦労がよくわかる。

 

「そんなもん、家庭でやれ、親がやれ、なんでも学校に持ち込むな」

そういう意見もあるかもしれない。でも、昔の当たり前がそうでなくなってきているという現実はしっかり見据えないといけないのではないか。

こどもは宝だ。であれば、きちんと育っていけるようにしていくこと、どんな家庭の子どもたちでもきちんと食べることができるようになるということは、社会にとって意味と価値は大きい、と僕は思う。

 

 

ふるかわ 拝

 

 

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2016年1月12日(火)

週刊yasushi 第648号「成人式に思う」

 

 

先週の週末、あちこちの成人式に出席した。

今年の成人式の中心となるのが平成7年(1995年)生まれの人たち。その当時携帯電話の普及率は約10%だった。しかとiモードもスタートしていない時代。携帯電話はインターネットにつながっておらず電話しかできなかった。そのことを今年成人式を迎えた若い人に言ったところ、「電話しかできなかったんですか!すごく不便だったんですね」と言われた。当時、不便というより便利になった、としか思わなかったが、なるほど、そういう感じ方もあるのか、と思った。

それがいまや携帯電話の人口に対する普及率は115%。この20年の間のデジタルの変化は大きい。

僕は昭和54年1月15日の自分自身の成人式のころ、埼玉県戸田市の東大ボート部の合宿所に住んでいた。だから、成人式も戸田市民会館だった。

どういう内容だったか全く覚えていないが、記念品が『新明解国語辞典』だったのを覚えている。

今では有名になった新明解国語辞典だが当時はそれほどでもなかった。ただ何気なく開いた「火炎瓶」という項目で、火炎瓶の作り方が書いてあったのを覚えている。当時まだ学生運動が完全に火が消えた状態ではなかっただけに驚いた。

 

成人式で気になっていることが一つある。

僕が出席した成人式はだいたい地域の学校に通ってた人たちの参加者が多く、校区別の座席になっていたり、学校別の思い出のスライドショーが上映されたりしていたが、会場に障碍のある子どもたちが通っていた特別支援学校の卒業生のスペースがなかった。手話通訳を入れているところはあったけれど。

県内のいくつかの自治体にたずねてみたがやはり準備していないとのこと。参加していただくのは自由、という。もちろん、それはそうだろうが。

 

ある人が教えてくれたが、自治体によっては校区別に成人式をやるところがあり、その場合は特別支援学校もその単位になっていることもあるとのこと。

また、合同でやる場合も特別支援学校を一つの学校として位置づけているケースや作業所単位で集まって、ということもあるという。ここまでなると出席しやすい。

特別支援教育を受けてこられた障碍のある子どもたち、そして保護者の方は人一倍成人式を迎えることが嬉しく思われるのではないかと思う。

 

いろいろ改善の余地がありそうだ。

 

 

ふるかわ 拝

 

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2016年1月5日(火)

週刊yasushi 第647号「新年祝賀の儀に参列して」

 

 

今年も元日は皇居での新年祝賀の儀への参列でスタートした。

 

国会議員は天皇誕生日宴会の儀に招かれることもある。

では天皇誕生日と新年祝賀の儀ではどちらのほうがより重きが置かれているのだろうか。

どうも新年祝賀の儀のようだ。

そもそも宮内庁からの案内に、新年祝賀の儀については、宮中における最も重要な行事の一つ、と書いてある。

天皇誕生日宴会の儀の案内にはそのような表現はないと思う。

 

ドレスコードも違う。

天皇誕生日宴会の儀は、男性のドレスコードはモーニング(和装は紋付袴)とされているのに対し、新年祝賀の儀は燕尾服又はモーニングとされ、より格式の高い燕尾服が求められているのだ。(和装は紋付袴)

新年というのは太古の昔から国を挙げてお祝いしてきたのに対し、今上陛下の誕生日というのは一世限りのものであるという考え方なのかもしれない。

 

実際には参列者が着ておられるのは9割以上がモーニング、そして残りが燕尾服と紋付袴が同じくらいだ。僕は燕尾服。もちろん借り物だが。

 

皇居に入るとまず正殿春秋の間で待つことになる。待つ時間は30分以上あるように思うが、知った人を見つけてはご挨拶し、また、用事がある場合はお話することもできるため、時間を持て余すことはない。

そしていよいよ正殿松の間に移り、ここでもしばらく待つ。ややあって、皇族の皆様が登場され、最後に天皇皇后両陛下がお出ましになり、そこで陛下に対し、内閣総理大臣と衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官が祝意を申し上げる。

その後、陛下からお言葉をいただく、という段取りになる。

それが終わると両陛下を先頭に皇族の方々がご退室になり、それで基本的には終わり。

皇族の登場から終了まで約10分あるかどうかというくらいの簡潔なものだ。

終了後、食事が準備されているのでその部屋に移るが、座って食べるわけではなく、持ち帰ることを前提にした一種のお弁当のようなもの。鯛の尾頭付きが主菜であとは紅白の蒲鉾などお節料理がいくつか入っている、という形だ。

 

言ってしまえばそれだけのことなのだが、この新年祝賀の儀に参加の栄に浴することで、改めていい一年にせねば、しっかり務めを果たさねば、という思いを強く持つ。

 

国会議員とはいえ、毎年行ける保証はないのだができる限り参加希望を出し続けたいと思う。

 

どうかどうか今年がいい一年でありますよう。

 

 

ふるかわ 拝

 

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