週 刊 y a s u s h i

2 0 1 8 年 9 月

 

2018年9月12日(水)

週刊yasushi 783号「児童虐待をなくすために」

 

 

 

先日、佐賀市内で、佐賀女子短大学主催の児童虐待防止に関するシンポジウムが行われた。

田口学長がコーディネーターを務められ、塩崎恭久前厚生労働大臣、藤林武史福岡市こども相談センター所長、そして私の3人がパネリストだった。

最近の東京・目黒における悲惨な事件など児童虐待は残念ながら止むことがない。むしろ、増えている。

こうした中で二度と悲惨な事件を繰り返すことがないようにするためには何が必要なのか。それぞれの思いを伝える有意義な場となった。この手のシンポジウムは大にして入場料無料であることが多いが、この日は500円と言う有料制になっていた。それにもかかわらず会場の美術館ホールには、多くの方々がお越しいただいた。

 

このシンポジウムの中でそれぞれのパネリストの発言のポイントと思われるところをピックアップしてみたい。

 

私からは目標を決めていくことの大切さを述べた。

ここ十数年の一つの流れとして、子どもにとっては家庭的な環境で養育されることを確保することが望ましく、そのためには家庭がベスト、そこが難しい場合には家庭養育優先の原則、すなわち家庭がベストだが、その次は里親による養育、または、ファミリーホーム、それが難しい場合に施設、しかもそれも小規模で高度・専門的な対応が必要なものという方向性が示されている。

佐賀県は平成14年の時点で里親等に子どもを預ける率、すなわち里親等委託率が0.4%。当時の全国平均7.4%に比べるとはるかに低かった。

私が知事になったのがその翌年の平成15年。そして本格的に里親等委託率の向上に取り組み始めた平成17年度には佐賀県の委託率は3.0%となったが、それでも当時の全国平均9.1%には達していなかった。その後、平成23年度に国の方から里親等委託率を30%程度に上げていくと言う目標が示され、それに向かって佐賀県としてもさらに力を入れて進めていくようにしたところ、平成28年度には佐賀県の委託率が19.7%と全国平均を初めて上回った(全国平均は18.3%)。佐賀県として30%を目指すという目標を作ったときには無理ではないかと言う声が関係者の中では強かった。しかしながら職員や里親の人たち等の懸命な努力によって、その目標に向かっていこうと言う動きのおかげで、ここまで達することができている。これは数値目標があったおかげだと私は思っている。

 

今回の新しい厚生労働省から示された通知においても、子どもの年齢に応じた数値目標が示されている。「地域の実情を踏まえた」数値目標と達成期限の策定を求められている、ということは機械的にただ数値目標を達成すればいいということではないわけで、あくまでも子どもの幸せという価値を忘れないようにしなければならないという事だ。

数値目標を設定すべきか設定すべきでないかという点については自民党の中でずいぶん議論が分かれたが、私は数値目標が必要という論陣を張った。

具体的な数値目標なしには、例えば県の財政当局に予算要求をするとしても、達成目標や期限が示されてなければ「それほど急がなくても良いのではないか」「そこまでしなくてよいのではないか」と言われたときに返す言葉がないのではないか。予算を確保し、人的な体制整備を整えた上でこの問題に対応していくためにも私は都道府県単位の数値目標があった方が良いと考えている。

 

また、塩崎前厚生労働大臣からは、これまでの児童虐待の対応について裏話を含め様々なお話があったが、特に印象的だったのはこれからの児童養護施設のあり方についてだった。「誠に残念なことに児童虐待の通報件数は毎年どんどん増えてきている。そしてこの通報の中身も複雑化、高度化したものも増えてきている。こうしたケースに対応していくためには、1つには子供にとって最良の環境と言える家庭的な環境での養育をできるだけ増やしていくことと合わせ、施設の専門性を高めていくことが必要、と力説された。

里親等委託率を上げる数値目標を期限をつけて決定することには児童養護施設関係者の中には慎重論もあったと聞く。

しかしながら、塩崎前大臣は、「施設の役割が「終わる」のではなく施設の役割が「変わる」と言うことなのです」と明確に述べられた。

 

そして藤林福岡市こども相談センター所長。私が知事になる直前まで佐賀県精神保健福祉センターの所長を務められ、佐賀県でも大きな足跡を残された方。

ご発言の1つ1つが心に沁みたが1つ選ぶとしたら、「児童相談所はゴールキーパー。」という言葉が印象的だった。

児童虐待をサッカーに例えるのは不謹慎かもしれないが、子供を守るという「たたかい」においては、児童相談所が最後の砦でありゴールキーパー。ここがしっかりしなければ子どもを守りぬくことはできない。だからと言って、ゴールキーパーだけに責任を押し付けるわけにもいかない、という意味だ。

 

家庭、地域、学校、職場などそれぞれがチームの一員としての役割を果たしてこそゴールを守ることができる、という先生のお話はきわめて説得的だった。

 

皆さまのお話をお伺いする中で感じたのは、児童虐待への対応策と高齢者福祉や障害福祉への対応策は大きく共通しているなということだった。家庭の力、地域の力、そして専門職の力。この3つを組み合わせていくしか答えは無い。その中で特に何が1番大事かと言えばコミュニティ力。これこそが、児童虐待への最も重要な処方箋だ、と感じた。

 

 

 

 

ふるかわ 拝

 

 

 

2018年9月3日(月)

週刊yasushi 782号「プノンペン再訪」

 

 

 

2004年以来のカンボジア訪問。

10数年の間に見違えるように発展を遂げていた。

私がカンボジアに出入りするようになったのは1992年。内戦が終結し、ようやく戦火が収まりつつあった時期だった。プノンペン市内とは言えポル・ポト政権下で破壊された建物があちこちに残り、道路を始めとするインフラはガタガタ。電気も電話も水道も満足に通っていなかった。

 

あまり道路がガタガタなもので普通の時計を身に付けて車に長い時間乗っているとあまりの振動に時計が壊れてしまう、だからG-SHOCKが必要と言われ、それを身につけての入国だった。

 

当時は国民生活も貧困の中にあり、日本の自衛隊がカンボジアの幹線国道を整備したのだが、その時に地元からの要望として「道いっぱいを舗装しないで欲しい、なぜなら舗装される道が熱くなってその道を裸足で歩けなくなるから」という要望が出てたりしたくらいだ。

ちなみにその頃、自衛隊の道路整備のお手伝いをしてもらうためカンボジアの人を雇うことにしたときのこと。

その手伝いの内容とは、自衛隊が道路整備で使う砂利の確保だった。大きな岩を砕き、小さな石にする。炎天下で一日中かかってもバケツ一杯になるかどうか。

その賃金が当時、現地の水準だと1日0.5ドルだった。約50円。

それでは国連のオペレーションとしてはあんまりだということでもう少し払おうということになったがそれでも1日1ドルだった。(本当はもうちょっと出しても良かったのだが、カンボジア人のコーディネータの方から、高く出すとそちらにばかり人が集まって他の仕事に人がいかなくなるから、ある程度でとめておいてくれ、と言われてこの金額になった。)

 

そういう時代を思えば、空港とホテルを結ぶ道路の快適さや建物の立派さは夢のようだ。

 

しかし、ハッとする現実もある。

カンボジアでの中国の存在感。とにかく漢字の表示が多い。あちこちの建物が中国系の資本で建設されていることがわかる。

また、通称日本橋と呼ばれていた日本がカンボジアの支援のためにかけた橋の隣に中国が全く同じような形の橋を1本かけ、しかもそこにカンボジアと中国の国旗をあしらった竣工記念碑まで設けられている。これだと両方とも中国が作ったように見えるだろう。おそらく日本の作った橋は無償協力。中国の作ったものは有償でカンボジア側は資金を返済する義務を負うことになることを思うと、日本の存在感のなさが極めて気になるところだ。中国の一帯一路構想。東南アジアの各国で凄まじい勢いで広がりつつある。

 

街なかは本当に新興国の首都という感じ。米ドルが圧倒的に使われていて、日常生活もドルばかりだという。ということはベトナムやタイが苦労したような急激な為替の変化による通貨危機はないということになり、その分経済の安定は図られているのかもしれない。

調べた資料によれば最近のカンボジアの最低賃金は月160ドル。1日平均に直すと8ドル。

かつて重労働が1日0.5ドルだったことを思えばその16倍の賃金に上ったとも言える。

 

様々なことを思ってるうちに会場のホテルに着いた。三日間にわたって行われる世界中で活躍している日本人実業家とそれを支援する投資家たちのミーティング。

一つ一つのセッションがリアリティーに富んでいて、誠に面白い。

一方でどのセッションでも中国を始めとする様々な国々が国家的な大競争状態で新しい技術や商品開発にしのぎを削っていることに気づく。

残念なことに日本はもう既にちょっと立ち遅れてると言わざるを得ない。何とか今なら巻き返しが効くだろう。そのためにも何よりも政治の安定と必要な政策の果断の実行が求められる、と改めて感じた。

 

様々な国の話が取り上げられた今回のフォーラムだが、やはり自分では、国づくりの第一歩から関わったカンボジアのことが気になってしょうがない。他の国と比べるとカンボジアのメリットと言うのは外資の参入の容易さにあるように感じた。他国では国内産業の保護や育成と言う観点から海外からの投資を歓迎する一方で、様々な制限が設けられていることが多いが、カンボジアにはそのような制限があまりなく、その意味では事業がやりやすい環境にあるとカンボジアで仕事をしている人は言う。なぜなのだろうかと考えてみてふと思い当たった。

長い内戦、そしてポル・ポト派の支配時代の知識層の虐殺などでかつて様々な形で存在したカンボジアの地場産業と言うべきものは1992年の時点では壊滅と言って良い状態だった。つまり保護すべき国内産業がなくなってしまい、それゆえに外国資本の導入によって国を作り上げていくしかなく、そのことが外資規制の緩さにつながっているのではないだろうか。

 

これからもこの国のために少しでもお役にたちたいと改めて思い、プノンペンを後にした。

1泊3日。ホテルと空港以外は全く立ち寄らなかった弾丸ツアーだった。

 

 

 

 

ふるかわ 拝

 

衆議院議員

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