週 刊 y a s u s h i

2 0 1 8 年 1 0 月

 

2018年10月15日(月)

週刊yasushi 788号「お茶席とたばこ」

 

 

 

先日、茶道裏千家佐賀支部創立75周年・青年部創立50周年大会開催された。

九州各地からもお祝いに駆けつけていただいていた。その方々とお話しをしていると、8年前に佐賀県で裏千家の九州大会が開かれた時のことがしばしば話題になった。

 

平成22年10月8日。当時私は佐賀県知事としてその茶道裏千家九州地区大会に来賓として出席し、そこで挨拶をした。その時の挨拶の内容を、その時出席しておられた方々が今日まで覚えておられたのだ。

私がその時にお話したのは公共施設における炭の使用についてのことだった。お茶には様々なお点前があるが、炭を使ってお湯を沸かすのが基本。ところが当時、県立や市町村立の文化施設では茶室のある所でも炭を使う事は禁止とされていて、炭が使えずに電気炉で対応せざるを得ないという状況だった。

茶室は作るが炭は使わせない、というのはお茶の稽古をしていた自分としては理解ができなかった。アバンセという県立生涯学習センターの茶室でまず使えるようにした。このほか、佐賀城本丸歴史館も消防当局と粘り強く交渉を重ね、炭が使えるようにした。

このような内容の話をしたのだった。

自分でもその話をした事は覚えていたが、それを聞いていた方たちが8年経った今もそのことをはっきり覚えておられることに驚いた。

加えて久留米支部の方からはこう言われた。「久留米にはプラザという施設があるのですが、かつてはそこにある茶室で炭を使うのは禁止でした。高いお金かけて茶室を作ったのに炭が使えなかったのです。その時、知事さんのお話を聞きました。『佐賀ではこうなっていますよ』と言う話を久留米市役所に持ち込み、それで茶室での炭の使用を認めてもらうことができるようになりました。あの時のあのお話のおかげです。」

 

大変嬉しいお話だった。自分の仕事が役に立っている。

 

ではいま何か茶道に関して問題に思っていることがないのかと言われればそれが一つあった。

お茶席でのたばこ盆のことだ。

お茶席にはたばこ盆が置いてある。実際にたばこを吸うわけでは無いのだがそのたばこ盆のある場所がその席で最も上席とされる場所、つまり正客の座る場所という席決めの機能を持っている。

今回の健康増進法の改正により、大人数の集まる場所における喫煙が厳しく制限されることになった。法律の字面だけ読んでいるとお茶席についても例外ではなくそこでたばこを吸ってはいけないということになっている。

繰り返しになるがお茶席にたばこ盆があり、煙管があり、たばこ入れの中にたばこが入っていても実際に吸う人はまずいないから禁止されてもさほど困ることはないと思う。

しかし、席のしつらえとして、たばこ盆とたばこと煙管が置かれているのに、法律上の規制でそこでたばこを吸うことはできない、というのはどうも納得できない。法の例外にしてもよいのではないか。

 

先日、裏千家の坐忘斎御家元が佐賀に来られた折、そのことについてお尋ねをしてみた。

御家元のお答えはきわめて明快だった。「そこはあまりお気になさる必要はないのではないかと思います。実際には困ることがないでしょうから。それよりも気になることがその他に2点あります。まず、待合のことです。お茶席と違って待合は外にありますからここでの喫煙は認められると思うのですが、そこがどうかという点がひとつ。それともう一つはこのようにたばこに関する規制が厳しくなることでたばこの周りの伝統工芸が廃れていくのではないかということです。煙管にしてもそうですし。」

柔らかい語り口ながら諭すように丁寧にお話をいただいた。

 

国会議員として、国の規制によりお茶席の作法に影響が出てくることを大変心配していたがどうもそれには及ばないようだ。

しかし、そのほかのところはどうだろうか。もう少し勉強してみたい。

 

 

ふるかわ 拝

 

 

2018年10月8日(月)

週刊yasushi 787号「築地市場閉場に思う」

 

 

 

東京の築地市場が閉鎖された。私が築地の市場に初めて足を踏み入れたのが昭和61年。「築地って面白いらしいよ」と当時築地にあった電通の友人から教えられ、職場の同僚たちと築地の市場の近くにあったビジネスホテル「ヴァン」に泊まって翌朝早くから見学したのが最初だった。

その後何度も築地市場を見学したが、あの頃のマグロのセリ場のマグロの本数の多さはその後行ったどんなときにも勝っていて、しかもその当時はいわゆる素人が築地市場の中を歩くと言うこともほとんどなかった。

市場場外には戦後のいわゆるマーケットのような雰囲気の店が軒を並べて、その中で印象的だったのが「代書」と大きく書かれた看板のお店だった。

昭和60年代当時にどのようなニーズがあったのかわからないがいずれにしてもそのような戦後の雰囲気を残した佇まいだった。

そして東京の下町育ちの親戚から教えてもらった卵焼き屋「丸武」。当時はその店がテリー伊藤の実家なんて知らないし、そもそもテリー伊藤がまだ芸能界デビューしてなかったのではないか。

 

場内の店舗で思い出すの喫茶「愛養」。カウンターがメインの喫茶店なのだが、コーヒーを頼むと何も言わなくても砂糖が入っていたように思う。新聞は報知新聞。(だいたい築地の店は報知新聞が多かった。)そしてその砂糖の入ったコーヒーを飲み干すと、これまた何も言わないのに、お茶が出てきていた。

寿司屋さんももちろん当時からあったが、今をときめく「寿司大」や「大和寿司」にも行列はなかった。およそ築地の場内の店に行列はなかったように思う。

 

私はその後、築地場内のお店を全店回った。

佐賀県知事の頃、朝6時台に佐賀空港を出発する便ができてからは、この便を利用して東京に行くことが多くなったが、その便だと午前8時15分ぐらいに羽田空港に着く。そうすると9時前には霞ヶ関や永田町に着くことになるが、アポをとる時間として9時ではやや早すぎる。と言うことで、その空いた時間を使って築地に行き、そこで朝食を食べるということをルーティーンとしていた。

好き嫌いにかかわらず全店回った。どこがおいしいとかそうでもないとか言う事はすっかり忘れたが、それぞれのお店に築地風なサムシングとでも言うべきものがあったことを覚えている。例えばいくつかの店ではメニューにないメニューがあった。何かと何かを半分ずつくれ、それに卵を乗せてくれ、そういったものだ。

吉野家一号店が築地場内にあったというのもいまは有名な話だが、当時は、へぇ!だった。そこに行ったとき「たまだく」という玉ねぎ多めのメニューがこの一号店だけの裏メニューであるよ、といわれていたのに、なんか妙に緊張して、普通のものにした、ということを覚えている。

こうしたもののほか、決まった人が決まったメニューを頼むからだろう、お店に入るなりお店の人と顔を合わせるだけで何も言わずに報知新聞を読んでいると料理が出てくると言う光景にも何度も出くわした。

働く人のための日常的な空間の中に自分たちのような外部のものがお邪魔してすみませんと言う雰囲気が当時の築地の空間に漂っていたように思う。

 

今の世に築地市場が外国人を含む観光客で賑わうようになったのかはっきり覚えていないが、その賑わいが突然なくなったのが東日本大震災の時だった。人気の寿司店もお客がパタリといなくなり、いつもは避けていたその寿司店に並ぶことなく入ることができたことを覚えている。

いつの間にか「愛養」は「お砂糖はお好みで」になり、お茶も出なくなったように思う。

場外の代書屋さんもなくなった。

 

数ヶ月前、なくなる前にもう一度言っておこうと思って築地市場のマグロのセリを見たが、本数がかなり減っていることが気にかかった。その中でギリシャやメキシコといった遠い海のものが増えていた。

そんな中、20年ぶりくらいに築地の仲卸大野水産の大野社長にセリ場であった。

「いろんなことがありましたがね、がんばってますよ」。笑った顔は当時おそらく30代くらいだったのだろうが、その頃と変わらなかった。

 

築地市場は閉鎖され、豊洲に移る。もう築地市場は思い出の中でしかないが、1つだけ残っているものがあった。

 

長靴だ。

知事をしている頃、年2回近所のクリーク清掃があり、住民の義務だった。どんな仕事をしていようと免れられると言うものではなかったから私もできるだけ参加をしていた。長靴は希望者に市が貸してくれていたが、いつまでも借り続けていては肚が座っていないように思われてしまう、と築地場内の伊藤ウロコ店という店で長靴を買った。築地で売られている長靴だからきっと使い勝手が良いに違いないと思ったのだ。

正解だった。足に馴染むし、履き心地が良い。それ以来愛用し続けている。

 

築地で食べたものはおそらく残っていないが、この長靴だけが築地の思い出として私の家の玄関に鎮座ましましている。

 

 

 

 

ふるかわ  拝

 

 

2018年10月2日(火)

週刊yasushi 786号「ふるさと納税をめぐって」

 

 

 

ふるさと納税が揺れている。

ここ数ヶ月にわたって、かなり強く総務省が是正について指導してきたが、「一部の自治体がその指導に従おうとしておらず、指導に従って適正化してきている多くの自治体との不公平が看過できない」として、総務省の定める基準に従っていない自治体への寄付について、ふるさと納税の対象から外すという方針が示されたためだ。

その要件は2つ。まだ明確に示されているわけではないが要はこの2つだろうと考える。

1 納税額に対する返礼品の価格を納税額の3割以下とすること。

2 返礼品は高額の商品は避け、かつ、地域の特産物など地場産品とすること。

ということになる。

 

ここでふるさと納税について振り返ってみると、もともと「ふるさと」に対する寄付をふるさと納税と称しており、小さい頃から義務教育を経て高校ぐらいまで地元で暮らして大学や社会人になったら東京などの都会で生活するようになった、という人が生まれ育ったふるさとに少しでも貢献できるようにということで始まった制度だ。

この制度がどんどん充実され、近年では全国で約3,500億円という大きな金額になっているのだが、このふるさと納税が、いかにして寄付を集めるか、という競争になり、さらに、そのために返礼品をより魅力のあるものにする競争になってしまっているのが問題なのだ。

ふるさと納税の制度の創設当時は、返礼品というのはいわば「しゃれ」だった。佐賀県は当時から全国でも有数のふるさと納税の受け入れ額の多い県だったが、それは返礼品を豪華にしたためでなく、佐賀県を出て他の地域で働いている方たちに対するふるさと納税のお願いやアピールなどを行っていたからだ。それが証拠にその当時の返礼品は、いくつか選べるようにはしていたが1番人気だったのは佐賀県のトリビアが記載されているトイレットペーパー。これに、私が知事として直筆でサインをして礼状を出していた。そういう時代だったのだ。

その後、ふるさと納税を扱うサイトなどができ、そこを通せば、どこの自治体に魅力を感じ、ふるさと納税をしたくなるかがわかるだけでなく、例えば牛肉を手に入れるためにはどこの自治体にふるさと納税したほうが有利か、といった観点からの情報提供も行われることになり、それが自治体間の競争に拍車をかけたひとつの理由である事は間違いないだろう。

ふるさと納税制度のおかげで売り上げが飛躍的に増えた地域の企業やお店も多い。

だから、ふるさと納税の魅力が薄れる制度改正は影響が大きい、と心配する声もある。

 

返礼品率を下げて3割までにすることについては、関係する首長さんのお話をお伺いしてもそれほど抵抗はないが、地場産品に限ると言うことについてはそれでは困ると言う首長が多い。

たとえばある首長さんは「うちはみかんジュースを返礼品に使っているのですが、うちの町のみかんだけではどうしても数が足りないため、隣の町など、郡内一円のみかんを使わざるを得ません。こういう場合どうなるのでしょうか。また、うちの町の加工施設だけでなく、ほかの町の加工施設を活用して作っているジュースもあります。」と言われる。

佐賀牛を返礼品に使っておられるある首長さんは「うちは繁殖農家や肥育の畜産農家はいるのだけれど、と畜場があるわけではなく、果たして佐賀牛が地場産品と言えるのか言えないのか。返礼品に使っている佐賀牛がこの町で繁殖し、又は育ったものに限る、なるとそれは実質的に無理だということになるが、地場産品という言葉を使ったときにどこまでが地場産品なのかの定義が極めて難しいのではないか」

 

この冬の税制改正で自民党の中でこのふるさと納税の制度改正をどのように扱うのか議論が行われることになるが、それに先立って11月1日現在でふるさと納税をどのように運用しているのかについて総務省から調査が行われることになっている。その調査時点でどのような運用をしているのか、結果次第では、来年度はその団体がふるさと納税制度の対象から外れることになる可能性も出てくる。だとすると、このふるさと納税制度の見直しは10月中にやっておかなければならないことになる。

知り合いの首長さんにはそのような状況をお伝えしているところではあるのだが、関係する事業者の数も多く、調整に手間取っているところもあるようだ。

 

総務省が11月1日時点での調査結果にこだわることなく来年度の運用方針を決めてくれれば良いのだが、総務省にお尋ねすると、「1日も早い是正をお願いしており、その是正の猶予につながる事は考えていない」という答え。

 

現時点で総務省の示した基準に合致していない自治体におかれては、難しい判断が求められている。

 

 

 

ふるかわ 拝

 

衆議院議員

Official Website

power-full.com

Home  Profile  Concept  My Opinion  Contact

Copyright (C)  power-full.com All Rights Reserved.

<掲載画像の無断転載・複製を一切禁じます>