週 刊 y a s u s h i

2 0 1 9 年 4 月

 

2019年4月30日(火)

週刊yasushi 815号「統一地方選挙を終えて 」

 

 

 

この 1 か月間ほど、私自身も多くの選挙に関わることになり少しでも自分の応 援する候補が多く当選することができるように活動してきた。善戦空しく当選できなかった人たちに対しては心から痛恨の念 を表したい。

 

今回の地方選は新しい時代をいろんな意味で感じた。 佐賀県内でも県外でも子育て世代の女性候補が大量の得票を得て当選するという光景があちこちで見られた。 この世代の代表を出さなければという思いと。女性がもっと政治の場にいたほう が良いという思いがこうした結果を生んだのではないか。このほか、幸福実現党の公認候補者が19人当選し、地方議員を合計35人擁することとなった。NHK から国民を守る党もこの統一地方選挙で26人が当選。それまで当選していた議 員も加えると39人。こうした新しい政治勢力などがどのよう な活動をされていくのか、関心を持っていきたい。

 

 

 

 

ふるかわ 拝

2019年4月16日(火)

週刊yasushi 814号「天皇陛下御即位30周年奉祝感謝の集い」

 

 

 

去る4月10日。天皇陛下御即位30周年奉祝感謝の集いが国立劇場で行われた。これは政府主催ではなく、超党派の国会議員を中心とする実行委員会が主催。

1時間半にわたる長いものだったが、充実した時間だった。

特筆すべきは来賓祝辞とライブコンサート。

来賓祝辞は安倍晋三内閣総理大臣、大島理森衆議院議長、

各界からの祝辞は中西宏明日本経済団体連合会会長、ノーベル賞受賞者の山中伸弥京都大学教授、北野武映画監督、千代川茂三陸花ホテルはまぎく社長、宮崎真優ブラジルサンパウロ市エタバ高校2年生。

北野武さんの祝辞については、世の中で批判も多いが、もし関心があるならば全文を読んでいただきたいと思う。

あの時、会場は北野さんらしいギャグで始まったことにどきっとした雰囲気が流れながらも、全編にわたって北野さんの祝辞がユーモアとペーソスに包まれながらも天皇皇后両陛下に対する敬意に満ちたものであることに安堵の空気も流れていた。決しておかしなものではなかったと思う。

もしよければ全文を読んでいただきたい。

https://www.sankei.com/politics/amp/190410/plt1904100031-a.html

 

千代川茂さんという被災地岩手県大槌町でホテルを経営しておられる方のお話も素晴らしかった。

お話の内容は以下のとおり。

少し長いがお許しいただきたい。

・東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町。津波が襲い、豊かな三陸海岸を眺望できる『浪板観光ホテル』も営業停止になり、社長の山崎龍太郎さんは波にのまれた。もうダメだ。当時常務だった千代川さんは再建をあきらめようと思ったという。

・遡ること14年前の1997年に、『第17回全国豊かな海づくり大会』で大槌漁港を訪れた両陛下は、当時『浪板観光ホテル』の名だった同ホテルに宿泊。

・近くを散策された際、崖側に咲く可憐な白い花に目をとめられた。「あの花は何ですか?」と尋ねられ、「ハマナスですね」と答えてしまった千代川さんに、陛下は優しく「ハマギクじゃないかな?」とお声がけされたという。

・実は、ハマギクは陛下が好まれる花だった。そこで後日、兄の山崎さんは、ハマギクの苗を皇居に献上する。

・震災から半年後の2011年秋、千代川さんは皇后陛下の誕生日に宮内庁が公開した写真を見て息を呑んだ。そこには兄が贈ったハマギクの花が真っ白に咲いていた。

「ハマギクの花言葉は“逆境に立ち向かう”。兄が贈ったハマギクが、皇居で美しく咲いていました。その姿に勇気づけられ、ホテルの再建を決めた。

・2013年8月、『三陸花ホテルはまぎく』と、名前を新たにホテルを再開。2016年9月には両陛下が訪れ、千代川さんの出迎えに「頑張りましたね」と、優しく声をかけられた。

という内容だった。心が揺さぶられるお話だった。

 

そして、最後がブラジルから来た高校生宮崎真優さん。

他の来賓の人たちが原稿に目を落としながら祝辞を述べられていたのに対し、日系3世として外国語としての日本語を学んでいる彼女が、よどみなく、そしてノー原稿で一般参賀で陛下にお目にかかったときの喜びを語った。

ブラジル人でありつつ、日系人としての誇りを保っている彼女。

私を含め会場が感動に包まれた。

 

その後はコンサート。MISIA、松任谷由実とゆず。

最近、松任谷由実が元気なうちにいちどコンサートに行ってみたいと思うようになっていただけに、思いもよらない形で松任谷由実のライブを体感できた。

1時間30分の集い。ちょっと長いかなぁと思っていたがその長さを感じさせない、バラエティーに富んだ内容で改めて平成の30年間に思いを馳せた。

 

 

 

ふるかわ 拝

 

2019年4月9日(火)

週刊yasushi 813号「与党新幹線プロジェクトチーム西九州ルート検討委員会の最近の状況」

 

 

 

3月27日。与党新幹線整備プロジェクトチームの西九州ルート検討委員会。JR九州からのヒアリングで、JR九州の主張そのものはこれまでと変わりなく、ただ議論としては例えばこれまでJR九州などJR各社が30年間支払うこととされている貸付料について、新規着工区間についてはこれを50年間に延長することなどについても議論がなされた。いずれにしてもこのことについてはこの場ではなく新幹線整備全体の財源問題を検討するプロジェクトチームで議論をしなければということになった。

このほか、フル規格で整備することとした場合、どういうルートによる整備を考えるのかについても議論が行われた。

環境アセスメントが既に終わっているのは佐賀駅を停車駅とするルート。

ほかにも、佐賀県内には佐賀駅を通らずに佐賀空港を経由すると言うルートを主張される人もおられるし、その逆で佐賀市北部の長崎自動車道沿いのルートを主張される方もおられる。

フル規格を前提とした場合、どういうルートにするのか、検討を進めて今後詰めることになった。

また、今回は並行在来線の問題についても議論になった。フル規格ということになれば、並行在来線の分離の問題も一般的には発生するが、博多佐賀間はドル箱でこれからもJR九州が営業を続けるであろうことを考えれば、並行在来線となる可能性のある路線は佐世保線になるが、そもそも佐世保線を走る特急『みどり』は、新幹線の整備によって廃止されるとは聞いておらず、そもそも佐世保線は並行在来線では無いのではないか、と主張した。もともと、新幹線は佐世保回りを予定していたところ、それでは採算が取れないと言うことで、現在の案になっており、佐世保の皆様方も苦渋の決断でその案を受け入れたことを考えれば、佐世保線を並行在来線と位置づける事はすべきでないと私は考える。

 

西九州ルートについてはいよいよこれから議論が本格化していく。プロジェクトチームのメンバーとして納得できる結論が得られるように議論を深めていきたい。

 

 

 

ふるかわ  拝

 

 

2019年4月1日(月)

週刊yasushi 812号「有田窯業大学校から佐賀大学へ(書き残し)」

 

 

 

有田窯業大学校が3月末をもって閉校しました。

有田窯業大学校の設置者である佐賀県知事として、また第5代の校長として、このたびの窯大の閉校を格別の思いを持って受け止めています。

今回の閉校に当たって、記念誌が編まれ、私も寄稿しましたが、紙幅の関係で十分に意を尽くせなかったところもありましたので、このコラムで思いを述べさせていただきます。

 

佐賀県知事に私が就任したのは平成15年4月でした。

私の知事選挙の時のマニフェストに「県内に高等教育機関を設置することを検討する」と記してありました。当時は窯大のことをイメージしてこのマニフェストを書いたわけではありませんでしたが、若い人たちの県外への流出を防ぐために高等教育機関の設置が必要と言う強い思いからこの項目を入れたのでした。

これをご覧になったからだと思うのですが、私が知事に就任してわずか4ヶ月後の平成15年8月に窯大運営協議会が開かれ、4年制大学への移行に向けて設立世話人会準備会を発足させることで合意がなされました。

この準備会の発足については当時校長であった14代酒井田柿右衛門先生が私のところに来られ、具体的な検討を自分たちも進めるから佐賀県としても検討しても進めてほしいと話されたことを覚えています。

この申し出を受けて、佐賀県としても窯大の今後のあり方について検討が進められることになりました。確かに4年間と言う修業年限を設けて、より専門性の高い、また人間的にも幅のある人材を育成することには大きな意味があると私も考えました。ただ、4年制大学と言う方式をとるのか、あるいは窯業大学校の4年生課程の新設という方式とするのか、ということについては議論の必要があるとも考えました。

翌平成16年1月には有田町、有田商工会議所、および大有田焼振興協同組合が連名で佐賀県に対し、世界で唯一の4年制窯業大学を有田地区に設置するよう提案がなされています。

こうした動きを受けて「窯大の4年制化」と「4年制大学の新設」の両案について内部的な検討を進めることにしました。

 

4年制大学の設置は魅力的ではあるのですが、平成16年の試算で、設置経費13億円、年間経常経費7億6100万円と見込まれ、佐賀県の財政力ではこれを維持していくのが難しいのではないかと判断していたからです。

このほか、仮に4年制大学とした場合どのようなカリキュラムにしていくのかについても課題がいくつかありました。1つは窯業そのものについては様々な教員が既に存在し、また確保することもある程度可能ではないかと考えられる一方で、教養課程や窯業関連科目については、新たに教員を確保することが容易ではないことが見込まれることや、例えば九州産業大学においては当時、芸術学部美術学科陶芸コースが設けられていましたが、陶芸は「学部」でも「学科」でもなく「コース」でした。こうしたことを考えたときに果たして陶芸のみを内容とする学部や学科を創設することが果たして可能だろうかと言うことも私の頭の中にありました。

そこで結果的に4年制大学ではなく4年制課程の新設、を平成19年に佐賀県として決定しました。この結果については柿右衛門窯先生はじめ有田窯業界の皆様方にとっては満足のいく結論ではなかったかもしれませんが当時の判断としてはまず4年制化し、その上で大学として設置することの必要性についての実績を積み上げていく方が良いと判断したのでした。

その結果、平成21年に4年制がスタートしました。新しい窯大のスタートと言っていて良かったと思います。6年間にわたる議論の結果だっただけに自分なりの思いもありました。

その後、校長を務められていた14代柿右衛門先生が逝去。しばらく空白期間があった後、私が第5代校長に就任しました。

その直後の平成26年4月の入学式。私は有田焼創業400年事業の一環としてミラノ・サローネという見本市に参加していました。ミラノのホテルからSkypeで窯大の入学式にメッセージを生配信したことを覚えています。

当時、私は様々な業務で海外を訪問することが多く、その中でミラノ、パリ、アイントホーフェンなど街とデザインが調和し、そして芸術そのものが地域の財産となっている各地の様子に触れることができました。また、国内においても瀬戸内国際芸術祭などが地域に大きな変化をもたらしている様子を見て、有田を世界の中で売り込んでいきたいと言う思いと合わせて、有田と言う地域を芸術の拠点とし、例えば「有田芸術トリエンナーレ」といったものを将来的に開催できないだろうかと考えるようになりました。400年事業が次の100年に向けて残すものは「ひと」と「まち」でなければならないと言う思いを持つようになり、そのことをあちこちで語っていました。

その頃でした。当時の部下職員が「窯大を佐賀大学と統合すると言うのはどうでしょうか?」という提案を持ってきました。私は即座に答えました。「統合して大学にすると言う事は、県の財産を大学に寄付することになります。それは法律で禁止されているからできないのではないですか?」

待ってたとばかりその職員は答えました。

「その法律は平成23年に改正され、今はできるようになっているのです」

確かにその通りでした。窯大を佐賀大学文化教育学部と統合し、佐賀大学芸術学部有田キャンパスとしてスタートさせる。教養課程を始めとする必要な教員確保は佐賀大学の人的資源を活用すれば十分に可能だし、教員養成系統に頼らない新しい教育学部のあり方として全国的なモデルにもなるのではないか。話を聞いた瞬間にいけると感じました。もちろん簡単なことではないでしょうが、交渉相手の佐賀大学佛淵学長はこうしたことにご理解のある改革志向のリーダーでもありました。県の財産のお化粧直し、残ったコースの位置づけ、などなど課題山積の中でしたが、関係者の努力により平成25年11月に窯大と佐賀大学の統合の基本合意書が締結され、有田焼創業400年の平成28年の開設を目指すことになりました。

そして予定通り平成28年4月に佐賀大学芸術地域デザイン学部と言う形でスタートすることができました。

当初の芸術学部と言う案に対し、「地域」と言う言葉と「デザイン」と言う言葉が入りました。これにより、連携していくべき相手と活かしていくべき手法が明示されているように思います。

このたび有田窯業大学校はその姿を閉じることになりますが、進化した姿で次の新しい有田の百年の歴史を生み出すことを確信しています。

 

これまでご尽力いただいた皆様方に本当に心から感謝を申し上げたいと思います。キーパーソンたちの誰を欠いてもこの結果は生まれなかったと思います。

 

 

 

ふるかわ  拝

衆議院議員

Official Website

power-full.com

Home  Profile  Concept  My Opinion  Contact

Copyright (C)  power-full.com All Rights Reserved.

<掲載画像の無断転載・複製を一切禁じます>